第33話

「よくやった。それをこちらへ渡せ」

 声の主を振り返ってリチャードは問い返した。

「ホール医師、『渡せ』ってどういう意味です?」

「いいから、言われた通りにするんだ。これが見えないのか?」

 医師の手には拳銃が握られていて銃口はピタリとリチャードの額に照準されている。

「動くなよ。少しでも変な真似をしたら再びグッドヴィル家の当主の死亡報告が朝の新聞に載ることになるぞ」

「ドクター、あなた・・・が何を言ってるのかわかりません」

「まだわからないのか? これだから貴族って奴は悠長でおめでたい。脅迫者は、私だよ」

 執事、料理人、メイド、次男、そして、小柄なメッセンジャーボーイと長男、もう一人のメッセンジャーボーイ……

 日時計を囲む全員に自分の言葉が沁み込むのを待って医師は再び口を開いた。

「安心したまえ。私は唯、綺麗なものが大好きなだけで別に歴史上の恨みなんかないから。病気のせいで気弱になった元スコットランドのお姫様がうっかり漏らしたこの屋敷に眠る宝、それがどうしても欲しかったのさ」

 医師は左右に首を振った。

「だが、昔話なんぞうんざりだ。さあ、早くそれを私に渡せ。でないと、祖父母や父親、遠縁の叔父と同じ哀れな結末になるぞ、リチャード君」

「本気で言ってるんですか? 本当に? あなたがみんなを命を奪った……?」

 少年の悲しみに歪んだ顔に微笑み返すビクター・ホール。

「信頼する若い主治医の私から、口封じに宝を要求された時の先代奥方の顔を見せたかったな! とはいえ、まさか彼女があんな真似をするとは、予想外だった」

 穏やかな口調で医師は明かした。

「おまえの祖母は宝を渡すと言って、深夜こっそり呼び出した私に、宝ではなく自分の屍を提供したのさ。自分の犯した過ちと強請った私を告白する遺書を残して毒を呷ったのだ。だがしょせんお姫様の浅知恵だ。私が屍骸を見て衝撃を受けるとでも思ったのかね? 悔恨の涙を流すとでも? 私は騎士ではなく医師だ。死体なんぞ見慣れている。むしろ、彼女は私に未来へ繋がる素敵なアイディアを与えてくれた」

 静まり返った一同を今一度見回してから、満足気に医師は続けた。

「私は優秀な医師だから気づいたさ。どこの家にもある毒――殺鼠剤を飲んで絶命した奥方は肺に水が溜まり水死体そのものだった。私は遺書の方はポケットに仕舞い奥方を池に浮かべて悠々と帰還したよ」

「では、お祖父様と父上も……その同じやり方で……毒殺した……」

「先代はしぶとかったからな! 数々のチンケな宝はくれたが遂に真実の宝――私が望む本命はガンとして譲ってはくれなかった。それで見切りをつけた。おまえの父親もわからず屋だったから早々に退場願った」

 唇の片側を上げてフッと溜息を吐く。

「私は次なる交渉相手として失踪したおまえの母親が現れるのを待っていたんだ。だが、どちらでもいい。息子のおまえなら、なお、簡単だ。そして実際、そうだったろ? こんなところに隠してあったとは劇的ドラマチックだな!」

 銃口を構え直してホールは言った。

「と言うわけで、私の告白場面はこれまでだ。とっとと次の幕を開けろ! 言われた通りそれを渡せ!」

「リチャード……そんなものくれてやれ……」

 冴え冴えとしたヒュー・バードの声が響く。

「今は、命の方が大切だ。ブルドッグはそれなりに危険だぞ、これ以上吠えさせるな」

 この言葉を医師はひどく面白がった。

「上手いことを言うな? 相変わらず博学で小賢こざかしいガキだ」

 手の中の拳銃が僅かに揺れる。

「その通り、これは持ち運び容易な短銃身、ブリティッシュ・ブルドッグ・リボルバーさ。但し最小の320口径だから、刻印は入ってないんだ。ったく、銃にまであれこれ言うとは。そうだ――おまえが運んで来い」

 名案がひらめいたと言うように悦に入って医師はヒューに顎で指図した。

「貴族の坊ちゃんから宝を受け取って私まで届けろ。まさに似合いの仕事じゃないか、頭脳明晰なメッセンジャーボーイ。どんなに賢かろうと、この先一生おまえにできるのは運び屋だけだろうから」

「……うけたまわりました」

「ヒュー?」

「ヒュー!」

 並んで立つリチャードとエドガーにゆっくりと歩み寄るヒュー。

 まず、素早く一番最初の友に目配せした。

「落ち着け、エド、大丈夫だから」

 続いて、人生で二人目の友人に囁く。

「リチャード、俺は信頼できるメッセンジャーボーイだとおまえは言ってくれたろ? ここは俺に任せろ。おまえは絶対ここを動くなよ」

「――」

 リチャードは箱をヒューに差し出した。ヒューは受け取ると来た時と同じ歩調でまたゆっくりと戻って行く。医師の前まで来ると足を止め、いきなりその場で箱の蓋を開けた。

 この意外な行為にホールは声を荒げた。

「触るな! 悪童め、おまえは言われたことをすればいいんだ。早く渡せ――」

「でも、カラだよ。これ」

「嘘をつくな! そんなはずはない、見せてみろ!」

 手渡された箱を覗き込む。メッセンジャーボーイの言葉通り、中は空っぽだった。

「馬鹿な――」

 次の瞬間、医師の真後ろに黒い影が飛びついた――

「グ」

 拳銃を握ったまま医師はくぐもった声を漏らして影もろとも地面に倒れた。

 全てが、あまりにも一瞬のできごとだったのでその場にいた全員、何が起こったのかわからなかった。

「あなたが脅迫者だったのね!」

 メイドがレースのエプロンをひるがえして医師の背中から身を起こした。

 医師はピクリとも動かない。その首に細く穿たれた穴から一筋、血が滴り落ちる。

「復讐は成し遂げられました。後悔はしていません。もし同じ場面が廻って来たら、何度でも私は同じことをします」

 執事と料理人が同時に叫んだ。

「奥様!」

「奥様!」

「おくさまだって……」

 リチャードとジョイス、そしてヒューとエドガー――少年たちにその言葉の意味が理解できるまで暫らく時間が必要だった。

 どれくらい経っただろう。漸くリチャードが震えながら、

「奥様だって? どういうこと?」

「リチャード様、そしてジョイス様……」

 ドッと力が抜けて膝を突いたモルガンがしわがれた声で告げた。

「この御方があなた方のお母上でございます」

「そんな――」

(あ!)

 刹那、ヒューの脳裏で巻き戻る光景があった。凸凹の道の続くうまや街、棟続きの家々、その心地よい居間で揺り籠の赤ん坊を抱き上げて元メイドは何と言って俺とエドを送り出した?


 ―― お坊ちゃま方と奥様、そしてあなた方に神のご加護がありますように!


 そうだ、確かにリジー・アッシャーは言っていた。あの本当の意味はこれだったのか……

 一方、背後では子息たちの困惑の声が交錯している。

「そんな馬鹿な! おまえ――エメット、いえ、あなたが、僕の母上?」

「嘘だい、おまえは泣き虫のエメットだい! いつも僕を抱きしめて泣いてた――違うの?」

「そうね、泣き虫の――お母様よ。ごめんなさい、あなたたちに寂しい思いをさせ続けて」

 唐突にリチャードの口から、大好きだと言っていたウィリアム・ブレイクの詩が零れ落ちた。

「……『神様がお父さんの姿で現れて、子供たちをお母さんの処へ連れて行ってくれた。お母さんは泣きながら子供たちを抱きしめて』……」

 今、先を続けるのはメイドの姿をしたその人だ。

「『私は一晩中ずっと谷の中であなたたちを思って泣いていたのよ』……」

「母上――っ!」

「母上――!」

 兄弟は力いっぱい母に抱きついた。

「ああ、リチャード……! ジョイス……!」

 ここで、息せき切って駆け寄って来たのはニュー・スコットランドヤードの警部、キース・ビーだった。

「遅かったか! ビクター・ホール医師は何処だ? え? これは――」

 横たわるホールを驚愕して見下ろす。

「まさか……死んでいる?」

 兄弟を抱きしめたままメイドが言った。

「私がやりました」

 茫然自失の執事と料理人、泣くじゃくっているリチャードとジョイスに代わってヒューとエドガーが言った。

「これは正当防衛です」

「そうです、僕たちは一部始終を目撃しました」

 次にキース・ビー警部がやった事――

 まず警部は、引き連れていた警官たちを振り返って命じた。

「外へ出て門を閉めろ! 全員、屋敷の周囲の警備を固めるんだ! 命令があるまでひとりもその場を離れるな!」

 それから、屍骸とそれを囲む一同に向き直って、改めて言った。

「とにかく、ここで何が起こったのか、詳しく事情を話してください」

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