安心して 運だけはいいから
田中
第1話 クライマックスからのスタート
少し薄暗い会場の中。僕は、ここまで震えに震えつくしてきた右手を強く握りしめた。爪が掌に食い込んでいるがお構いなしだ。
息を吸い、吐く。それを繰り返し、整える。
これから、一世一代の、文字通り『命を懸けた』
向かい合っているのは中年の女性。くたびれた服を着ており、その様相は非常に疲れきっている。会場の隅から子供が不安そうに見ていることから、恐らく母親であろう。
子供の手前、不安を感じさせないように強がろうとしているのか。母親は時折笑顔を子供のほうに向ける。が、その笑顔はぎこちなく、傍から見てもそこに含まれる不安が容易に見て取れる。
母親は足を小刻みに震えさせながら、一歩前に出る。
それに合わせ、俺も生まれたての小鹿のような足で前に進む。
両者顔を見あう。
そして二人とも相手に恐怖の色を感じ取る。しかし、そこに「相手も恐怖を感じているんだ」という仲間意識が芽生えることはない。相手を、目の前にいる奴に勝つことしか頭にない。
俺は息を一度大きく吸い込み、自分を落ち着かせ、覚悟を決める。
もう相手の人生とか、そんな道徳的な綺麗ごとを四の五の言っている場合ではないのだ。どんなに汚くても、どんなに卑怯でも、蔑まれても、この勝負には勝たなければならない。
そう自分を納得させる。言い聞かせる。
命とプライド。
天秤は何の戸惑いも見せずに勢いよく傾く。
「あそこに居るのはあなたのお子さんですか?」
俺は全身の震えをできるだけ隠しながら、カウンセラーのように、向かいにいる母親に、寄り添うように語りかける。
自分が害のある人間であると思われないように……。
なにも心中を悟られないように。
「ええ。そうなんですまだ五歳で……」
母親は俯き気味でそういった後、子供のほうを見て顔に笑いを浮かべた。
歯が当たる音が微かに聞こえてくる。
子供も小さいなりに何かを感じ取ったのだろう。隣に立っている男性の足に抱き着き、潤んだ目で母親を見つめていた。
男性は子供の様子に気づくと、子供を持ち上げてぎゅっと抱きかかえた。
そして二人は不安そうに事の成り行きを見守るため、母親の居る台上に目を向けた。
「いいですね、幸せそうな家族で。羨ましいです」
俺はにっこりと人を安心させるための笑みを浮かべる。
「ええ、そうですね……」
母親は子供に見えない角度で、暗い表情の中そう口にした。
「幸せ……ですか……」
母親は壁の上方を見上げ、呟いた。そして暫く何かを考えるように一点を見つめる。そして、ふと何か思いついたようにこちらに顔を向けた。
「本当にそうならば、今こんなとこには居ないですけどね」
少し笑いながら、皮肉を込めてそう言った。その皮肉は母親自分自身と、俺に対していっているのだろう。
「……」
こちら側も暗い表情を浮かべて、彼女の現状に同情している
今度は母親のほうが口を開く。
「そちらは……高校生ですか……?」
「ええ……まだ17歳の若輩です」
俺は下を向いたままぼそりと、相手にギリギリ聞こえるくらいの音量で呟く。
「17……まだまだ未来のある…… ‼ すいません。つい」
母親はハッとしたように途中で言葉を切り、謝罪を口にした。
この状況で「未来のある」という発言は確かに不適であろう。この青年に、未来があるかないかなんて分からないのだから……。そしてこの青年に未来があるという事は、その時自分はこの世界にはいないのだから。
「いえいえ、こちらもここまで来た身です。周りからいろいろ言われもしました。もう気にしてませんので……」
悲壮感を出す。全力で出し、皆の同情を誘い、会場の雰囲気を持っていく。
この青年は、悲劇の青年。彼自身には悪いところはない。ただ運がなかっただけの可哀そうな……
……というイメージを植え付ける。
「じゃぁ。そろそろ始めましょうか」
俺は暗い表情で、心底不本意そうにきり出す。
「ええ、そうね……早く決着をつけましょう」
すると、二人を結んだ線のちょうど真ん中にいた甲冑を着た男が右手を挙げた。
その顔は隠れているため、どんな表情なのか、読み取ることはできない。
『それでは、開始します。右手を前に出してください』
会場のスピーカーから機械的な声が流れる。
二人は静かに右手を握りしめたまま前に突き出す。
「僕なんて、もう死んで悲しむ人なんていません。だから……」
俺は悲劇の主人公のように、儚げな笑顔を見せる。
無理に強がっているように。自己犠牲の精神を感じさせるように
それだけに、努める。
「僕はグーを出します……」
そして母親のほうを見る。
母親はその言葉に目を見開いている。「何を急に言い出すんだ」とでも言いたげな表情だ。
「ど…どうして?」
そこにはまだ完全に俺に言ったことを信じきっていない、まだ俺に対しての不信感があることが読み取れた。
最期の追い打ちをかける。
「どうか、子供のためにも。生き残ってください。あなたのその命は、あそこに居る三人の命でもあるんですから」
すると母親は辛そうな、相手を不憫がるような笑みを浮かべた。
「ありがとう……」
『じゃ~んけ~ん……』
声を遮るように、場の雰囲気に似合わない呑気な声の機械音がスピーカーから発せられる。
聞く人に不安を煽るような、感情をまったく読み取らせない、そんな声。
『ポン』
機械音がそう言うと同時に、俺は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます