2021年2月14日(chapter.4/18)

1.スイート&ビターチョコレート

 バレンタイン。


 それは恋する少女にとって、凄く意味のある、一年のうちでも特別な一日。


 だけど、


「さぁ、お兄が戻ってくるまでに仕上げなきゃですねー」


 今、あおいの目の前でやる気を出している彼女にとってはまた、ちょっと違った意味を持った日でもあるみたい。


「そうだねー。まあ紅音くおん遅くまで戻ってこないみたいだから大丈夫だよ~。ゆっくり、じっくりやろ?」


 そんな提案を、


「何言ってるんですか。あのお兄のことですよ?突然「気が変わっちゃったゼ☆」とか言いながら帰ってくるかもしれないんです。急がなきゃ」


 ばっさりと切り捨てる。


 彼女の名前は西園寺さいおんじ優姫ひめ。葵の幼馴染でもあり、実質可愛い妹みたいなものだ。食べちゃいたい。


 葵はそんなせわしない優姫の動きをずっと目線で追いかけつつ、


「だいじょうぶだって~心配しなくっても」


 彼女が失敗してしまったら危なそうな、調理に使う材料をざっと冷蔵庫から取り出していく。


 そう。


 心配する必要なんてなにもないんだ。


 これが、数年前だったらそうはいかなかったかもしれない。


 いや……違う。数年前も似たような心配をして、結果として葵の家で作業をしていた。


 だから、彼女は気が付いていないんだと思う。最近──少なくとも中学三年あたりからの紅音は、バレンタインデー前日に“あえて”用事をぶつけているということを。


 別に本人に確認したわけじゃない。


 だけど、流石に三回目ともなると気が付いてくる。


  バレンタイン周辺はわざと家にいる時間を減らして、前日に至ってはわざわざ何かしらの用事をぶつけてまで家にはいないようにしていることくらい。


 そして、それが妹・優姫への配慮であることもまた、流石に分かってきた。


 それがバレバレだって気が付いていないのは、当事者の紅音と……今調理器具を選別してる優姫くらいなんじゃないかと思う。血がつながっているだけのことはある。


 やっぱり似た者同士だ。これを優姫に言ったらあんまりいい顔はしなさそうだけど。


「葵ちゃ~ん。これでいいですか~?」


 そう言って優姫が取り出したのは、


「優姫ちゃん。流石にそれは使わないと思うな」


 寸胴鍋だった。なんでそんなものが必要だと思ったんだろう。



               ◇



「で、出来た?」


「出来たね」


「で、で、出来た?」


「うんうん。出来たよ」


 何度も確認する優姫と、それに相槌を打つ葵。


 どれくらいの時間が経っただろうか。最初は室内の電気なんてつけなくても作業を出来ていたのに、今ではもう、真っ暗だ。


 キッチンの電気自体は葵が「流石に暗いね」と言いつつ付けたので作業自体は出来ていたけれど、どうやら優姫はそれにも気が付いていなかったみたいで、


「やったー!葵ちゃん。ハイターッチ!」


「いえ~い」


 とのんきなハイタッチをした後、


「え、嘘!?もうこんな時間!?」


 キッチン以外がかなり暗くなっているという事実に気が付いたのだ。時刻はそろそろ18時になろうというところだ。


 優姫はとたんに慌てだして、


「ど、どうしよう……もうお兄返ってきちゃうよ。片づけもしなきゃいけないのに」


 確かに。


 キッチン周りは、それはまあ、酷いありさまだった。


 名誉のために補足を入れておくと、優姫は料理が出来るほうだ。


 ただ、今回は本人があまりやらないチョコ菓子作りだってこととか、渡す相手が紅音だってこともあって、視野が三割減の、処理能力が五割引きセール状態だったのだろう。


 そしてそれは当然、毎年のことだ。


 だから、先手は打ってある。


 葵が優姫の頭を撫でて、


「大丈夫大丈夫。紅音ならまだ帰ってこないし、もし帰ってきても家にいるから大丈夫」


「ほ、ほんとに」


「ほんとだよぁ~。葵ちゃんを信じなさいな」


 事実だった。


 今日の紅音がこなす最後のスケジュールは、「八雲やくも家で夕食」になっているはずである。


 その時間は20時。八雲家の夕食としてはいつもよりも遅い時間だが、葵が両親に言ってわざと遅らせてもらってあるのだ。もちろんそれはチョコレート作りが難航してしまった時のためでもある。


 もし、それでも間に合わないようならば、何とかして引き留めておいてほしいという風に言い含めてあるので大丈夫だ。紅音にその意思が無ければ別だけど、彼だって意図は分かっている。


 だから、そもそもこの場面を彼に目撃される可能性は全くないのだ。


 それでも優姫はまだ、ほんのちょっとの疑惑を残したままで、


「まあ、葵ちゃんがそういうのなら……」


 と渋々納得していた。


 ちょっと冷静に観察すれば、彼女の頭をもってすれば、これくらいのことはすぐに分かるはずなのに。


 恋は盲目、というらしい。


 けど、この二人の関係性は、


「大丈夫大丈夫。取り合えず、ほら。片づけよ。それから、味見しなきゃ。せっかく可愛い優姫ちゃんが頑張って作ったんだから。ね?」


「そうですね。可愛い優姫が頑張ったんですから、自分でも食べないとですよね~」


 良かった。立ち直ってくれた。こうなればもう大丈夫。いつもの優姫だ。


「ほら、片づけますよ~」


 葵は、そんなスイッチの切り替わり方が面白くて思わずくすっと笑い、


「は~い。今やりま~す」


 そそくさと後片付けに入るのだった。



               ◇



「んー!!」


「おお」


 その後。


 二人はほぼ同時に歓声を上げた。


 失敗してはいけないということもあって、一応レシピ自体は料理家さんのものを拝借した。


 だから、ちゃんと工程を守れば、美味しくないなんてことはないのも分かってはいた。


 けど、それとこれとは話が別だ。


 優姫は興奮気味に、


「これ!凄い美味しい!最高の出来だった去年よりもいい出来かもしれないです」


 ボジョ○ーかな?


 ただ、それだけのものにはなっていると思う。レシピを持ってきて、手伝っただけだけど、これだけのものが出来れば葵としても大満足だ。


 優姫がうんうんと頷きながら、


「これできっとお兄も元気百倍ですね」


「そうだね~これはあいつの好きそうな味だわ~」


 そう。


 この二人の関係性はちょっと特殊なのだ。


 なにもそれは「血の繋がっていない姉妹」とか「異母兄妹」とか「血がつながっているのにガチ恋」とか、そういった種類のものじゃない。


 優姫には紅音が。


 そして紅音には優姫が。


 お互いがお互いにとって必要だった。そんな時期が確かにあった。


 近くで見ていたから知っている。葵は大したことが出来なかったけど、あの当時はお姉ちゃん……茜が大分気をもんでいたのを覚えている。


 あんな表情をした彼女はそんなに見ない。それだけここ二人の関係性は深刻だったのだ。


 そんな過去も、今となってはもう、ただの思い出話だ。


 今はそう、ただの「お互いのことを家族として大好きな、普通の姉妹」なんだ。……まあ、今でも一緒にお風呂に入りたがる優姫を見ているとちょっぴり不安になることもあるけれど。


「さて。お兄が来る前に移動しないと、ですね」


「ん?そうだね」


 時間はもう18時も半分を経過している。のんびりしているわけにはいかない。こんどはこの優姫の思いが詰まったチョコを、八雲邸の冷蔵庫に隠しに行かねばならないのだ。


 葵からしてみれば、チョコが手渡されるまでは紅音が冷蔵庫を覗くことは(下手したら台所に入ることすら)ないと思うのだけど、優姫が心配するので、万難を排する形になっている。


 これを明日の朝、優姫が取りにきて、葵と一緒に手渡せば、ミッションコンプリートだ。


「でもいいの?葵ちゃん」


「なにが?」


「だって、今年もでしょ?板チョコ」


 そう。


 葵が渡すのはいつだって、どこでも売っている板チョコ。しかも、ドン・○ホーテで投げ売りされているものをわざわざ買い求めて、渡している。


「いいのいいの。優姫ちゃんが凄いのをあげるんだから、私は凝らなくて」


 そんな理由をつける。それが正しいのかは葵自身も正直、よくわかっていない。


 バレンタイン。


 それは恋する少女にとって、凄く意味のある、一年のうちでも特別な一日。


 いや、違う。


 恋をしない少女たちにとってもまた、一つ、特別な日、なのだった。

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