2. Sweet Vermouth
僕達は、会社から程近い和食レストランにいた。最初こそ「これ食ったらまた考えるから、酒禁止な」なんて言っていたのに、そのルールは完全に撤廃されたようだ。
「ほんっと、あり得ねえよな! なんなんだよ、あの上から目線」
「そ、それは部長だから、しょうがないんじゃ……」
「しょうがなくねえよ。1日半であれを仕上げろとか、じゃあおめえはできんのか? って話だろ?」
「そうそう。あの若さで部長なれたのは、ハニートラップ仕掛けたからじゃねえの?」
「“男性化粧品”の開発部部長ってとこからして怪しいよなぁ」
酒のせいで、先輩達は言いたい放題である。
最年少として律儀にノンアルだけを飲み続けている僕は、この
昔から、人間観察が好きだ。電車でも学校でも居酒屋でも、色んな人間の言動を見て、心の中で批評したり共感したりするのが好きだ。
しばらく見ていると、先輩達と同じようにビールや日本酒を流し込んでいる男性陣の多くは肌が荒れていることに気づいた。毎日早起きで仕事して、夜な夜なアルコールを摂取していたら、そりゃそうなるだろう。……それで、ハッとした。
「あの、皆さん」
「あ? どうしたお前。あのクソ上司のあだ名でも思いついたか」
「いや、そうじゃなくて。……コンシーラーはどうですか。スティックタイプのコンシーラーなら持ち運びが楽だし、ちょっとした肌荒れに対応できます。男性用のコスメは普及してきているし、2軒目行く時とか、仕事終わりのデートとかの身だしなみには最適じゃないかと」
「いいわね、それ」
驚いて声の方を見ると、“クソ上司”がカウンター席から僕達を見下ろしていた。先輩達は文字通り凍りついている。
「ぶ、部長……いつから……?」
「私、ハニートラップ仕掛けるほど汚い女じゃないわ。勘弁して」
結構序盤から聞いていたようだ。彼女は表情を崩さずに続けた。
「その方向性で行きましょう。今日は酒臭いからみんな帰りなさい。それで朝出社して、商品の内容とコンセプトをA4一枚にまとめておくこと」
「は、はいっ! あ、明日は早めに集まろう。もう9時だ。みんな、今日は帰って明日に備えよう」
「はいっ!」
先輩達は慌てふためいた様子でテーブルを後にした。僕もそれに続こうとすると、「隣、来なさい」と部長に呼び止められた。和食レストランだというのに、メインで魚を食べているからか、彼女は白ワインを手にしていた。僕が黙って上司の隣に腰かけるのを見届けて、彼女は口を開いた。
「あなたに内定を出そうと言ったのは、私なの」
「え?」
「あなた面接の後、ボタンを拾ったわね」
確かに僕は面接の後、廊下に落ちていたボタンを拾った。とても綺麗なボタンだったから、きっと落とした人は困っていると思って、前を歩いていた女性に手渡したのだ。
「私の秘書に渡してくれたみたいね。彼女からあなたのことを聞いたの。私は、そういう人が欲しいと思った」
「そういう人?」
「ええ。周りをよく見ている人。あなたをスパイスと言ったのは、それが理由よ。あなた以外のメンバーは1つのテーマに固執して、他が何も見えなくなってしまう。でもあなたは、ふと周りを見て、何か刺激的なアドバイスができるんじゃないかと見込んだの」
「はぁ……」
「でも一方であなたは、こだわりとか集中とかは苦手そう。そうしたら残りの彼らの出番。彼らは具体的なテーマさえ与えられれば、集中して迅速に結果を出すことができる。全員の個性を見極めた結果のグループよ」
「僕に、個性……」
上司は白ワインで濡れた唇を少し舐めて、「誰にでも個性はあるのよ。多くは見つけるのが下手なだけ」と言った。白いカットソーに覆われていない肌が、無防備に僕の前に投げ出される。ハニートラップ説が一瞬現実味を帯びるくらいには、彼女は美しい。
「何に関しても平均的であることは、それ自体が能力だってことに、あなたは気付いていない」
「それ自体が、能力……」
すると、彼女が頼んでいたチャンジャがやってきた。チャンジャと銀鱈の西京焼きに白ワインを合わせる所は、彼女の個性なのかもしれないと思った。
「付き合わせて悪かったわね。もう帰っていいわ」
「はい。お疲れ様でした。お先に失礼します」
「ハニートラップ疑惑がある上司の期待に、応えてちょうだいね。分かった? “普通”のルーキーくん」
彼女は、僕を指差して悪戯っぽく微笑んだ。
嫌味たっぷりのお言葉。バラのような上司。
その
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Sweet Vermouth(スイート・ベルモット)
白ワインをベースに、香草やハーブを配合して作られた甘口のリキュール。食前酒として
Sweet Martini(スイート・マティーニ)
「棘のある美しさ」
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