第22話
SUA及びその母体となる新興宗教団体「偉大なる家」の創始者である宝生カンジは、戦後の福岡で女衒として身を立てていた。もともと自分が怠惰であることと女を惹き付ける要素があることを知っていた彼は、自分が働かなくて済む、経済的な人間関係のシステムを作り上げようとしていた。
二〇四二年の福岡は中国に実効支配された沖縄の影響と、大量のアジア難民流入によりアジア人種のるつぼと化していた。中国と半島と日本の各アイデンティティが頻繁にぶつかり合い、時には融和し、現在保たれているような独特のバランスを保った治安がまだ形成されていない時期だった。
頭の狂った女は宝生の周囲にたくさんいた。様々な国籍の男たちに都合のいいように消費されて、彼女たちの精神状態が安定することは無かった。
シンプルに彼女らに同情した宝生は、病んだ彼女たちと一緒に住むことにした。彼も女を地獄に落として金を稼ぐのがいやになっていたし、王様気分で女に尽くさせるのは気分が良かった。彼はそれが慈善活動なのではないかと思うようになった。当時を知る人間は、彼は地味だけどモテる、無気力だけど女には優しい、といったような証言が取れている。
福岡のはずれに古い大きな家を買って、女たち十人と住むようにした。税金を払うのがいやだったので、法人格にしようと考えた。宗教法人がいい、「偉大なる家」とそれらしい名前を付けた。女たちはすこしずつ回復していった。宝生はもっと効率的に多くの女達を助けたいと、有り余る時間を利用して勉強し、精神科医の資格を取得するに至った。
病んだ女たちがまともになっていくにつれて、生活していく中でグループが生まれていることを感じていた。最初は仲良しグループというような雰囲気だったが、次第にグループ独自の色がつきはじめ、家事の当番制などのルールが生まれてくるようになった。
例えば宝生はジャズを好んで聞いたが、ジャズを聴く女と聴かない女の二パターンに分かれることに気づいた。その二グループは、性格的に相いれない様だった。
宝生はこの二グループを意識的に生活の場を分けるようにした。女性がグループを作るのは子供の時からそうだが、宝生はその軋轢を起こさない様に行う調整を、社会的実験をしている様でおもしろい、とおもい始めていた。
水商売や風俗で働く女、という分け方も出来るようになった。単純に知性で区別できることもあった。女たちが増えるにつれ、コミュニティの数も、それに伴ってトラブルも増えていった。自分たちのグループに、名前を付ける女たちもいた。宝生は傷ついた女たちが社会性を取り戻していく過程をおおいに楽しんだ。
宝生は「偉大なる家」に自分以外の男を入れることにした。女たちの反発もあったが、宝生は十代前半の少年であればいいだろう、と懐柔した。大体が頭のおかしい売女だ、適当な理屈と抽象的な美辞麗句を並べて懐柔するのは容易かった。
女と少年を合わせると、偉大なる家に所属し共同生活を送る人間の数は五十人を超えた。宝生は人間をグループにまとめて管理することに少しずつ手慣れていった。自然発生的なグループをコントロールするにあたって、干渉する際の力加減が難しかったが、グループ内の人間関係を熟知していればなんとか可能だった。五十人より多くてもいける、と彼は自身の腕の上達ぶりに酔った。
彼はさらなる秩序をもたらす為、既存の宗教からエッセンスを抽出して教義を作り出すことを考えた。名ばかりだった宗教法人格を保つにはそれなりの活動が必要だったし、何より彼は楽しんでシステムを考えた。
とあるグループは一人の女を中心としていた。水商売の女でとびぬけた美貌を持っていた。宝生は彼女をこの「偉大なる家」の象徴的な女性にしたてあげ、マリア信仰に良く似た思想体系を作り上げた。そのグループの中では、彼女は聖女と化した。
宝生は治療と偽り、彼女に定期的に大量の向精神薬を投与していた。宝生によって常にハレの状態に保たれた彼女は、次第に狂っていった。彼女が発狂し自殺するまで五年かかった。その間彼は彼女を完全にコントロールすることができた。彼女のグループは精神的に不安定な女が多かったので、自殺した女を崇めることで精神の均衡を保っている者も多かった。
少年たちは立派な青年に育ち、歪んだ精神と健康な肉体を持った忠実な部下となっていた。彼ら少年たちのグループは後にSUA警備部として、武装集団の性質を帯びていった。ヤクザまがいの恐喝や、他の宗教への暴力行為が主な活動だった。「偉大なる家」は福岡を中心に急速的に膨れ上がっていった。
二十世紀後半のオウム真理教事件などの新興宗教に対するアレルギーを持っていた日本人の年寄りたちは次第に死んで居なくなっていった。宝生はこのままいけば全国的に伝播することも可能だと考えた。組織票が欲しい政治家と付き合い、資金力はどんどん膨れ上がった。福岡の家は聖地となり、信者は日本人すべてを取り込むために経済を支配するシステムを作り出した。影響力の象徴として、東京ギガストラクチャーという巨大建造物のプロジェクトをぶちあげた。死んだ女は聖女として揺るがなかった。
宝生は腹心の幹部にも秘密にしていることがあった。聖女として死んだ女に娘が一人いたことだった。父親は分からないがおそらく別コミュニティの中の当時少年だった誰かだろう。あの女は精神がいかれているのをいいことに、強姦されたのだ。この娘をテルと名付けて一人で育てていた。
彼女は生まれつき右手の中指と薬指が無かった。そして知能の発達が遅く、勉強を嫌って字を読むことさえできなかった。しかし、母親譲りの美しい容姿を持っていた。
宝生は彼女をSUAの新しいシンボルへ昇華させようとしている。
八月七日、上野オフィス最上階にある大会議室、幹部を全員を集めたミーティングの場で、茂山が宝生に関するレポートの要約を説明してくれた。それぞれが何かを考えて、整理している。
「よくここまで調べた、と言いたいところだけど、ちょっとお前の主観が入りすぎてないか、敵を想像するな、ってモサドのプログラムで習わなかったのか」
俺はこのレポートの作者である茂山に尋ねた。
「インテリジェンスにおける分析というのは、決まりきったアルゴリズムだけではカバーしきれない領域があります、そこを埋められるのが優秀な情報マンの条件です、アートの領域ですね、優秀な分析官の経験則による直観が多少混じらないと分析の精度は上がりません、これは今のところAIにはできない芸当です、このレポートの精度は、まあ七五パーセントってところですかね、間違っているところも当然あると思われます」
「うん……まあ読みやすくなってるからいいけどね」
「ありがとうございます」
「もしこの先小説を書くことになったら、いちばんに読ませてくれよ」
「わかりました」
ともあれ、テルという女の幻想が少し晴れた気がして、俺は少しすっきりしたような心地がした。あの女はもともとプログラミングされていたのだ。
同時に、SUAの首魁である宝生という男に殺意が沸いた。分析を聞けば聞くほど反吐が出そうになる男だ。ニシキはおそらく俺以上の殺意を宝生に対して抱いているだろう。 はやく宝生を俺のまえにつれてこい和泉、はやくしろ、とでも言われるかもしれない。
春日は、茂山と平岩による自白剤を用いた拷問を受けて、SUAについて彼が知っている限りの情報を俺たちに吐き、最終的に殺された。
茂山がまとめた情報は、SUAという今まで曖昧だった敵にようやく輪郭を与えるものだった。SUAは宝生という男が自らの支配欲求を満たすために、日本人というソフトウェアをよりシンプルに、整理しやすく書き替えるために作ったシステム、という感想だった。
敵は俺たちが考えていたものよりは肩透かしなほどもろく、偶然が重なったことによってできあがった砂上の楼閣だった。
「この宝生という男と話したい、直接考えを聞いてみたいな」
野村が純粋な好奇心だけでそういった。この男はSUAへの憎悪というよりは、興味の方が勝っているようにもおもえる。
「宝生の下に幹部会があってSUAに所属している各種団体や企業の管理運営をしているのは間違いありません、宝生を抑えれば、SUAのシステム、この場合ギガストラクチャーの運用システムですが、すべて抑えることが出来ます、彼はプログラム最高管理者権限のコードキーを持っているそうです、ギガストラクチャーのメインサーバに立ち入りできるのは彼だけ、つまりSUAを混乱に陥れるには彼を拉致する必要があります、全システムをシャットダウンさせる必要はないですが、各種インフラシステム、流通管理やPOSシステムを止めてしまえばギガストラクチャー内の生活と経済は立ちゆきません、政府や民衆の信頼を失い、SUAは今の支配的な位置から転落するでしょう」
茂山がいつもの断定口調で言った。自身の仕事に誇りを持っている、そんな自負が口調から読み取れた。
「メインサーバのプログラムは宝生にしか理解できないオリジナルの高級言語で書かれているそうだ、宝生を捕らえれば外部からギガストラクチャーのシステムを書き換えられるんだよ、経済とインフラに大混乱を起こせる、これだけでSUAは倒れる」
野村が茂山の説明に補足すると、他の幹部たちはどよめいた。
日本で圧倒的な存在感を保っていたSUAとギガストラクチャーがそこまで集中管理されていたことと、あまりにも脆く、あっけない、と感じたからだ。
「でも、どうやるの、春日の話じゃ宝生の居所はギガストラクチャーの地下二十階とかなんでしょ、セキュリティも関係者しか入れないだろうし、地上に出てきてくれるのを待つのか」
とニシキが言った。
「地下から引っ張り出す」
俺は焦れているニシキの為に簡潔に答えた。
「どうやって」
「春日が宝生直通の回線を持っていた、それを使ってギガストラクチャーの電気を止めると脅すんだ、わかるか」
ピンと来た幹部たちは俺の思考を予測しようと懸命に考えている。アオイだけは最初から理解するのを諦めている様だ。
「そうか、地下六十階……電気が止まったらエレベーターも動かない、非常用階段だけで上るかどうかわからないけどいずれにせよ外に出ざるを得ないだろうな、そもそも空調が止まればいずれ死ぬのか、各種予備電源やUPS(無停電電源装置)がどの程度の時間使えるか分からないけど、長くはもたないはずだ」ニシキが言った。
「電気を止めるにしても、ギガストラクチャーの電力管理システムには入り込めないですよ、これまたサーバルームがどこにあるか分からないし、地下でセキュリティも完璧なはずだ」茂山が言った。
「元栓を閉めればいい話だ、一石二鳥のうまい話がある、野村、頼むよ」
「シナリオとして一番現実的なのは電気供給元の原発を一時的に占拠するのがいいと俺は判断した、春日から情報を取った結果、東京湾沖の人工島に非公開の原発があることが判明した、アクアラインのすぐ近くの島だよ、SUA幹部の会合では常識だそうだ、政府はごみ処理場と海水淡水化プラントだと言ってるが、実際は世界最大規模の原子力発電所だ、なんと第三世代原子炉が十五基もあるんだ、驚きだろ、建設開始年次の二〇六〇年に米国のゼネラル・エレクトロニクス社から原子力関係の技術者が大量に来日したという記録がある、表向きは淡水化に関する化学技術者ってことになっているけどな、ほぼ間違いないと言っていい」
「そんな、経産官僚もほとんど知らないぞ」ニシキが言った。
「おそらく官僚で知っているのは資源エネルギー庁電気ガス事業部の一部とその上だけだろうな、政治家では内閣と閣僚級以外にはいないかもしれん、金剛ほどの実力者でさえ知らないだろう、あと原子力規制委員会も知っているはずだ、要はSUAにおけるトップシークレットだ、もともと俺はギガストラクチャーの電力消費量が既存の発電所だけでは賄いきれない、というのを以前論文で匂わせたことがある、匂わせたっていうのは、はっきりと書いたら殺されると考えたからだ、あれだけの図体のビルの集合体だ、電力は桁違いに必要なんだ、公表されている発電所でまかなうとすれば、狩羽発電所がもう十個くらい必要になる、あのレベルの消費量だと冗長化もコスト面の都合でできない、電気は水と違って貯めておくことができないからな、ギガストラクチャーは電力に関してぎりぎりの自転車操業なんだ」と野村が言う。
「東京の近くに原発があるなんて知ったら、パニックになりますよね、万が一放射線が漏れたら……」アオイが言う。
「なんてこった、東京湾に原子炉を冷やした水を流してたってことか、じゃあ今まで食ってた江戸前寿司っていうのは嘘だったのかな」ニシキが本当にどうでもいいことを言った。
「放射線漏れの対策は完璧でしょうけど、世論が許さないはずね、東京の人間は自己防衛だけは一流だからね、でもSUAとしてはギガストラクチャーを運営するためには必須なんでしょう、そこを占拠して脅す、ってことでいいの」と平岩が言う。少し、京都人から見た東京の人間へのやっかみも交じっている。
「おそらくテロ対策のために武装した警備部もたんまりいますよ、フランスの原発テロ対策を真似ているはずです、周りは海上保安庁の巡視船だらけでしょうね」葛野は少し楽しそうだ。
「当然完全なセキュリティになっているはずです、管理システムに外部から入るのは難しいでしょう、施設の電子的な制圧が最優先です」茂山は事の重大さに真剣な表情を崩さない。
俺は意見が出尽くしたところで、
「ということで準備段階だ、まず茂山、お前は何としてでも東京湾沖原発の施設内地図及びシステム、ネットワークの詳細を入手しろ、東電の中にシステムを管理、運用している部署があるはずだ、情報は必ずどこかにある、警備部に悟られるなよ、野村は宝生を脅すのに最も有効と思われるロジックを考えろ、正直単に電気を止める、だけではまだ弱い、宝生に無視されたらいっかんの終わりだ、一人でギガストラクチャーの外に出てこさせるんだ、テルを利用してもいいぞ、葛野は米国海兵隊をモデルにした制圧部隊を予備も合わせて二百人で編成して、原発占拠へ向けた具体的な作戦内容と装備内容まで落とし込め、ティルトローターでも対戦車ヘリでも買ってやる、三十分で全部の原子炉を占拠するんだ、平岩さんは現地で安全に原子炉を停止、再稼働するマニュアルを作ってくれ、それと葛野と連携して人工島を占拠するのに必要な装備調達を急ピッチで進めてほしい、俺が想像する限りでは、小型UAV(無人航空機)が最も重要となってくるはずだ、ニシキはたくさんあるが頑張れよ、まずSUAの危機管理シナリオにおいて政府との情報共有がどこまで為されるのか入手してほしい、おそらく宝生は世論を恐れてSUA内部で握りつぶすだろうが、万が一にも内閣まで情報が伝わってしまったら厄介だ、最悪自衛軍の治安出動まであるかもしれない、そうなったらおしまいだ、あと資源エネルギー庁電気ガス事業部の局長・次長級との会談をセッティングしてくれ、暴力で脅すか金で転ばせる、あと金剛もだ、金がかなり必要になるので最大限まで引っ張るぞ、アオイは今言った指示に関して、幹部たちが使う予算と人員をまとめて俺とニシキに報告してくれ、俺のところで予算とすべての進捗管理を行う、いいか、俺の言ったことを各々が完璧にこなせばSUAは倒れるぞ」
俺が指示を終えると、事の展開に終始圧倒されていた幹部たちの態度が一気に変わった。
茂山は背筋をピンと伸ばし、葛野は息を荒くしながら髪の毛を何度となくかきあげ、野村は頭を抱えながら仕切りにメモを取り、平岩は課題点を挙げながらぶつぶつ言って何度もうなずいている、アオイは緊張した面持ちで俺を見つめ、ニシキは俺に微笑みかけてきた。
幹部会が終了後、各々が方々へ散らばっていった。彼らはそれぞれのスタッフと大量の分科会をセッティングして、俺の指示を完遂するべく努力し続けるだろう。俺は考えられる可能性をすべて考慮に入れて、適宜彼らへの指示を修正しながら、確実に宝生に近づいていくだろう。どんなに時間がかかろうと、絶対に逃さない。
幹部会議が終わって、外の空気を吸いに上野のビル七階、外を一望できるテラスへ向かった。煙草を吸っている野村が玄関横の喫煙所に居た。ここには申し訳程度の植え込みとベンチ、端に喫煙所が設置してある。俺たちの中で煙草を吸うのは、野村と平岩だけだった。野村は考え事をしている様で、気を使い話しかけるのを躊躇していたが、俺を見つけた彼の方から話しかけてきた。
「宝生という男を考えれば考えるほど頭がこんがらがるよ」
野村は毛量の多い頭をボリボリとかきながら笑っている。
「なんで」
「そうだな、まだもらった情報では人物像がつかめないというのもあるんだが、俺のデータベースに無い特殊な人間という気がするんだ、あの日永の社長、春日といったか、アイツは実に分かりやすい、中身が空で権威に弱い、五月の鯉の吹き流しだよ、ハラワタが無いのさ、実に日本人的だ、似てる人物を挙げるとすれば、ナチスのアイヒマンだろうな、小物だよ、ただ宝生はヒトラーかもしれん、もしかしたらガンジーやチャーチル、いや一番近いのはヘレン・ケラーかもしれない」
「ヘレン・ケラー……」
俺と野村は違うレポートを読んだのだろうか、と疑ってしまうような印象の差だ。
「悪い、混乱させたな、とにかくわからないんだ、十分に気をつけなきゃ」
「宝生がどんな男かなんてたとえ会ったってわかるわけないよ」
俺はベンチに腰を下ろし、上野スラムを見下ろしながら言った。
「お前、矛盾していないか」
「なにが」
「お前は宝生の事を知るために今まで活動していたんじゃないのか」
「そんなことないよ」
「いや、そうだよ、お前は宝生を誰よりも理解したいから調べて、理解できたら殺したいんだ、なぜSUAを作って日本を破壊するのか、なぜギガストラクチャーみたいなもんを作ったのか」
「俺は誰のことも理解できないよ、近くに居るニシキも、アオイもだ」
「まだ若いのにそういう風に決めつけるのはよくないぞ、絶対によくない」
野村は明らかに不機嫌になりながらそう言った。
「あんたこそ、俺に何かを期待するのをやめろ、俺はあんたじゃない」
野村は俺から目を切って、まだ火を点けたばかりの煙草を灰皿に押しつけて消した。
タイミング良く、平岩が現れた。
「なに、喧嘩してんの」
「いや、もういいんだ」
「あ、そう、私の前ならいいけど、若い子達の前ではやめなよ」
俺は面倒になって話をそらそうと決めた。
「あんたも煙草やめなよ、もう年なんだから」俺は平岩に言った。
「あたしは子供育て終わったんだから何したっていいのよ、生物としての義務を果たしたんだから、産んだ分人を殺したっていいのよ」
俺と野村は、そうだな、俺たちの中で人を殺していいのは平岩さんだけだな、と笑った。女にはかなわんねぇ、とつぶやきながら野村は新しい煙草に火を点けた。
「そういえばあたしの息子が原子力工学を専門にしているって言ったのおぼえてる」
「わすれてた」
「なによそれ、この作戦でメインに動くのは息子にやってもらおうとおもうの、私も原子力は浅い知識しかないし、第一経験無いしね」
「一度会ってみたいな」
「平岩センセの息子か、一癖ありそうだな」野村の機嫌は直ったようだ。
「娘も和泉君に会いたいって言っていたから呼ぶわね、でも手を出すんじゃないよ」
「はいはい」
次の日の八月八日、ニシキと一緒に平岩の子供二人と上野オフィスで面会した。昨日話して次の日だ。平岩の日程調整が恐ろしく早いと思ったが、最優先事項なので間違ってはいない。しかも肝心の平岩は、親馬鹿みたいで照れ臭いから、という理由で欠席だった。
会議室でニシキを連れて二人と面会した。場所がオフィスの会議室とは、京都生まれの平岩にしては配慮もクソも無いが、これも照れがあってのことだろう。
一人は恐ろしく不機嫌そうな女の子だ。小柄で眼鏡をかけてまっすぐ前を向いたまま椅子にちょこんと座り、一切動かない。アオイより二つ上の二十四歳だそうだが、健康的な清潔さがにおい立つようで、幼い顔だちは正直中学生くらいに見える。俺とニシキがここに居ることが分かっているのだろうか、視線が全く動かない。
「妹のハルカです、僕が兄のユキオと申します、母がお世話になっております」
ぺこりとユキオが頭を下げる。
ハルカは少しうつむいただけだ。それに比べるとユキオは随分とまともに見える。繊細な理系青年、といったところか、細面で活発な雰囲気が母親にそっくりだ。
「ハルカは和泉さんの依頼の一つである、フェーズ5のAIを作っています、ええ、人間並みの空間把握処理速度を持っているAIですよ、ほぼ実現してますのであとは時間の問題です、兄の僕から見ても妹は天才です、ですが人間としては未成熟なんで、まあ誰にでもこんな感じです、すいません」
「そうなのか」
「一時期母は和泉さんの話をよくしていました、父と別れて、更年期で心がめちゃくちゃだった時です、僕もハルカも思春期でしたから、母のそういうところは見たくなかった」
「おっ、どういうこと」ニシキが下世話な表情で聞き返す。
「和泉さんが僕たちの新しい父親になるかもしれないと、本気で考えたことがあります」
「それはどう考えても無いだろう、俺は君たちとたいして歳変わんないよ、それにあんたらの母さんとは喧嘩してばっかりだったよ」
「母に聞いてもそういうでしょうね、母の方は嘘でしょうけど、父と別れた直後、母はかなり不安定でした、和泉さんがいたからなんとかなっていたんですよ」
俺は空気を変えるために、食いつきそうな話題を探した。ニシキが俺の脇腹をつついた。
「お前はギガストラクチャーの電力供給をどう考えていた」と俺がユキオに訊くと、
「中に発電所が無いと無理だろうな、とはおもってました、既存の発電所では到底無理ですから、でもまさか東京湾に浮いてるとは考えが至りませんでしたけどね、たしかに排水もしやすいし人工島ってチョイスは納得できます、情報公開したら東京の人は大騒ぎするでしょうがね、ギガストラクチャー内にかなりの人口が集中していて、電力消費量は増える一方ですからね、原子力じゃなきゃ絶対にまかなえないです、火力も水力も太陽光もエネルギー収支比でみれば論外ですしね、日本の発電は原子力の比率を段階的に増やしつつ、代替エネルギーを模索しないと行き詰ります、まあ事故リスクの問題はいずれ解決しますよ、将来的には衛星軌道上に原発を作ればいいんだから、課題は山積みですけどね、とにかくエネルギー収支比のいい代替エネルギーが開発されればって話ですけどまだまだです、それだけ経済効率性、環境への適合性、エネルギーの安定供給といった要素のトリレンマを解消するのは難しいんです、そのかわり今日本の原子力工学は世界でもトップクラスですよ、原発運用スキルはちょっと心配だけど」
ユキオは満足げだ。ハルカはなぜか険しい顔つきになってきた。
「俺も同感だ、そこでね、将来的な話だけど、お前は原潜を作れるか」
ユキオは驚いた顔をして、
「……戦略型ですか」
「無論だ」
「日本が核武装するのは必要だと」
「覚えておけ、核保有国は絶対にデフォルトしないのが常識だ、デフォルト寸前の日本に最も有効な経済施策は核武装だ」
「核保有国はデフォルトしない……」
ユキオは俺を半ば無視して考え込んだ。そういうときは話しかけてはいけないのを俺とニシキは良く知っている。
十五分ほど経って思考がまとまったのか、失礼しました、と言って俺の方を向きなおした。
「構造自体はシンプルです、原子炉部分の設計だけなら僕じゃなくてもできます、SUA系列じゃなくてもいけると思いますが、デカい設備を持つ大手造船会社のノウハウは必須です、技術的にはすぐにでも可能ですね、僕の頭はシステム関係からっきしですからあくまで原子力で動く潜水艦というガワだけならって話ですけどね、アンコは別の人に頼んでください、システムの中身もそうですが軍の情報技官との連携もしないとだめです、あとNATOや国連と同じ規格にしないと、日本オリジナルの規格にしちゃったらPKOで共同作戦の時とか大変ですよ、海上保安庁のシステムとリンクしたりしなきゃいけないだろうし、レーダーもセンサーも最新の物を積まないと、ミサイルはアメリカから調達ですか、今の駆逐艦って水深何メートルまで探知できるんでしたっけ」
「それも全部含めてお前が主体で調整するんだ、それが母さんと妹を守ることにつながるよ」
「守るって何から」
「お前バカか、言うまでもないだろ」
「僕は、今原子炉停止のマニュアルを……」
「同時にやるんだ」
「SUAが倒れたタイミングで、核武装をしますか」
「そうだ」
「憲法と国会は」
「どうとでもなるよ」
「他の国を攻撃するんですか」
「それはまだ決めてないな」
「わかりました、二年ください、すっごいのを作ります」
「よし、ニシキ、協力してやれよ」
「まずは軍とめぼしい企業と大学で一度話して、課題とスケジュールをまとめて、その数だけ分科会を作るってとこからかな、頑張ろうねぇ……」ニシキは早くもげっそりしている。
まあこういうのは官僚のフィールドだ、うまくやるだろう。ハルカが一言もしゃべらないまま面会はおわった。
その後俺はニシキと珈琲を飲みに金春を脅かしたカフェへ向かった。アオイを誘おうとすると、ニシキはいいよ、となぜか俺を止めた。
カフェに着いてアイスコーヒーを注文し、砂糖とミルクで一通り好みの味に調整し終えると、ニシキがニヤニヤしながらからかってきた。
「お前はきっとユキオ君にはきらわれているよ、たった一人の母を、自分と年もたいして変わらなくて得体の知れない住所不定の男に取られてしまうなんて、考えるだけで嫌だったろうな、下手すりゃ義理の親父が山奥で自給自足だぞ、笑えるよな」
ニシキが笑いながら茶化す。外では子供がボールで遊んでいる。俺は反応するのが面倒なので無視する。
「娘の方も熱い眼でお前を見ていたな、親と子どっちを選ぶんだ、なんかアダルト動画みたいだな」
本当に俺をからかう時はしつこい。
「もう勘弁してくれ、そういう話は正直苦手なんだ」
「まあとにかく、ユキオ君が引き受けてくれてよかったな、優秀そうだし、あと彼がマザコンでシスコンなのはわかった」
「それをまったく隠そうとしないのが俺は気に入ったぞ、研究者はあれくらい尖っているほうがいい、それに家族を大切にするのはいいことだよ」
「それは、ほんとそうだね」
「あの兄妹は希望そのものだ」
「僕たちのか」
「ちがう、日本のだ」
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