(8)解釈一致
「えーっ! 春野さんが!? 美蘭の推し俳優の彼女さん!? え、炎上!?」
翌日、昼休みの教室に皐月の絶叫が反響した。幸い、私のクラスでも皐月のクラスでもない、ただの空き教室。誰の迷惑にもならない。
お弁当も食べ終わって、なんとなく廊下側の端っこの席に机を挟んで向かい合わせに座ったまま、顔を突き合わせて喋っている。
というか、やっぱり何も知らないまま春野さんと無邪気に接してたんだ、この子。
まあ、知らないだろうから説明するためにわざわざ空き教室でお昼食べよって誘ったんだけど。
隠しごとをしない。皐月とは前にそう約束していたから、このまま黙っているのは隠しごとに該当すると思い、打ち明けることにした。
「だから皐月は真面目に大学の見学に行ってたのに私、単に菊池さんの彼女を見に行っただけっていうか……。当日黙ってたのに今さらここで言ってごめん」
「えっ、全然いいよ。なんも気にしてない。あ、でもじゃあ美蘭と春野さんが修羅場にならなくて良かった、かな……」
「春野さんがどんなに嫌な人でも、さすがに喧嘩する気はなかったかな。ただ、失恋しに行っただけだから」
「え?」
「菊池さん。推しってだけじゃなくて、ちょっとだけ本気で好きだった。大橋くんに似てた」
「え、えぇ……? なんか、ごめん」
もう三か月以上付き合ってるくせに何謝ってんだ。まだ私の好きな人を横取りしたとでも思っているのか。
むっとして、彼女の頬を引っ張ってやる。お餅みたいに柔らかくて気持ちいいかも。
「いひゃい、いひゃい!」
あ、楽しくなってやりすぎた。手を離す。ひふう、と鼻息をもらしながら皐月が頬をさすった。
「皐月、あのね。なんか私もややこしくてよくわかんないんだけど……」
「ん?」
「三つの恋が私の中で同時進行してたみたいで……」
「お、おお」
「一つ目は大橋くんで、終わってることだと思ってたのに、まだ引きずってるようなとこがたぶんあって。だから顔とか雰囲気が似てる、菊池さんを好きになった。これが二つ目。ファンとして好きになったつもりだったけど、大橋くんへの未練みたいな恋がほんの少し、混ざってた」
「……」
「でも、春野さんに会って、この人が私の好きな人が大事にしてる人かって現実を理解したら、一つ目と二つ目は同時に終わった感じがした。あと、解釈一致だった」
「何それ」
皐月が最後の単語に瞬きをした。何って、決まってる。
「菊池さんと春野さんがお似合いってことだよ」
きりっとした武士っぽい男前の菊池さんに、ハリウッド女優みたいなグラマラス美女や、それこそ匂わせを狙ってくるようなずる賢い小悪魔系は似合わないのだ。
春野さんは、ほわっとしてるし意地悪なところがないし、なんとなく和菓子も似合いそうだ。客観的にしっくり来る。
「美蘭のオタク気質が出ちゃってるよ……」
「皐月と大橋くんも解釈一致してるよ。硬派な野球部員と真面目な吹奏楽部員が付き合ってるのは様式美」
「あのう、オタクの目でわたしを見ないでくれるかな? ……で、三つ目の恋は?」
「三つ目は……広瀬」
名前を口にすると、じんわりとした疼きが胸全体に広がる。
結局、恋に落ちるような衝撃は一度も来ていない。私の思っていた恋とは違うけど二つがなくなってもまだ残っている、一番濃くて消し方がわからない感情。
「いつ好きになったのかもよくわからないし、大橋くんや菊池さんみたいに、のめり込んだり突進する勢いもないんだけどさ。広瀬のこと好きなんだよ、ね……」
語尾が震えてしまった私を、皐月は物珍しそうに見つめてきた。
だって、怖い。こんなこと、皐月にしか話せないけど、皐月にすら話すべきではないのかもしれないと怯えている。
普通は、好きな人は一人が理想のはずだ。
三股していたわけではないとはいえ、恋愛が三つも同時進行なんて、同級生にも少女漫画にもそんなヤツいない。
いてはいけないのに、私はそうだ。私の好きだった人に好かれただけで罪悪感を感じるような皐月に、嫌われるかもしれない。
でも、わかってほしい、私のこと。
なんだか怖くて体まで震えてきた。どうしよう。不安から息を詰めて皐月を凝視していると、彼女はぱっと明るく笑った。
「広瀬くんに言った? 両想いだってわかったらきっと喜ぶよ」
「っ……さつき……」
は~~~、と思いっきり息を吐きだす。なんか涙出そう。
「ええっ泣きそうな顔してどうしたの!?」
「け、軽蔑されるかと思った……あの人もこの人も好きってそんな私……」
「軽蔑っ? しないよそんなの。同時に二人以上好きになっちゃうこともあるんじゃないの、自分の気持ちなんて、自分でコントロールできるもんでもないんだし」
「う、うん……」
「それに、ちゃんと選んだんじゃん。一つだけ、広瀬くんとの恋を」
あと二つの恋を終わらせてさ。そう言って皐月は私の鼻をつまんだ。
「痛い」
「さっきのほっぺのお返し」
「じゃあ我慢する。……恋だよね」
「ん?」
「がつんと恋に落ちた衝撃がなくて、じわじわーっと広瀬が、なんとなく一緒にいたいなと思う相手になってただけなんだけど」
「うん」
「でも友だちと違って、変に独占欲もあるの。他の女の子に取られたくない。広瀬は私のだ」
「ふっ……」
何がおかしいのか、皐月が噴き出す。でも本当だし。美少女から一年のあいだでモテると聞いて、正直焦った気分になった。
「美蘭、恋だよきっと」
「そう?」
「わたしだってがつんとした衝撃なんかないけど、だんだん大橋くんのこと好きになってったもん。でも恋だと思ってる。恋に落ちるっていうか、沈む感じ」
「沈む……」
「わからないなら気にしなくてもいいんじゃない? 好きなら好きってだけで。圭兄は愛莉と、そういうスタンスで付き合ってるよ」
確かに圭都くんは愛莉を女性として愛しているかは微妙だけど、ちゃんと愛莉のことが好きだし恋人として大事にしている。
お兄ちゃんや楽くんは、恋人を名乗らないけどやっぱりお互いを大事にしていた。きっと世の中には他にも、様々な好きや恋や愛の形が存在するのだろう。
思えば身近に五人も、恋愛の先輩がいたわけだ。
「皐月はいつの間にか私より恋愛上級者になってたんだねえ」
「何言ってんの?」
「むかつく、ありがとう」
「え、ええ?」
好きなら好き。嫌いなら嫌い。恋なら恋。違うなら違う。そんな、まだ短い人生ながら、はっきりした生き方をしてきたつもり。
そんなお子様単純思考でなりふり構わす突き進む方法しか知らない私にはまだ、わからないことが多すぎる。でも。
「わかんないけど、広瀬が好き」
美蘭に向けてそう告げたとき。廊下のほうでドガシャ! と派手な音がした。
少し立ち上がって窓から廊下を覗き込む。広瀬が尻もちをついてずっこけていた。
目が合うと彼の顔が耳まで一気に真っ赤に染まる。こ、これは……
「聞いてたでしょ! 広瀬のバカ野郎!」
「ご、ごめん」
「嬉しそうな顔を、するな」
たぶん、私まで顔が真っ赤になっていると思う。本人に聞かせるための告白じゃなかったのに。恥ずかしい。
見つめ合っているのもバカバカしいので教室の中に頭を引っ込めようとすると、広瀬は俊敏に立ち上がって窓越しに私の手を握ってきた。
「先輩、好き。俺と付き合って」
「……」
「好き」
「……いいよ」
緊張で声がひっくり返らないよう慎重に声を出した結果、怒っていないのに怒っているみたいな口調になってしまった。
それでも広瀬は「やったー!」と喜んで繋いだ手をぶんぶん振り回している。……可愛い、かもしれない。
「あ、美蘭と広瀬くんも解釈一致だ」
にこにこと私たちを眺めていた皐月が急にそう言うから、半目になって彼女を見る。
「どこが」
「偉そうな先輩に懐いてる後輩。様式美」
「それは様式美とは言わない……解釈一致でもない……」
「えー、じゃああれだ。ツンデレとワンコ」
「私別にデレてないですけど!?」
「何すか、その解釈一致とか様式美とか? ……あ、じゃあこれは?」
広瀬が私の手は両手で握ったまま、その場に片膝をついて下から私を見上げてくる。プロポーズされるときのやつだ。
慣れない角度からの上目遣い広瀬に不覚にもどきどきしそうになっていたのに、皐月は大まじめな顔で私たちを観察して、言う。
「女王様と従者」
「皐月……」
「違いますよお、如月先輩はなんもわかってないです」
広瀬が心外だと言わんばかりに情けない声で抗議する。
「じゃああんたは何のつもりでそのポーズにしたわけ」
「美蘭先輩もわかってない!」
「っ!」
私の手の甲に広瀬がキスをした。なに、なにやってんの!?
「どうですか、如月先輩」
「うーん、わがまま姫と騎士」
「惜しい、姫と王子のつもりだったんだけど……」
「手に唇くっつけたまま喋んないで!」
息がかかってるだけなのに、心臓が通常の二倍のスピードで動いている。
広瀬の顔が離されるのと同時に、慌てて手を引っ込めた。
そのまま胸の前でぎゅっと握る。まだ手の甲の触れていたが熱い気がする。というか、わがまま姫ってなんだ。
「広瀬は王子じゃなくてただの男子高校生だし、私はわがまま……かもしれないけど姫じゃなくてただの女子高生じゃん」
「そー?」
「そーよ」
今度は私から広瀬の手を握ってみる。私にはキスできる度胸も大胆さも今のところは持ち合わせていない。
現在の限界ということで、指を絡めて恋人繋ぎにしてみた。
皐月を振り返る。
「どう見える?」
「えーと……健全な高校生カップル?」
「うん、私はこれがいい」
広瀬は数秒、不思議そうに繋がった手を見つめてから、力を入れて優しく握り返してきた。
*
第四章「山田美蘭」終
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