第28話

 二〇六五年十月八日、原発へのテロから約一ヶ月経ち、俺はほとんどの指示をニシキと野村に任せ、軽井沢で過ごすことが多くなった。俺は動けなくなった宝生の姿を見るだけで、とても愉快な気持ちになれた。俺は週に二回ほどテルを犯すのが習慣になった。暴力の度合いはその日の気分だったが、いらついている時は、うっかり殺してしまいそうになる時もあった。避妊など考えていなかったために、テルはすぐに妊娠した。俺は堕胎しても産んでもどっちでもいい、とテルに話すことにした。

「なぜそこまで人にやさしくすることができないの」

「悪いけど俺はおまえじゃないからわからない」

「共感して、気遣ってほしいだけなのに、なぜそんな基本的なことができないの」

「なまいきな口をきくな、俺はおまえとおまえが孕んだ赤ん坊に興味が持てないんだ」

 テルは俺から目を切って自分の膨らんだ腹を何回も撫でていた。そしてなにかを決心した様に言った。

「字を教えてよ」

「はあ」

「別に産もうが堕ろそうがどうでもいいんでしょ、この子は私がひとりで育てる、そのためにはまず私がまともにならなくちゃ」

「おまえみたいな甘えたバカには無理だよ」

「やってみなけりゃわからないでしょ、あんた暇そうだからいいじゃない」

 テルは不愉快そうな顔をして目をまったく合わせようとしないが、時折俺の反応をチラチラうかがっている。

 俺は昔読んだ発達心理学と言語学の本を思い出していた。こいつは十六歳だから、今からでも読み書きはぎりぎり覚えられるか。高度な表現は無理にしても、日常生活で支障が出ない程度にはもっていけるかもしれない。教育の質と本人のやる気次第ではあるが……

 俺は少し興味が沸いた。ニシキ曰く、「弱い人間は第三者が環境を整えてやることによって好きにプログラミングできる」とのことだった。ニシキの父親の論文に書いてあったそうだ。俺もハルカの様に、なにかものを作ってみたい、とおもいはじめていたところだった。

「まあいいけど」俺はそう言った。

 テルはほっとしたような表情を見せた。感謝の言葉などは当然吐かなかった。


 その日から週に三日、軽井沢の病室でテルに字を教えることにした。最初は五十音を覚えることだな、と考えていたが、まずはペンの持ち方からやらなければならなかった。テルは利き手である右手の指が、中指と薬指だけ義指であるため、左手でペンを持たせなければならなかった。


「ペンも持てないのかよ」

「うるさいな、一生懸命やってるよ、もっとちゃんと教えてよ」

「宝生に教えてもらえよ」

「無理でしょあんな状態じゃ、教えてくれるって決めたんだから、最後まで付き合ってよ、ほら、もう一回正しい持ち方を見せて」

「だからこうだよ」

 俺はテルの目の前にペンを持った状態の右手をもっていった。まじまじと観察されると恥ずかしいし気持ち悪かった。

「あんた、人に手を触られたり見られたりするのいやなんでしょ、あとキスもしてこないよね、私に乱暴する時はただいれるだけ」テルは俺を馬鹿にする目的で話を振った。俺はとてつもなく不愉快になった。

「おまえが気持ち悪いんだよ、そういう話をするな」

「ダッサ、男のくせに、信じらんない」

「俺を怒らせて子供と一緒に死にたいのか、調子に乗るなよ」

「本当にダサい男……あなたなにもかもが怖いのね」

 俺はバカバカしくなってテルの部屋を出た。東京へ向かうつもりだった。あの女と会うのはこれっきりにしようとおもった。動けない宝生と、逃げるなり自殺するなり勝手にすればいい、そう考えた。


 上野のビルに着くと、会議室でニシキが顔を真っ赤にして葛野を罵倒していた。葛野は頭を下げながらうなだれるようにして座っていた。なぜ、ちゃんと守ってやれなかった、おまえ、ふざけるなよ、いったいなにが起きたか説明してみろクソ野郎……

 アオイは最上階の自室にこもって泣いていた。アオイになにを聞いても泣いてばかりで要領を得ないので、ニシキに聞いてみると、野村と平岩が何者かに襲撃され殺されたという。

「野村と平岩さんは内閣情報庁のある委員会に出席する予定で上野からギガストラクチャーの霞が関エリア八階に一緒に車で移動していたんだ、葛野曰く警備は完璧だった、警備部の残党たちの襲撃があるかもしれないからな、和泉の指示通り十分に警戒していたんだが、二人が乗った車が移動中、なぜか超速道路から吹っ飛んで落ちたんだ、爆発物が仕掛けられていたのだと思う、完全にプロの仕業だが、だれがやったかまだ見当もついていない、最初はまさか金剛が黒幕かもしれないと疑った、でもおそらくちがう、まだ元SUAの抵抗勢力が居て、そいつらがやったとしか考えられない、だけど日本国内のすべての情報を俺たちは握っているはずなんだ、公安のデータを使って思想的にあやしい組織の構成員はすべて位置情報を監視しているから近づいてきたらわかるんだ、わけがわからない」

 俺は一言、そうか、と言って、今後の体制を考え直さなければならない、と考えた。具体的な対策を考えることで、自身の感情と向き合うことを避けたかった。

 平岩と野村が死んだ。正直俺だってわけがわからない。

 野村と平岩、という俺たちのブレーンであり急所をピンポイントで潰しにきた敵は、俺達のすべてを把握している様だった。俺はそれがひどく気に食わなかった。

「殺してやる」ニシキが怒りを隠さずにつぶやいた。

「絶対に許さない、ニシキ、俺はやったやつを絶対に許さないぞ」俺はすぐに同調した。

「ああ、絶対に見つけ出す、とりあえず犯行可能なスキルを持つ人間をリストアップしよう、日本ならそう多くは無い筈だ、なんなら全員拷問してもいい」

 日本人だといいけどな、と俺は口に出しそうになった。俺はこの時ニシキに忠告しておかなかったことを後々後悔することになる。アオイはいつまでも部屋から出てこないので、ニシキが慰めようとあたふたしていたが、俺達は有効な言葉を持っていなかった。もしかしたら、アオイはあのふたりを両親の様におもっていたのかもしれない、と想像した。ユキオとハルカも京都に引っ込んでしまって、ユキオは葬儀の準備やらで忙殺され、ハルカはアオイ同様落ち込んでいた。ニシキは、俺達は絶対に止まっちゃいけない、戦うんだ、と皆を鼓舞した。

 皆それぞれの喪失感を、なにかで埋めなければいけなかった。アオイとハルカは泣くことで、ユキオは葬儀の準備で、俺とニシキは、警戒しながら犯人を捜すことであるべきだった。

 だが俺達は野村と平岩を同時に失って、少し動揺して隙を見せていたのかもしれなかった。次の日に、ニシキも殺されたからだ。

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