第26話

 軽井沢にある昔サナトリウムだった建築を買い取って、平岩の知り合いの医師に病院を作らせた。屋根は赤で外観は小豆色、扉と窓の十字の形をなす木枠の白が美しい、古い洋館だった建物を改装した病院だ。周囲は林に囲まれている。

 俺たちはそこに宝生を監禁することにした。宝生は一切の抵抗をせず捕まった。夜が明けるまで、一言も喋ることは無かった。

 原発を占拠したメンバーはティルトローターを使って横須賀まで帰投した。警察も自衛隊も結局動けず、俺たちは安全に、完璧にテロを終えたのだ。

 千葉から撤収してきたニシキははやく宝生に会わせろ、とりあえずぶん殴ってやる、と意気揚々だったが、俺はニシキの興奮が冷めるまで会わせないことにした。もしニシキが挑発でもされたら、うっかり殺してしまうかもしれないからだ。まずは、俺ひとりで会話をすることにした。葛野はなぜか俺を心配したが、さすがにあの小太りのおっさんと殴り合いになっても負けることはないよ、と説得した。

 林の中にある療養所の雰囲気を残す病院の三階、広いバルコニーが窓から見える。

 クラシックな造りに合わない、チタン製の頑丈な扉を二つ抜けると、宝生の部屋がある。

中には本当に病院患者の様にうなだれて座っている宝生カンジがいた。

「気分はどうだ」俺はつい病人に話しかけるように訊いてしまった。それほど、目の前の男には生気が無かった。寂しくなった短い髪、整っているが病的な印象の顔立ち、不健康そうに突き出た腹、運動をしたことがなさそうな細い脚。

「悪くない、ここは気に入ったよ、日当たりもいい、地下は暑いからな、あとは朝食にオムレツと珈琲が欲しいね、パンケーキでもいい」まるで友人と話しているような調子だった。

「悪いけどこれしか無いよ」

 俺はわざわざ取り寄せた、「飛鳥軒」の子供用朝食セットを宝生の前のテーブルに置いた。ごはんとみそ汁、目玉焼きとソーセージ、サラダ。

「この朝食にはマイクロマシンが混入されている、健全な脳の発達を阻害する機能を持つ」

 宝生は無言で食べ始めた。このマイクロマシンは成人が食べたとしても無害だ。あくまで効果はこども限定だった。

「おまえが春日に命じて不特定多数の子供に食わせたものだ、そんなやつの存在を俺はゆるさない、今ここで殺してもかまわない」ベレッタを取り出して、マガジンを詰めスライドを引いた。

「発電所は再稼働したのかな」

「動いてるよ、なにもなかったようにな、お前の敷いた箝口令は機能している、たいした求心力だ、警備部はみんな殺したけど、職員に死傷者はいないよ」

「そうか、安心したよ」そう言って宝生は食べ続けた。俺は腹が立ってきた。

「おまえはいったいなにがしたいんだ、日本人を閉じこめて、頭をスカスカにして、ドラッグをばらまいて、経済も教育もぶっこわれたよ、日本人はおまえのせいで奴隷根性だけは一丁前のオカマとバカ女ばっかりだ」

「すべては日本人を守るためだよ」宝生は俺に全く興味がなさそうに、窓の外を眺めながら機械的に答えた。

「お前の作った宗教がいつ人を守ったんだ」

「僕は人が救われる環境を作った」

 俺はこの男の姿形、声、言動のすべてが気に食わなかった。こいつにいつまでも好き勝手喋らせていたら、俺の頭はどうかしてしまうかもしれない。


 宝生は朝食を食べ終わり、悠長に伸びをしながら軽く体をひねってストレッチをした後、始めて俺の方を向いて淡々と語りだした。俺は、まずはこいつのペースに合わせてみよう、と考えていた。

「いいか、まず僕はちゃんとした宗教なんて作ったとは考えていない、あくまで日本人の救済措置としてのシステムを作ったんだ、君が認識しているとおり、『偉大なる家』の教義なんて、ほんとうに陳腐であたりまえのことしか言っていない、人に親切にしましょうとか、嘘をつかないようにしましょうとか、日本社会で聞きなれた道徳を宗教らしくアレンジしただけだ、僕はあの宗教になんらこだわりをもっていない、第一宗教体験というものは何億人にひとりの大天才のみが経験できることであって我々のような凡人では外観も把握することはできない、イエスキリスト、仏陀、達磨だけの経験を追体験しようなどとは不可能だ、人間はけっして共感しあうことはなく、永遠に個別のまま生まれて死ぬ、健全な社会とはおたがいが通じあっているという幻想を提示しなければならない、宗教も嘘の程度が大きいだけで資本主義となんら変わりが無い、たいせつなのは個人は個人を完全に拒否することはできても、完全に受け入れることはできないということだ」

「そんなことはわかりきってる、あたりまえの話をするな、おまえはつまんないことをさもありがたいことの様にしゃべってバカをだましているだけの凡人だよ、人の上に立つ器ではない」

「いいから聞いてくれ、人間は人間を理解することはできない、日本は外国を理解することはできない、宗教家はその宗教の開祖を真に理解することはけしてない、我々はあくまで孤独に、自分だけの力で外の世界と戦わなければいけないんだ、自然弱い人間はそれに耐えられない、現に僕の若いころの福岡は悲惨だったよ、いちばんアジア難民を多く受け入れた都市は当時の福岡だ、今の東京どころの騒ぎじゃない、日本、朝鮮、中国の三民族がそれぞれのアイデンティティを掲げて傷つけあった、その影響化で女たちは狂って壊れてしまっていた、そのとき気づいたよ、日本人がしあわせにくらすには曖昧で巨大な宗教や階層、中間団体をたくさん用意してその中でわかったふりをしながら気持ちよく暮らすしかないとね、僕は幻想を傷ついた日本人に提供する者だ、そして外圧に圧迫されてきた弱い者の味方だ」

 宝生は死んだ眼で俺を見つめる。感情が無いようにもおもえた。

「あんたが弱い者の味方だとは驚いた、あんたの作り出したシステムが弱いものを劣等感で苦しめていたよ、そんなジジイを俺はひとり知ってる」

「エプシロン階層は経済的な価値観からシフトしなければならない、精神的な価値だ、僕は福岡で精神的な価値とはわかりあえなくても他人と一緒に過ごすことだと確信した、金なんてなくていい、今の日本で飢えることはまれだ、エプシロンのコードは最低限の食料は保障しているからな、僕が経済力によってわかりやすい階層を作ったのは、経済力という指標のバカバカしさを理解してほしかったんだ、そして同じ階層同士で、支えあってコミュニケーションをとってほしかった、ギガストラクチャーのシステムは最終的にグローバル経済を否定して、自給自足を目指している、それを支える広い農地エリアの確保と人口太陽のシステムは既に構想段階を突破した、もうすぐだ」

「なにが自給自足だ、日本にウラン鉱山も油田も無いだろ、電気をどうするつもりなんだ」

「今必死で再生エネルギーの模索や中小水力発電、地熱発電のクオリティを上げているところだ、それまでは今あるプルトニウムでもたせる」

「資本主義的価値観からシフトさせるために、ドラッグをばらまいたり子供を発達障害にしたりしたのか、ぜんぜん理解できない」

「そうだ、日本国民の半数がエプシロン階層になるのが理想だ、それにドラッグは悪い影響だけではないぞ、LSDの体験は多くの芸術家にインスピレーションを与えているし、俺がばらまいたロシア製スマートドラッグは人体への悪影響はかなりすくない、なにせバッドトリップを克服したからな、日本人の現実逃避先になるはずだった、発達障碍児の増加は子を持つ親にも反省をうながすはずだ、そもそも育てた環境が過酷だったのでは、とね、それに感受性が鈍ければ鈍いほど幸福度はあがる、現に厚労省は児童の保育環境の改善を模索しはじめたじゃないか、日々虐待で傷ついている子供には救いとなるはずだ、教育もそうだ、すべての日本人を受験戦争や就職戦線に送り込むのはまちがっている、頭の弱い人間だっているんだ、ギガストラクチャーは低層の面積をもっともっと増やさなくてはならん、それは人もおなじだ、いいか、僕の作り出した東京ギガストラクチャーという建物はな、巨大な精神病院だ、近代で加速した競争や労働、グローバル主義で傷ついた日本人の緊急避難場所だ、弱った人間にとって大量の情報は暴力でしかない、教育も大半の人間にとっては無用だ、企業間のシェアの取り合いも必要ない、AIの登場がすべてを補っている、知性もアウトソースする時代になる、我々は必要のない自意識や欲求を整理する段階に到達したんだ、適度な距離感を保ち共通の価値観を持った人間関係と、本能に根差した快楽、時折感覚的な芸術を継続的に楽しむことができればいい、日本人の弱さを自分で認めさせて、包み込むのが僕の役割だ」

「それは中世への回帰だ、江戸時代以前に逆行だ」

「日本史で例をあげるならそうだな、だが必然だよ、曖昧かつ大量の情報によって日本は傷つきすぎた、二十世紀末に日本人は情報端末経由で世界中のあらゆる情報にあくまで個人的にアクセスできるようになった、だが日本人が情報を使いこなせたとおもうか、今までなにを決断するにも、聖徳太子の飛鳥時代から、日本人は情報を集団の合議によって制御してきたんだ、個人で情報をつかうことに慣れていない、すべてコミュニティの中で共通認識としたうえで判断していたんだ、日本人は個人で情報を使いこなせず、ただ表面的に影響されて、飲み込まれてしまうんだ、ネットが登場するまでの日本人はしあわせだった、単一民族としておなじ情報やおなじ状況で共感しあい、おなじ仕事をして達成感を得ていた、ネットが普及した後はどうだ、殺伐としていやな世の中になった、情報は暴走し、エントロピーは制御不能なレベルだ、なにが本当かわからなくなった孤独な人だらけになった、大半の人間は共通のフォーマットである英語もしゃべれないだろうしな、世界の狩猟民族とはどんどん差が開いていった、あいつらは情報を利用して生きてきた、だが俺たち日本人は昔から情報にひたすら耐えて生きてきたんだ、そうだ、農耕民族的な考え方だ、台風や飢饉、お上の気まぐれでもなんでもいい、ただ耐えてきた、それが得意なんだよ、だからまた鎖国の時期だ、徳川幕府が鎖国政策に踏み切った時、これといった反発もアクシデントも無かった、日本人というのは生来そういった閉鎖性を持っている、生活というのは、その民族に適した、シンプルなものが一番だ、二次大戦後に始まった経済戦争は終わりだ、これからは持続的でより人間的な社会構造をつくるべきなんだ」

「絶望した人間は最終的にいつもそれだ、変化に対して臆病で、自然派だの、人とのふれあいだの、癒しだ、人権だ、それで満足なのか」

「今は外圧を最低限にしてすさんだ心を癒す時間なんだよ、わからないのか、そんな時間があってもいいだろう」

「気に入らないな、おまえのせいで日本はおしまいだ」

「だから経済的な価値観ですべてものを語るなよ、もっと高度な価値観にシフトしろと言っているんだ」

「気持ちのわるい共感社会よりは殺伐とした自由経済の方がマシだ、それにもう外貨が無いぞ、もうすぐ飢餓が始まる、日本は世界から輪姦されてボロ雑巾になる」

「ギガストラクチャーが僕の理想どおり機能すれば餓死者は出ない、弱い人が傷つかないようにつくってあるからな、それは経済原理を飛び越えた共感の世界だ、あらゆる思想にはヴァーチャルではないリアルな舞台装置が必要となる、僕が作ったギガストラクチャーはその大きさに比例して圧倒的な影響力を持った、すでに僕がコントロールできる範囲を超えている、思想というフィクションに酔っぱらうことができる人間はしあわせなんだ、だが更なる幸福がある、それはその思想と舞台装置、を作り上げた一人の男にのみあたええられる完璧な幸福だ、キリストの様にね、キリストは男を弟子にしたからその後宗派による永遠の闘争が生まれたが、僕の場合は全員女だ、あとは女に任せることができる、女はいい、男のように余計なことを考えない」

「あんたの言っていることはなにも理解できない、根拠もない、あるのはおまえが気持ちよくなるための情緒だけだ」

「いや、君は賢いからわかっているはずだよ、日本人についても」

「おまえこそ自分の理論がめちゃくちゃだって気づいているはずだ、おまえはこの先破滅しかないってことに気づいてる」

「君だってそうだろう、気付いているのに周りに合わせているだけだ」

 俺はそう言った宝生の表情の醜さに鳥肌が立った。自分はあくまで平和の使徒で、弱者の味方だと言いはる、現実的な考え方をする者を上から目線で攻撃する、百年前に日本で子供じみた大暴れをした、インテリゲンツィアを気取る割に暴力的な、あの政治的低能の群れ……集団の狂気、というものが目の前の男に集約され、それが自分に向けられているのが不快だった。この男は、日本人の愚かさを一身に背負っている。

「弱さは絆になるんだ、日本中を包み込むような新しい幻想を僕は作り出したい、さもないと外圧によってこの国は潰されてしまうだろう、スラムを見ろ、国連から押し付けられたアジア難民たちを、あの人たちは日本人に対する敵意とコンプレックスでいっぱいだ、そういう刺激から日本人を守らなきゃいけない」

「それが人を縛るんだ」

「縛ることのなにが悪い、ネガティブに聞こえる言葉であるだけでただのレトリックの問題だ、縛ることこそが幸せなんだよ」

 宝生は胸ポケットに手をやったが、煙草を取り上げられていることに気付き、ため息をついた。その宝生の情けない所作でさえカンにさわった。

 俺は宝生の目をしっかりと見据えて、

「いいか、おまえは古いんだよ、これだからジジイは全員死んだ方がいいんだ、ナポレオンやヒトラーみたいなコンプレックスを社会に投影させて支配するモデルは二十世紀で終わりだよ、これからはさらなる自由の恐怖が人間を待っている、人種も国境も関係なく平等に降り注ぐ恐怖だ、AIの発展で人間のやれることが少なくなるよ、少子化とAIの深化はリンクしている、社会は情報技術の発展によって新たなフェーズに移行するんだ、お前らみたいなレガシーシステムにしがみついているやつらはお払い箱だよ、社会に置いていかれるからなにをしていいかわからなくなる、だから絆だの宗教だの会社だのに頼らなければならないんだ、社会に雁字搦めにされてようやく生きているって実感がわいて安心するようなやつらだ、もううんざりなんだよ、そんなやつらはギガストラクチャーみたいなところが楽園に見えるだろうな、あんたもそうだ、裸で生きていけない弱者だ、インサイダーだよ、インサイダーはその古臭い社会と道連れに死んでいく、生き残るのは内面に生きる理由を持つ、俺たちアウトサイダーだけだ、いいかよく聞け、依存する必要が無い者が生き残る、個別の人間だ」

 俺はそう言って、ハルカのことを思い浮かべた。彼女こそ、新世代だ。宝生の様な人間は邪魔でしかない。

「おまえの理屈だと日本人の大半が病んで死んでしまうぞ」

「それでいいんだ、自然の摂理なんだから、なのにお前は十四世紀のヨーロッパみたいな宗教が生み出すエートスと階級による統治をやりなおしたがっている、それで人間が真に癒されるとでもおもっているのかヤブ医者野郎、癒しなんてもんはまぼろしだ、唯一ほんとうなのは変化による淘汰だ、SUAのシステムは二回目の敗戦を経験しアイデンティティを失った日本人にはドンピシャでうまくいったように見せていたけど、そんなもんはただの現実逃避だ、俺たちの様な社会的アノマリーがそんな構造を壊すのは歴史をちょっとでも勉強してたらわかるだろう、世界と自分を隔てる不条理から目をそらしてはいけない、人生の無意味さに答えを用意してはいけない、おまえらが一生懸命用意した幻想なんて、情報社会の圧倒的なスピードにかき消されてしまうんだ」

「社会が混乱して皆が精神病になるだけだ」

「だから病気になるような弱い奴は本来死ななきゃいけないんだよ、何回言わせるんだ」

「君はそれを本心で言っているのか、もしそうなら僕は君を永遠に理解できない、なぜなら君は経済的な動物で、僕は政治的な人間だからだ、だが僕の言っていることを、内心君は理解しているはずだよ、人はひとりでは生きていけない」

 人はひとりで生きていけないだと。俺のいちばんきらいな言葉だ。個別の人間の誇りを踏みにじる、最低の言説。

 俺はいきりたって、

「さっきから曖昧な言葉ばっかり使うな、だれかと一緒にいるってのは分業を前提とした話だろ、なんにもできないやつはちゃんと殺さないといけない、すくなくともおまえみたいな無能は本来なら奴隷の身分でちょうどいいんだ、本来主張も許されないような低能がネットで自分の意見を発信することができるだろ、それも許しちゃいけないんだ、基本的人権なんて嘘っぱちのきれいごとだ、人間は平等じゃないし、単純労働しかできない無能だっている、ちゃんとそこは差別しないといけない、一緒くたにしてはいけないんだよ、人間は動物なんだ、夢は寝てから見ろバカ」

「すべてを知ったような口を聞くな、弱くとも、価値観を共にする人がそばに居てくれるだけで、あるいはネット内のコミュニティがあるだけでも、人は癒されるんだ、絶対的な安心感を提供してくれる、ギガストラクチャーというインフラが無ければ日本人はまたバラバラになる」

 宝生は少し怒りだしている。この怒りは本物だろうか、演技だろうか、俺には珍しく判断できなかった。

「バラバラでいい、馴れ合いはなにも生まない」

「君は本当にかわいそうな男だ、自分は超越的な観察者であると勘違いしてるんじゃないか、君はそうやってなにもかも上から目線で否定して、今居る自分の居場所を狭くしていく、きっといつか気づくよ、君に残されたものはなにもなくなる、君が一番変化を恐れているんじゃないか」宝生はわざとらしく、俺を憐れむような表情で言った。

 聖人気取りで、まるで悟ったかのような……俺は自分の怒りがかつてない水域に達した、と思った。

 俺は怒りで疲れ果ててしまっていた。神経の昂りが体の隅々を様々な信号で刺激し、こいつを殺せと命じている様だった。

「あ、そう、もうイライラして聞いていられないから、また今度来るよ、次はおまえが死ぬ時だ」

 俺はそう言って部屋を出ようとした。嫌悪感が俺の我慢できる範囲を超えていた。

「待ってくれ、お願いがある、もうだれも、殺さないでくれないか」

 宝生は哀れっぽい表情を作って言った。年貢を減らしてくれ、と訴える百姓を俺は連想した。こんな醜いやつを俺たちは敵だとみなしていたのか、とおもうとなさけなくなった。そして無意識のうちに行われた弱さの演出に、ある種の傲慢さを感じた。

「俺がここで誰も殺さないって約束してもなんの意味もないだろ、あんたはもうこの部屋から出られない、自分に酔ってんじゃないよ」

「君はおかしいよ」

「わかったわかった」

 そう言って俺は宝生の部屋を出た。

 宝生の体から出る曖昧な空気が俺の周りにまだ漂っている様で、腕を振り回してそれを払った。何度殺してしまおうか、とおもっただろうか。

 アオイと野村が、扉の前で心配そうな顔をしていた。二人とも俺の顔を見て、楽しい会話ではなかったことを察して、どう声をかけようか考えている。

「平岩さんを呼んできてくれるか」とアオイに言った。

「何を話したんだ」野村が言った。

「あいつは異常だよ、気持ち悪い、許しておけない、生き地獄に突き落とす」

 俺は宝生を、日本人にとって一番有害な毒だ、と感じていた。ユキオやハルカみたいな若い奴らを会わせたら、あいつに取り込まれてしまうかもしれない。そんな危険を感じていた。すぐにでも、消してしまいたかった。


 ニシキと平岩が軽井沢に到着し相談後、宝生を全身麻痺にして生殺しにしておくのがいい、という結論に至った。大好きな日本人と二度とコミュニケーションが取れない状態で、生命維持装置につなげて放置する。

「すべての精神的、肉体的快楽を奪う」俺はかつて経験したことのない怒りと混乱に襲われていた。宝生に関わるなにもかもを、徹底的に破壊したかった。

 平岩の知り合いである外科医が施した施術と、平岩の考案した脊髄に作用するマイクロマシンを二週間宝生に与えた結果、彼は眼球以外の肉体を自分の意思で動かせない植物状態となった。

 ニシキは、寝たきりになった宝生が唯一許された運動であるまばたきを繰り返すのを見て、昔流行ったおもちゃみたいだな、と言ってよろこんでいる。

 そんなニシキを見て、俺はなんとか仕事が一段落した、と実感した。

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