第7話 N

「兄ちゃんに何かあったら、俺らが水銀にどやされちまうからな」

ゆっくりと俺の隣を歩きながら笑うセシウムの言葉に俺は不思議そうな顔をする。

「水銀に?」

「ええ。あなたのことは水銀から聞いています。あなたがもしここに来るようなことがあったらきっちり面倒を見てくれって口を酸っぱくして言われましたよ」

そう言ってウランが困ったように笑う。

(水銀がそんなことを……)

あんなにも俺に冷たかった彼が、まさかここまで心配してくれているとは思いもしなかった。

『水銀は、本当はいいやつだから嫌わないでね』

黄リンの言葉を思い出し、俺はふっと笑みを作った。

不意に俺のすぐ隣を歩いていたセシウムが立ち止まった。不思議に思い振り返るとウランがセシウムの肩を掴み、咎めるように見つめていた。

「先輩、人間との距離が近いですよ」

きょとんとしたセシウムが「ああ」と理解したように頷く。

「悪い悪い。つい、な」

そう言ってセシウムが俺との間に少し距離をあけた。二人、特にウランは人間である俺に対してかなり気遣ってくれているようだった。

ありがたいと思いつつも遠慮されることに寂しく思いながら俺は彼らに話しかけた。

「ラジオ局のラジオって、放射線っていう意味だったんだね」

俺の言葉にセシウムが頷く。

「ああ。ここはシアンタウンの中でも放射性物質ばかりが集まるところなんだ。ここで取れた核物質はそこにある兵器工場に持っていって、核兵器の原料にする」

セシウムの言葉にウランが目を伏せた。

「私たちに出来ることといえばそれくらいですからね」

そう言うウランを見て、セシウムが彼の背中を元気づけるように叩く。

「ま、仕方ないさ」

そう言ってから俺の顔を見た。俺も暗い顔をしていたのだろう。セシウムが困ったように笑った。

「なーんか湿っぽい話になっちまったな。……そういや、兄ちゃん、研究所にはもう行ってきたか?」

「あ、うん」

「そうか。じゃあ、もう一酸化炭素にも会ったか?」

またもや頷くと、セシウムが腕を組んだ。

「俺自身は行ったことないんだが、あそこには色んな劇物や毒物が働いてるらしいな。それで、研究所の一番奥に最も危険な化学物質がいるって噂があるらしい」

「最も危険な化学物質?」と俺は聞き返す。

「それって、プルトニウムがしていた噂ですよね?本当なんですか?」

ウランの言葉にセシウムが首をひねる。

「さあな。俺は見たことがないから噂が真実かどうかは分からない。兄ちゃん、研究所に行ったときにそれっぽいやつは見かけなかったか?」

セシウムの質問に俺は首を縦に振る。

「研究所の奥までは行ってないから、わからないな。でも、今度行ってみることにするよ」

「最も危険な化学物質なんでしょう?人間が会うには危ないのでは?」

そうウランが眉をひそめる。

「たしかにな。でも、兄ちゃんならそいつとも上手くやっていけるような気がするぜ」

そう言ってセシウムが笑った。あっけらかんと笑う彼にウランはやれやれとため息をつき、俺は笑みを作る。

(セシウムは明るい性格でいいなあ……)

彼だったら何でも包み隠さず話してくれるような気がする。俺はセシウムにふと疑問に思ったことを尋ねてみることにした。

「セシウム、少し聞きたいことがあるんだけど……」

「なんだ?」

不思議そうにセシウムが俺を見る。

「ここの化学物質たちは兵器を作るのが嫌なんでしょ?でも、それなのにどうして兵器を作り続けているの?誰かやめたいっていう化学物質はいないの?」

そう聞くとセシウムが頭を掻いた。

「えーっと、それはな……」

セシウムは言いにくそうに一度口を閉じたあと、再び開いた。

「実は、理科の国は数学の国に知的財産使用料を常に支払っていて、そのせいで万年赤字なんだよ」

「知的財産使用料?」

セシウムの言葉に俺は首を傾げる。

「ええ。理科の国では、物理の公式を使って計算しようと化学の収率を求めようと、どうしても数学の知識が必要になります。そこで、数学の国の人々は数学の知識を使う際にお金を取るシステムを作っているのです」

ウランが丁寧に説明する。

「数学がなけりゃ、俺たちは生活できない。だから、俺たちは数学の国に使用料を払い続けなければならない。そのお金を捻出するためには、何かを他の国に売るしかない。……その貴重な財産源こそが、シアンタウンで作る化学兵器なのさ」

セシウムの言葉に、俺は黙り込む。まさかそんな生々しい事情が理科の国にあるとは思わなかった。

「物理地方の奴らも精密機械を作って社会の国に輸出してるし、化学地方も他の場所で薬の製造をしてはいるが、やっぱり財源の中心になるのは俺たちの作る化学兵器さ。だから、どれだけ嫌な仕事でも、兵器を作るのをやめるわけにはいかない」

セシウムがそこまで言いため息をついた。

「化学地方にいる化学物質たちは皆、人間の役に立つことを夢見ている。だから、反対に人間を傷つけるものを作る俺らのことは『化学物質の恥』として嫌っているんだ」

「でも、理科の国は化学地方の兵器に経済を頼らざるを得ないのです。人の役に立ちたいという理想と、人を殺すものを作らなければならない現実とのギャップが、化学地方の人々を苦しめているのです」

そうウランが悲しげな顔で言った。

「……」

俺もすっかり気分が落ち込み、下を向いた。

セシウムやウランなどの放射性物質と聞けば核兵器とか自然を汚染する悪いものというイメージが真っ先に浮かんでしまう。確かにそれは正しい。けれど。

「……君たちには核兵器だけじゃない、人を助けるための使い方だってちゃんとある」

そうポツリとつぶやいた俺の顔をセシウムとウランが驚いたように見た。

「爆弾が作れるほどエネルギーをたくさん出すことができるということは非常にすごいことだよ。核兵器以外で君たちが発電所として人間の役に立っていることを、俺は知ってるよ」

そう彼らの目を見てはっきりと言った。それは大した慰めにはならなかったかもしれない。けれど、二人は顔を見合わせたあと、笑ってくれた。

「……そうだな。ありがとう、兄ちゃん」


「どうだ?兄ちゃん。これでラジオ局の案内は終わりだが、満足してくれたか?」

再びラジウムが飛んでいた場所に戻ってきてから、セシウムが口を開いた。

「うん、ありがとう。仕事の邪魔をしてごめんね」

そう謝ると「いいってことよ」とセシウムが笑った。

「全く、人間が帰ったらすぐに工場に戻ってもらいますからね」

ウランに鋭く言われてセシウムが「はーい……」と大人しく返事をした。

「……」

俺はそんな二人を見ながら防護服のフードを取ると彼らに笑いかけた。セシウムとウランがぎょっとして後退る。

「おい、兄ちゃん!」

「何をやっているんです!?早くフードをかぶってください!」

そう言って焦る二人に笑いかける。

「大丈夫だよ。俺、君たちと仲良くしたいんだ。だから、またここに来てもいいかな?」

そう言って笑い、セシウムとウランの背中に手をまわし、抱きしめた。

二人が目を見開き、顔を見合わせた。

「変な人間もいるもんだな」とセシウムがそっぽを向き頭を掻く。

「全くです」とウランが顔を赤くしながらこほんと咳払いをした。

「じゃあ、また来るね」

そう言って笑う俺に二人が笑いかけた。

「ああ。またラジウムでも見に来い」

「安全対策はきちんとしてきて下さいね」

そう言う二人に俺は微笑み、大きく頷いた。

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