35作品目

Rinora

01話.[珍しくよく喋る]

「雪だ」


 思わずそう呟いてしまうぐらいには珍しかった。

 何十年ぶりだろうか、雪が振ると言われる度に嘘だと考えてきたのに。

 ページの間にしおりを挟み、なんとなく目の前に意識を向ける。

 空は灰色く、掃除機で吸いたいぐらいの雲が覆っている。

 目の前の湖には複数の鳥が浮かんでいて寒くないのかなって気になって。

 一際強い風が私の頭に、体に容赦なく襲いかかる。

 なにも意味はないことだ、読書をするなら暖かい場所ですればいいって自分でも思う。

 ただなんとなくこうしたかったから寒いのを我慢しつつしていたわけだけど。


深雨みう

「どうしてここにいるの?」


 ここは自宅からも高校からも離れている場所なのに。

 そう聞いたら「GPSで分かった」と彼女は言った。

 その際に白いもやもやが彼女の口から出る。

 真似をしてみたらこちらからも出ていて、少し不思議だった。


「気をつけないと駄目だよ? 呟くときはオフにしないと」


 ここは家から遠い場所だから大丈夫と言っておく。

 仮に知られたところで特になにも起こらないだろう。

 私に近づくのは彼女ぐらいなものだ。


「寒いね、どうしてわざわざこんな一際寒いところで?」


 なんとなくと口にしたら笑われてしまった。

 場所が判明したとはいえ、わざわざその寒いのを我慢してきた彼女の方が笑いたいくらいだったけど。

 普通は来たりなんかしない、そこが離れている場所なら尚更なこと。

 すれ違う可能性とか考えなかったのだろうか。

 私が読書を続けていたから良かったものの、すぐに飽きて帰っていたかもしれないのに。


「深雨、またしよ」


 彼女の方を見たら唇を押し付けてきた。

 ちなみに、私たちは別に恋人同士というわけではない。

 幼馴染というわけではない、家が隣同士というわけでもない。

 生まれたときから一緒にいたわけじゃない、今年から関わるようになったぐらいのレベル。

 すっ転んだときに彼女のそれを奪ってしまったときから何故かこうなってしまった。


「ふぅ、深雨とすると落ち着く」


 自分にはよく分からないことだ。

 ただ、相手が喜ぶのならどうでもいいって片付けているだけ。

 もしかしたら後に悔やむことになるかもしれないけど、いまはなにもないんだから気にしないでいいだろう。


「ね、もっと……」


 本を片付けておいて良かったって思った。

 彼女は大抵、勢いが弱まるどころから強くなっていくから。

 こっちとしては酸素管理が大変で、なんとなく微妙な気持ちになってしまう。


「はぁ、はぁ」


 彼女の吐いた息が私の冷えた顔に当たって消えていく。

 少し甘い感じの匂いと、唾液の匂い。

 それでも腕で適当に拭うと酷いことになるから洗いに行くことにする。


「……家に帰ろ、それでもっと」

「その前に洗いたい」

「うん、それでいいから」


 ときどき、自分からなにかフェロモンでも出ているんじゃないかと勘違いするときがある。

 そうでもなければキスを求めてなんてこないだろう。

 しかも同性に、好きでもない人間に。

 彼女には他に好きな人間がいるというのにこんなことを重ねているのだ。

 上手くいかないもやもやを私で晴らしているということなら別に構わないけど。

 私でも痛覚があって普通に寒いというか痛いので、バスに乗って家に帰ることにした。

 そこから先はまあいつも通りのことだ。

 彼女は私で自分を慰めている、無駄なことを重ねている。

 その好きな子は同じクラスにいるのにいいのだろうか、会ったときに罪悪感とか抱かないのだろうか。

 あくまで楽しそうに話をしている彼女と、裏でこういうことをしている彼女。

 どちらが本物なのか分からない。

 分かっていることはやはり私を好きではないということだけ。


「好きな人がいるのにいいの?」

「どうせ上手くいかないから」

「そ」


 ま、それこそ好きな人がいる彼女の唇を事故であったとしても好きな人の前で奪ってしまったんだから私にも責任がある。

 許可をしているけど男の子とかは無理だ、それ以外の子も多分無理だと思う――というか求めてこないと思う。


「それにさ、いつもは無表情だけどちょっと深雨の表情が変わるんだよ」


 鏡で逐一確認しているわけではないから分からない。

 彼女的にはそれが嬉しいということなのだろうか。

 こちらとしては苦しくなるからなるべく抑えてもらいたいものだけど。

 小さい頃の夏、唐突に深くなった川に溺れかけたときのことを思い出して微妙な気分になる。


「でも、あんなところで本を読むのはやめてよ、寒すぎるからさ」

「家にいればいいと思う」

「しょうがないじゃん、会いたくなったんだから」


 行動力はそれなりに高いかもしれない。

 なんとなくでバス移動してしまうぐらいだから。

 適当とも言うことができてしまうわけだけど、私の人生なんだからこれぐらい自由でいいだろうと片付けた。


「あ、電話だ、ちょっと出てくるね」


 こっちは気にせずに続きを読むことにした。

 寒いと紙がよれよれになることだけは気になることかもしれない。

 これは表紙と裏表紙が硬い紙でできているからいいけど、もし普通の小説などのぺらぺらの紙だったらそこもふにゃふにゃになってしまうかもしれない。

 そうすると読み心地がかなり変わってくるからなるべく気を使っているという感じだ。


「ただいま、しまからだった」


 海崎縞、その人こそ彼女の好きな人。

 男の子みたいな話し方をする女の人――子だった。

 髪は適当にお尻の上ぐらいまで伸ばしている。

 彼女、鍋島由乃ゆのも同じぐらいだけど、こっちは綺麗に扱っていることがよく分かる。

 私たちが通っている高校は校則が厳しいわけではない。

 それでもふたりとも黒髪のままだった。




 静かな教室に足を踏み入れて自分の席に座る。

 どちらかと言えば廊下側のそんな席に座って、鞄の中から本を取り出した。

 読書をするのが好きだ。

 内容がどんなものであれ、活字を目で追うのが楽しいと言える。


「よう」

「おはよ」


 彼女は私の前の席に勝手に座ってこちらを見てきた。

 こちらはすぐに意識を外して文字を目で追うことだけに専念する。

 例え内容が小難しくて理解できないものであっても構わない。


「またキスしたのか?」


 うなずいたら顎を掴まれて無理やりされてしまった。

 やはりフェロモンが出ているんだって考えていたら、彼女は「これで由乃ともしたことになるな」と吐いてきた。

 だからって好きでもない女にしていいのだろうか。

 自分が言うのもなんだけど、歪んでいる気がする。


「おはよー」

「おう」


 寒く暗い教室に彼女たちの楽しそうな声が響く。

 それでもこちらは一切気にせずに読書をしていた。

 賑やかなことなんて常のことだからだ。

 いちいち気にしていたら多分だけどハゲてしまう。

 上手く生きるコツは細かいことを考えるのはやめてしまうことだ。

 現実逃避と言われてしまえばそれまで、けれど考えすぎて前にも後ろにも行けない人間になってしまうよりはマシだと思う。


「没収ー」


 取られたのなら仕方がない。

 鞄から新しい本を取り出して読書を再開。


「もう、相手をしてって言っているのが分からないの?」

「口にはしていない」

「察してよっ」


 なかなかに難しいことを言う。

 いきなりこちらが相手のことを分かった気になって行動し始めたら怖いだろうに。

 彼女はいかにも不満ですといった風に頬を膨らませてこちらを見ていた。


「深雨は読書が好きだよな」

「そうそう、本が恋人とか言い出しそうだよね」


 さすがにそんなことを言うつもりはない。

 私は本を利用しているだけに過ぎないから。

 なにかを読むという行為が好きなだけ。

 だからよく壁に掲示されているプリントに書かれた文字を意味もなく何度も読んだりする。


「もしかしたら小学生の頃から心身共に成長していないんじゃないか?」

「身長は138センチしかないけど、精神の方はガチンコチンに成長していると思うけどね」

「確かにな、驚いているところとか見たことがないしな」


 驚くことぐらい普通にある。

 まずは本の紙が破れてしまったときとか。

 それ以外はゴキブリが出てきたときなんかには叫びたくなるぐらいだ。

 ……本に足が触れていたりすると考えたくなくなるぐらい。


「あと、もう少し喋ってくれればいいかな」

「そうだな。本を読んでいるか、なにも感情が込められていない目でこっちを見てきているだけだもんな」


 感情は凄く込められている。

 いま本当にいいところだったから本を返してもらいたい。

 これからってときに中断となったらふたりだって嫌なはずなのに。


「ふたりともおはよー」

「よう」

「おはよー」


 クラスメイトが来たことで本も返してくれたうえに違うところに行ってくれた。

 このぐらいの距離感が1番落ち着く。

 キスされても別に嫌な気はしないけど、どうしたらいいのかが分からなくて落ち着かなくなるから。

 寧ろどうして躊躇なく奪えるのだろうか。

 これまで何度もしてきたから?

 見えていないだけで裏では経験値が高くなるようなことをしているのだろうか。

 ま、誰かとしようが私には関係ないか、いまはとにかく読書に集中しよう。

 寧ろこの教室内が賑やかになればなるほど、集中力は高まっていった。

 さすがにSHRの時間になったら読むのはやめたけど。

 あと、10分休みには読まないようにしようと決めている。

 人間がどんな動きをするのか、どんなときにどんな表情を浮かべるのかがなんとなく気になっていた。

 もしかしたらみんなみたいに感情を全面に思いきり出せるようになるかもしれない。

 特別に困っているというわけではないものの、身長を大きくする方法を吐いてくれるかもしれない。

 あとは歩くことも好きだから人間観察のために遠くまで行ったりもする。

 そういうことをしているだけであっという間に1日は終わっていく。


「深雨、放課後になったよ」

「うん」


 同じ建物内に朝から夕方頃までいなければならないというのもなんだか不思議なものだ。


「今日、家に来ない? ひとりで寂しいんだ」

「うん」


 彼女の両親は忙しくて家を空けがちだった。

 だからこうして誘われることもある。

 特に拒む必要がないので、行かせてもらうことに。


「はい、今日はハヤシライスね」


 どちらかと言えばカレーよりもハヤシライスの方が好きだ。

 邪道と言われるかもしれないけど、どろどろよりさらさらな感じの方が好き。


「美味しい?」


 美味しい、温かい物が単純に私を癒やす。

 野菜――キャベツや人参もドレッシングをかければ凄く美味しくなるから嬉しかった。


「すごいね、私の2倍ぐらい食べられるんだから」

「ごちそうさま」


 家にはこたつなんかないから少し羨ましい。

 屋内の方が酷く冷える感じがするのは何故だろうか。

 ではなく、さすがになにもしないで帰るのは気が引けるから洗い物はしておいた。


「深雨はもう帰る?」


 急いで帰る必要もないけど、長居する意味もない。

 ご飯を作ってくれた、食べさせてくれたお礼はいまのでしたつもりだから帰ることにした。


「ありがと」

「どういたしまして、気をつけてね」

「うん、それじゃ」


 彼女の家から私の家までは大体10分ぐらいの距離がある。

 遠いのか近いのかよく分からない中途半端な距離だ。


「ただいま」


 家族と会話することもほとんどなくなった。

 とはいえ、決して仲が悪いとかそういうことではないと思う。


「おかえりなさい」

「うん」


 その中で母親とは毎日必ず話をする。


「ご飯は食べてきたの?」

「うん、由乃の家で」

「そう、ちゃんとお礼は言ったの?」

「言ったし、洗い物をしてきた」

「そうなのね」


 部屋に戻る前にお風呂に入ってしまうことにした。


「最悪……」


 洗面所に入ったらいきなりなことを言われて固まってしまった。


「もう出るから廊下で待っててよ、顔も見たくない」


 どうしてか私は姉に物凄く嫌われている。

 心があるのだから仕方がないと片付けている自分にとっては常のことなので、大人しく廊下にいることに。

 電気を点ければここでも本を読むことができるのだから大して支障もない。


「さっさと行けば」


 洗面所に入って制服などを脱ぎつつ考えていた。

 多分、部屋がいつまで経っても同じだからなんじゃないかと予想してみたけど、実際はどうなのだろうか。


「ふぅ」


 いつもあんな風にカリカリとしていて疲れないのかって聞きたくなってくる、そんなことをすれば怒られるからしていないというだけで。

 部屋に行ったらちっと露骨に嫌そうに舌打ちをされてしまった。


「なんで下で時間をつぶしてこないわけ?」


 と、姉、純華じゅんかはぶつけてくる。

 休みたかったからと気にせずにこちらもぶつけてみたら逆に姉の方が出ていってしまった。

 難しい、他人の気持ちなんて延々に分からないままだ。

 結局、30分ぐらいが経過した頃に姉も戻ってきて強制的に電気が消されることとなった。

 この中で本を読むことはさすがに不可能だから大人しく寝ることに。

 それから約30分ぐらい経過した頃、お腹の上に重みを感じて目を開けると。


「あんた嫌がらせなの?」


 私の上に座りながらそう聞いてくる姉が。

 そんなつもりはないということを伝えるために首を振る。

 誰かに意地悪をしたいなんて考えたことはない。


「ま、あんたはそうかもね。でも、毎回あんたの顔を見なければならないあたしの気持ちも分かってほしいんだけど」


 でも、部屋については両親に文句を言ってもらうしかない。

 2階には私たちの部屋と両親の寝室ぐらいしか余裕がないのだ。

 1階も別に客間があるというわけではないため、姉の希望を叶えるのならばある程度リビングで時間をつぶさなければならなさそうだった。

 個人的には布団をかけ、ベッドに寝転びながら本を読むのが1番暖かくていいんだけど。


「つか、あんたまだ由乃に自由にさせてんの?」

「うん」

「なんでよ、文句を言いなさいよ、キスなんて本当は好きな人間とするべきことなのよ?」


 いや、嫌われているわけではないのかもしれない。

 心配してくれているのと聞いてみたら、


「そんなわけないでしょうがっ」


 と、怒られてしまったけど。


「そもそも、どうして姉妹でここまで違うのかしらね」

「お母さんはちゃんと血が繋がっているって言ってた」

「知っているわよ、でも、あまりにも似ていないじゃない?」


 私は由乃が言っていたように138センチで姉が158センチだ。

 運動能力などにも差が出ている、姉の方が優秀になるものだと言うのならなんにも違和感のあるようなことではない。


「あと、さっきは悪かったわね……」

「いいよ」

「あんたってほんとに……、怒らないわね」


 別に他人に期待していないからとかではない。

 ただ、怒るぐらいなら本を読んでいたいという話で。


「縞はどうだったの?」

「元気」

「何気に人気があるわよね」


 あの子と由乃は大きなグループのリーダーと副リーダーみたいなもの。

 そのふたりが来てくれているからこそぼうっとしていても苛められるようなことにはならないのかもしれない。

 そもそも、あのクラスの雰囲気はそんなに悪くないから。

 もっとも、由乃のキス癖と同じで表面化していないだけの可能性もある。

 自分がいないところでなにが起こっているのかなんて確認しようがないのだ。

 信用できる友達経由で聞いたとしても、その情報が全て正しいなんてことはないと思う。

 だからこの目で見て、この耳で聞かない限りはあまり信じるべきではないだろう。


「お姉ちゃんは学校楽しい?」

「あたし? うーん、微妙ね」


 私はそうでもない。

 合間の時間に本を読んでもいいなら長時間拘束されても構わない。


「はぁ、あんたみたいに無感情だったらいいのに」


 表に出にくいというだけでちゃんとあるんだけどな。

 怒られると普通に怖いし、悲しんでいるところを見るときゅっとなる。

 楽しそうだと落ち着くし、嬉しそうだと私も嬉しくなるかもしれない。

 決まっていつも見ている側ではあるものの、本を読めるならそれでよかった。




「全く……」


 寝ている妹の頬を突いてそう呟く。

 こんなのじゃこれから利用されて終わるだけだ。

 顔を見たくないと言ったのは少し不気味なところがあるからで。

 なにをされても無表情な妹が怖くなるときがある。

 違う、上手くいかない不満を動じない、ように見える妹にぶつけてしまったのだ。

 勉強はやっているのか、まだ気になる異性のひとりもいないのか、真面目にやりなさい、姉らしく振る舞いなさい。

 母は口を開けばそのようなことばかり。

 父は母が怖いのかなにも言わずにそそくさと去るだけ。


「姉だからってなんでも上手くできるわけじゃないのよ」


 妹にはうるさく言ったりしないのに。


「深雨、あんたが羨ましいわよ」


 あたしならずっと本を読んでいたらまず間違いなく怒られる。

 成績だって平均以上を取ってきているのにまだ足りないようだ。

 そもそもこれ以上頑張ってどうすると言うのだろう。

 母が絶対に行けと言っているから大学には行くつもりでいる。

 が、そこで終わりだ、そこからは死ぬまで延々に働く生活が始まる。

 確かに社会人になってからも勉強をすることもあるかもしれない、だが、学生時代よりかはその頻度も少ないはずで。

 それだったらさっさと働いてしまった方がいいと考える自分もいるのだ。

 どうせ気になる異性もいないし、あたしを気にするような異性もいない。

 ひとり暮らしなんかする気がない自分にとって、家から出る理由はないわけだ。

 ならやはり4年分早く働いた方がいい気がするというか……。

 これも子どもだからこその短絡的な思考だと片付けられてしまうのだろうか。


「……お姉ちゃん?」

「あ、ごめん、起こしてしまって」

「寝られないの?」


 今日は珍しくよく喋る。

 あんたのせいだって言ってみたら「ごめん」と謝られてしまった。

 情けない、こんな姉で申し訳ないぐらいだ。


「心配しないで寝なさい、おやすみ」

「おやすみ」


 自分の方の布団に寝転んで目を閉じた。

 自嘲気味にははと笑ってから、あたしも寝ることに集中したのだった。

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