狩の名手、うちつけに射られたる話(その一)

「ぁいっ……!」

 男の悲鳴と、がさりと枝が擦れる音、ばしりと鞭のようなしなる音、馬の嘶き、そしてどさりと落ちる音がしたのは、ほぼ同時であった。


 ◇◆◇


 阿蘇五岳の西の麓、下野。

 時は如月、春の祭りの季節である。

 阿蘇社は社家の扱いが少し変わっており、祭事を司る社家が社の周り、阿蘇谷に住まいし、月々の例祭を執り行っている。だが肝心の大宮司・宇治家は遠く離れた南郷谷に住まいし、専ら社領を治め武家の棟梁としての役割が主だった。

 それが、やや社家の棟梁、宮司としての仕事を思い出したのが今の大宮司、宇治惟時である。

 彼はきな臭いこの弘安の役以来の九州にあっても、いくさごとばかりでなく社の職務整理にも気を配り、肥後一之宮の長として一帯をまとめ上げる為の祭りの体系化をなした。彼自身がしょっちゅう都に呼ばれるようになって、今まで口伝に頼っていた祭礼の次第が滞りがちになり社家から泣きつかれた、というのもある。

 そのひとつが、阿蘇社で最も重要な祭りと言われた、この春の祭り、「下野狩」だ。

 阿蘇社の十二の神に供える獲物を、野に火を放ち、その火と勢子で追い込む巻狩で捕らえるこの行事なら、血の気の多い子飼いの武士団にも訓練になり、満足ができる。そこで各家臣に仕事を割り振り、祭りでの役割を与えて社家としての自覚を持たせた。この盛大な行事は、古くは鎌倉幕府も巻狩の模範とし、各地の巻狩行事の原型ともなったのである。

 阿蘇だけでなく周辺の豪族も参加する、一大行事であったこの巻狩、今年も野原にヒョウ、と風を射抜く音と、鹿の大きな叫びが響き渡った。

「当たった!」

「大きいぞ!」

 勢子からも見物客からも歓声が上がった。

 今も、騎馬の射手が臙脂の狩装束も颯爽と、大弓で矢を放ち、一発必中、鹿の首を過たず射抜いたところであった。

「なんじゃ、あやつは。私の獲物を皆狩ってしまいそうではないか」

 巻狩で定められた大宮司の装束、黒の狩衣に縫箔ぬいはくの狩袴。惟時は馬を返して舌を巻いた。自慢の大弓の出番が奪われそうである。装束からすると宗戸むねとだから、一応親戚筋か。

「恵良の小次郎ですよ、父上」

 嫡男の惟直が馬を寄せる。惟時に面立ちの似た、涼やかな好青年である。透き通るような茶色の目が印象的だった。

 惟時は目を細めた。

恵良九郎惟種の跡取りか、大きくなったものよ」

「九郎と同じ年頃だった筈ですよ、父上。……いや、九郎よりひとつふたつ上だったかな。元服しましたし」

 九郎は惟直の弟、寿熊丸としくままる仮名けみょうである。嫡子でない気楽さで、彼も単なる宗戸の射手として参加していた。

「……どうも、寿熊丸が鈍臭く見えるな」

 寿熊丸も決して下手な射手ではないのだが、小次郎の弓の腕が良過ぎるのだろう、比較してしまうと残念に見える。大物を射た方が賞賛されるものである。

「それは九郎にも酷でしょう。恵良は犬追物いぬおうものの家ですから」

 広大な野を囲い、その中に犬を放ち、三軍の騎馬の射手がタンポの付いた特別な鏑矢で射て、その当たり所や姿勢で点を競う犬追物は、騎射三物の中でも最も実戦的と言われる。下野狩の最中も開催されるその犬追物に、恵良家は代々関わっていた。

 勢子達が仕留められた大物の血を抜き、足を縛り、担いで戻ってくる。近くに寄ってくると、体軀といい、毛並といい、五、六年は生き延びた大物だろう。

 寿熊丸は自分の射た野兎を雑人に血抜きさせ、ぶら下げてやって来た。

「兄上ー。小次郎がいると私が目立てませぬ」

 兎は兎で射るのが大変なのだが、桟敷からよく見える大物の方がやはり見栄えはする。

 惟直は扇を口許にやった。

「案ずるな、私も上様もどうすれば小次郎を出し抜いて大宮司と宇治家の面目が立つか、今相談しておる」


 ◇◆◇


「……やはり、大きいな」

 供物台に並べられた獲物の前を惟時は行ったり来たりする。恵良の嫡男が仕留めたあれがやはり、どう見ても大きい。今日一番の大物ではないだろうか。

 これは呼んで褒めないとならないだろう。

「惟種め、どこに隠しておったのじゃ」

 ここにいない従兄弟に向かって悪態をつく。あの腕前なら武人としてもよく働いてくれそうだ。

 この分だと、まずは最終日まで良い獲物を狩ってくれることだろう。それに。

「伯父上にも言い訳が立つかな」

「大宮司」

 振り向くと、惟直であった。ばつの悪そうな顔をしている。

「どうした」

「その……姫が参りました」

 惟時は手にした扇で顔を覆った。溜息がはぁぁぁぁぁ~と、魂が抜けそうなほど長く漏れる。

「どうして嫁入り先も決めておらぬ年端の娘が、こんな殺生の場に」

 弓矢の場など見せた覚えもないのに、蝶や花だけ愛でておればよいのにと嘆くと、

「申し訳ございませぬ。父上が京にいらっしゃる時に、九郎と庭で弓矢の稽古をしておったのを姫が見ておりました」

「そなた」

 惟直は涼しい顔でろくでもないことを言ってくれる。

「いつだ」

「私がまだ惟直の名を頂く以前からですな」

 惟直の元服は数年前だ。から、というからには何度かやらかしてくれているのだろう。

「そなた」

「世が不穏です」

 惟直は涼しい顔のまま言った。

「このところ宝池が落ち着きませぬ。伯父上を喪った蒙古の襲来は遠のいたとはいえ、幕府は締め付けを強くするのみで我が社領も直接支配に及ぼうとしている。……幸い、随時ゆきとき殿の御子息は執権殿の元にいらっしゃるが」

「そうだな」

 惟直が元服した年、阿蘇社領を領家支配する北条家傍流、鎮西の北条随時が、三つになったばかりの嫡男を置いて死んだ。まだ三十一という若さであった。

 不思議なことに、鎮西の北条家当主、初代時定を除いて皆三十前後で早世している。時定も、そういえば下向してからこさえた己の子を見ずに正応三年の十月に死んだ。この忘れ形見が随時だが、彼も死んで幼い息子は執権長時に引き取られ、当主は実質不在だ。

 幕府は得宗家に権力を集中させ、御家人の離反を鞭でもって抑え込もうとしたが、嘉吉の乱で惟時の烏帽子親はすっかりやる気を失い、酒色に溺れて政を蔑ろにし、そして死んだ。

 現にここにも、不満を抱いている勢力がある。

「……姫にも、修羅の時代の覚悟を抱いてもらっても、悪くはありますまい」

「気は進まんがな」


 ◇◆◇


 長男の言うことも一理あるが、惟時の認識としては「我が一族は武家ではない」である。確かに地頭職にあたってある程度自警のための武力は必要だが、あくまで阿蘇社の大宮司、社家だ。何が悲しくて棟梁自ら御家人の真似事をしていくさに出ねばならぬ。

「伯父上のような者を出してはならぬ」

 扇の内側で、惟時は自分にだけ聞こえるように囁いた。

 自分の馬の傍には従者が大太刀を捧げ持っている。自分の元服に、烏帽子親を名乗り出た、時の執権北条貞時が祝いに寄越した、来國俊だ。

 國俊が太刀を、それも大太刀を作るのは珍しい。貞時の注文打ちなのだろうが、阿蘇の大宮司家に、祭神でもない八幡大菩薩と彫り付けて寄越すのは、御家人として従えるつもりでいっぱいなのだろう。

 律令の大国肥後、その一宮の宮司一族。影響力は西海道一帯、組み伏せた者へもたらす力は測り知れない。

(そうはいくか)

 自分もそろそろ老境という年齢に差し掛かった。時期を見て惟直に譲るのももうすぐだろう。

 だが、祖父から受け継いだ課題はまだ終わっていない。

(阿蘇郷を北条から取り戻さねば)

 その為には、先に目の上の瘤を始末する必要がある。良い手駒がより多く必要だった。

「父上」

 輿が近寄ってくる。壁の無い、平の輿だ。それをわざわざ几帳を不自然に立て廻らしている。本当は狩で大宮司が館から馬場まで来る時に乗る輿なのである。その中から、若い娘の声がする。

「姫。この馬場だけだからな。本当は殺生など見せたくないのだ」

 惟時は馬を寄せて几帳に話し掛けた。


 ◇◆◇


 赤水の馬場は三の馬場、数日にわたるこの狩の最後を飾る舞台だ。

「小次郎」

 惟直が馬を進めた先に、今年一番の大物を狩った強者がいる。

「若殿」

「なぜそんな固い呼び方をする、『兄』でよい、『兄』で」

 この少しばかり年下の再従兄弟はとこは、元服と共にすっかり惟直と主従の関係をわきまえてしまった。惟直にはそれが少しばかり寂しくもある。

「そういうわけにも参りませぬ、いくら幼馴染みでも他に示しがつきませぬ」

「堅苦しいな。そなたには期待しておるのに」

「家臣としてご期待くださるなら、なおのこと弁えねばなりませぬ」

 惟直は不満げに鼻を鳴らした。幼名の頃は兄者兄者と、顔を合わせれば犬ころのように慕ってくれたのに。

「じゃあ主として、終わったら巫女を買いに行くからな、供をせよ」

 小次郎はええー、と心底いやそうな顔をした。

「若殿のお買いになるのは高いんですよ」

「そう言うな、出してやるから」

 狩の後は興奮状態が続く。それを狙って、歩き巫女達も集まる。祝祭はそういう、陰と陽が互いに転じ合う場であった。

 春の陽気に、だが同時に陰の気が無ければ、草も獣も命は芽吹かない。

「では後で、宗戸の馬場でな」

 集合場所にも、家の序列によって入る順番がある。恵良は序列としてはそこまで高くないから、親戚筋の狩組である宗戸でも後から馬場に集合する。大宮司家は一番先だ。

 惟直は最初に入る父に従うべく、前へ馬を進めた。風が強いが、獣を追い立てる野火の管理は大丈夫だろうか。


 ◇◆◇


 やれやれ、である。

 小次郎は若殿からなんとか逃れて溜息をついた。

 元服も終えてもうこの正月で自分も二十、まだ弟と思ってくれるのはありがたいが、そろそろ小童のようにつるんでいては示しがつかない。

「早う、嫁の都合を付けてお迎えくだされ」

 そして落ち着いてくだされ。

 文武両道、顔も良いので女子衆から人気のある若殿の家臣となるのはまったくやぶさかではないが、まだまだ若い。武家への憧れめいた香りを感じることがある。

「大宮司になられる方は、いくさなど憧れぬで良いのです」

 そんなことは、家臣に任せておけばよい。いくさをどうしても必要というのであれば、恵良のような狩の得意な社家を名代にしてしまえばよい、と小次郎は思っている。字は何とか読み書きできるが、まあ正直学問は得意でないし、正直字もそう上手くない、と自分では思っている。武芸で仕えた方が良かろうし、何より、

「我が祖父の二の舞は舞わせませぬ」

 ふん、と馬が鼻を鳴らした。止まるな、と腿で胴を両側から押してやるが、蹄で地面を掻いて何やら不満を述べている。

「――そうだな、小櫻、我々がやればよいのだ」

 首筋を叩いてやる。小櫻は機嫌が直ったようで、また前に進みだした。

 それにしても風が強い日であった。火の回りが気になるところである。馬場の周辺でのみ枯草を燃やし、馬場には火を入れてはいけないことになっているが、これでは火が飛んでしまうかも知れない。大丈夫だろうか。

 とまあ、いろいろと気が散じていたというのは否めない。

 この場に似つかわしくない輿があるのに気づいたのはそんな時だ。

 低い几帳など張り巡らして、貴人がいらっしゃるとも聞いていない。

 その時、また南の風が強く吹いた。

 几帳がめくれ上がる。

「姫!」

 という声が、周りの警護から聞こえたような。

 捲れ上がった布の合間から、垣間見えたのは――


 美しい、妙齢の姫君の姿だった。


「兄者!」

 後ろに続いていた弟が、自分を呼んだ、

 次の瞬間には、顔が真横に一文字に沿って、殴られたような引っかかれたような痛みと熱さが走り、勢いで小次郎は馬から落ちていた。


 ◇◆◇


 何やら後方から騒がしい声がして、寿熊丸が「見てまいります」と馬を走らせた。

 しばらくして引き返してきたが、どうも顔が半笑いである。

「何があった」

 惟直が声を掛けると、寿熊丸曰く、

「いやその……小次郎が馬から落ちまして」

「笑いごとか!!」

 寿熊丸は馬上で身をよじりながら息も絶え絶えに報告する。

「いや大丈夫です、たんこぶはこさえておりましたが小次郎はぴんぴんしておりますゆえ。……しかしその」

「あんな大物を仕留めておいて、今更そんな不調法者か?」

 惟時は首を捻った。あれだけ縦横に馬を操り野を駆けておいて、のんびり馬を進めているときに単独で落馬するとは思えぬ。何か、馬が暴れるような変事でもあったのではないのか。

 寿熊丸はへっへっへ、と悪そうな笑い声を立てた。

「小次郎、美しげな花に見とれて余所見したもので、あそこの木に嫉妬を受けたのです。枝がこう、顔にざっくりと」

 確かに、声がした方を見ると、灌木がある。よそ見をしていれば、顔が引っかかれることもあるだろう。

 寿熊丸は自分の頬を指で差し、右から左に大きく一文字を書いた。小次郎の怪我の具合だろう。

 手当は受けておりますが、あれは顔に大きな傷が残りましょう、と、そこだけは気の毒そうだ。

「女が怖がりましょう」

「…………」

 そこか、と惟直は思ったが、口には出さなかった。なんにせよ、それだけ大きな傷なら朝の約束は反故だ。その状態でとても女を買う気にはなるまい。

 というか、こんな沼沢地と言っても良い下野に、馬に乗って見とれるような花など咲いていたか? あの無骨者が?


 ◇◆◇


 小次郎の代わりは彼の弟が立派に務めた。

 血は幸い、下野でもそこら中に湧いている水で洗い流し、そこそこの怪我なので揉んだ蓬を当てて布で巻かれていたが、何しろ鼻を真一文字に横切っているので格好が悪いため、親族が小次郎を引っ込めたらしい。

「まあ、格好が悪いな」

 本人を前にして、惟直は頷いた。

「……不調法で申し訳ございませぬ」

 小次郎はただただ頭を下げる。臥せっているわけではないので普通に直垂を着ているが、そのお陰で顔の真ん中を横切る麻の帯が不釣り合いでどうにも可笑しい。

「まあ小次郎が棄権してくれたお陰で、私も上様も面目が立った」

 小次郎の顔を見ているとどうも笑いが込み上げるので、惟直は口許を扇で隠した。なんとか笑い声を堪えなければならない。

 赤水の馬場で、惟時は猪を、惟直は牡鹿を仕留めた。どちらも大物である。ただ、惟直の鹿は小次郎のそれに比べるとやや小ぶりで、寿熊丸がなぜか口惜しがっていたが、惟直としてはまあ満足のいく大きさではあった。続く祭りで良い生贄となろう。その後は肉は皆の口を潤し、皮は行縢むかばきやその他加工品になる。

「中の馬場ではいい鹿を仕留めてくれた。上様も感心しておられた。ところで」

 惟直としては小次郎に訊かねばならないことがあった。ただの好奇心である。

「その怪我、何をよそ見していたのだ」

 ――小次郎の反応は、惟直がかつて見たことのないものだった。

 一瞬にして、顔どころか手まで真っ赤に染まり、湯気でも噴きそうになったのだ。

「……なんだ、その顔」

 小次郎は袖で顔を擦り、ために顔の帯がほどけて惨い傷が顔を出し、まだ擦ろうとするので「やめろ、傷が開く」と惟直が止めた。

 小次郎はしおしおと小さく縮まった。

「…………」

「なんだ?」

 いつも一里先でも小次郎だと判るほどの大声で喋る男が、口の中でもごもご言っているのは可愛いを通り越して気味が悪い。

「……佐保姫が……いらしたのです……」

 蚊の鳴く声でやっと聞き取れたのは、そういう話だった。


「……は?」


 こないだの正月に二十歳になった男がもじもじしているのを前に、どう返せばいいのか判らぬ惟直だった。

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