第3章
第95話 テオのお母さん
彼女は泣いていた。
「ごめんね……」
その胸には、大切な我が子が抱かれていた。
「……ごめんね、テオ……」
* *
雲の切れ目から、光が差し込んでいる。
暗闇に覆われていた空が晴れて、世界に平和が訪れた。
青と緑。
翡翠の輝きに満ちた空の下で、一人の聖女が佇んでいた。
空を見上げているその瞳からは、全ての感情がそがれ落ちていた。全ての力を使ったのだから、当然の代償だった。
背後には、3人の仲間が倒れている。
戦士、魔法使い。二人は魔力切れで気を失っているものの、命に別状はなかった。
そして、もう一人。
魔導師だけは、残る気力を振り絞って立ち上がり、皆を救ってくれた聖女様の元へと向かおうとしていた。
しかし、その時にはすでに聖女としてのお役目を終えたことで、彼女のその身は翡翠色の残滓となって空へと消えてしまった。
世界に平和が訪れて、闇は晴れたというのに、虚しい最後だった。
魔導師のやるせない涙の混じった叫びが空に響き渡り、そうして彼女たちの戦いは幕を下ろしたのだった。
そして、聖女の彼女が次に目を覚ますと、そこには美しい女性がいた。
普通の人間とも違う。まるで女神のように美しい女性だった。
「よくお役目を果たしてくださいました。心より感謝を致します。ミラーシア」
ミラーシアというのが、彼女の名前だった。
自分でも、初めて知った名前だった。
物心ついた時には、すでに聖女様と呼ばれていたからだ。
翡翠色の魔力を弾けさせていたことから、彼女は翡翠の聖女様と崇められることが多かった。
バチバチと弾ける魔力は、悲鳴の代わり。痛みが伴うその魔力は、自傷行為に等しかった。
それでも彼女はやるしかなかった。
その時代には、他には聖女がいなかったからだ。
いつの時代にも数人はいるはずの聖女なのだが、不幸なことに、その時代には彼女しかいなかった。
だから、彼女は戦い続けた。いつしか3人の仲間ができて、お役目を果たすことができた。
「それも、全て、あなたがいてくれたからです。そのあなたの望みなら、なんでも叶えさせて頂きます。望みはありますか、ミラーシア」
「……望み」
ーー望み。
……そんなものはないと思った。
何かを望んでも、報われたことなんて一度だってない。
それでも……気づけば、彼女の瞳からは涙が溢れていた。
「……このまま消えたくない……。何も残らずに消えるのは嫌だ……。私も、人並みの愛情を大切な人に与えて、この気持ちを誰かに伝えたい……。だから、子供が欲しい……」
「……分かりました。それでは……あなたに子供を授けます」
そうして、彼女は命を授かった。
誰のものでもない。彼女だけの、子供だった。
「…………ごめんね」
胸の中の温もりを感じながら、彼女の瞳からは涙が溢れていた。
すると、生まれたばかりのその子が、小さな手で彼女の涙を拭った。
「…………っ」
泣く母の涙を止めようとしてくれる優しい子。
その子には、メテオノールという名前がつけられることになるのだった。
* * * * * *
「私は酷い母親です。自分のためだけに、この子を願いました」
我が子を膝に乗せながら、彼女が悲しげに呟いた。
「ずっと一緒にいられないのは分かっているのに……それでもこの子を望みました。これでは、母親失格です……。……自分のことしか考えていません」
どれだけこの場所の時間の流れが緩やかだといっても、それでも別れはくる。
ずっと一緒にいられるわけではないのだ。
「この子には幸せになってほしいです……。そして、たくさんの愛を受けてほしい」
そう願いを込めて、彼女は自分の子供の頭をゆっくりと撫でた。
不思議なものだった。
願いや望みは叶わないと分かっているはずなのに、それでも、今は願わずにはいられない。
「…………っ」
いつしか彼女は泣いていた。
彼女は自分の子供を見ていると、よく泣くことが多かった。
すると、その子はいつも小さな手を伸ばして、彼女の目元を拭ってくれる。
泣かないで……と。
「……っ。ありがとね……」
それがテオの知らない、自分の記憶。
優しさと悲しさに包まれた、大切な記憶。
その後、その子は魔導師であるかつての仲間に託される事になり、現在、どこかの森の中で眷属たちと過ごしているのだった。
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