(3)大橋涼の強引謎理論

 翌日、わたしは部活の練習を終えてから、急いで大橋くんに会いに行った。

 幸いその日は吹奏楽部の練習が終わる時間が野球部よりも少し早くて、急いで片づけて音楽室を出てグラウンドと下駄箱をうろうろしていれば、帰り際の野球部集団と鉢合わせることができた。

 昨日は周囲がひとしきり盛り上がっただけで、わたしと大橋くんというコトの張本人はほぼ会話もなく、連絡先すら交換しないまま別れたのである。

 わたしの姿を見つけると、大橋くん以外の野球部員たちは彼をちょっと冷やかしてから、気遣いのつもりか先に帰っていった。

 二人きりになると、下駄箱はしんと静まる。「あの、」と話しかけると、わたしの足元あたりを見ていた大橋くんは、びくりと肩を揺らして顔を上げた。

 無表情のように見えて、どこかこわばった感じがする彼の顔に、こっちまで緊張が伝染しそうだ。


「あ、えー。えっと……」


 雰囲気に気圧されて口ごもるわたしを待つように、無言でじっとこちらを見つめる大橋くんは、昨日あんな大声で公開告白を決行した男子と同一人物とは思えない。

 たぶんこの人は、野球部じゃなければあんな告白の仕方はしなかった気がする。人気のない場所で、大きくはないけれどはっきりした声で相手に好きだと告げそうだ。

 少し美蘭と、似ているかもしれない。

 そう思った瞬間、今日の目的も思い出す。


「昨日のこと、なんだけど」

「あ、うん」

「ちゃんと返事しないままうやむやになってたから。あの、ごめんなさい。付き合えません!」


 勢いよく頭を下げて上げる。目が合った大橋くんは、眉を下げて困った顔をしていた。だよね、昨日なんだか付き合うみたいな雰囲気になってたもんね……。

 それでも彼は小さくうなずいてくれた。


「……わかった」

「ごめんね。昨日すぐに断らなくて」


 先輩、わたしが断ったって知ったらがっかりするだろうなあ。別にこんなことでわたしが先輩の気持ちを考える必要はないとわかりつつも、気分が暗くなる。


「いいよ、別に。昨日、ちゃんと確認しないまま帰った俺も俺だし。こっちこそ公開告白に巻き込んでごめん。……もしかして、他に好きな奴いたりした? そしたら告白の噂、広がって迷惑かけるかも」


 直接会話を交わしたことがなかったから知らなかったけれど、彼は心地よい低音の声の持ち主だなと思う。わたしも、するっと口を開いて会話を続けたくなるような。


「ううん。好きな人はいないから大丈夫。あ、でも……」


 この噂、美蘭の耳にも届くだろうか。


「何?」

「わたしの友達が大橋くんのことが好きなんだ。その子は噂を聞いて傷つくと思う。だからわたしは……なおさら、大橋くんとは付き合えない」


 そう、口に出してしまってから、あ、と思う。

 今自分、美蘭がどうこう以前に目の前に立っているこの人を傷つけている。

 自分の告白で、他の女子が傷つくなんていう情報を、告白した相手であるわたしが言う必要なんかない。

 謝らなきゃと思って次の言葉を探ながら彼の顔を見て、わたしは固まってしまった。

 わたしを見る彼の目は、傷つくを通りこして怒っていた。そこには微かに軽蔑のような色も混じっている。


「マジで言ってんの、それ?」

「……ごめん。言うつもりじゃなくて」

「でも、言わないにしても思ってたんだ。その友達に悪いから付き合えないとか、そういうこと?」

「うん、まあ……」


 わたしが彼を好きではないことも確かではあるけれど、頭の中の大半を占めているのは、美蘭のこと。

 美蘭を裏切るようなことは、できない。だからわたしは告白を断る。


「ごめん」

「謝られたら余計に腹立つんだけど」


 もう顔だけじゃなくて声までいらついている。さっきの心地よい声音は消えてしまっている。わたしも次の言葉が紡げない。


「やっぱ如月さんが俺の告白を断るのを断る。俺を好きじゃなくてもいいから、しばらくは俺と付き合って」

「……はあ?」

「ちゃんと俺がどういうヤツか知ってから、俺をふって。じゃないと納得いかない」

「な、何言って……」

「俺は如月さんが好きだから告白しただけだ。だから付き合うも付き合わないも俺らの間の話だろ。そこに如月さんの友達が俺を好きかどうかは関係ないはずじゃん」


 最初は無口だった大橋くんの苛立ちに任せた喋りに圧倒される。すると、彼は表情をゆがめて私を見た。


「俺は、如月さんに俺を見てほしかった。俺のことだけを考えて、返事を考えてほしかった」


 次の瞬間には泣くんじゃないかっていうくらい苦しそうな彼の表情に目を奪われる。


「だから、如月さんが俺のことだけ考えて俺を振ってくれるまで、離さない」


 めちゃくちゃな暴論をぶちまけられている。そう思うのに、わたしは拒否の言葉を口にできなかった。

 いつでも私は美蘭のことを考えている。美蘭に合わせて高校を受験した。美蘭が幸せになればいいと思って、彼女の恋を応援していた。

 だけど。

 わたしは美蘭の存在を頭の中から排除して、彼を見ることができるだろうか。

 できるなら……してみたい。

 口の中に溜まった唾を飲み込む。

 睨むように見つめてくる大橋くんの瞳に吸い寄せられて、わたしは首を縦に振っていた。

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