第七話*理解が追いつかない

 ──エクアドルにベリルがいると聞いてセシエルは空港に向かった。

 チェックインしようとしたとき、キースから連絡が入る。

「あん? 移動した?」

<ああ。完遂かんすいして次はマレーシアに行くって言ってたぜ>

「完遂?」

 仕事でもしていたのか。

「しかし、よく行く先を教えてくれたな」

<ああ。今度、会おうって都合のつく日を聞いた流れでね>

「そうか。ありがとう」

<無茶はするなよ>

 キースは通話を切って溜め息を吐く。

 確かにベリルが素直に教えてくれたことに違和感はあった。なんか、ベリルには全部気付かれていた気がするが俺はここまでだ。あとは自分でなんとかしろ。



 マレーシア──マレー半島南部およびボルネオ島北部からなる、連邦立憲君主制国家。

 東南アジアに位置し、タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接している。イギリス連邦加盟国のひとつでASEANの一員だ。

 ──その首都、クアラルンプール。連邦直轄領のひとつで、マレー半島南部の丘陵地帯にある。

 東南アジア有数の世界都市に数えられるだけあって、高いビル郡が壮大な景色を生み出している。

「なんだってこんな所に……」

 まさか観光してるんじゃないだろうな。

 セシエルはクアラルンプール駅から出て街並みを見渡す。

 駅からムルデカ・スクエアまでの一帯は、英国統治時代のムーア建築が美しい建物が点在しているオールドタウンというエリアだ。

 ムルデカ・スクエアはマレーシア独立を宣言した場所でもある。

「ペナン島、行きてえ」

 俺だって色々見て回りたい。

 クリア・セシエルが「流浪の天使」と呼ばれるのは定住しないからだが、それはあちこちを巡ることを趣味としているためだ。

 しかし、ここからは自力でベリルを見つけなければならない。観光している暇がある訳もなく、後ろ髪を引かれる思いでベリルを探し始めた。

 観光地なだけあって人が多く、いくらベリルが目立つ容姿でも、これはかなり難しい。観光地にいるとも限らないのだから、街中を歩き回るはめになる。

 セシエルは悲壮感を漂わせながら捜索を開始した。

「それにしても──」

 あちこちフラフラしやがって、なんなんだあいつは。

 そんな腹立たしさと同時に、自分のように世界を巡ることが好きなのだろうかと少しの親近感が湧く。けれどそれをすぐに振り払い、絶対に見つけてやるという気概きがいで歩みを進める。

 ところが、そんな気概は何処どこへやら。セシエルは捜索にかこつけて観光地を回っていた。

 手始めに「ムルデカ・スクエア」を探し、およそ452メートルの超高層ビル「ペトロナスツインタワー」を見上げて、大型ショッピングモール「スリアKLCC」の吹き抜けを眺める。

 楽しんでいる場合じゃないというのに、ついつい足が向いてしまう。



 数時間後──ヘトヘトになって流れる観光客を眺めていたセシエルの目に、見覚えのある姿が映った。

「あいつ!」

 逃がすものかと駆け出す。

 見つかって逃げられる前に捕まえる。距離にして百メートルほどを一気に詰めた。

「おい」

 肩をぐいと掴んで振り向かせる。

 しかし、ベリルは驚いた風もなくセシエルを見上げた。それにセシエルが逆に驚き、ベリルの肩を掴むまでの流れを思い返す。

 いや、違う。こいつは一度、振り向いていた。俺がいると知っていた。

「なんで──」

 逃げなかった。

「思ったよりも速い」

 ベリルは薄く笑い、そう言って歩き出す。

 まるで待っていたかのような言動にセシエルは眉を寄せ、逃げる気のないベリルの後ろを歩く。百八十センチのセシエルからすれば百七十四センチのベリルは小柄でふと、これまで聞いた話を思い出す。

 調べれば調べるほど、こいつベリルの功績が出るわ出るわで、尊敬しているという奴に小一時間ほど語られ続け、げっそりした。

 初めに会っていなければ、話を聞く限り随分と大柄な奴だと想像しただろう。

「アンジェリーナについては調べたか」

 にわかに問いかけられて顔をしかめる。

 こいつの言った通りだと答えることが実に腹立たしい。何もかもこっちの勘違いだなんて俺は馬鹿すぎるじゃないか。

 顔に出ていたことでセシエルが答えるまでもなく、ベリルは聞き返すこともなかった。

 それにまた腹が立つ。

「今回は誰からだ」

「そんなもの言う訳な──」

「アビゲイルか」

 出た名前に目を見開く。

「なんで知っている!?」

「続きは部屋で話そう」

 ベリルはホテルの前で立ち止まった。



「──これだから金持ちは嫌なんだ」

 広いエレベータの中でベリルの背につぶやく。

 天井には、見たこともない大きなシャンデリアがつり下げられ、空間は暖色の明かりで明るすぎず暗すぎず。上品なクラシックが流れ、身なりの整った客がカフェでくつろいでいた。

 エントランスからして豪華で目眩めまいがする。

 こんな光景にめぐり会ったことのないセシエルは、入って直ぐ帰りたい気持ちになりながらもベリルを逃がしてたまるかと狼狽えつつもあとを追う。

「セキュリティが重要でね」

 プレートに2115と刻印された扉を三度ノックする。すると、鍵が開く音とバーロックの倒れる音がした。

 一人じゃないのか? と片眉を上げる。

 仲間なら自分の身が危ない。セシエルは身構えてベリルのあとに続き部屋に入る。

「おかえり。異常なしだ」

「ありがとう」

 出迎えた男はバーロックを起こし、ドアをロックして怪訝そうに立っているセシエルを笑顔でリビングに促した。

 セシエルはすぐ、険しい表情を浮かべる。もう一人、姿は見えないが気配がする。

「──っ!?」

 そこにいた人間にセシエルはギョッとした。

「どうして、ここに!?」

 レイチェルとビル、デイヴィッドまでいるじゃないか。

 セシエルはどういうことだと戸惑い、理由を求めてベリルを見やった。

「お前は利用されたのだよ」

 アンジェリーナにね。

「は?」

 なんだそれ。

「以前に一度、油断して捕まってしまった事があってね」

 私のことを知らない者を送ってくるとは盲点だった。

「さすがに私への意識のない者まで警戒するのは難しい」

「なんだそれ?」

 傭兵って以外に何があるっていうんだ。

「それ以来、何も知らない者を寄越してくる」

 セシエルは、呆れたように肩をすくめるベリルに渋い顔をした。

「まずこの状況を説明してくれないか」

 さっぱり解らない。

 ベリルはそうだったなと口を開きかけたところで何かに気がついたのか、バックポケットに手を回す。そうして震えているスマートフォンを取り出し画面を確認して通話を始めた。

「ベリルだ──そうか。すぐに向かう」

「おい?」

 ソファに置かれていたバレルバッグに手を伸ばしたベリルに、説明をしろと顔をしかめる。

「説明は車の中で構わないか」

「え? おう」

「あとは頼む」

「了解~。まかせて」

 男は笑顔でベリルたちを見送った。

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