少女旅行記 非常識の楽園
ルルルルルルル
非常識な楽園
沈黙の朝、少女は海辺の道を歩いていた。凪いでいる。視界に入る荒廃した小さな墓地に、溌剌とした生命力を吐瀉する薔薇が咲いていて、死を生が覆い隠しているように見える。町は沈黙している筈なのに、其処彼処の家家は、絵の具で玩具を塗りつぶしたような色だった。こんなに薄暗い町なのに、必死に生を主張するような人間臭さに、少女は冷笑した。
しばらく歩くと、黒尽くめの白人達がパン屋に入り朝食を買う姿や、やはり黒尽くめの白人が、自転車の後ろに子供を乗せ、恐らく学校に連れていこうとしていた。それを見て、少女はここが異国だという事を思い出した。
デンマークの首都コペンハーゲンは、ヒッピー文化に興味を持つ少女にとって、憧憬の的だった。取分け今回の目的地、クリスチャニアはそんな自由奔放に生きる者達の最後の楽園らしい、と、風の噂で聞いた。少女の住んでいた街も、口笛を吹きながら歩けば、チルな音楽が耳を癒す。しかし、その街とは比べ物にならないと、誰かが言う。曰く、そこは自治体のような場所で、デンマーク人が中心であるが、様々な国の人間が、たった3つのルールを元に生活しているらしい。
・暴力禁止
・自動車通行禁止
・ハードドラック禁止
少女は、あぁつまりピースなヤツなら、と勘付き、それは全くもってその通りとなるのだ。
少女は海沿いの道を抜けると、ローザンボー城というルネサンス様式の宮殿や、童話から誘拐したような家家が川に立ち並ぶニューハウンなどの観光地を巡った。すると、建物と建物の隙間から、外国人相手にガイドを申し出ている人間を見つけたので、換金したばかりの600クローネ(約1万円)をその白人の女に握らせた。
「面白い話が聞きたいの。クリスチャニアも含めて、ね」
女は微笑んだかと思うと、どこかに電話をかけた。鼻筋の通った横顔が綺麗だと思ったが、もしや警察に相談をしていないだろうか?と不安にも思う。そんな少女に、女はウィンクすると、住所と、男性の名前が書かれた紙を寄越した。近くにある教会らしい。少女は礼を言うと、ついに物語が始まったと思い、心躍りながら女と別れた。
表に出ると、太陽が真上に見える。異国でも、やはり太陽は平等と思うと面白い。少女は乗り継ぎで買った中国の煙草をふかしながら、教会へ向かう。思っていたよりも近い位置にそれはあったので、適当に煙草を揉み消し、吸殻は花壇に捨てた。郷に入ってはなんとやらである。
赤煉瓦で積まれた教会は、白いチャペルを想像していた少女にとって驚く程暗い雰囲気で、薄汚れていた。しかしだからこそ、罪の意識を持つ人間はこの教会に入りやすいのかもしれないとも感じた所で、小さな眼鏡をかけた、穏やかな表情の老人がこちらに手を振っているのが見えた。牧師だろうか?
「こんにちは。君がメリーの言っていた女の子だね」
「こんにちは。あの白人の方の事ね?えぇそうよ、よろしく」
軽く挨拶をした後、老人はとってつけたようにそう言えば、と改めた。
「君はマフィアに興味があるかい?今なら試験もやってあげよう」
唐突な誘いに、一つ二つ思考を凝らし、老人を凝視したが、穏やかな顔を崩さない。
「入団に興味はないけれど、試験は面白そうね」
そう言うと、老人は簡単だよと、穏やかな顔をさらに弛緩させ続けた。
「水が注がれたコップを二つ用意する。一つはただの水で、もう一つはヘロイン入りのスペシャル・ジュースさ。一口で飲み、狂気に飲み込まれなければ、晴れて仲間入りだよ」
「そう。でもこの町の硬水は、飲み慣れない私にとっては等しく毒なの」
そう返すと、老人はゆるりと微笑んだ。そして、良いものを見せてあげようと何処かに歩き出した。
しばらく歩くと、老人は側面にやけにリアルで、嫌悪感を主張した鼠や兎が大きく描かれた5階建のマンションを指差した。描かれた畜生共以外何の変哲もない建物で、少し間隔を空けて学校らしき建物もある。
「ここは売春婦宿さ。隣は小学校で、目をつけた子供達をここに売り飛ばすんだよ。」
「登校先が10メートル変わるのね。スペルと教養の代わりにスペルマと金を?」
そう言うと、老人はころころと笑い、さぁ次に行こうかと意気込む。町を歩く度、色々な事を教えてくれた。大麻で子供を酔わせ、教会の奴隷にする事。あの建物の3階では、人間が部品ごとに売られていた時期があった事、へぇ、子供は宝ね。と呟くと、全くもってその通りだ!と、またころころ笑った。
そして親がいない子供のコミニティを見に行った時、老人は一人の若者を紹介した。
「彼は?」
「売人だよ。クリスチャニアのガイドもできるがいかがかな?」
そうは言っても、その地は私の足で探索したい。貴方の所で買うから安くしてね、と語りかけると、彼は爽やかに、あぁと返事した。
日が傾き、チボリ公園の電球にライトが灯る頃、老人と共に出発した教会に戻り、通り過ぎた。
「どうだった?老人の話でも楽しめたかな?」
えぇとっても、と笑顔で返すと、やはり老人はころころ笑った。しかし日が暮れると、穏やかに見えたそれもなんだか仰々しいように思える。
「この国はね、もう狂気に飲み込まれているのさ」
老人はこの案内を総括するかのように言った。
「宝であるはずの子供を、まるで金儲けの道具に使う。それに、家畜と便所とサンドバッグと区別がついていない人間が多すぎる。」
貴方も、ね?と返事すると、静かに、自嘲気味に笑ったような気がした。太陽は完全に沈み、夜の帳が降りる。
「だからここに居着いた」
気がつくと、暗くてよく見えないが、二つのトーテムポールに、一つはYの字に顔が並び、ピースサインのようになっているそれにくっついている看板が見えた。遠くから、笑声や楽器の音色が聞こえる。そして、どこか懐かしい香りも。
「ようこそクリスチャニアへ」
あぁと感嘆のため息が、思わず漏れてしまう。恋焦がれた楽園が、口を開けて私を飲み込もうとしているのだから。その口周りは酷くて汚くて、自由に感じる。少女は一度息を吸い込むと、風を切って、その地に足を踏み入れた。
少女旅行記 非常識の楽園 ルルルルルルル @Ichiichiichi
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