まみむも

あさままさA

まみむも

 ――誰も好きになれなくなった。


 数年前に付き合っていた彼女と別れて以来、誰も好きにならないのだ。


 俺がその彼女を忘れられずにいるとか、ずっと想い続けているとか、そんな理由ではなく彼女と別れて以来誰にも好意を抱けない。


 ずっと動けないままでいるのだ。


 彼女に未練があるのではないかと思った時期もある。胸中の感情を全て自分で把握しているほど、人間は器用な生き物ではない。無自覚に、無意識に彼女をどこか未練がましく想い続けているのではないか?


 しかし、そう思った所でどうしようもない。

 悲しいことに彼女は俺と別れた数カ月後に亡くなったらしいのだ。


 人から聞いた話であり、俺自身が確かめたわけではないので詳細は分からない。しかし、彼女と俺の両方を知っている友人からその話を聞いた時、「お前に別れようって言われてショックで自殺したんじゃね?」と冗談めかして言っていたのが妙に引っかかった。


 確かに俺の方から別れを切り出した。


 一緒にいて楽しいと思わなくなり、彼女過ごすより仕事や友人との時間を優先していた。そんな蔑ろにする態度に罪悪感を抱いてた俺は、「このまま俺の彼女でいる事によって束縛するのはよくない」と思って別れを提案したのだ。


 その気がなかった彼女は別れを嫌がったし、俺が優先順位的に他を優先するのも我慢できると言った。しかし、そんな一途さを段々「重いな」と感じてきた俺は、心にもない言葉を口にして強引に別れたのだった。


 そういう発言に対する後悔もあって――自殺したんじゃね、という言葉は強く響いた。


 それに何より――彼女の死を知ってから俺の身に不幸が頻発するようになったのだ。


 勤めていた会社が倒産し、友人とは妙な擦れ違いで絶縁状態。父が介護を要するような状態となり、母は世話に追われて鬱状態。


 そんな最中に俺は車に衝突して大怪我を負う。掛けていた眼鏡のレンズが割れて失明――しかし、何とか眼球のドナーが存在したため移植で視界は失わずに済んだ。


 そんな事故を経て退院し、久々に帰宅したのが彼女と別れてからおおよそ二年後――今日だった。


 特に違和感なく物を見られるし、寧ろ眼鏡なしで生活できるという意味では楽になったくらいだった。不幸続いた頃、これは死んだ彼女の「呪い」じゃないか、などと縁が切れる前の友人と話していたのだが命に別状がなくて本当に良かった。


 安堵した俺は、その気持ちをさらに深めるべく確認したい気持ちになった。


 そういえば入院中はあまり気にしなかったのだけれど、眼球を移植した傷跡はどうなっているのだろう?


 そんな疑問を解消すべく洗面台へと移動する俺。スイッチを入れて蛍光灯を点灯させて、壁に設置された鏡に映る自分の顔を目視する。


 ……特に傷跡が残っているような感じではない。最新の医療を褒め称えるべきか、依然と遜色ない様相に戻っていると言える。


 そんな安堵はさらに深まり、俺が洗面所から離れようとした瞬間だった。


 ――体が動かなくなる。


 洗面所から……いや――鏡から。


 鏡に向けた俺の視線が、そこに縫い付けられたように離れないのだ。特に他者からの介入があったわけではない。ただ、自分の顔を目視することへの並々ならぬ執着が、俺の中に生まれたのだ。


 ……どういうことだろう?


 次第に高鳴っていく鼓動。どくん、どくんと内部ではち切れんばかりの轟きを聞かせる心臓。しかし、それは焦りでもなければ、恐怖でもなかった。


 ただ、愛おしいとすら表現できる感情と共に、俺は目の前の自分を見つめてうっとりとした表情を浮かべるのだ。


 飽きることのない欲求をひたすらに食い散らし続けて、それこそ――食い入るように、見つめ続けたのだ。


 あれから何時間も、何日も。


 眠らず、食事もせずに、ひょっとしたら……命の限りに、触れるまで続くのかも知れない。


 ただ、見つめ続ける。

 それに、抵抗がないのだ。



 俺が、俺自身を見つめることに――俺が、俺自身に恋することに。



 だから――誰も好きになれなくなった。


 数年前に付き合っていた彼女と別れて以来、誰も好きにならないのだ。


 俺がその彼女を忘れられずにいるとか、ずっと想い続けているとか、そんな理由ではなく彼女と別れて以来誰にも好意を抱けない。


 ずっと動けないままでいるのだ。


 ふと想起される俺と彼女の日々。蘇る記憶の中で俺が俺自身を見つめているようなこの視点は何なのか。


 まるで……まるで彼女の視点からその記憶を辿っているような?


 鏡に映った俺の瞳の中で、彼女が笑っている気がした。









【記憶転移】


 臓器移植を行った患者に、ドナーの記憶が移る現象。科学的には解明いないものの、この症状が見られた例は確かに報告されている。

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