第4話
わたしは大蔵アオイ、上野のスラムで男性相手の接客業をしている。
生活にこまることはないが、ずっと今の仕事はつづけたくない。
かといってほかの仕事ができるわけでもないし、結婚をすることもいまいちピンとこない。おなじ職場にいる同年代の女の子たちは恋愛や結婚について重すぎるほどに考えている子が多いが、なぜかわたしはまったく考える気がおきない。深層心理的に避けているとか、恋愛に苦手意識があるとか、実は同性愛者である、って感じではなく、わたしだけ、世間で大事とされる物事について考えるための脳みその部位、その一部分だけぽっかりと穴が空いて欠けている、だから考えること自体無理、そんな感じ。
幸い経済的な余裕は多分にあり、SUAでアルファのサービスを買えているんだけど、ベータに下げるべきか検討中。どうせクラシックのコンサートがタダでもいかないし、つまんないくせにお金だけかかった大作映画にも興味がわかない。本も雑誌も、くだらないし、つまんないんだ。
ましてやあのふざけた宗教などはもってのほか。みんなは宗教だとおもっていないけど、わたしは宗教だとおもう。宗教は不潔できらい。
SUAのネット番組ではテルという歌が下手な若い女の子を教祖様みたいに祭り上げている。それも不潔だし、腹が立つ。なにもかもが気に食わない、そんなきもちがずーっと続いていて、もうなれちゃったんだけど、それもなんか悲しい。
今日もその番組内では、顔色が悪くてぼそぼそと喋るテルが、「偉大なる存在」と交信するんだという。科学全盛の時代に勘弁してほしい。
デルタやエプシロンのコードを買っている人はその女の子を神様そのものみたいにあがめているようだけど、わたしがバカなのかまったく理解できない。
食事もアルファを契約していれば「飛鳥軒」や「デストロピザ」など、SUAチェーンにしてはわりと小ましなサービスが使えるが、もう食べ過ぎて飽きてしまった。
ただアルファだと化粧品などの消耗品が質の高いものを選べるので、レベルを下げるのが躊躇われる。仕事の都合上、外見だけは気を配らなければならない。わたしの髪は硬くて太くてパサパサなので、ガチガチにセットできるけど髪を傷めないスプレーや、天然由来の成分の入った高いコンディショナーなどはアルファのサービスじゃないと手に入らないのだ。アルファ購入者はギガストラクチャーの中でも高層エリアに住むことができるのだが、わたしは中に入るだけで、息がつまって落ち着かなかった。窓の少ないあの巨大建造物は東京で物理的にも心理的にも人を圧迫している。それはたぶん、人が作り出した建造物の中で最も巨大なものだった。それに取り込まれるのは恐ろしい。飲み込まれるのは気分が悪い。
仕事はぜんぜんおもしろくない。いまこの瞬間、死んでしまってもべつにかまわないな、なんてときが週に一回くらいあって、次の日はごはんがおいしいからやっぱり生きよう、なんてぐらぐらすることがあって、いいかげんな気持ちをもてあそんで時間が過ぎる。女が生きるか死ぬかは、だいぶいいかげんに決まる。
世間では女性の二十二歳はとても楽しいらしい。でもわたしに関してはそんなことはないと言い切れる。人付き合い自体嫌いだし、勉強も嫌いだったから学校も楽しくなかった。男の子からアプローチを受けたこともあるけど、仲良くなると皆なぜかはなれていった。それも一向にかまわない、男の子なんてどうでもよかった。
わたしは両親の顔を見たことがない。
そのせいで誰にも興味が湧かないのかもしれない。
物心ついた時から、SUAが運営する孤児院兼養護施設にいた。「偉大なる存在」は嫌いだったので、毎日祈らなければいけないのは理不尽だと感じていた。施設には脳や神経に障害を抱えた子の方がわたしのような孤児より多く、私は彼らと幼少期の大半の時間を過ごした。彼らは職員にとてもかわいがられていて、わたしが甘えても二の次だった。後回しにされるのに慣れ、いつも施設の庭にある砂場で遊んでいた。水を使って砂を固めて、たくさんの家を作った。濡らした砂はくっついて、太陽にあてて乾かすと本物の壁みたいに固くなった。その中で暮らすことを想定しながら、部屋を分けたり、入口を造ったりして遊ぶのが好きだった。施設ではみんなでお遊戯の時間があったけど苦手だった。目を閉じて、みんなで手をつないで歌うのが気持ち悪かった。
施設の大嫌いだった職員が言うことには、
「大切なことは目に見えないんだよ、だから目をつぶるんだよ」
だって。
「星の王子さま」はすきだけど、得意気に引用、応用するひとはだいきらいだった。
今の日本ではわたしのようなかわいそうな人間の立場がすごくつよい。
かわいそうな人間はただかわいそうなだけで、べつになにも遠慮することはないとおもうのだが、孤児だと告げると大抵の人間は好奇心と憐みの混じった目でわたしを見る。やさしくしてくれる。彼らがわたしに投影しているのは、エプシロンのサービスでネット配信されているドラマの主人公だ。かわいそうで、けなげで頑張り屋な、ときどき泣いたりするけど、かならず薄っぺらなきっかけを経て何事も無かったように立ち直る強い女の子。今の職場のオーナーもわたしのことを、若いのにしっかりとしたお嬢さんと認識している。しかしわたしはものを知らないし性格もよくない。ネガティブで、くだらない孤独主義で、世界の狭い二十二歳の女だ。それ以上でも以下でもない。八十歳で死ぬとして、あと五十八年生きなくてはならない。
つまらないわたしのつまらない一日は寝て起きると必ず始まってしまう。だから寝るのはきらいだった。でも寝ないとブスになるので寝る。大概のブスは睡眠不足だ。
わたしは上野スラム近くのマンションに住んでいて、職場まで徒歩五分。ごはんを済ませて、戸締りをして、メイクをして、出発。近くには露天商や古い土産物屋がたくさんあって、時折ひやかしながら出勤する。彩度の高い原色の看板の看板、香辛料と生魚の混じった匂い、大声を出す歯の抜けた男、野良犬。何故、アジアの大都市はみな雑多でデザイン性無視の下品な空間になるのだろうか。白人からしたら、エキゾチックだ、なんて感想が飛び出るのだろうか。ああ、こんなのはおかしい。うつくしくない。
「おねえさん、おねえさん、このサングラスどう、ベータ以上でOK、おねえさん、きっとにあうよ」
わたしにむかって汚いなりの露天商が話しかけてくる。わたしは泣きそうになってしまった。なんで冬にサングラスを売っているんだろう。よっぽど在庫が余っちゃったのだろうか。たいしてオシャレでもないし海外のブランドを真似しただけの粗悪なサングラス。
でもわたしは意志が弱い。薄弱。下品なものにはかなわない。カモと思われてるのもわかってる。でも断るのが悪い気がしてしまう。わたしが無言でアルファのカードキーを彼の持っていた端末に読み取らせると、「ありがとうね」と言って露天商は次のカモを探し始めた。男の人の声は大きくて怖いなあ、とつくづくおもう。きたない男に、嫌悪感と、自由なふるまいや強さへの憧れを抱く。
結局買っちゃった。自由な彼に募金したような感じ。わたしは昔から眩しいのが苦手で、夏場などはお気に入りのサングラスを手放さないようにしているので、日差し対策は間に合っているのだけれど。いくらアルファのサービスコードを持っているからとはいえいらないものはいらないのに。少しの不満を抱えて、あとでサングラスは捨てようと決心し、職場へ歩を進めた。
職場は上野スラムの雑居ビル内にある。
狭い入り口を抜けると、暗めの照明と黒服の男達、そしてたくさんの着飾った若い女がカウンターに座って客を待っている。内装は高級なムードを出そうという努力が垣間見えるが、掃除のときに照明を明るくすると、ソファが破れていたり、ところどころチープなところが目立っておもしろい。はたらきはじめると、からだを動かすのがいいのか、たのしくなってくる。だがこの状態は、わたしにとって最善なのかというと、そうではない。そうであってはいけない。気がする。
今日の仕事は二十時から翌日の五時まで。男に酒を作って話を聞いたり、彼らの性欲をあしらったりする。始めてから二年経った今でもこの仕事に慣れず、おどおどしながら人の話を聞いていた。彼らの言っていることは大体理解できない。ただ彼らもまたわたし同様空っぽ人間なので、仲間意識は自然と湧く。今日の客層はいつも通りアルファの富裕な中年サラリーマンが多いが、今日は珍しく現金払いで、しかも若者二人連れが来た。彼らは周りを警戒するように店中をねめつけた後、当然のごとくVIPルームに入った。黒服の指示で、一番若いわたしが担当しなければならない様だった。
二人が何をしている人間なのか全く想像がつかなかった。
一人は背が高くきれあがった目の男。眼鏡をかけていても細い目の奥がきらきらしているのがわかった。ただ髪が長くて量も多く、すごく野暮ったい。スーツを着ているが、あまり外見には頓着しないようでよれよれだった。サービスコードを使わないなら、お金は大丈夫なのだろうか。
もう一人のほうはアウトドア用のダウンジャケットにジーンズ。どちらも汚かったが、顔がわたしなんかよりずっと美しかった。俳優でも十分やっていける顔立ちで、馬鹿な女の子などはすぐ夢中になるだろう。ふわふわの長い髪をポニーテールみたいに結んでおり、一見女性と間違えそうになるが、日焼けした肌の質感や均整の取れた体格は、新宿スラムにいる土木作業員上がりの兄ちゃんを思わせた。繊細なのか野性的なのかいまいち判別がつかないが、人間として最上級に美しいことは確か。表情はかたく、常にぎょろぎょろと目玉がうごいていた。
彼らにはわたしともうひとりついて、VIPルーム専用のバーテンダーに、フランス産のエールビール二本とチーズの盛り合わせを注文した。二人ともそこまで酒が好き、と言うわけでもなさそう。
ポニーテールの方と会話を始めた。最初は名前や年齢など、ありきたりでおざなりな会話をぽつぽつとしゃべり始めた。正直容姿には多少自信があるが、おしゃべりは苦手。ましてや今回は相手のほうが美しいのでうまくいかない事必至。
「SUAのサービスはなにを買っているんだ」
彼が投げやりな口調でわたしに尋ねた。
楽しんでいる訳が無い表情をしている。
その口調にもかかわらず文節ごとにハスキーだったり、クリーンだったりする高低差の激しい彼の声は、なぜかわたしの心にひどく不安定な刺激を与え、得体のしれない魅力を孕むものだった。彼と話している限り、わたしの情緒が安定することは無いだろう、このまま仕事をするには、まずその刺激に慣れなければいけなかった。またSUAのサービスコードを訪ねることは、収入を訪ねるようなものなので、一般的に失礼にあたるとされている。そのためすこし面食らってしまった。
「デルタです……もったいないのでエプシロンでもいいかなとおもうんですが」
実際はアルファを買っているが、経験上生意気だと思われるので嘘をつく。
「別に買わなくてもいいんですけどね」ビールを彼のグラスに注ぎながらつぶやく。
「それはなぜ」
初めて彼がわたしの顔を見る。
「きもちわるいから」
なぜそう言ったか自分でもよくわからない。反射的にそう答えてしまったのだ。それを聞いたポニーテール男の茶色の眼球が左上に動いた。
その後様々な理由を述べ、でもSUAのサービスがないと日常生活がままならない、電気も水も家もないと困りますもんね、なんて内容の話を一生懸命する。
「しょうがない」って言葉を何回も口にするたびに、自分はつまらない人間だと絶望した。しかし彼に変な人間だとはおもわれたくなかった。
わたしの拙い話術などは彼も期待していないようで、そっけない態度にいい加減イライラしてきた。わたしは賢く立ち回ることをあきらめ、さらに失望するようなくだらない話をしてやろうとかんがえた。昔からわたしは悪い方悪い方へと向かう節がある。それもよく考えた上での行動であるから性質が悪い。
ただ話したいことを話すだけだ、わたしは。孤児院にあった「偉大なる家」の経典並みに分厚い接客マニュアルなんてもう知ったことか。
思いついたのが昨日見た夢の話をすることだ。
感心するような知識や、笑い所もなにもない話だ。これは経験上男性全般が嫌悪する類の話題であり、ねらいどおりきらわれるだろう。
「あ、昨日夢を見たんですけど聞いてくれますか、たいしておもしろくないけれど」
わたしがそういうと、
「うん」
とちっとも目を合わせてくれない。
無表情で杯を傾けている。目が合ったら合ったで、緊張してしまうので好都合だった。
「あの、とっても広い草原に住んでいるんです、三六〇度見回しても全部地平線が見えるくらいの、そこにポツンとレンガ造りの二階建て、一軒家が建っているんですよ、部屋も五、六くらいしか無い古いヨーロッパ風の家です、近くにはドックがあって、そこには自家用飛行機っていうんですかね、小さい飛行機、レシプロで二人乗りのがあるんです、その家に三人で住んでるんです」
「その三人は家族か」
「いや、友人って感じで、誰だかわかんないです、そこらへんはあやふやなんです」
我ながら何を言っているのかわからない。
この話に着地点が無いことが不安になってきた。
もっと質問してきてくれれば助かるのだが。
「それでわたし以外の二人が食料を調達に飛行機で出かけて、わたしは部屋の掃除とか、洗濯とかをして待ってるんです、二人が帰ってくるのを楽しみに待ちながら」
彼は無言のままだ。まったく反応無しはさすがに気まずい。
「すいません、すいません、つまんないですよね」
できるかぎり自己陶酔的になっていないことをアピールするため、あくまでフランクな口調でいることに徹した。
「たしかにつまんない夢だな」
「そうですよね、ごめんなさい、でも、見ているときはこれいじょうないくらいしあわせでした、家の外に出ると、空が雲ひとつなくって、風が気持ちよくって、季節はたぶん初夏ですね、見渡す限り草原でなあんにもなくって……なんでこんな夢見るんだろう……」
「夢なんてそんなもんだろう、いい夢を見すぎると現実とのギャップで落ち込まないか」
この男は平気でいやなことを言うな、とおもった。わたしも無神経なほうなのでかえって親近感が沸いた。確かに気持ちのいい風が吹く夢の草原と、上野スラムの雑居ビルではギャップがありすぎる。
「うーん、まあそうですね、でもこの夢、似たようなのをよく見るんですよ、今度夢占いとかしてもらおうかなぁ……なんて」
最初から最後までつまらないことを喋ってしまった。
話はここで途切れた。
かなりの時間無言のままであったと思う。
遠巻きに見ていたバーテンダーが気を使って彼に酒のお代わりを勧めるまで、何分経っただろうか。隣の席にいるもう一人の眼鏡も気にしているようだった。
しばらくして彼らは現金で勘定を済ませて帰っていった。
SUAのサービスレベルはどれなのだろうか。まさか加入していないなんてことはないだろうが。
ポニーテールの方が別れ際にわたしに向かって、「仕事を辞めたいか」と聞いてきた。
脊髄反射で「はい」と答えてしまった。
近くに黒服のスタッフもいたのに、きっと聞かれている。
わたしはこの世界で生きるのに向いていない。
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