第四章 山田美蘭

(1)困った一目惚れ

 私はその日、和臣お兄ちゃんと高校の近くのカフェで待ち合わせる約束をしていた。

 目的はとある物を受け取るためである。

 大好きな乙女ゲームが原作のミュージカル。その千秋楽のチケットをお兄ちゃんが手に入れたから譲ってくれるというのだ。私が自力で頑張っても手に入らなかった千秋楽の、である。

 お兄ちゃん、神。というかお兄ちゃんの人脈が神だ。


「演劇学科の友達なんだけど、勉強のために舞台の裏方のインターンやっててさ。関わってる作品の話聞いてると美蘭が好きそうなゲームが原作のやつだったし、そのこと伝えたらチケット余ってるからってくれた」


 とのこと。お兄ちゃんのお友達も神だ。

 というわけで、部活を終えた私はカフェにいる。一人で……のはずが、なぜか二人で。


「ねえねえねえ、美蘭先輩のお兄さんってどんな人?」

「……」


 そいつは私がついてくるなと言っても構わずついてきて、私が無視してもしつこく話しかけてくる。無邪気な犬のように。


「美蘭先輩、このクリーム増量ココア美味しいよ、一口いる?」

「いらない。ていうか広瀬。帰ってもらえると嬉しいんだけど」


 テーブルの向かい側も空いているというのにわざわざ私の隣に座ってココアを押し付けてくる彼を睨むと、薄茶色の目がきょとんと丸くなった。


「なんで」

「いや、あんたがいるの、どう考えてもおかしいでしょうが」

「だってオレも先輩のお兄さん会ってみたいもん」

「会わなくていい」

「えー、会わないと気になって今日の夜は眠れない。そしたら先輩、オレに付き合って一緒に一晩過ごしてくれる?」

「帰れ。一人で徹夜でもしろ」

「うひゃあ、命令口調の先輩も好き!」

「気持ち悪いこと言わないで!」


 ぎゃあぎゃあと言い合っていると、ふっと頭上に人影が差す。


「お待たせ、美蘭」

「あ、お兄ちゃん」


 私が顔を上げたのにつられて広瀬も視線を上げる。彼とお兄ちゃんの視線がかち合った。お兄ちゃんが戸惑い気味に首をかしげる。


「こんにちは、えーと……」

「はじめまして、広瀬健斗ひろせけんとです。美蘭先輩の彼氏候補です」

「候補じゃないから」


 お兄ちゃんに対して自信満々にわけわからん名乗りをする広瀬の横で、私は頭を抱えてため息をついた。


*


 どうしてこの軽薄そうな一年生に付きまとわれているのか。

 先日、チアリーディング部は三年生が引退して私たち二年生が主力の代になった。それと同時に私は副部長の役割を引き継いだ。

 まあ、そんなに良い役回りではないと思う。今代は特に部長を務める同級生がにこにこと何でも許すタイプの子だから、彼女がアメで私がムチみたいな役割分担になりつつある。

 別にいい。私自身も性格上、あまり寛容ではないからムチのほうが向いている気がする。


 そんなムチの私が担うことになった、ひとつの仕事。幽霊部員の後輩に会いに行く。

 そのために私は昼休み、一年生の教室を訪れた。

 そこで出会ってしまったのだ。広瀬健斗というヤツに。

 そもそもの目的だったのは、チア部にしばらく顔を出していない後輩の女の子だ。

 目的の後輩は教室の窓際で数人の男女と一緒にお菓子を食べながら駄弁っていた。

 一目見た瞬間、彼女はもう部活の練習に顔を出す気はないんだろうな、と直感する。

 何かを頑張るよりは、多少だらしないかもしれないけれど。ああしてオシャレして、可愛い女子や顔が良い男子に混じって楽しい話をしたり遊んだりするほうが、彼女にとっては毎日が充実しているのだと思う。

 そんな彼女は私の姿を認めると、友人に向けていた笑顔を少しこわばらせた。それでも私が手招きすれば、いそいそと廊下に出てきてくれる。


「あ、えっと……先輩」

「久しぶり」

「お久しぶりです」


 相手にとっても嬉しくない訪問者だろう。話すべきことは手短に。


「三年の先輩たち引退したから新チームになって、今なら戻って来やすいと思うけど、練習来る?」

「…………すみません」

「そっか。幽霊部員状態でもいいけど、部には所属してることになってるからこのままだと毎月部費払わなきゃいけないんだよね。もう辞めるつもりだったら、ちゃんと退部したほうがいいと思う。顧問の先生に言ったら退部届の紙もらえるはずだから」

「……後で職員室、行ってきます」

「わかった」


 たぶん私は冷たい。他の部員ならば、「もう少し頑張ってみようよ」とか言って引き留めるのだろう。私はそういうことをするのが苦手だ。

 別に無理してやりたくない部活をやらなくたっていいのに、とか考えてしまう。私はやりたいからチアをやっているだけ。彼女も最初はチアをやりたくて入部したのだろうけれど、今はもうやりたくないというのなら、辞めればいい。

 楽しいこともやりがいを感じられることも、きっと他にたくさんある。


「あの、先輩。すみませんでした」

「ううん。短い間だったけど、入部してくれてありがとね。お疲れ様」


 話もついたことだし二年の教室に戻ろう。そう思ったとき。

 私と向かい合っていた後輩の背後に、ぬっと長身の男子が立った。

 何気なく顔を上げると、彼は切れ長の瞳をまっすぐにこちらに向けて、きょとんと私を見つめている。私、何かしただろうか……?

 髪型がマッシュルームみたいだ。それなりにそこらへんの読者モデル並みには整った顔だから、似合っているといえば似合っている。

 しかしなんにせよ、このマッシュ頭なそこそこイケメンに面識はない。なぜ私を見る。寝ぐせついてるかなと思って自分の頭を触ってみるけど大丈夫そうだ。というか、きっちり結んだポニーテールに寝ぐせが発生する余地はない。

 気配を感じて振り向いた後輩が怪訝そうに「広瀬?」とつぶやく。


「友達?」

「クラスメイトですけど、友達ってほど仲良いわけでもないっていうか……どしたん、広瀬」


 広瀬と呼ばれた彼は、睨んでいた目を少し緩めて、勢いよく口を開いた。


「あのっ」


 後輩を押しのけて私の前にやって来た彼は、突然私の手を取る。思わず「ひっ」と変な声をあげてしまった私に構うことなく、彼は瞳をきらきらさせて言い放った。


「あのですね、一目惚れしました!」

「……はい?」

「広瀬、何言ってんの……?」


 私と後輩が、困惑しているにも関わらず、彼はもう一度言う。


「一目惚れしました。付き合ってください」

「……」


 どうやら、初対面の人に告白されているらしい。

 告白。ふっと一瞬、皐月と大橋くんの顔が思い浮かぶ。胸の奥が鈍く痛む。

 私が好きだった人。私が好きだった人に告白された親友。

 もうあの二人は付き合っているし、私の恋も終わっている。けど。

 まだ他の誰かと付き合えるほど次の恋に前向きでもない。しかもこの広瀬って人、よく知らないし。


「ごめんなさい、付き合えません」

「えっ」


 広瀬くんが驚いたような声を出す。


「なんで?」


 ……なんでって何!?


「いや、君のこと好きじゃないので。付き合えません」

「えーっ、そんなこと言わずに! お願いします、考え直してください~、マジで見た瞬間から好きだなって思ったんです! 本気の本気です!」

「は? 無理! 手ぇ放して!」

「やですよ、お願いしますよ!」


 思わぬ押しの強さに逃げようとするが、そいつは私の手を握りこんでいてどうしようもない。

 結局、廊下のど真ん中で揉めているところを後輩と彼女の友人たちが引きはがしてくれて、転がるように二年の教室へ走って戻った。


「美蘭? どうしたの?」


 ぜえぜえと荒い息を吐きながら席に座ると、たまたま私の教室にいて他のクラスメイトと雑談していた皐月が驚いたように声をかけてくる。


「な、なんか……」

「う、うん?」

「やばそうなヤツに告白された」

「……やばそうなヤツ?」


 皐月の眉がひそめられるのを見ながら首を縦に振る。

 強引。しつこい。

 とりあえず逃げ帰ったけど、この後も、追いかけてきそう……。

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