勢いよく部屋から出てきた俺を、卯木さんと美穂さんが待っていた。

「あの糸を追うんだよね?美穂を連れて行くといいよ」

 卯木さんが胡散臭い笑顔で言った。ちらりと美穂さんを見る。彼女は薄く微笑して、俺のそばにそっと寄ってきた。

「きっと役に立つから」

「…うっす」

 なんだかよくわからないが、とりあえず言うことは聞いておいた方がいいだろう。

 そして、俺は美穂さんを引き連れて事務所を出て行った。



 糸はふわりふわりと揺れながら俺たちを導いている。

 一体あの生き霊の本体はどんな人物なんだろう。ああなってでも、その人は諦められないほどの強い想いを、水野さんに対して抱いていたのだ。なんだか感慨深い気もしてくる。

 人の波を縫いながら、俺は走り続ける。

 あれを見失ってしまったら大変だ。

 やがて、糸の太さがだんだんと太くなってきた。本体が近いのかもしれない。

 俺は走る速度を上げた。ちらりと後ろにいる美穂さんの様子を見たが、どうやら彼女は浮けるようで、ふよふよと浮きながら俺についてきていた。本当に人間じゃないんだな。

 糸が一際太くなってきた。

 速度を落とし、俺は周囲の人間を見渡す。かなり近いはずだ。

「あ」

 思わず声を漏らして、その人物の肩を叩いた。

 振り向いたその瞬間を狙って、俺はその額に綾斗から預かっていた札を貼り付ける。

「すんません!」

 きちんと、謝罪をしながら。

 パシン!と軽い音が鳴った。すぅと音を立てて背中の心臓部分から伸びていた糸が消えた。どうやら無事に成功したようだ。

 安心していたのも束の間、札を貼られたその人物が俺を不審げに見つめていた。

「なに、あんた。なんかの宗教の勧誘?そういうの間に合ってるんで。さっさとこの札剥がさないと、警察に通報するよ」

 俺よりも年上っぽいその人は、とても不機嫌そうにそう言ってくる。そりゃそうだろう。俺だって逆の立場だったら同じようにする。

「す、すみません…人違いでした。通報は勘弁してください」

 俺はすぐに札を剥がした。

「…気をつけてよね」

 終始不審げな視線を投げつつも、その人は去っていってくれた。よかった。案外普通の人だった。

 ほっと息をつきながらその背中を見送る。と、美穂さんがその人の体から何か白っぽいものを取り出した。え、なにあれ。

 目を丸くしてぽかんと口を開けていると、美穂さんが戻ってくる。

「今何したんすか」

 それに、彼女は困ったように笑う。そこでようやく、美穂さんが話せないことに気づいた。そういえば、今まで彼女は一言も言葉を発していなかった気がする。

「あ、ごめんなさい。あとで卯木さんに聞きますね」 

 俺の言葉に、美穂さんは優しく笑ってうなずいた。話せないということは、なかなか不便なことだなと俺は思った。

 歩いて帰っていると、なにやら周囲が騒がしい。人間が、ではない。人ならざるものたちが、だ。

 なんでだ?すごい視線が刺さるような…。

 ゾクゾクと鳥肌が立つのを感じて、俺は腕を抱いた。なんだか嫌な予感がする。

 後ろから肩を叩かれた。振り向くと、目と口が真っ黒の女がいた。俺は思わず身を引く。美穂さんが動いた。彼女の体から眩い光が溢れ出す。

 女が耳をつんざくような叫び声をあげて消えた。光が消えた後、俺の周囲に薄い緑色の膜が貼られていた。触ってみると、結構硬かった。

「あ、ありがとうございます…」

 多分助けてもらったんだろう。お礼を言うと、美穂さんはにっこりと微笑んだ。

 とりあえず、そのまま俺は相談所に戻るために歩き始める。膜は俺の動きに合わせるようにくっついてきている。おぉ、すごいなこれ。

「相談所、戻りましょうか」

 俺が笑いかけると、美穂さんは微笑み返してうなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る