矯正──④

   ◆



「ただいまーっと」

「ただいまでーす」



 結局、帰ってくるまで柳谷はずっと落ち込んだまま。

 うーむ……女心、難しすぎ問題……。


 制服から私服に着替え、俺は俺でジムに行く準備を進める。

 と、柳谷も私服に着替え終わったのか、俺の隣にやってくると俺の服の裾を摘んだ。



「今日もジムですか?」

「ああ。柳谷が帰ってくるまでには終わってるから、夕飯はちゃんと作るよ。安心して」

「…………」

「……柳谷?」



 黙ったままどうしたんだ?

 顔を俯かせ、一言も発さない。

 そんな異様な雰囲気に背筋がゾッとした。


 時間にして数秒か、10秒か……途端に、今度は急に華やいだ笑みになった。


 いつもの笑顔。なのにどこか、影がある。



「丹波君、疲れてませんか? 疲れてますよね。今コーヒー入れます」

「え? あ、ああ……?」



 まあ、疲れてることは間違いない。昼のこともあるし。


 柳谷はキッチンに向かうと、俺が教えた通り電気ケトルに水を入れスイッチを入れる。

 コーヒーも、俺がいつも飲んでいるものだ。



「あ、リビングに持っていくので、座って待っててください」

「あ、うん」



 そういうことなら、甘えさせてもらおう。

 リビングのテーブルで、ツウィッターを巡回しながら柳谷の後ろ姿を見る。


 鼻歌交じりで腰をフリフリ。今はご機嫌みたいだ。

 さっきの暗い雰囲気はなんだったんだろう。


 そのまま待つことしばし。

 おぼんにコーヒーとクッキーを乗せてリビングに来た。



「さ、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」



 軽くお礼を言い、コーヒーに口を付けた。

 ……うん、うまい。いつも通りのコーヒーの味だ。

 クッキーもぱくり。

 どこかの高級菓子なのだろうか。バターの風味も甘さも絶妙だ。


 柳谷は備え付けのオーディオからクラシックを流した。確か、パッヘルベルのカノン。いい選曲だ。



「うまぁ……柳谷が入れてくれてると思うと、一層うまいなぁ」

「喜んでくれてよかったです。このコーヒーも、実はひと手間加えたんですよ」

「えっ、マジで?」



 いや、何も変わんないけどな……?

 試しにもう1口、2口。

 ……うーん? ダメだ、わからん。入れ方を変えたとか? 焙煎したいい豆じゃなくて、インスタントだし……。



「ごめん柳谷。どんな手間を加えたんだ? ちょっとわかんな……く……?」



 あれ……なんだ……? 急に、眠気が……?


 まぶたが重く、目を開けてられなくなる。

 なんだ、これ……? どうしてこんな……?


 今にも閉じそうな瞳。

 鈍っていく思考。

 が、その中でも急に色々なことが繋がった。


 最近の柳谷の言葉、行動が走馬灯のように脳裏に過ぎった。

 今日柳谷が落ち込んだタイミングは、俺が別の女性と仲良く話していたとき。

 そして影のある笑みと、急に入れてくれたコーヒー。


 これは……一服盛られた──!






 ──丹波君……──






 そんな柳谷の声が遠くに聞こえ、俺は意識を手放した。



   ◆



「────ッ! あ、あれ? 俺……」

「あ、気が付きましたか?」

「……柳谷……?」



 夕方なのか薄暗くなった寝室。

 目の前には、薄暗い部屋で立ち尽くす柳谷。

 いつの間に俺、寝室に運ばれたんだ……?


 どうやら椅子に座ってるみたいだけど──。






 ジャラッ。






 ……じゃら?



「……なっ……!? く、鎖……!?」



 鋼鉄の椅子に、鋼鉄の鎖で四肢が縛られてる……!?

 動かそうにも……くそっ、硬すぎる……!



「柳谷、これ!」

「丹波君が悪いんです」

「……は? なにを……?」

「丹波君が他の女の子とイチャイチャするのがいけないんです」



 後ろに組んでいた手を前に持ってくる。

 その手に握られていたのは──ノコギリ。



「ちょ……え……は?」

「丹波君のせいです」

「待て待て待て。柳谷、話聞け」

「丹波君のせいです」

「え、マジでそんなひぐらし的展開?」

「丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです。丹波君のせいです」



 夕日を反射するノコギリの刃。

 柳谷がまるで幽鬼のように近付いてくると、俺の右肩に刃を乗せ。



「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」



 あっ、謝るくらいならやらないでええええええええええええええええええええええええ!!!!



   ◆



「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」


「キャアーーーーーーーーーーー!?!?!?」



 はっ! こ、ここ……リビング?



「びっ、びびびびっくりさせないでください! 泣きますよ!? さすがの私でも泣きますよ!?」

「……柳谷……」



 柳谷だ……いつもの柳谷……。

 手脚もある。怪我ひとつない。

 てことは……。



「ゆ……夢かぁ……」



 夢にしてもたちが悪すぎる。まだ心臓バクバク言ってるもん。

 いくら柳谷がストーカーだからって、まさかあんな……あんな……。



「……柳谷、聞いてもいいか?」

「はい?」

「コーヒーに何かいれた?」

「ふふふ。丹波君、気付きましたね」



 や、やっぱり睡眠薬的な……!?






「あ、い、じょ、う、です♡」






「…………」

「黙らないでください!?」



 むーっ、と膨れる柳谷。

 でも……え、え?



「俺、コーヒー飲んだら眠くなって……?」

「ああ、コーヒーのカフェインは眠気を覚ましてくれる効果がありますが、香りにはリラックス効果があると言われています。それにF分の1のゆらぎと言われる、リラックスできる曲を流しました。多分ここ1週間の疲れが出て、眠ってしまったのでしょう。ふふ、寝顔の丹波君、可愛かったです♪」



 おー……なるほどな。つまり、全部俺の勘違いで、全部俺の暴走だった、と。


 ……とりあえず。



「この度は大変申し訳ございませんでしたッッッ」



 土下座しとこ。

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