天使という名のハンター

河野 る宇

◆第一章

第一話*流浪の天使

「ベリル・レジデント?」

 男は、いぶかしげな顔で渡された写真を見やった。

「そうです」

 女は答えて、すがるような眼差しを男に向ける。

「お願いです。この男を捕まえてください」

 背中まで伸びた栗色の髪からは艶が失われ、すらりとした手足は力なくだらりと垂れ下がっている。綺麗に伸びた鼻筋に上品な色のルージュがひかれた唇は微かに震え、整った顔立ちには少しの疲労が見て取れた。

 喉を詰まらせて訴えかける美女に潤んだ青い瞳で見つめられ、男は心臓を高鳴らせた。その感情を悟られないように再度、写真を見下ろす。

 遠方から撮られたものだろうか、輪郭が少しぼやけている。それでも解るのは、その男がかなりの美形だということだ。

「この男が何をしたのか、詳しく教えていただけますか」

 女は問いかけに眉根を寄せたあと、涙を拭うように目尻にハンカチをあてがう。

「その男は、私の夫を殺しました。愛していたのに……。なんて酷い」

 そう言うと女は、感情を抑えきれずに声を上げてテーブルにつっぷした。

「あんなに優しかった夫を──この男は平然と殺したのです」

 嗚咽を漏らしながら言葉を紡ぐ。

 職業柄、こんな光景は見慣れているが、やはり気の毒でならない。

「殺された理由はわかりますか?」

「私の夫は……ロイは、優秀な兵士でした。会社の中でも特に秀でた傭兵だったと聞いています」

 こぼれ落ちる涙を拭いながら鼻をすする。

 殺されたと言う男の名は、ロイ・フォードル。四十八歳。妻はアンジェリーナ・フォードル。三十五歳。結婚して五年ほどだという。

「この男はフリーの傭兵らしく。優秀な兵士を探しては、気まぐれにいたぶるのだと、噂で聞きました」

 言葉を切りながらも懸命に説明する姿はけなげだ。

「いたぶる?」

 なんだそれは?

 それが本当なら、自分の邪魔になる人間を殺しているということなのか。しかも、楽しんで?

 渡されたもう一枚の写真には、何度も刺された傷痕きずあとや、殴られた痕が生々しく浮き出ている男の遺体が映っている。

 死因は頭を撃たれた事によるものだそうだがこの男はそれまで、死なないように攻撃を加えていたということになる。

 確かに、体に見える銃痕はどれも急所を外れている。死ぬことが出来るまで、こいつはロイを痛め続けたのか。

 腹立たしいがここで怒っても仕方がない。とにかく今は冷静に話を進めよう。

「この男に面識は」

「ありません。私も、夫も、まったく知らない男です」

 夫がただ優秀だったというだけでこんな仕打ちは、あんまりですと再び涙がこぼれた。

「ただ黙って逮捕されるのを待つだけなんて、そんなこと許せない。けれど、この男はとても強くて誰も太刀打ち出来ないと聞き、私は絶望しました。そんなときに、貴方を知ったんです」

 主人の友人から、あなたならきっと受けてくれるだろうと──

「お願いします。流浪の天使と呼ばれる名うてのハンターのあなたなら、この男を必ず捕まえてくれると信じています」

「誰が付けたんだか。ガラじゃない」

 肩をすくめて苦笑いを返すと女は首を横に振った。

「いいえ」

 あなたはその名前に相応しい人です。

 お世辞ではなく、素直な感情なのだろう。そう思うと余計に照れくさい。悲しみに暮れる相手に失礼かとも思うが未亡人というのは、どうしてこうもつやっぽく見えるのだろうか。

「お願い。クリア・セシエル」

 立ち上がり、ふらつきながら近づいてその手を強く握った。

 見下ろす美女の潤んだ瞳に目眩めまいを覚え、そのまま抱きしめかけるも頭を振って気を取り直す。

「じゃあ、アンジー。この男について、もっと情報が欲しい」

 言うと、女はUSBメモリをすいとセシエルに差し出した。

「ここに、この男ベリルについて私が調べた全てを記しています」

 必ず、私の前に連れてきて──



 依頼を承諾し、USBメモリを受け取ったセシエルは車に乗り込み小さく唸る。

「まずは、こいつの居所いどころを突き止めないとな」

 写真を見つめる。

 見たところ二十代半ばくらいだろうか。金髪のショートヘアに明るい緑の瞳は切れ長で、息を呑むほどという言葉がまさにぴったりの美形だ。

 吊り上がった目尻に冷酷さが窺える。

 アメリカ人ではなさそうだが、人種までははっきりと解りそうにない。独特の目の色をしているな。殺される人間はこの瞳に恐怖を抱きながら死ぬのか。

 目を眇め、後部座席からモバイルパソコンを掴んでUSBメモリを差し込む。

「うん? ノースカロライナ? あれ? 同じアメリカ人だったか」

 てっきりヨーロッパ系だと思ったんだがと小首をかしげた。

 どこで生まれて育ったかというのは意外に重要で、慣れ親しんだ文化によって言動に特徴が出たりする。そういうものはなかなか抜けることがなく、それらを捉えればある程度、対処がしやすくなるという訳だ。

「両利きで格闘、戦術に長け、使える言語も多数あり」

 あらゆる武器を使いこなせてスナイパーとしても優秀なのかよ。

「こいつは参ったな」

 とらえどころがないぞと頭を抱えた。

 ──クリア・セシエルはハンターを生業なりわいとしている。

 依頼を受けて対象を捕らえる仕事だ。その対象の生死は依頼主の希望で決まる。とはいえ、殺人を犯せばもちろん警察に指名手配され逮捕される。当然それは、見つかればの話だ。

 ハンターだからと殺人が許されている訳じゃない(相手の状態や行動によっては、罪を問われない場合はある)。

 受ける内容はハンターにもより、セシエルは主に犯罪者などを対象にしている。

 決して金だけを目的とはしていない。そのためか、外見も相まって「放浪の天使」と呼ばれるようになった。

 すらりと伸びた肩までのシルヴァブロンドの髪に大きな赤茶色の瞳は、三十七という年齢よりも若く見える。写真の男に比べれば劣るかもしれないが、セシエルの容姿は充分に魅力的だ。

 女性からの依頼が多く、ハンター仲間からやっかまれることもある。

「とりあえず訊いてみるか」

 スマートフォンを取り出して友人の一人である傭兵に電話をかけた。

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