第5話 口づけ
* * * * *
広場でスキルの啓示を受けた時、ただただ怖いと思った。
私は聖女。生きとし生けるものを救う力を持った清い清い聖女様。
今までのようには過ごせなくなるはずだ。そしたらきっとテオと離れ離れになるはずだ。
今、村には教会の人達がいる。だから教会に連れて行かれるだろう。
テオと別れて。それがあるべき姿だといって。
聖女というのは、神様の庇護下にないといけないのだ。
私が啓示を受けた時に、一番に怖いと思ったのはそのことだった。
そして……もう一つ……。
次に頭に思い浮かんできたことは、ひどく曖昧なものだった。
それは聖女としてではなくて……もっと別のもの。多分……こっちが本当の私。
今、思い出せるのはほんの微かだけ。
だけど、自分の中で何かが変わる気がして……恐ろしく思えた。
そして、なぜかこれだけは分かった。
教会に行ったら、多分私は殺されると。
昔、おばあちゃんも言っていた。「教会とは関わるな」と。
……私にはテオがいてくれれば、それだけでよかったのに。
テオ。ずっと私を助けてくれた男の子。
ずっと私のそばにいてくれた。テオがいてくれたから、私が私でいられる。
そんなテオとこれからもずっと一緒にいたい……。
これはきっと、思ったらダメなことだ。
だけど、テオと離れ離れになることは、私にとって死に等しかった。
* * * * *
「ねえ、テオくん……。テトラちゃんは大丈夫なの……?」
うちの玄関でそう尋ねてくれたのは、アイリスさん。
「それにテオくんも大丈夫……? 寝てないでしょう……?」
「いえ、そんなことは……」
「それならいいけど……。でも無理だけはしたらダメよ。疲れたら休んでね」
アイリスさんはそう言うと、食料を置いていってくれた。
俺はお礼を言い、テトラの元へと戻った。
あれからさらに数日が経った。
しかし、この数日間、テトラがベッドの上から動くことはなかった。
俺の手を握ったまま俯いているテトラの手は、不安げな手だった。だから俺も離すことなく、それを握り続けた。
たまにアイリスさんが様子を見にきてくれた時だけ、いつも通りに振舞おうとしている。
だけどその表情はどこか不安そうで、俺はずっとそばにい続けた。
そして、夜。
部屋の中は、闇夜に包まれている。
カーテンも閉めてあるから、月明かりすら差し込んでこない。
蝋燭の火が揺れる。それが唯一の明かりになり、俺とテトラの体を仄暗く照らす。
「ねえ、テオ……。昔のこと、どれぐらい覚えてる……?」
そんな中でテトラがポツリと呟いた。
昔のこと……。それは全部覚えている。
「じゃあ森のそばに倒れていた私を助けてくれた時のこともーー」
「覚えてる」
あの日のことを忘れたことなんて一度もない。
「あの時の私、相当酷かったんだよね……。地面に捨てられているように倒れてた私を、テオが見つけてくれた。薄汚かったそんな私は、死にかけの魔物かと思ったって、おばあちゃんは言ってた」
テトラが懐かしそうに微笑んだ。
今でこそ笑い話にできるけど、あの時、村の外で倒れていたテトラは、ほとんど死んでいるようなものだった。
「それに怪我が治っても、無愛想だったもんね」
それもあった。
今のテトラは表情が豊かだ。だけど昔のテトラは、ほとんど感情を表に出さない子だった。
「自分のことも思い出せない。どこで生きてきたのかも分からない。そんな怪しい子。だけど、テオは私を見捨てなかった。私のことを村で過ごせるようにしてくれて、離れないでいてくれた……。テオとの思い出は数え切れないぐらいある。……これからもずっとそうだと思ってたのに……」
テトラの声に涙声が混ざる。静かな部屋で、それはやけに大きく聞こえた。
「私……ずっと思ってた。大きくなったらテオと色んな場所に行って、いっぱい楽しいことできるんだなって……。ずっと一緒にいられるんだなって」
それはどこか諦めが混ざった言葉だった。
テトラは聖女。
聖女というのは、神様に全てを捧げる清い乙女だ。
その身も、その心も、その人生も、全てが神のものである。
だからこそ、その力を行使でき、多くの者を救うことができる。
教会に管理されて死ぬまで過ごし、死んだ後も神のしもべとなりて生きとしいける者を見守ることになる。
断りたいからといって、断れることではない。
たとえ教会に行かなくても、国などがテトラに目を向けるはずだ。
今、こうして一緒にいられるのも、ほとんど奇跡に近い。
「テオ……。だめ、かな……。テオと一緒にいたい……。テオのそばから離れたくない……」
ベッドにいるテトラが不安そうに言う。
「どこにも行きたくない……。何かを捨てないといけないのなら、テオだけでいい。私が生きてこれたのは、テオと一緒だったからなのに……」
テトラの瞳が揺れ、雫が落ちる。
だから俺は手を伸ばし、彼女の頬を伝う涙を受け止めた。
「テオ……」
テトラの瞳がこちらに向けられる。
テトラはきっと一人でも大丈夫だから、行っておいで……と。
俺といるよりも幸せになれるから、ここにいてはだめなんだ……と。
そう言えれば、どれだけよかったことか。
だけど……そんなのは無理だった。
「テトラ」
「テオ……んっ」
俺はテトラに口付けをした。
テトラの唇は冷たかった。
右手でテトラの頬に触れる。左手でテトラの肩を抱く。
目の前にあるのはテトラの不安げな瞳。
琥珀色のその瞳が揺れていて、涙が溜まっている。その涙が目の端からこぼれ落ちて、俺の手の甲を濡らした。
「てお……」
しばらくして、ベッドにいるテトラが両手を俺の首に回した。
その間も俺はテトラに口づけをしたまま、やめることはしなかった。
蝋燭が揺れている。照らされて映し出された俺たちの影は動かない。
俺はテトラの冷たい唇が熱を持つまで、ずっと口づけをし続けた。
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