私が大人になるまで(仮)
頑張った子
第1話 無知
「ごめんなさい」
私のよく使う言葉だった。
幼かった8歳の私は謝ってばかりいた。これは友達にでも先生でもない、親にだ。私の家族はこのとき母親、義理父親(以下、あの人と表現することあり)、実姉、実兄、私、弟(義理父の息子)の6人家族。母より3歳下の義理父は私が2歳の頃から居たそう。3個上の姉に2個上の兄、そして半分血の繋がった5歳下の弟。世間から子供が多い普通の家族に見えていたか知る否やない。冒頭の言葉に対して皆はどう感じただろうか、どうせ悪さをしたんだろうと感じた読者もいるのではないか。確かに勝手に親のチョコレート食べて叱られた記憶があるが他の家族とは違う点がある。千差満別と言われればそうだが果たしてそうだったのだろうか。基本的にマナーは厳しかった。箸の持ち方、使い方、ご飯中テレビを見る、ご飯中飲み物を飲む、敬語を使ってない、毎日の家庭学習してないと怒られる。洗濯物回して干す・畳む、お風呂掃除にお湯沸かし(当時は外に出てコンロみたいな火をつけて浴槽温めてた、名前は知らない)は当然だ。嫌な記憶だが思い出すだけで幾つか出てきた。こんなことは当たり前。出来てないと言われる、してても何かと文句をつけ、まず頭をグーで叩かれ即正座となる。あの人からは「何したか分かるまで正座」と言われ正座はよくしたものだ。足は痺れトイレにも行きたくても言えないそんな状況が日常だった。酷い時は一晩中正座し寝るなと言われた。怒られた場所で正座のため寒さと闘いながら玄関で一晩過ごしたこともある。ある時、私は夜中にうたた寝をしてしまった。するとそれを待ってたかのようにあの人は来て「バチン!」「ドカッ」。ビンタと蹴りが入った。痛かった、とても痛かった。痛みに耐えれず泣くと更に怒られる。また正座し朝を待った。一晩経ってやっと母親がもういいのではと提案し終わってた気がする。
しかし義理父の行動はこんなことだけでは無い。ある日、姉と洗濯物を干してる際に家の中から呼び出された。リビングに行くと義理父が横になっており急に目を閉じろと言われキスをされた。気持ち悪かった。そのあと、私にあの人のブツを舐めるように指示され何も分かってない私は断ると殴られると言う恐怖に駆られ言われるまま行った。そんな日々が続いた。
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