幻探し

エイリュウ

第1章 依頼

 夏に向けた特集の仕事だった。雑誌の恒例企画だ。街路樹の若葉が陽の光に照らされて涼しげな影を落としていた頃だ。

 西村孝太郎は、フリーのカメラマンをしている。大学を卒業して6年が経ち、28歳になっていた。卒業後、中規模の出版社に入社したのだが、2年前、思い切ってフリーになった。周りからは、早まるな、仕事なんか来ないぞ、などと散々言われたが、写真の世界で勝負したかった。

 独立した当初は、意外なほど順調に仕事が舞い込んできた。出版社にいた時に作っていた人脈で、孝ちゃんに頼みたいわ、などありがたい仕事が続いた。

 ところが、2年前からこの業界はそんなに甘くないと思い知るようになった。仕事がだんだん来なくなったのだ。理由はわからない。頼まれた仕事は、きっちりこなしていたし、仕事の質にも自信はあった。だが、独立した当初の人脈だけでは定期的に仕事があるわけではない。加えて、出版不況の波もあり、主戦場の雑誌の部数も減って、写真の依頼は減り続けていた。

 だから、ジャンルにこだわらず掛け持ちで、いくつかの仕事を抱えている中で、大手出版社が発行するカルチャー系雑誌編集部の楢崎から電話が入った。

 仕事だ。

 楢崎からは不定期ではあるが、孝太郎に目を掛けてくれていて、よく臨時の依頼がある。電話を受けた翌日の午後、ネクタイはしないものの、こざっぱりした服を選んで、めったに着ないジャケットを羽織って出かけた。

 住んでいる千葉県市川市の本八幡駅から地下鉄に乗り、雑誌を発行している新宿区にある出版社の最寄り駅で降りた。

 地上に出ると、駅前にあるコーヒーチェーン店が、テーブルとイスを屋外に出していた。外は、風の流れもあり気持ちがよさそうだ。コーヒーを飲みながら仕事の打ち合わせをしている人や、サングラスをかけて本を読んでいる若い女性らが風景画の中に納まるかのように座っていた。

 この店のカフェラテは、おいしいかったな、と思い出しながら、駅から歩いて1分もかからない出版社のビルに入り受付に向かった。

 孝太郎は、1階の受付で面会票に、自分の名前と訪問部署、そして要件欄に打ち合わせ、と記入した。受付のスタッフが、その票に目を通してから当該部署に電話した。確認が終わった後、面会票をズボンのポケットに押し込み、渡された来客用IDカードを首に掛けた。受付の左側にあるエレベーターに乗り込み、編集部のあるフロアで降りて、部屋に入った。

 編集部は、各部員の机の上に本や資料が山積みになっており、背の高い木々がうっそうと繁るジャングルのようになっていた。午後は、社員の多くは外に出ているのだろう、人はまばらだ。その部屋の奥から太い声が聞こえた。

「よう、孝ちゃん。急に呼び出して悪かったな」

 楢崎だ。孝太郎は、呼び出すときはいつも急だろう、と思いながら答えた。

「いや、いつでも大丈夫ですよ」


 孝太郎は、就職した出版社では雑誌の編集部に配属され、超多忙ながらも、いろいろな人との出会いがあり、やりがいがあった。テーマごとに調べものをしたり、また、時々、自分が書いた記事が雑誌に載ったりして、楽しく仕事をしていた。

 テーマは、雑誌発行の度に変わるのだが、その中の一つにカメラの特集があった。大学時代は文学部で歴史を学んでいたのだが、取材しているうちにカメラマンの仕事を間近に見て、瞬間を切り取る仕事に魅せられた。

 やがて、人事異動があり、担当となったのがカメラの専門雑誌だった。孝太郎は、写真に興味をもち始めていたが、特に写真を勉強してきた訳ではない。だが、仕事の必要上から、また、任された仕事はとことん極めたいという気持ちが強くて、貪欲に写真について学んでいった。

 仕事柄、付き合う人間も写真界の人が自然と多くなり、そのうち自分自身もカメラを手にとって撮影するようになった。色々なことに興味を示すことが多いのだが、写真には特に熱を上げた。

 技術を磨けば磨くほど、写真の出来栄えは一歩、一歩ではあったが上がっていった。それがまた楽しかった。機材も買い足していき、だんだんカメラ撮影の魅力にとりつかれるようになった。

 孝太郎が勤めていた出版社は、柔軟性があるというか、人員不足というか、時々、カメラマンに依頼するべきところを、孝太郎が写真にはまっているということを聞きつけた上司から、簡単な写真撮影の時には、撮影を頼まれることがあった。

 はじめのうちは、いかに写真好きになったとはいえ、所詮は素人であったわけで、正直、出来栄えがよくないと思っていた。ところが、上司は経費節約ができると考えたのか、あるいは、孝太郎の写真を思いのほか気に入ったのか、その後も、撮影の仕事が来るようになった。

 孝太郎は、のめり込むタイプである。写真撮影の腕を上げることにだんだん取りつかれ、また、担当していた雑誌の取材過程で、プロのカメラマンの腕前をよく観察した。本も読んだ。写真の専門雑誌も買った。購入する写真機材もレベルを上げていった。

 そして、入社後、4年が経った時に、カメラマンとして独立していける、いや、独立してさらに写真の腕を磨きたいという気持ちが強くなり、勤務していた出版社の上司と相談の上、会社を円満退職して、フリーカメラマンとしての道を歩み出すことにした。それから、2年経った今、仕事が減ってきて不安が増していた。

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