第11話

 隣でニシキが大口を開けて寝ている。起こすために彼の体をゆすった。目を覚ますとでかいあくびをした。

「おい、そういえばさ、アオイのサポートに入れる人間を何人か用意してくれないか、ニシキ」

「あぁ、やっぱり必要だよね、確かにひっどい顔してるよ」ニシキが目をこすりながらも、しっかりとした口調で答える。官僚ならではのタフな脳みそをニシキは持っていた。

 俺たちは軽井沢の帰りの車内で、アオイに隠れてスタッフの調整を進めることで一致した。俺はアオイのようなきれいで若い女があんな疲れた顔をしているのはごめんだった。彼女は我々男たちの宝であるべきで、けして奴隷ではない。

「ニシキ、本来男っていうのは子供を育てる女のために飯を運んでくる為にある性に過ぎないんだ、ただ、今は農業や工業に成功したから男も女も楽ができるけど、本質は原始時代と変わってない、男が狩りをして女が子を育てる本能は、どんな学者だって否定できないんだ、若くてきれいな女が青い顔しながら働きまくってる姿っていうのは、男としては不快なもんだよ」

「お前フェミニストだったっけ」

 ニシキが半笑いで茶化すように言った。

「そんな定義の曖昧な言葉でくくるなよ、俺は正しいことを言っているだけ」

「まあジェンダーとか、フェミニズムなんて言葉はバカな学者がよく言うけど、その議論は概ねお前が言っているような内容で解決しているんだろうな、人権なんてダーウィン無視のキリスト教的倫理観ありきの発想だしな、ありもしない概念を前提に考えるからややこしいのであって」

「その通り、だから優秀な人間をアオイの下に三人ほど用意してくれ、あいつは対人スキルが乏しいから、親しみやすそうなやつがいい、とにかく無理させたくない」

「わかった」

 そう言ってニシキは少し考え込んだ。

「でもその理屈で言うと、アオイが誰かと子供を作った方がいいってこと」

「そういうことではないよ」

「だってそうだろ、若い女はなによりも優先して子供を作るべきだと俺もおもってる、男には絶対に真似できない価値だ、最も高尚な行為だ」

「原則としてはそうってことだよ、人によるだろ、俺かお前が父親になるってことか」

「それはいやだな、僕、アオイとセックスしたくないって訳じゃないんだけど、なんて言うのかな、お前とアオイで毎日メシ食ったり暮らしているのがうれしいんだ、どっちかのこどもなんてできちゃったら、この関係が壊れてしまうからいやだ、僕、父が厳しくて、一人っ子だったし、メシの時もギスギスしてたからさ、二十九にもなってなに言ってるんだろうね、でも、組織はでかくなってきたけど、習慣で最初の三人が毎晩集まるのっていいじゃない、うまく言えないんだけどさ」

 こういうことを素直に言えるところがニシキのいいところだと思う。

 言われた相手も、彼に対して嘘をつく気になれない。

「僕、アオイには元気でいて欲しいんだ、僕さ、いつもアオイに一方的にしゃべっちゃうだろ、あいつは全然興味ない顔して聞いててさ、実際僕の話なんてあんまりおもしろくはないとおもうよ、お前なんて僕の顔さえ見ないときあるよな、でも構わずに僕がしゃべり続けてるとさ、しばらくするとアオイがフッて優しく笑うんだよ、むすっとした顔からとっても優しい笑顔に変わるんだ、僕はその表情の変化がたまらなく好きでさ、僕この呆れ気味の笑顔を見るためにしゃべってるんだ、好きな子にちょっかいだす小学生っているだろ、あれと同じだよ、ちょっと困らせた後、許してほしいんだ、その場にお前がいてくれてることもうれしくてさ、わかるかなお前に、今思ったんだけど、僕の母親もそんな感じだったな、マザコンかなぁ僕、アオイは年下だけど、どうなんだろうな」

「わかるよ、アオイも呆れてるんだろうけどきっといやではないはずだよ」

「まあ今後も付き合ってくれよ、あの三人の空間が僕は大好きなんだとおもう、悪いけど」

「お前のおしゃべりもは食事のBGMだ、今後も無視するよ」

 俺は鷺沼ニシキについてまた一つ詳しくなったようだ。彼が思想的な激しさの裏に高校の時からまったく変わらない繊細さを保っていることが、俺はなぜかたまらなくうれしかった。


 平岩の研究機関がスタートし、各自SUA打倒へ向けて準備を着々と進めていた。

 ニシキは官僚の若手テクノクラートの中で、反SUA思想を持つ人間をリストアップして一人づつテストしていた。

 アオイは着々と会社としての事務処理を新しく雇った三人の事務員に引き継いでいた。その中の一人は投資のスペシャリストであり、組織の金を日々運用してくれている。日銀にも情報源があるので、運用成績は上々だ。彼曰く「既に資産運用はAIの反射速度と情報集分析が人間を凌駕しているので、差をつけるには情報の深度が重要になります、乱暴な言い方をすればインサイダー取引じゃないと確実に勝てません、未発表の情報からどのようにAIが反応するかを予測して投資を行います、既に日本の市場はSUAの登場で動きがほとんどなくなりましたから、海外がメインですが、AIのスペック競争を横目で見ながら、茂山さんの情報を使って取引をするのは楽しいですね、海外のヘッジファンドが使っているAIを見せ板で引っ掛けるのは最高です」とのことだ。

 茂山は様々な組織に潜入している諜報員やマスコミやダークネットから情報を抽出し、日々レポートにまとめて俺たちに共有してくれた。ギガストラクチャーに組み込まれている、国の重要施設のサーバルームの保守企業にさえ諜報員は潜り込んでいた。

 野村はその情報を受けて具体的なシナリオを徐々に練り始めた。だが気分の乗らないときは全く仕事をしない、芸術家気質は依然として保っていた。

 葛野は三ヶ月程顔に包帯を巻いていたが、傷の治りとともに仕事内容も充実してきたように思える。主な仕事は、表の活動として要人警護を担当する警護部隊、裏で訓練を行っている特殊作戦部隊、更に俺でさえ顔を知らない暗殺チームの育成だ。特殊作戦部隊は、都市でのゲリラ戦を想定し、狙撃から爆発物解体、近接戦闘、武器調達や潜入方法に至る訓練を行っていた。元自衛軍の人間を中心に組織されていたが、SUAに予算を削減された警察、特に公安上がりの人間も少数いた。皆、元所属していた組織に不満を抱え、自分で判断して俺たちの組織に参加した者達ばかりだった。


 俺は訓練の様子を、少し時間の出来たアオイと軽井沢まで見に行った。軽井沢の訓練施設は地下深くにある。日本の上空は中国やロシアの衛星だらけなので、こういった施設の外見はダミーとしてホテルとゴルフ場になっている。地下三階の野球場一つ分の空間に、ギガストラクチャー内部とスラムの二パターンを再現した訓練フロアを作ってある。俺たちは車を遮蔽物として利用した、銃撃戦の訓練を見学した。遮蔽物に隠れて訓練生がショートバレルのライフルを構えている。体は完全に隠れた状態で、ライフルと右目だけがゆっくりとはみ出させる。葛野は訓練生にストレスを与えるために、彼らが使用しているライフルのエジェクションポートをふさいで、ジャムを起こさせていた。

「こんなことでパニックになるやつもいるんです、緊急時の対応が優れてなければ、いずれ全部の兵士がAIに置き換わっちゃいますよ」

 葛野は訓練生の質にやや不満なようだ。

「まだ当分先だろ、現場じゃアンドロイドなんて役に立たないし応用が利かない、それより訓練の内容策定と装備の選定は全部終わったのか」

「はい、警察出身の人間もいるので、基本の猫足歩きから教えますよ、三カ月あれば現場に出せるようにしますよ」

「それはいい」

 人殺しができるかどうかは別だが、数は必要だ。

「あと見てください、テイザー社製スタンナックルです、これなら和泉さんが持ってても不自然ではないので、一つ持っててください」

 そう言って葛野は重たい黒い革の手袋を渡した。一見只の手袋だが、手の甲と中指に小型スタンガンが仕込んである。

「日本で作ってるところ無いの、これ、小さいし一発分しか充電できないんじゃない」

「今の日本じゃ護身って名目でも持てませんから、売ってませんよ、非致死性兵器なんて繊細なもの、日本人は作るの得意だと思うんですけどね、一回の充電で三秒は放電できるので、ジャブが一発〇・一秒としても、三十発打てますよ」

「三秒だけか、熊だったら当てる場所考えないと倒せないな、でも人間相手なら十分か」

「和泉さん、熊と戦うの」

 アオイが構ってほしそうに聞いた。

 俺は無視して葛野の様子を観察した。俺は葛野の表情が必要以上に豊かなことに違和感を感じていた。

 兵士はこんな表情はしない。

 もっと諦観に満ちた空虚な表情をするはずだった。なにかをごまかしている、近いうちこいつはなにかをやるのではないか。

 その予感はすぐに当たった。


 二〇六五年三月二十五日の夜、俺が上野オフィスの自分の執務室で読書していると、ニシキが慌てて俺の部屋に駆け込んできた。

「葛野が人を殺した、憂国風盾会という純粋右翼の構成員だ」

 ニシキは余裕のない顔をしていた。反応の薄い俺に驚いている。

「とりあえず落ち着けよニシキ、死んだやつはチンピラみたいなもんか」

「小物だよ、でも三人殺して十人近くケガさせてる、厄介なことに今葛野は警視庁で公安に身柄を確保されてる、現行犯ではないから容疑者じゃなくて、あくまで重要参考人なのが救いだ」

 軽井沢で感じた違和感はこれか、と俺は思った。

 おそらく葛野は、最初から、死んだ三人の内誰かを殺すつもりで俺たちの組織に参加したのだ。ニシキなら、葛野が捕まっても裏で手を回すことが出来るから、それを保険としての行動だ、おまけに武器も豊富だ。

 なかなかしたたかじゃないか、と見直した。俺とニシキは上野オフィスの最上階、幹部会議室へ向かった。


 会議室にはアオイと茂山と野村と平岩が既に待っていた。

「ちょっと見直したけど捕まったのは頂けないな、茂山、情報はどこまで行ってる」

 俺は端末で警視庁公安部に潜り込ませた諜報員としきりに連絡を取っている茂山に状況を尋ねた。端末の画面を食い入るように見ている。茂山は警視庁内部の監視カメラにさえ侵入している。

「今夜の内は公安内部で止まるでしょう、明日以降マスコミに流れる、死んだのが政治結社とはいえ小物だから情報管制もなしでスルーでしょう」

 俺はそれを聞いて判断する。一秒もかからない。

「握りつぶすぞ、葛野は釈放させる」

 そう言うと幹部達はざわついた。

「葛野を切るんだとおもっていた、いや、僕は助けるのは賛成なんだけど、意外だね」

 ニシキが幹部たちの意見を代表してそう言った。

「葛野の今までの功績がそいつを殺すまでのカバーだとしても、俺は満足してるんだよね、ゴミみたいなヤクザを何人殺したって、葛野を切る理由にはならないよ」

「それ言ってやれよ、よろこぶよ」

「いやです」

 俺は葛野が隠れて事を運ぶにしても、俺や茂山にばれないまま実行したことが思いのほか嫌じゃなかった。むしろ気に入っていた。

 その後、ニシキと茂山が警察庁を脅して葛野を釈放させた。方法は一任していたのでどうやったか俺は知らないが、公安に潜入している諜報員の情報を使ったのだろう。マスコミにも一切漏れなかったが、ネットの裏サイトでは都市伝説のような扱いで、憂国風盾会が突然消えた理由が考察されていた。


 次の日、俺の執務室で葛野は俺とニシキの前で申し訳なさそうにデカい体をしおらしく丸めていた。

「申し訳ありません、迷惑をおかけしてしまいました」

「べつにいいよ、おまえの計算通りだろ」

 俺がそういうと葛野はばつの悪そうな表情でただ黙っていた。

「これで俺たちは公安にマークされちゃったけどな、SUA警備部には漏れてないようだし、十人以上いたのに一人で制圧したんだろ、すごいじゃないか、理由は聞かないよ、誰か殺すって決めてたんだろ、俺に散々殴られても、言わなかったしな、憂国風盾会の残りの構成員は、今後お前が管理しろ、殺すなり使うなり好きにしろ」

「はい」

 葛野は安堵の表情を見せた。ニシキはそんな葛野の肩を叩き、

「これから死体が出たとき処理させればいいんじゃない、憂国風盾会は傘下企業にギガストラクチャー増設予定地の地上げをやってる不動産会社がある、増設予定地に死体を埋めちゃえば、コンクリに混ぜて」

 ニシキが珍しくいいことを言った。

 死体処理は都市部だと面倒だ。御徒町周辺に、ギガストラクチャー向けに整地中の場所があるからそこのコンクリに混ぜてしまえばいい。

 ようやく俺の葛野に対する懸念は解消され、結果的にはいい方向に転んだ。


 後日、葛野は残りの構成員のうち何人か反抗的なやつらを見せしめに殺し、死体を彼らの傘下企業に処理させた。彼らには少しでも俺たちに逆らうような言動や情報を漏らす兆候があれば、ギガストラクチャーの予定地に埋まってもらう事にした。殺した構成員の中に、野村の論文を信捧している、ひどくピュアで頭の悪いナショナリストが居て、えらく反抗したので俺たちは大笑いした。その他の傘下企業や、不動産や車等の資産は、アオイ達がうまく洗浄して処理した。茂山は使える戸籍やサービスコードが増えてよろこんでいた。

 後日葛野が勝手に自分から襲撃の理由をぽつぽつと話すようになるのだが、妹が憂国風盾会の人間に手籠めにされたとか裏風俗に落とされたあげく廃人にされたとか、下らない酷く情緒的な理由だった。俺にはお前の事情など知ったことでは無い、と突き放した。ただ能力が必要なのだ。

 今回の事件以降、葛野は俺の命令に背くことは一切なくなった。


 騒動が落ち着いた後、公安の調査が俺たちの会社に入った。

 ニシキは警察庁に文句を言いにすっ飛んで行ったが、結局は現場が勝手に動いただけだとすぐに連絡を入れてきた。仕方なく俺とアオイが対応することになった。彼らは男女のペアで、二人とも公安らしくない独特の外見をしていた。

「金春といいます、こっちは高安、葛野さんはいらっしゃいますか」

 背が高く、生気の抜けた表情の三十代前半の男だ。ニシキよりよれよれのサイズの合っていないスーツを着ていて、姿勢が悪くて無精ひげが不潔な印象だったが、目つきは時折恐ろしく鋭くなる。女の方は身長が百七十センチ近くあって、派手な顔に派手目な化粧、何よりちぐはぐなのは、地味なスーツの下にアディダスのトレーナーを着ている。こんな奴らがいるなんて日本の警察も柔軟になったな、とおもった。

「葛野は解雇しました、それ以上は何も知りません」

 俺は嘘を通すことに決めていた。あくまでも葛野は守る、大切なコマだった。

「そうですか、念のため中を調べてもいいですか」

「いいですけど、なんもないですよ」

 葛野は軽井沢にいるので、このビルは表向きの総合セキュリティコンサルとして、見られてまずいものは無い。半分外国の属国となり、夜に女性一人では出歩けなくなった日本において、自衛手段としてセキュリティコンサルにニーズがあるのは当たり前で、どれだけ武器があっても不自然でも何でもなかった。

「これだけ装備や施設が揃っていると、我々警察より頼もしいですよね、ぶっちゃけ」

 高安とかいう女が話しかけてきた。かなり馴れ馴れしかったが我慢する。

「いやいや、まだまだリソースが足りません、民間の警備依頼はどんどん増えています、特にギガストラクチャー外に拠点がある企業は、どうしても身辺警護の必要性が出てきます、アジア難民を受け入れてから、ほんとうに東京は物騒ですからね、情報テロに関しては一企業がセキュリティを完璧に行うことは現状不可能です、SUA傘下の大企業は専門の人間を雇えるのでまだましですが、体力のないベンチャーは、知財なんてあってないようなものですよ」

「そういうものですか、まだまだ警視庁のサイバーポリスも質、量とも十分じゃない、今度勉強会でもお願いしようかな」

「パンフ持ってってください、安くしますよ」

 アオイがクラブで鍛えた人好きのする笑顔で金春に答えた。

「軍上がりの人材なら確実に我々よりノウハウあるでしょうしねぇ、人員も多いし、こりゃ凄いわ」

 金春がにやけながら独り言のようにつぶやいた。

 彼ら二人は表面上とてもフレンドリーに接してきたので、こちらとしては最大限の警戒をしながら狙いを探った。彼ら二人が、ニシキと公安上層部との取引を知らずに自分で足を運んだというのであれば、これくらいで葛野を挙げることを諦めないだろう。金春はひょうひょうとしているが、意志の強い目をしている。俺たちのことをある程度調べてあると示すことによって警告をしているつもりだろう。

 日本人は警察に逆らわない。彼らのあたりまえは俺たちにとっては違う。

 ビル内を一通り回った後、無駄話を三十分ほどして彼らは帰った。

 俺は茂山に金春、高安の二人について調べる様命じた。俺が調べろ、と命ずるということは、その人間に関する情報が丸裸にされると同義だった。茂山の情報網は日を増すごとに拡大していた。

 その後ニシキが警視庁上層部に散々接待を受けて、ほろ酔いで戻ってきた。知り合いの警察庁OBを呼んで、公安部長に土下座をさせた、と息巻いていたが、俺達がまだ甘く見られてることに変わりはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る