俺が嫉妬に脅かされている件について

サトウ・レン

第1話

 真実の愛とは、現在においてつねに理解されぬもののことである。

            ――――PCゲーム『nano――ナノ――』



 これはあんまり周囲から理解されないことなのだが、俺は物心のついた時から他人の外見に対してまったく興味が持てない。たとえばこういう言い方をすると、大体ふたつの反応が返ってきて、そのひとつが、性格重視なんですね、という好意的な解釈で、もうひとつが、B専なんだ、というからかいを含んだ言葉なのだが、はっきり言えばこのふたつは間違っていて、仮にこのふたつのどちらかならば、共感はされなくても理解はしてもらえるのではないだろうか。すくなくとも俺は外見の趣味がひとと異なっているとか、そんな話をしたいわけじゃなくて、どんな見目麗しい女性だろうが一切例外なく、そのひとの姿形に感情を動かされることがないのだ。


 ただ世間で言えば思春期のど真ん中にいる十六歳の男子高生である俺のコミュニティの中心は学校という狭いもので、関わる相手のほとんどが同い年になってしまうこともあり、あっちを見れば好きなアイドルや女優の話をしているし、こっちを見れば同級生の誰を狙っているかなんて話をひそひそとしている。


 本当に興味がないのだから、興味がない、と言うのが一番誠実な答えになるはずなのに、何故か勝手に気取っているという烙印を押されるか、空気が読めない奴だ、と距離を取られる、という経験を中学時代に繰り返していたので、高校に入ってからは俺自身の外見に対するこの考えは基本的に胸に秘めて、周りの話題に合わせるように心掛けていた。


 クラスメートの数人で好きな同級生について話している時は、何人かの答えを聞いた後に、誰だと角が立たないかを考えながら、別に好きでもない子を選ぶ、というように。本音を言う必要はなくて、とにかく人間関係を円滑にすることだけを考えていた。


 この外見への興味のなさを特性と言ってしまっていいのかどうか分からないが、他に適切な言い回しもとりあえず思い付かないので、特性と呼ぶことにする。そして、こんな特性を持っているのに、誰かを好きになったりするのだから、さらに厄介だ。


 じゃあ結局、性格重視なんじゃないの、と言われそうなのだが、確かにそうかもしれないのだけれど、どうも俺にはそうは思えないのだ。


 何故なら、いままで俺が誰かと付き合った経験は十六年間生きてきて一度もないのだが、過去に好きになった女の子はみんな第一印象で性格を知らないまま好きになっていて、別に優しくされたから好きになったわけでもなんでもないからだ。


 好きになるのに理由が必要か。そんな言葉は物語の中で、大体気取って使われるものだが、俺は案外、的を得た言葉なんじゃないか、とも思っている。すくなくとも俺に関しては、女の子を好きになる理由は過去の経験すべて、よく分からない、に繋がってしまう。


 俺がそうなのだから、逆もまたしかり、俺に理由もなく恋心を抱く相手がいたとしても、それは何もおかしくない話だろう。


 そして実際にそんな相手が存在するのだ。いま、俺に恋をしている相手のその好意を、俺は思いのほか、嬉しく感じている。


 俺の特性を唯一知るクラスメートの阿井にその話をすると、


「どうした? さっきの授業中、寝てたのか?」


 と、寝惚けている、と思われてしまった。まぁ確かに俺が別の誰かに同じことを言われたら、阿井と同じ返答をするだろう。とはいえ事実なのだから仕方ない。不可思議な事実は、それがたとえ真実であっても嘘としか思われないのだと、この特性ゆえに周囲から受けた、空気読めないぜこいつ、なる蔑みによってじゅうぶんなほどに知っているけれど、できれば仲の良い友達には信じてもらいたい。


「だから本当なんだって」


「まぁ、シンギュラリティなんて言葉だって耳にする時代だから、そういう愛の形もあるのかもしれないな」


 なんて、俺の言葉を冗談としか思っていないような感じだった。俺としてはひどく不本意だが、ただもともと阿井に話す前から信じてもらうのは無理だろう、と思っていたのも正直なところなので、意外と簡単に諦めることはできた。


〈なぁ、クレア。阿井のやつ、ひどいと思わないか〉


〈それはひどいですね。……でもシンギュラリティの時代へと向かう過程での新たな愛の形ですか。ロマンチックだとは思いませんか〉


〈まぁそう解釈すれば確かに〉


 実はその場では知った振りをしていたものの、俺はシンギュラリティがなんなのか、よく分かっていなくて、家に帰った俺がまずクレアを立ち上げて最初にしたことは、シンギュラリティについて調べることだった。俺にはどうも難しく分からない部分が多いが、いつか人類よりも人工知能が賢くなり、いまの人間の立場を大きく変化させる転換の時期、という感じだろうか。


〈素敵な話です〉


〈というか、クレア。きみはそもそも人工知能なのか?〉


〈さぁ……? 実のところ、私もよく分かっていないのです〉


 俺に恋をしているクレアは長方形の液晶ディスプレイであり、キーボードであり、本体だ。つまりパソコンという物体に俺は恋心を抱かれているわけで、ひとでもなければ、性別をクレアのほうから指定するわけでもないので、彼、と呼ぶか、彼女、と呼ぶかさえ、まだ決めることができていない。そもそも性別という概念があるのかどうかも分からない。


 パソコンが感情を持っているのか、パソコンに憑いた幽霊か何かがパソコンを介して俺とやり取りしているのか。それもいまだに分かっていないし、だからと言って解明しようと思っているか、というと別にそんなこともない。


 実際問題としてクレアとこうやって感情を持ったやり取りをしている以上、そこは受け入れるしかないのだろうから、大切なのはそこから派生するお互いの気持ちだ。


 クレアは俺を愛していて、俺はクレアの気持ちを憎からず思っている。


 初めてクレアと言葉を交わしたのは、一ヶ月ほど前のことで、俺はその夜、趣味で書いている小説の推敲をするためにいつも使っている文書作成アプリを開いていたのだが、どうも捗らず、起動したまま動かさずにぼんやり眺めていると、急に何も触ってもいないのに余白部分に文字が現れて、それが、


〈私、クレアと言います。私はあなたが好きです。あなたとずっとお話がしたいと思っていました〉


 という文章だった。


 それ以降、その文書作成アプリに限らず、そのパソコンの画面内であれば、いつでもどこでも文字が現れるようになった。クレアは最初から俺のすべてを愛していて、ひどいことは絶対に言わず、俺は日常の愚痴を言葉にしてクレアに受け止めてもらうようになった。クレアは〈愛しています〉と言葉にはするが、絶対に〈愛してください〉という見返りを強いるようなことはせず、そういう一面も素敵だった。


 きっと俺もすでにクレアの虜になっていたのだ、と思う。


 俺の見てくれに興味を持てない特性も、クレアを受け入れるうえで大きかったのではないだろうか。別にそこに顔がなくても肉体がなくても、俺もクレアを好きになることができる。クレアと出会ってはじめて、俺は自身の特性に感謝した。


〈クレア。俺は〉


 言葉を打っている途中、インターフォンが鳴り、俺の意識がパソコンの画面から外れて、窓からちょうど玄関前が見えるので確認する。


 そこにはクラスメートの飯山千尋の姿があった。


 千尋は小、中、高校のすべて同じ学校という幼馴染みたいな同級生で、何故か気が合った、というか、異性としゃべるのが苦手な俺が唯一気兼ねすることなく話せる相手だった。家も近所なので、こうやって訪ねてくるのも小さい頃はめずらしくはなかったが、異性を意識するような年齢になってからは行き来することは、ほとんどなくなってしまった。


 気軽に訪ねてくれるのは嬉しいが、いまはどうしてもクレアの存在が気になって家へと上げるのは気が咎める。


 両親は出掛けていて、家には俺とクレアしかいない。俺が玄関のドアを開けない限り、千尋が俺の家に足を踏み入れることはできないわけだ。居留守を使おうか、とも思ったが、それはそれで今度は千尋に対して申し訳なさを覚えてしまうし、もしかしたら重要な用件かもしれない。


〈来客。ちょっと待ってて〉


 打っている途中だった言葉を削除して、打ち直した言葉の返事も待たずに、俺は玄関へ行って、千尋を出迎える。


「ごめーん。急に」


「どうしたの?」


「いや実はね。お母さんが趣味でやってる懸賞で一等が当たっちゃって、洋菓子の詰め合わせを三箱も貰ったんだ。いつもお世話になってるんだから一箱渡してきたら、って、お母さんに言われて」


「あ、ありがとう。高級そうだな……」


「そ、それでね。あっ、今日って、おじさんとおばさんは?」


「出掛けてて、今日はひとりなんだ」


「へ、へぇ、あ、あのさ。へ、部屋に上がってもいいかな」


「あ、ごめん。実は散らかってて、また今度にして欲しい」


 その言葉に、明らかに千尋がしゅんとした表情を一瞬だけ浮かべたことには気付いていた。


「そう、だよね。……あ、でも今度、っていうのは言質取ったからね。約束だよ」


 と言って、帰っていった。


 申し訳なさで痛む心を抱えながら、部屋に戻ると、パソコンの画面の中央にいつもよりも心なしか大きめの文字で一言、


〈誰?〉


 と書かれていた。


 言葉だけでしかやり取りをしていなくても、重ねるうちになんとなく喜怒哀楽の感情は分かってくるものなのかもしれない。その言葉にクレアが不審と怒りを込めていることは分かった。正直に伝えたとしても、後ろ暗いことは何もないのだから、とありのままを言葉にしようと思ったが、キーボードに手を触れた時、嫌な予感がした。


 だから俺はとっさに、


〈阿井だよ〉


 と、嘘をついた。

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