第35話

「最初は花嫁、二度目はガヴァネス、そして三度目、メイドとしてグッドヴィル屋敷に戻って来た私はその夜の内に屋敷にいた者達全員と今後のことについて話し合いました」

 身じろぎもせずイザベル・グッドヴィルは続けた。

「まず証拠の品、脅迫状はモルガンが所持していたのですが、それらを纏めて、取り敢えず甲冑の中に保管することにしました。これは最後の切り札です。最も効果的な使い方をしようと考えたからです」

「そうか、だから、脅迫状はエメット、いや、奥様のリボンで括られていたんですね」

 納得の声を上げたヒューにうなずき返す夫人。

「隠し場所はウェルの言に従いました。悪魔をブーツの中に飼っていた牧師様がいたとウェルは譲らないのよ。悪魔を入れるならブーツに限るって。ウェルは私の手を握って手紙の束をモルガンとケネスが鎧武者の靴に隠すのを満足げに見つめていました」

「『悪魔はブーツの中に』のウェルの発想についての推理も、当たっていたね、ヒュー! 君の言っていた通りだ」

 リチャードの賞賛に照れながら、ヒューは脅迫状を発見した際の状況を今一度警部に説明した。

「階段から落ちた時、頭をぶったウェルさんは僕らのことを天使と錯覚して『悪魔はブーツの中にいる』と言ったんです。それで僕たちは鎧武者の靴からそれを見つけ出すことができたんです」

「ウェルがあなた方に囁いたのは、あなた方が本当に天使に見えたからよ。事実、あなた方は私たちを救ってくれました」

 顔を上げ、メッセンジャーボーイを見つめてイザベルは言った。

「ヒュー、あなたが推理したとおり、怪異は屋敷内の異変を外部に伝えるためでした。偶然、屋敷に転がり込んできた遠縁のアンソニーは豪州の銅山会社から株価通知を得ようとテレグラフ・エージェンシー社と契約していてメッセンジャーボーイが頻繁に出入りするようになった。私たちは怪異騒ぎで警察が注意を向けてくれないかと期待したのです。また色々噂になって世間の目も集まれば脅迫者もそうそう手出しをできないのでは、とも思いました」

 髪に巻いたメイド装束のレースがティアラのように揺れる。

「赤いドレスの幽霊は私です。夫の懐中時計を見つけたということは、ドレスも石棺に隠してあったことを既にあなたたちはご存知でしょう?」

「すみません。僕たち、リジー・アッシャーさんの証言を基にリチャードとともに棺を開けました」

「リジーはあなた方が必ずや私たちの力になってくれると確信してその話をしたのよ。その判断は正しかった」

 イザベルは従者たちを振り返った。

「リジーだけじゃない。皆、協力してくれました。モルガンは屋敷に巣食う死番虫を捕まえて籠に入れて夜の庭に放置しました。火の玉を演出したのは私。モールス信号は英国へ渡る航海中の船の中で船長が余興で教えてくれたのを思い出して使ってみました。最初の頃はメッセンジャーが来る頃合いに、ただチカチカやっていたのだけど、いつからか、あの言葉を囁き始めたの。そう、エドワードが冊子に記した言葉……Watch Deathwatch……」

「エドワード卿があの冊子を使用していたことを知っておられたんですね?」

 キース・ビーの問いに元メイドは素早くうなずいた。

「ええ、あれは夫が息子たちのために残したものです。最後となった手紙で私は夫から、万が一自分の身に何かあった時、見せるよう頼まれました」

 イザベルは歌うように繰り返した。

「Watch Deathwatch……子供っぽいとお笑いになるかもしれませんが、この言葉を発信するたびすがるような気持ちでした。擦れ違う船はモールス信号で『安全な航海を祈る』と送り合うのが習わしとか? 

 毎夜、真っ暗な空に向けて光を放つ私は難破船に乗っている気がしたものです。孤独で不安で……でも必ずやこの光は届くと信じてもいた。そして、実際、届いたわ!」

 琥珀色の美しい瞳がまたメッセンジャーボーイに向けられる。

「ヒュー、あなたはこの言葉に惹き寄せられたんでしょう? 私たちの屋敷に何かが起こってると興味をもってくれた――」

「もうバッチリ届きましたよ! ヒューときたらその不思議な言葉に夢中になっちゃって、このお屋敷に興味津々で、このままじゃ寝られないとか言って、怖がる僕を引きずって翌朝即、屋敷に戻って来たんです」

「いいから、おまえは黙ってろ、エド」

「怪異が唐突に消滅した理由も、ヒュー、あなたが推測した通りです。リチャードが襲われたことで私たちは衝撃を受けました。まさか脅迫者がこれほど早く大胆な行動に出るとは予測してはいませんでした。それで取り敢えずやり方を変えることにしたんです。幸いあなた方のおかげで当初の目的だった警察との関わりもできましたし」

「脅迫状に関しては、私にも語らせてください」

 ここで執事が声を上げた。

「家政婦長のウェルは先代奥様を、私は先代当主ヘンリー様を謎の脅迫者からお守りすることができませんでした。むざむざ主君を失ったこの無念と後悔は口では言い表せません」

 前置きをした後でモルガンは一気に言った。

「エドワード様が当主をお継ぎになった際、私は解雇されるのを覚悟で秘匿していた先代様宛の脅迫状を差し出しました。先代様の元に届いた脅迫状はこれだけではありません、もっとありました。先代様が読了後、そのつど焼き捨てるようお命じになられたのを主君の命令に背いて焼かずに取って置いた数通があれなのです。奥様の死後、先代様が何者かに強請られていることは私も薄々感じ取っていました。それで私なりに何とかしたいと思ったのですが結局何の役にも立ちませんでした。もっとやりようがあったのではと今でも慙愧ざんきの念に堪えません。エドワード様はそんな役立たずの私をとがめず、今後は来た脅迫状は自分もおまえに渡すから保管しておくようおっしゃいました。そのエドワード様まで……」

 流石にこらえきれず目頭を押さえる老執事。しかしすぐにしっかりとした口調に戻った。

「エドワード様が脅迫者と対峙すべくお出かけになられた日、私は夜通しお待ちしていました。エドワード様は壮年で屈強、脅迫者風情に負けるなどと微塵も思いませんでした。翌朝、池にエドワード様を発見した時の悲痛と絶望は言葉には表せません。ウェルの老いを速めたのはエドワード様を失った衝撃です。私は物言えぬ彼女に代わって断言します」

 無念さを滲ませて吐息をつき、話し終えた。

「アンソニー様がご帰還になられなかった時も嫌な予感がしたのですが、まさか毒を使っていたとは」

「毒?」

「はい。ホール医師が自ら語ったんです。私たち全員、この耳で聞きました」

 これを証言したのはケネスだ。

「先代奥方様が殺鼠剤で自死なさったことから知恵を得て、先代様、エドワード様、アンソニー様、全てを同様のやり方で殺害した上で池に運んだそうです」

 ヒューが言い添える。

「キース・ビー警部、このことに関連して僕の友人のアシュレー・タルボットが気になる証言をしています。殺鼠剤を飲んで死亡した者の遺骸が溺死者と酷似していると言うんです」

「殺鼠剤だと?」

 ピシャリ、警部は両手を打ち鳴らした。

「頬髯で変装したホールを追跡した靴磨き少年によれば、ホールは雑貨店で殺鼠剤を購入していたそうだぞ! アシュレー・タルボットは薬屋の青年だね? よし、その件については後で改めて詳しく話を聞いてみることにする。殺害方法の立証に大いに役に立つだろう」

「では、ニュー・スコットランドヤードに出頭する前に、最後の告白をいたします。若き日に私が隠した宝の、現在の在処ありかについてお教えいたします」

「私は結構です」

「私も、それを知る必要はありません」

 即座に執事と料理人――忠実な従者二人が辞退した。だが、イザベラ・グッドヴィルはきっぱりと首を振った。

「いえ、ここに居合わせた皆さん、全員にお話します。皆さんは今回全てに立ち会い、見届けてくださいました。私は思っています。グッドヴィル一族の悪夢は今日で終幕すると。明日からは新しい世代が新しい一歩を踏み出します。その証人にぜひ、皆さんになっていただきたいのです」

 遂にその時が来た。屋敷の女主人レディは威厳を持って言い切った。

「若き日に私が犯した罪、一族の秘宝を持ち出すという大それた行為は夫にも明かすことができませんでした。今日は全てを清算するにふさわしい日だと思います」

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