第199話「鍋と炎と結婚式 その2」

 聖典の中から慶事に関する部分を読み上げ、賛美歌を歌い、最後に1つの小さなパンを僕とイリスで分け合って食べ、同じ器からワインを飲んだ。これで宗教的な意味での結婚式は終わりだ。式を取り仕切ったマルティナさんは表情を緩め、閉会を宣言した。


「――――以上をもちまして、クルト並びにイリスの結婚式を終わります。一同、拍手と共に新郎新婦の門出をお祝い下さい」

「「「Foooooooooooooooo!」」」


 参列者たちの拍手の中、僕とイリスはギルド本部を出た。参列者たちもそれに続いたが、エンリコさんの工房の弟子たちが僕たちより前に駆け出た。その手には麦粒が入ったカゴを抱えている。


「「子宝あれ! 産めや増やせや只の人間ヒュームの子! 数は我らの力なり!」」


 そして、大声でそう叫びながら僕たちに麦粒を振りまく。このまま僕たちは屋敷に向かい二次会を始めるのだが、その道中ずっとこのチャントと麦粒を振りまくおまじない――――多産祈願だ――――が続くのだ。


「「「子宝あれ! 産めや増やせや只の人間ヒュームの子! 数は我らの力なり!」」」


 この二次会へ向かう行列を見た市民たちもチャントを唱える。因みに「初夜」は結婚行事として組み込まれているので、これは「今夜こいつらはセックスするぞ! 皆も子供出来るように祈ってくれよな!」と触れ回り、市民たちも「今夜頑張れよ!!」と応援している事になる。滅茶苦茶恥ずかしい。


 ともあれ屋敷につくと、準備を終えていたゼバスティアンさんが受付役、ハンナさんが案内役となり、ご祝儀を受け取った順に参列者たちを席に案内した。イリスのひいお婆さんとお婆さん、それにお母さんは厨房に駆け、配膳の準備を始める。頭が下がる思いだ。僕とイリスは上座にあたる席に座ると、ぞろぞろと席につき始めた参列者たちに声をかける。


「えー皆々様、おわかりかと思いますが、合図があるまで料理には手をつけないで下さいね」

「「「ウィース」」」


 この世界の祝宴は大皿料理が出る事が殆どで、しかも事前に取り分けるような事はしない。食べたいぶんだけ大皿から自分で取り分け(肉なら切り分け)る争奪戦が始まる。特に腹を空かせた者たちにとっては比喩ではなく「戦闘」になるらしいので、最低限の秩序を保たせるために、せめて開始の合図だけは主催者が行う事になっている。


 配膳が進む中、参列者たち――――特に冒険者たち――――は黙りこくり、料理を睨んでいる。……本当に戦闘が起きそうで嫌だな。僕はイリスに小声で話しかける。


「大丈夫かなこれ」

「死人が出ない事を祈りましょう」

「そういうレベルなんだ……」

「一昔前の"良い人" の基準を教えてあげるわ。それは"宴会で友人を殺した事がない奴" よ」

「ええ……」


 野蛮過ぎるでしょ。まあ昔の話らしいし、今はそこまで酷い事にはならないはず……だよね? 滅茶苦茶心配だな。僕たちの結婚式で人死が出るとかやめて欲しいんだけど。


 色々な意味で緊張感が高まる中、ついに全員が席につき、配膳が終わった。テーブルには山のように料理が並び、お酒も樽で用意してある。全員、「早く食わせろ」という目で僕を見ていた。僕は咳払いをひとつ、二次会開会を宣言する。事前に考えてきたスピーチの内容は捨てる事にした。長々とスピーチして焦らせば、その後「事故」が起きる確率が上がると踏んだからだ。


「えー、ささやかながら祝宴の席を設けさせて頂きましたが、僕たちから言いたい事は1つだけです。"お集まり頂きありがとうございます、ご安全に" ……以上です」

「「「ご安全に!」」」


 全員が唱和すると、一斉に食事――――もとい争奪戦が始まった。謝肉祭の最中という事もあり、一番人気は肉料理だ。鳥や豚の丸焼きに次々とナイフが突き立てられ、切り分けられていく。他人の手にナイフが刺さるのではないかと心配になるような勢いだ。


「脚もらいっ!」

「俺は胸だ!」

「畜生、手羽しか残ってねえ!」

「子豚の皮も剥ぐぜーッ!」


 ……結婚式とは思えないような喧騒と会話が繰り広げられている。室内だけでなく、庭に設けた席からもひどいどんちゃん騒ぎの音が聞こえてくる。樽で用意したはずのお酒もみるみる内に減ってゆき――――その分だけ酔っ払いが増えてゆく。


「なんだてめェやんのか!」

「そっちこそやんのかオラァ!」


 ついに喧嘩が始まったぞ、と僕が席を立ち上がりかけた時、ハンナさんが僕を手で制して仲裁に入った。


「お客様、目出度い席での喧嘩はお控え下さいませ」

「うるせぇ、これは男と男の勝負なんだ、女が口出しするんじゃねえ!」

「ハイヤーッ!」

「グワーッ!?」


 ハンナさんが突如、喧嘩をおっぱじめようとしていた男――――冒険者だ――――の鼻面に肘打ちを食らわせ、一撃で沈めた。鼻血が床に飛び散る。


「目出度い席で汚ねェ血ィ流すような真似するんじゃねえ! 頭めでてぇのか? ぶっ殺すぞ!!」

「ちょっとぉハンナさん!?」

「ハンナ!」


 フリーデさんが駆け寄り、叱責を始めた。僕の代わりに怒ってくれるのだろう。


「喧嘩両成敗です、片方だけシメては主催たるクルトさんの判断が疑われます」

「フリーデさん何言ってるんです??」

「ウス! じゃあお前も沈めーッ!」

「グワーッ!?」


 ハンナさんはもう1人の喧嘩相手もアッパーでノックアウトした。祝宴の場で最初に血を流させたのが、うちで雇った使用人だという事実に頭が痛くなる。しかしイリスは平然と――――いや諦めたような顔で頷いた。


「これが結婚式よ」

「ええ……」

「っていうか今のはハンナさんとフリーデさんに感謝ね、本来なら主催であるあんたが指示しなきゃいけない事だったんだから」

「指示って、喧嘩両成敗を?」

「そうよ。あんたの事だから仲裁して和解とか考えてたんでしょうけど、無理よ。酔っ払いに論理なんて通じないし……フリーデさんの言った通り、片方だけシメたらそいつからあんたが恨まれるでしょ。"自分たちの祝宴の場を乱した" って咎で両方シメるのが筋よ」

「なるほ……なるほど……?」


 わかったような、わからないような。


「喧嘩は主催が暴力で阻止するか、さもなくばああするしかない」


 そう言ってイリスが指さした先は、庭。2人の男が拳闘をしていて、ゼバスティアンさんが長い棒を持って審判役をやっている。片方が倒れたのをもう片方が制止を振り切り馬乗りになって殴りつけようとしたのを、ゼバスティアンさんが棒で滅多打ちにして阻止した。


「死人が出づらい形で暴力を行使させて、制御する」

「制御……」


 なんとなくわかってきたが、この世界は結婚式だろうが何だろうが、暴力沙汰が起こる事は避けられないという認識なんだな。「結婚式は和やかなもの」という認識でのうのうとしていた僕が間違っていたのだ。


「なんかこう、まだまだ僕も"異世界人" なんだなって実感するね今日は」

「これから慣れていけば良いでしょ。私がそばで教えてあげる」


 ……ちょっと感動しかけたけど、素直に感動して良いのかなこれ。もうさっぱりわからないが、受け入れるしかないと腹をくくる事にした。


 二次会は夜まで続き、死人ゼロ、怪我人6という結果に終わった。酔っ払いどもを放り出し、片付けが終わった後。僕とイリスはそれぞれ沐浴し、2人で2階の寝室に上がった。ついに結婚式の最終行事、「初夜」が始まるのだ。


 僕たちの後ろには蝋燭を持ったフリーデさんがついてきている。牧師が初夜を見届ける(聞き届ける)慣習があるらしいのだが、その役目は彼女がやってくれる事になった。僕たちが寝室に入ったのを見送り、フリーデさんが扉を閉める直前、彼女は小首をかしげた。


「一応、この行為の意味についてお教えしましょうか?」

「んー……まあ意味もわからず聞かれてると思うと恥ずかしいですし、お願いします」

「性行為を以て……つまりは処女を捧げる事を以て夫婦となす、という考え方です。牧師はそれを聞き届け、証人になる役割という事になります」

「へぇ……あのう、処女を捧げるとなると……」

「はい、お二人は婚前交渉をやらかした事になりますが。まあ精神衛生上必要だったので良いんじゃないですかね」

「フリーデさんが柔軟な思考の持ち主で助かりましたよ」


 狂っているとも言うけどね!


「いえいえ。……では、行為の最中もしっかり侵入者を見張っておりますので、安心してお楽しみ下さい」


 フリーデさんはグッと親指を立てて、扉を閉めた。ここからは夫婦の時間という事だ。2人でベッドに座る。散々やりなれたとはいえ、こうも改まってやるとなると、どう事を運ぶべきか迷うな。視線を彷徨さまよわせると、イリスのナイフが目に入った。


「ああ、そう言えばナイフが何で青銅なのか聞いて無かったね」

「そうだったわ」


 イリスはナイフを抜いて剣身を見せた。青銅製かつ良く磨かれているので、鉄色にわずかに金色が入っている。照明になっている蝋燭ろうそくの橙色の炎に照らされ、幻想的な雰囲気を帯びている。


「古代から魔法使いっていうのは貴重な人材だったの。特に戦場ではね。だから魔法の使えない一般兵士達は、自分の命に代えても魔法使いを守る事を求められたし、実際それで戦死するのは名誉な事だった。金色を帯びた青銅製の武器は、"護衛対象ここにあり" っていう旗……っていうのが意味の1つ」

「確かに密集陣形にファイアボール撃ち込まれたら戦況変わるもんねぇ。そりゃ守るよ」

「もう1つ意味があるわ。……護衛の兵士が全滅した時、自決するため」

「自決!?」

「捕虜になって拷問でもされて、魔法の秘密を敵方に漏らしたら故郷が不利になるでしょ? だから自決して故郷を守るべしって事」

「……ええと、それじゃあ。君に青銅製のナイフを贈るって事は、"ヤバくなったら自決してね" ってメッセージにならない?」


 イリスは頷き、そして彼女が僕に贈ったナイフを指さした。なるほど、わかってきたぞ。


「つまり自決させないように守れって事だね?」

「そういう事。もちろん私だって自分で戦う覚悟はあるし、実際今までそうして来た……でもね、これから子供が出来たりしたら。一方的に守ってもらわなきゃいけない時は絶対に来る」

「なるほどね、それで君が贈ってくれたナイフは戦闘用なんだね」

「そういう事」


 僕はイリスから贈られたナイフを抜いた。日用ナイフよりは大ぶりで、十字鍔やナーゲルもがっしりした作りだ。


「このナイフは、君からの"守ってね" っていうメッセージ。そして僕が君に贈ったナイフは」

「守られるための旗であり、同時に"支援します" っていう意思表示でもあるわ。魔法を、知恵を、知識を以てあんたを支える」


 今までもそうだった。僕は前に出てイリスを守り、イリスは後ろから魔法や指揮で僕を支援する。戦闘に限らずとも、例えば銃の開発では僕が先立って、そこにイリスが知恵で追補してくれた。


「思えば、僕たちはずっとそういう……お互いに補い合う関係だったんだね」

「うん。私はこの関係が気に入ってる。あんたって不思議と"女だから"って見下したり、行動に制限つけたりしないじゃない? 1年近く付き合って来たけど、そこが一緒にいられた……一緒にいて心地よかった理由ね」


 イリスやルル、フリーデさんやリーゼロッテ様を見ていると感覚が麻痺するが、そもそもこの世界はまだ男女平等が確立されていない。強い女性、自立している女性は好まれない傾向にある。


「まあ、そこは現代で育った恩恵なのかなぁ……。女だから云々って言ったら怒られるし、個人的にも性別で差別するのはどうかと思うし」

「ほんと、良い世界よね……戻りたいと思わない? こっちよりずっと進んでて、平和で、生きやすいんでしょ?」


 イリスは僕の目をじっと見ながらそう尋ねてきた。確かに現代日本のほうが遥かに生きやすい。こちらの世界は暴力がはびこっているし、僕自身死と隣合わせの冒険者を生業にしていて、まだ未稼働ながら探索者としての仕事もある。戻りたい気持ちが無いわけではない。だが。


「支えてくれるっていう女の子置いて、自分だけ故郷に帰れるわけないでしょ」

「あら、憐れみからここに残るって事?」

「違うよ。思いに応えて、ずっと一緒に居たいって思ったから、残るんだよ。それに向こうに帰る事になったら……たとえ君を連れていけるとしても、君の家族にまで転生を強いる事は出来ない。つまり、君と家族を別れさせなきゃいけない。……それは、出来ない」

「私にその覚悟があっても?」

「それでも出来ない。愛する人に、進んで辛い思いをさせたくない」

「……ありがとう」


 イリスは頬を染め、唇を重ねてきた。僕は目を瞑ってそれを受け入れ――――ふわりとベッドに押し倒された。僕が。


「今、初めてあんたの事を心の底から"男らしい" って思ったわ」

「今ぁ? ……ところで、こういうのって男の方から押し倒すもんだと思ってたんだけど。それこそ男らしく」

「ごめんなさい、私がリードしちゃったわね。……ねえ、さっき言ってた事だけど。結局理由はあれど、あんたは自分の思いを押し殺してこの世界に残ってるわけじゃない。それってフェアじゃないと思うのよね」

「僕はそうは思わないけど」

「私がそう思うのよ。……私は、あんたに恩返しをしたい。負い目も引け目もない、対等な関係でいたい」

「そのために取る方法が、これ?」

「手始めにね」


 イリスは僕の腹の上に乗りながら、自身の服を脱ぎ始めた。露わになったバストは愛おしく平坦であった。


「この世界に残って良かった、私と結婚して良かった、そう思えるようにしたい。……これから一杯尽くしてあげる」

「尽くすってそういう意味??」

「手始めにって言ってるでしょ。もちろんこれ以外にも色々考えてるわ」

「いや本当に、そういうのは必要な……」

「私がヤりたいからヤるのよ! いいから腰の槍出せーッ!」

「ぬわーっ!?」


 初夜だから、結婚したから何かが変わるわけではない。いつも通り、僕は絞られた。いつも通り――――それが1つの幸せの形なのだろう。絞られながら、そう思うことにした。


【第2章 了】

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