ローズクオーツ(2)

 祐希先輩は予想通り優しい先輩だったけど、練習はしっかりガッツリ行われた。


 練習は毎日、メトロノームを使って、ロングトーンに始まり、指を早く動かす音階練習などもやった。

 本番で演奏する曲の他に、毎日、基礎練習がたっぷりメニューに組み込まれている。


 フルートパートは、三年生の祐希先輩と、一年生の私の二人きり。

 さらに、八月の定期演奏会で先輩は引退になるから、それまでに、一人でもやっていけるようにならないといけないのだった。


 先輩は私に、自分が習っている相田先生というフルートの先生を紹介してくれた。

 相田先生は、地元のジュニアオーケストラの指揮者もしていて、祐希先輩は小学生の時から、先生にお世話になっているという。

 祐希先輩のパート練習に、相田先生の指導も加わり、私のフルートは、少しずつ上達していった。


 入部して二ヶ月弱が経った、五月の終盤、三年生は二泊三日の修学旅行に出かけた。


「休み中の練習メニュー、書いておいたから。がんばってね」

「はい」


 先輩は私に、小さなメモ書きを残していった。

 細かい文字で、練習に関する注意事項が書いてある。几帳面な先輩らしかった。


 三日間、当たり前だけど、先輩は部活には現れなかった。

 普段、ずっとそばにいたから、隣に先輩のいない音楽室は、なんだか物足りない。

 どこかから隙間風が入ってくるような、そんな錯覚に襲われた。


 私は先輩のメモ書き通り、いつも通りの練習メニューをこなす。

 先輩がいない今こそ、いつも以上に頑張らないといけない、そんな気がしていた。


 だけど、暇な中学生の私にとって、三日間は思ったよりも長かった。

 練習メニューを渡されているとはいえ、一人でやっていると、どうしたってダレてくる時間は出てくる。

 普段どれだけ先輩に依存していて、何も考えずに練習をしていたかを、思い知らされた。


 修学旅行の最終日は金曜日で、先輩達は土日の練習も休んで、月曜から部活に参加することになっていた。

 結局、気づけば五日も先輩に会っていなかった。



 月曜日の朝、待ちきれない私は、誰よりも早く登校した。

 まだ開いていない音楽室の鍵を、職員室に行って先生から受け取り、一人で全ての窓を開けて換気を行う。

 当番でもないのに、そんなことをして、先輩を迎える準備をしていた。


 午前六時半過ぎ。部活の開始時刻よりも早く、私の次に音楽室に現れたのは、待ち焦がれたその人。


 祐希先輩だった。


「おはよう、真雪。久しぶり」


 一瞬、言葉が出なかった。


「先輩。おはようございます。早いですね」

「五日も吹いていないと、なんか気持ち悪くて。早く来ちゃった」


 久しぶりに見る先輩の笑顔は眩しかった。


「先輩、ほんとにフルート大好きなんですね」

「ほんと。私の恋人は、フルートだもん」


 二人して、笑い合った。


「真雪、これ、お土産」


 先輩はカバンから、小さな包みを取り出して、私に手渡す。


「え、いいんですか」


 中を開けてみると、ピンクの石のキーホルダーが入っていた。


「真雪にはピンク色が似合うかなと思って。なんかね、恋愛運アップのお守りらしいんだけどね。フルートは恋人みたいなもんだから、フルートが上手くなるお守りってことで」


 先輩は、少し、適当なことを言う。


「ありがとうございます。これ、綺麗ですね」

「真雪にしか買ってないから。みんなには、内緒だよ」


 先輩は、そう言っていたずらっ子のように笑う。

 なんて、ずるいんだろう、この人は。


 祐希先輩という存在は、少しずつ、でも確実に、私の毎日に侵食していくのだった。

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