第25話

 俺やニシキ、その他バックヤードのメンバーが居る簡易管制室は千葉県袖ケ浦市にある袖ケ浦海浜公園に設営された。アクアラインの千葉側近くの東京湾にせり出した小さな公園だ。駐車場にはほとんど車が無く、俺達がテントを設営してモニターを何十台、机やイスを六十セットほど並べても広さは十分だった。ここから見る東京湾は左手にアクアラインと海ほたる、目の前には十キロも離れていない位置にごみ処理場と淡水化プラントのふりをした人工島が作られていた。

「考えてたよりずっと広いなぁ」ニシキが目の前にある人工島を見つめながらつぶやく。

 人工島は八割くらいが林で、施設はその中に転々としている。ここからは見えないが、島の中心には最も海抜の高い丘があり、そこにはあくまで淡水化プラントにカモフラージュされた冷却水用の巨大なプールがあるはずだ。それを取り囲むようにして、七か所の中央操作室と、十五か所の原子炉建屋とタービン建屋がある。

「これ占拠するのなんか相当時間かかるんじゃない」人工島を指さしながらニシキが言う。

「葛野には十五分でやってもらう、夜が明けたらまずい」

 作戦開始は深夜十二時ジャストだ。原発の職員と警備部は三交代制で、十二時にすべて引き継ぎを終える。次の交代が朝八時なので、実質それまでがタイムリミットと言ってもよかった。

 葛野とユキオの部隊は大所帯なので横須賀からティルトローターで発進することになっている。それも茂山達が原発を上手く外部から遮断できればの話だ。俺の近くでハルカがキラーUAVのソフトウェアであるAIの最後の調整を行っている。原発側の警備UAVに対抗するキラーUAVだ。五十機の調整はかなり骨が折れそうだが、自分でやると言って聞かない。

「よくもまあ機体の設計まで全部ひとりでやったよ、たいしたもんだ、専門じゃないのに」

「ハルカちゃんはのめりこむタイプだね、和泉と一緒だ」

「俺は広く浅くだ、ここまではやれないよ、茂山、準備はいいか」

「いつでも」

 耐水対放射線スーツに耐水ライフルを持った茂山と、同じ格好をした選りすぐりの情報部隊が十名、俺の近くで整列している。

 全員の装備は特殊部隊のそれだが、さらに今回海から侵入するためにジャミング装置を積んだ水中スクーターを全員分海に浮かべてある。

「念押ししとくけど、原子炉近くの排水管に近づいちゃだめよ、厳しいだろうけど海流が激しい場所から上陸するようにね、海水温がちょっとあったかくなってきたら要注意よ」         

 平岩が茂山に忠告した。はい、と答えた茂山は冷静で頼もしかった。



「これより最終確認を行う、各部門応答しろ」

 ニシキが怒鳴り声に近い声量で叫んだ。

 簡易管制室の各担当の背筋が伸びた。


「情報、行けます」

「制圧、大丈夫です」

「進行、準備良し」

「原発制御、任せてください」

「医療、大丈夫よ」

「UAV、天候の条件付きで良しです」

「無線通信、良好です」

「ネットワーク、よし」

「資源エネルギー庁、動きなし」

「原子力規制委員会、同じく動きなし」

「首相官邸及び内閣官房、同じく動きなし」

「海上保安庁および東京湾海上交通センター、今のところ動きなし」

「防衛省自衛軍市ヶ谷、朝霞、共に動きなし」

「事後シナリオ及び予備戦闘部隊、準備万端だ、なにがどうなっても対応してやる」

 野村の最後の報告を受けて、ニシキが言った。

「全部門準備完了だ、和泉、やろう」


 俺はニシキの顔を見て、もうもどれないところまできた、とおもった。


「フェーズワン開始、茂山頼んだぞ、目標は二十分だ」

「任せてください」茂山はそう言って東京湾へ飛び込んだ。


 海水は茂山が想像していたよりはるかに暖かく、平岩さんが言ったとおりだ、とぞっとさせた。海水温が高い理由は、十五基分の原子炉用冷却水が延々と排水されているからであり、この水温じゃ生態系もぐちゃぐちゃだろうな、と茂山はおもった。人工島に近づくにつれ、排水の際に除染処理しているとはいえ、長く海中に居れば被ばくするかもしれないな、と考えたが、考えても意味のないことだ、とあきらめた。

 水中スクーターで機雷だらけの人工島の近くへ近づいた十一名は、まず人工島全体を覆う四十五度の坂になっている防潮堤を超えなければならない。それは海抜二十メートルの高さを誇る。五十年前に津波で原発の全電源を喪失した経験を持つ我が国の、過剰なアレルギー反応を表していた。

 茂山は、水遁の術の次は壁のぼりか、こんなの四十代のおっさんがやることではない、と自嘲した。なんとか急こう配の坂を上り、外周の坂の上から人工島を見下ろすと、島の全容を把握できた。人工島の中心にむかって盛り土がされてあり、最も海抜が高いところに貯水池がある。これを淡水化プラント、というのは無理があるだろう、と茂山は感じていた。いずれ国民にバレるのは想定していたのだろうか、という疑念が沸いたが、警備UAVが頭上を飛び回っているのに気づき、慌てて敷地内の木の陰に逃げ込んだ。隠れても熱センサーがあるので急いでサーバルームに向かわなければならない。ばれたらいっかんのおわりだ。

「侵入、成功しました」ひとまず管制室に報告した。


 簡易管制室では茂山の侵入成功を聞いて少し安堵したムードが流れた。

「ザルみたいな警備だね」ニシキが少し呆れている。

「日本で原発テロなんて起きないと思ってるんだよ、警備プログラムはまんまフランスの真似だからな」野村はいつになく真剣な顔で茂山の視線モニタを見つめていた。


 茂山は敷地内中央、免震重要棟に侵入した。その中には原発全体のセキュリティシステムをサーバルームがある。そこに入るにはあらかじめ入手しておいた電力会社職員のコードキーを使用すれば簡単に侵入出来た。

「おいあんたら、どこから入った、何だそのカッコは」警備部が一名入口付近に居たが、スタンナックルを首元に押し当てて気絶させた。

 幸いサーバルームにはだれもおらず、メインサーバにつながっているルータのコンソールポートからシステムに侵入した。まずは、この人工島にいる全員が、ネットから断絶されなければいけない。WAN回線の遮断、構内LANはルータとスイッチの複雑な配線を全部ケーブルごと抜いてケーブルについているシールをすべてはがした。これを直すのは相当時間がかかるだろう。そしてジャミング装置を人工島の各所に散らばった情報部員たちが一斉に起動させた。これで本部が使用する周波数の衛星通信以外、人工島の人間はすべての通信から遮断されたことになる。

「有線、無線ともにカット、フェーズワン完了です」

 復旧まで三十分といったところかな、と茂山はひとまず安堵した。さて、どこに逃げるか。


 一方原発職員の間では、ネットにつながらないことで軽い混乱が始まった。イントラネットもインターネットも、自前のSUAキャリアのSIMカード端末も同時に使用不能となったためだ。システム管理者がたたき起こされ、原因究明が始まった。

 システム管理者は、メインルータの現状を自分の机上で確認していた。

「ああ、ping通らない」

「メインルータでループ、んなアホな、スタンバイ機の方もかよ」

「物理層から確認しますか」

「ping通んないんだからアドレスかコンフィグがおかしいんだよ、遠隔で確認しよう、どうせこの前ファームに修正パッチ当てたときにおかしくなって担当者が気づかなかったんだよ、とりあえずルータのコンフィグとろう」

「はい」

 茂山はこの音声を盗聴し、安堵した。担当者が横着してまだサーバルームには来ないようだ。遠隔でコンフィグを修正してもまた違うところをいじってやるつもりだった。既に彼はメインサーバに入っている監視カメラのシステムに、管理者権限のアカウントをクラックしてログインしていた。彼は原発構内すべてのカメラ映像と音声を拾うことができ、かつそのデータは本土にある簡易管制室と衛星経由でデータリンクされていた。

「よし、どこかの建屋に入ろう、警備部が来たらみんな覚悟を決めろよ」そう無線で指示して、茂山はサーバルームを離れた。


 システム管理者は、WANもLANも何者かの手によって意図的に切断されているという結論を出さざるを得なかった。

「コンフィグがめちゃくちゃだ、明らかに人為的な工作だ……」

 システム担当者は顔を青くした。こんなことは考えられないが、何者かが侵入したとしか思えない、管理者権限でログインできる者など、自分たちしかいないのだ。

「先輩、だれかがいます、サーバルームに」

「……警備プログラムを走らせなきゃいけないようだな」


 その音声を聞いた茂山達十一名は既に合流し、近くに会ったタービン建屋の中に逃げ込んだ。外がにわかに騒がしい。

「ばれたか」

「緊急用のサイレンが予想通り鳴りませんね」

「やっぱりだ、仮にここが臨界事故したとしても公にはできないからだ」

「さすがにUAVや警備システムに関してはスタンドアローンか……メインサーバからじゃいじれないな」

 茂山の理想的なプランとしては、警備UAVのコントロールもこちらでやってしまうことだったが、さすがにシステムがスタンドアローンだった。

「和泉さん、UAVは抑えられませんでした」

「了解、すぐに葛野が行くからそこで待ってろ、警備部が来たら殺せ」

「了解」そう言って茂山はため息をついた。

「簡単に言ってくれるよな……まだここより原子炉の近くの方が撃たれないから安全かもしれないな」とまれ茂山があとできることは、この建屋に警備部が入ってこないことを祈るだけだった。


「フェーズツー開始、葛野、行け」

「了解」


 葛野達制圧部隊百名とユキオ達原発操作部隊二十四名を載せた大型ティルトローター五機が横須賀の倉庫街から静かに飛び立った。横須賀の住民たちは米軍の演習に慣れてしまっているため、気づいたとしてもまったく気にしなかっただろう。


 ティルトローターが飛び立った時、人工島の原発職員たちはパニック状態にあった。システム担当者が、何者かが侵入して通信をすべて遮断した、と人工島すべてに響き渡るように放送を行ったからだ。そして警備部に非常事態を宣言するよう勧告した。

 原子炉のコンソール担当以外の職員たちは自分たちの判断で島の中央部に位置する重要免震棟の緊急時対策室に向かった。あくまでいつも行われている訓練は、地震や原子炉溶融を想定した対応訓練であり、情報テロが行われるなど考慮されていなかった。五百人の職員は、所長や当直長をはじめとして一切の判断を警備部に任せることにした。

 警備部は第一種警戒態勢に移行し、三交代制で寝ている非番の人間もたたき起こし、全人員投入して、侵入した電賊の捜索に乗り出した。職員には絶対に建屋から出ないようにと警告し、警備部は警備UAV全機を武装、緊急機動させ、人工島上空に放った。UAVは人工島の屋外にいるすべての熱源を探知すべく探索を開始した。原子炉の停止も検討したが、作業中万が一の事態が起きてはいけないと、稼働は事態が収束し外部と連絡が取れるまで継続、という方針に決まった。

 一機のUAVが人工島に近づいている五機のティルトローターを探知した。警備部はテロリストの目的が原子炉の破壊が目的かもしれない、と判断し、警備UAVに排除を命じた。すると七十機のUAVが人工島をを離陸、恐ろしいスピードで横須賀方面へ飛んでいった。


  葛野はティルトローター一号機で、緊張した面持ちで上陸の合図を待っていた。

「警備UAVの機影を確認」オペレーターからの連絡を受けて葛野はコクピットへ急いだ。前方に鳥の群れの様な影があった。小銃と小型ミサイルを搭載した拠点防衛用UAVが葛野の乗るティルトローターへ向かってきた。制圧部隊の面々はそれを目の当たりにして戦慄した。


「すごい数だ」

「いや、これは、死ぬかもな、こんなもんどうしようもない」

「こいつらが居たら、たとえ降りられたとしても空から蜂の巣にされるぞ」


葛野がUAVを見て戦慄したと同時に、袖ケ浦ではハルカがぎりぎりまで天候や風速を入力した飛行制御ソフトウェアの最終調整を終え、キラーUAV全機に同期を終えた。

「各種マニューバ、アクティベート完了、これでこの空は君達のものだよ、行け」

キラーUAV五十機が一斉に垂直上昇した。プログラムの優先順位は、ティルトローターに敵機を近づけない事、次に敵機の排除、次に自身の生存だ。


「俺たちの方が二十機少ないのはしょうがない、予算がもうちょいあればなぁ、金剛のドケチ野郎め」

「まあいいさ、さて、レーニナⅣとマーカスⅤ、どっちが勝つかな、ハードの差は無いはずだ」俺たちは各機体につけられたGoProの画像モニタと、全体を俯瞰できる3Dモデル、赤と青の点が立体で飛び回る立体映像をみな腕を組んで注視していた。


東京湾の洋上、両UAVの距離が三百メートルに近づいた時、お互いのUAVが赤外線レーダーでマーキングし終え、数秒後壮絶なドッグファイトが始まった。どちらも無人機で、ハードの性能と載せているAIの質が勝敗を分ける。ハルカはこの日のために、世界中のあらゆるUAVより優れた制御システムを、自身が作っているAIフェーズ5「マーカスⅤ」を下敷きに作り上げた。特に空間認知からの姿勢制御、最適回避行動の計算速度は随一だ。

ティルトローター機の目の前で、人より少し小さいくらいの自動クアドコプターが、百二十機入り混じりながらサプレッサー付きの小銃を打ち合っている。最高速度は軽く百キロ毎時を超える。どちらのUAVも極限まで重量を削っているため機動性に優れるが、一発あたってしまえばバランスが取れなくなり海に落ちる。

だがハルカのマーカスⅤを積んだキラーUAVは、人工島警備用のUAVに比べ圧倒的な反応速度を誇った。お互いがお互いの挙動を学習しつつ対処し続ける超スピードの空中戦は、時間がたてばたつほどに複雑さを増していった。単純な旋回は姿を消し、フェイントや減速を交えた攻防が原発へ向かうティルトローターの周囲二十メートルで繰り広げられた。ティルトロータを示す白の点は赤と青の点が入り乱れる雲に突入していった。


簡易管制室でモニターと3Dモデルに食い入るようにして見ている面々は、味方機が敵機を撃墜するたびに歓声をあげた。味方機が撃墜されるとため息を漏らした。五十画面あるUAVのカメラ映像が、虫食いの様に少しずつブラックアウトしていく。

「すごい、今のなんて複数機にロックオンされているのをバレルロールで躱し続けてる、人が乗ってるみたいだ」

「いや、もう既にロックオンされた後の判断速度と回避パターンの多さは、人を超えている、より速く、より深く学んでいる、学習の質はこっちの方が上だ」

後方につかれても射撃寸前に予測進路をずらす、相手の挙動を知り尽くした高度な制御だ。

挙動が複雑になりすぎて、モニターを見ているうちに気分が悪くなる者も現れた。

しかし数の差は如何ともし難く、数的不利になると俺たちのキラーUAVは徐々に堕ちていった。だが、敵機の数はそれを上回る勢いで減っていった。葛野の乗ったティルトローターはその圧倒的な量のUAVに対しては無力であり、東京湾原発へUAVの戦場を迂回しながら確実に近づいていく。マーカスⅤを積んだキラーUAV達がティルトローターに近づく敵を次々落としていく。葛野は生きた心地がしなかったが、茂山を救出すべく、これからの作戦内容の確認をした。もうすぐ、原発上空に着く。だが敵機が残っていれば島に降りることさえできない。

「自軍残機八、敵方十二」オペレーターが声を上げた。

「いけるか」ニシキは緊張して拳を握りしめた。

「いけるさ、葛野、降下準備だ」

突然、茂山から無線が入った。

「和泉さん、警備部に見つかった、散開して戦闘開始する」

 いつもの冷静な茂山の声とセミオートの銃声が聞こえた。

「葛野、茂山が見つかった、急げ、茂山はひとまず原子炉か蒸気タービンの方向へ向かえ、警備部もそこでは無茶できないはずだ」


 敵機が一斉に葛野の乗ったティルトローター一番機に突っ込んでいった。その中の数機を落とすことに成功したが、残った敵機がティルトローター機に発砲する。

「一番機右翼被弾」

「この程度なら大丈夫だ、いける」俺はハルカの自身に満ちた顔を信じていた。

 平岩の娘が作ったUAVだ。ぜったいに負けない。みるみるうちに3Dモデルから赤と青の点が減っていく。

「自軍残機一、敵方二」

 「相手はあと二機だ、綺麗な相打ちを頼むぜ」葛野は一秒後の自分の命があることを祈り続けた。

残り一機はティルトローターから敵機を引き離すために、誘うような動きで敵機の目の前に躍り出た。すると敵機二機は目標を変更し、一機のキラーUAVに狙いを変更した。その瞬間キラーUAVはその場を離脱し、急上昇を始めた。追う敵機二機。

「釣れた」ニシキが歓喜の声をあげた。

「数的有利だからいけると学習して、優先順位が変わったんだ、ポンコツめ」

ぐんぐん上昇し、ティルトローターから敵機を引きはがす。

「やっちゃえ! マーカス!」ハルカが感極まって叫んだ。

 残り一機となった俺たちのキラーUAVは、まるでハルカの声に応えるかのように、さらに加速して上昇を続けた。赤い点が二つの青い点をつれて3Dモデル最上部までぐんぐん昇っていく。そして急激に失速し上に向いた機首をうなだれるように真下に下げて急降下、銃口を後ろの二機に向けターンした。

「おい、UAVでハンマーヘッド・ターンだ」ニシキがつぶやく。

 最後の味方機の小銃が火を噴いた。参照すべきデータベースに無い動きを見せられた敵機二機は何も対応できず、プロペラ部分に被弾し、二機とも東京湾へ沈んでいった。

 超高速のドッグファイトは、UAVが飛び立ってから決着まで五分とかかっていなかった。

「よし」

 管制室は一瞬拍手が起きたが、俺は制止した、まだまだやるべきことは残っている。

「葛野、頼んだぞ」

「任せてください、ハルカちゃん、助かったよ、茂山さん、生きてるか」

「生きてるけど長くはもたないから急いでくれ」

「了解」

 葛野達のティルトローター五機は人工島上空でホバリングし、制圧部隊は人工島中心部にロープで次々と降りて行った。

 葛野はここまで近づけば大丈夫、さすがにティルトローターをRPGか何かで撃ち落とされる事は無い、と判断していた。目立ちすぎるし、堕ちたティルトローターが万が一原子炉建屋にぶつかったら我々やSUAにとっても一大事だ。葛野が最も恐れていたのは、警察や海上保安庁がこの事態に気づいてしまう事だった。いかに静音設計されているティルトローターといえど、空中にある程度の質量が浮いてれば目立つものは目立つ。着陸を急いだ。

葛野達は着陸地点の安全を確保した後人工島中央の小高い丘になっている、冷却水用プールの近くにティルトローターを着陸させた。そして制圧部隊百名と、ユキオ達原発制御部隊の二十四名が人工島に降り立った。


「順調だね、和泉」ニシキは茂山や葛野の報告を聞くたびに興奮しながらそう言ってくる。

 公園の駐車場に作った簡易管制室はまた緊張に包まれていた。

 俺はいつ海上保安庁や警察にばれるかと内心恐ろしくてしょうがなかったが、もしそうなったら葛野に原子炉の破壊を命じて、派手に自爆してやろうと考えていた。東京が放射能汚染されるその最悪を想定したシナリオは、ニシキと野村と葛野しか知らなかった。別に俺はそのシナリオでもかまわなかった。


 葛野は制圧部隊と原発制御部隊を七班に分けて、十五基の原子炉と七か所の中央操作室の制圧をどのように行うか前もってイメージしていた。降りてくるところを迎撃してこなかったのを見ると、UAVをすべて撃墜されて警備部はかなり混乱しているのか、それとも原子炉を死守するために七つある原子炉建屋のなかで迎撃態勢を取っているのかわからなかった。こんな大規模なテロを想定しておらず、マニュアルも無い、外部との連絡も取れない状況下でリーダーシップを取れる人間が居ないのだと推測した。いずれにしろ茂山を助けに行かなければならない。茂山がやられると、外部への通信が回復してしまう。


 おなじ頃、茂山は第五、第六原子炉近くのタービン建屋に立てこもり、葛野の到着を待っていた。ロックしたドアの外には警備部が何十人もいて、ドアブリーチングを試みている。ドアは中から見てもひしゃげていて、今にも穴があきそうだった。既に彼は原発全体のLANをずたずたにした後、自身の端末からのみセキュリティーシステムへアクセスできるように環境を整えていた。茂山は葛野の部隊が動きやすくなるように、自分たちがいる建屋のドア以外の、全建屋のドアロックを遠隔解除した。

 発電所のスタッフや警備部たちは、ドアロックが外れる音を各所で耳にして戦慄した。彼らはすべてのシステムが、電賊によって制圧されてしまったのだ、と想像していた。すべての建屋の扉がひらいたことで、夏のしめった空気が彼らの肌を撫でた。恐怖が近くまで迫っていることを実感していた。


 全ロック解除の連絡を受けた葛野は制圧部隊の各班長達に指令をだした。皆機械のような正確さで、無駄口を叩く者や表情を持つ者はひとりもいなかった。写真のように制止して、葛野の前に整列していた。

「各班無線オープン、予定通り七つある建屋の中央制御室を占拠する、警備部は非武装だとしても全員殺せ、発電所のスタッフは拘束して、反抗的な奴は殺せ、中央操作室の設備は絶対に壊すなよ」そう言って各班担当する建屋へ散らばっていった。

 各建屋で静かな殺戮が始まった。ライフルのカチカチ、という音が鳴るたびに、警備部の人間たちが穴だらけの死体になった。彼らは必死に応戦したが、全身をボディーアーマーで身を包み、葛野に鍛えぬかれた制圧部隊の相手ではなかった。銃声を聞いてパニックになった原発職員が、警備部の制止も聞かずに緊急用のモーターボートで人工島からの脱出を試みたが、既に茂山達によってすべて破壊されていた。


 茂山はサーバルームのドアがブリーチングで徐々に変形していくのを中で銃を構えながら見つめていた。大丈夫、覚悟はできている……こんな死に方を、俺はしたかったんだ……

 ドアが派手な音を立てて吹き飛んだ。警備部がライフルを構えて入ってくる。茂山達は一斉に発砲した。茂山は無意識で叫んでいた。生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、なぜか昔の事を思い出していた。ロシアとの諜報戦を始めた二〇四〇年、当時の防衛大臣は野党の追及に対して泣きそうな醜い顔をしながら答弁をしていた。プライドも能力も無い、ビジュアルで選ばれた女だった。肥大化した日本の政治システムは、なぜかこの女をクビにできなかった。茂山たちはこの女の判断で死ぬかもしれない作戦に身を投じた。あんな顔をもう見たくなかったから、ロシアは核を撃たないと俺は結論づけたのかもしれない。弱く醜い人間が国防のトップだなんて、自分がロシアの政治家だったら、核を撃つまでもない、と判断するだろう。今のほうが手ごたえがある、俺は日本国を危機から救うために仕事をしていると心からおもえる。昔に比べると、どんな危険に身を投じていようと絶対的な安心感に包まれている。あの二回りも年下の若者にここまでついてきて、本当によかった。そうおもいながら、弾が切れた耐水ライフルを空しく見つめつつ、覚悟を決めた。

 その時、カチカチカチカチ、という音とともに警備部たちがドミノの様に何人か倒れた。その数秒後、立っている警備部はひとりもいなくなった。

「茂山さん、遅くなりました」

 葛野がサプレッサーから煙が出ているライフルを、片手で振りながら現れた。制圧部隊が倒れた警備部の頭を丁寧に撃ち抜いてとどめを刺していく。

「葛野君おそいよ、換えのマガジンは」

 葛野は茂山にマガジンを渡した。

「すいません、被害は」

「おかげさまで死傷者はいないよ、建屋の制圧を、急げ」

「はい」

 その時無線で第三、第四原子炉の中央操作室の制圧完了との報告が入った。残りの六か所の中央操作室も時間の問題だろう。


 平岩ユキオは葛野達が警備部を死体に変えていく報告を聞きながら、自分が冷静であることにすくなからず驚いていた。十五基の原発を安全に停止させる、その指揮を和泉に任されている、そのことだけに集中しており、他の情報は彼の意識に何の影響も与えなかった。和泉と会話して何ヶ月か、ずっと精神が覚醒している。俺はパラノイアだ。和泉の声だ。かあさんと妹。原発と原子力潜水艦。完璧にこなして見せる。完璧にだ。

 きっと大丈夫だ。そうつぶやくと、自分の世界から意識を外界に移す。

「全建屋制圧完了及びフェーズツー終了、これより残りの警備部の掃討に移行します」葛野の上ずった声が無線から聞こえてきた。ユキオの血が一気に頭に上った。

「フェーズスリー開始、ユキオ、出番だ」

 和泉の声は不安定で挑発的だけど、どこか魅力的だとユキオはおもった。そして簡易管制室に居る母と妹を想った。見ていてくれ、俺だってやれる。

「各員コンソールについて下さい、まずはマニュアルの一番から三十五番まで」

 そのユキオの命令から、人工島は奇妙な静寂に包まれた。時折銃声が聞こえ、隠れていた警備部の人間が殺された。職員はすべて拘束された。葛野が人工島に降り立ってから、三十分しか経過していなかった。

 ユキオは十五基すべての原子炉の状況を把握しつつ、二十四名しかいない作業要員に指令を出していた。BWR(沸騰水型原子炉)と呼ばれる原子炉一基でも、システムが約四十系統、ポンプが三百五十台、電動機が千三百台、熱交換器が百四十基、弁が三万個、配管が一万トンと膨大な設備をコントロールしなければいけない。前もって用意したマニュアルと、補佐AIを使ってはいるが油断は禁物だ。ユキオは自分がすこし手順を間違えば重大な事故に直結しかねない状況を、肝を冷やしながらも楽しんでいた。

 彼は自分より優秀な母と妹に引け目を感じながら生きてきた。ただ、今は心から誇らしかった。自分はあのギガストラクチャーの電気をすべて奪う。彼のコンプレックスのはけ口は、東京湾から見ても圧倒的な存在感を誇るギガストラクチャーへと向かっていた。あの化け物の血液をすべて抜いてやる。俺達研究者を苦しめているやつら、頭の悪いやつら、ものを考えずに働くしか能のないやつら、皆後悔しろ。

「マニュアル五百二十五番、全基制御棒反応度最大、及び同五百二十六番、全基ホウ酸水濃度最大へ」制御棒によって原子炉の反応が徐々に低下していく、水の温度が冷却水によってどんどん下がっていく。これで蒸気タービンの回転が止まれば、電気は作られない。


 管制室では作業の進捗が細かくオペレーターによって報告され続けていた。すさまじい情報量で、全体を把握できているのは現場に居るユキオ一人だった。管制室と言えど、見守るしかやれることがないほどの情報の嵐だった。前もって設備のすべてを把握していても到底一人の頭では対処できないはずだった。

 パイプ椅子に座っている野村はギガストラクチャーを眺めながら、

「1基あたり百二十五万キロワット、かけることの十五で、千八百七十五万キロワットだ、この電力供給が止まると、大飯食らいのギガストラクチャーはどういった反応をするかな」

 ギガストラクチャーは深夜だというのに、悪趣味で煌々とした照明に彩られていた。

「野村、これから何が起きるんだ」ニシキは楽しそうだった。

「パニックだよ」野村はそれ以上に楽しそうだった。


「第一から第十五までの原子炉及びタービンの完全停止を確認しました、フェーズスリー完了です」立ちっぱなしだったユキオは深くため息をついて、椅子に腰かけた。

 人工島内は完全に沈黙していた。宗教の儀式のような、誰も声を出せない雰囲気が支配していた。皆、事の成り行きを見守っていた。原子炉はすべて停止して排水も止まっていた。簡易管制室も皆黙っていた。なんらかの反応が、起きるはずだった。情報の嵐から解放されたユキオだけが、静かな達成感に浸っていた。


 ニシキの端末に連絡が入った。経産省のシンパからだった。

「資源エネルギー庁が気づいた、東電から東京湾原発幹線からの送電が止まったとの報告が入ったそうだ」ニシキが携帯端末片手に叫んだ。

「いいぞ、これで宝生に連絡が入るはずだ」

「あとは宝生に連絡を入れるタイミングだな、もっと民間に被害が出てほしいとこだ」

 俺がそう言った途端、各方面からの報告が殺到し始めた。


 東電は二〇一一年の震災以来の修羅場と化していた。ただでさえギガストラクチャーの電量供給は綱渡りであったのが、全体の六〇パーセント近くを占めていた東京湾原発幹線からの送電が止まったのだ。彼ら経営陣は会議を繰り返して、かろうじて賄える電気をどのエリアに供給するか、優先順位をつけはじめた。国の重要施設が集中する丸の内地下二十階エリア、虎ノ門六階エリア、霞が関八階エリアは最優先だった。また経済的な損失を考慮すると、東京証券取引所、大手都市銀行、また人命を考慮するのであれば病院、また制御システムの停止によって事故が発生する恐れのある化学プラント、水道やガスのインフラシステム、通信キャリアのデータセンター……民間人の居住エリアに電気がいきわたらないのは確実だった。彼らは考えるのをやめてしまいたいとさえおもった。たりるわけがないのだ。もう原発にテロが起きた、と公表するしかないとさえおもった。しかし、経産省官僚や、SUAの息のかかった顧問たちがその許可をあたえなかった。

 自然、優先度の低いエリアでは停電が始まった。自前のUPSや予備電源をもたない民間の病院では生命維持装置が止まった影響で死者が続出した。繁華街の電気は様々なタイミングで消えていき、そのたびに酔っ払いたちは大混乱となった。ギガストラクチャーのエリア間連絡モノレールだけは辛うじて運転をしていたが、途中で電気供給が止まり、真っ暗になった車内で乗客がパニック状態になり、レールから飛び降りるなどの事件もあった。ギガストラクチャーの機能は、半分以上失われた。

 内閣官房及び政府は不気味な沈黙を守っていた。恐らく資源エネルギー庁より上に情報がエスカレーションされるのを、宝生が止めているに違いなかった。様々な推測、クレーム、意見がネット上で飛び交ったが、一部の通信基地局でも電気供給が止まり、ネットから遮断されるエリアもあった。それにニシキ率いる若手官僚グループは、野村が考えたでたらめなデマを各業界団体や関係省庁に流し続け、クリティカルな対応が必要な各対策会議の混乱をあおった。


「SUAと東電は自分たちだけで解決しようとしているのか」ニシキはあきれている。

 野村は出番だな、とつぶやいて、

「よし、不安から解放させてあげよう、和泉、宝生に連絡を取るんだ」

「わかった」

 ニシキ指揮のもと撤収の準備が進んでいる簡易管制室で、俺と野村は春日から奪い取った宝生へのホットラインを使った。会話は野村が、英語で行うことにした。原発テロを起こしたのは、アジア難民だと勘違いさせたかったからだ。アジア難民であれば、原子炉を破壊して自爆しかねない、と判断してほしかった。野村は手元にメモをいくつも並べ、深呼吸をした。ホットラインはすぐにつながった。


「……」

「宝生か」

「春日じゃないのか」

「春日は殺したよ、あんたは宝生か」

「そうだ」

「原発の電気を止めているのは俺たちだよ」

「おまえらはだれだ」

「怒れる大陸の民だ、と言っておこう」

「なぜ原発を止める」

「あなたに地下から出てきてほしい、できればお友達は連れずに」

「俺を殺したってなんにもならないぞ」

「変なことを言うと一番から順に原子炉を壊すぞ、我々は放射線被害を恐れないが、日本人はどうかな」俺は拘束した職員の様子と、停止した原子炉を画像データにして宝生に送り付けた。

「わかった、どこに行けばいいんだ」

「エレベータの電源は生きているよな、御徒町エリア六階、噴水がある広場に午前三時に来い」

「わかった」

「ひとりで来いよ」

「わかった」

 ホットラインは切れた。あっけなかったな、想定問答をこんなに用意したのに、と言って三センチほどの厚みのマニュアルを俺に見せて笑った。


 簡易管制室はすべての機材がトラックに積まれ、撤収が始まっていた。人工島に居るメンバーは俺からの撤収の命令を待っている。いつ、どのような攻撃を受けても不思議では無かった。

 俺と野村は既に車で御徒町のギガストラクチャー入口まで向かっていた。ライフルで武装したガード十名を乗せた車も後に続いていた。

「宝生は一人で来るかな」野村が不安そうに言った。

「来るとおもうぞ」俺はベレッタの弾倉を確認しながら言った。

「なんでわかる」

「声を聴けばわかる、宝生はなにかを諦めている、そういうやつの声はわかるよ、宝生は生きててはいけないやつともわかる、きっと気持ち悪い顔をしてるはずだよ、そういうやつは自殺願望があって、ほんとは死んでなきゃおかしいんだよ」

「お前はほんと感覚で生きているな、うらやましいよ」そう言って野村は笑った。俺はなにも答えなかった。

「俺みたいな弱いやつは論理に頼らないと生きていけない」


 野村も初めて会った時は、なにもかも諦めたような顔をしていた。アオイも、茂山も、葛野も、平岩もそうだ。中性子をウランにぶつけてエネルギーを取り出す原子力発電と一緒だ。外部の干渉が無ければ力を発揮できない。ニシキだけは違った。あいつは太陽のようだ。内に秘めた殺意と本能のエネルギーですべてに干渉する。では俺は一体なんだろうか。ニシキから見た俺は、同様に太陽に見えているだろうか。

 車はまっくらになったギガストラクチャーへ向けてアクアラインを走っていった。

「魔王の城に向かう勇者の気分だよ」そう言って野村が笑った。


 俺達が指定した御徒町エリア六階は、全体的にパリの雰囲気に似せてあるエリアだった。エリアの中心にはコンコルド広場を真似たスペースがあり、周囲をロココ調の装飾過多な建築と気取ったカフェに囲まれていた。中心にはこれまた派手な噴水があったが、現在停電中のため、噴水に水は無く、ライトを持っていないと歩けないほどにくらかった。いつもは美しいネオンとライトアップで暇をもてあました若者たちがごったがえしているが、完全に電気がいきわたらなくなったこのエリアは避難も終わっており、まるで廃墟だった。

 俺と野村はライト片手に暗闇を歩きまわった。ガード十名はライフルについたLEDで噴水の周りを探した。

「これで本当に見つかるのかな」野村が弱音を吐いた瞬間、俺は宝生らしき影を見つけた。

「いた」

 俺が見たのは、暗闇の中でカフェのテラス席に座ってこちらを見ている小太りの男だった。一斉にライトを当てると、眩しそうに顔をしかめた。

「手を頭の後ろに、ゆっくりとうつぶせになれ」

「なにも持っていないよ」小太りの男はか細い声でつぶやいた。

 俺達は近づいて顔を上げさせた。まちがいない、この地べたにはいつくばっている男こそが、SUAの首魁である宝生カンジだった。

「日本人とは驚いたな、中国人だと思っていた」宝生は俺を上目気味に見上げてそう言った。

 まるで緊張感のない声のトーンは、暗闇の中で銃を突きつけられている男とはおもえなかった。

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