第191話「折り合い その1」

 裁判が終わり、パウルの絞首刑が執行されて数日。銃職人たちは日常を取り戻し、僕たちもまた、平穏な日常を送っていた――――内心、僕は無力感で鬱屈としていたが。


 敵対的な化身に「抵抗する」と啖呵を切り、実際撃退したは良いが、結局はナイアーラトテップの強大さを見せつけられたからだ。大量の化身が、市井に紛れ込んでいる。あれに牙を向けられたらどうすれば良いというのか。


 それにカルマー卿のような、素で卓抜した実務知識を持った人物が居るとわかった事も、僕の無力感に拍車をかけていた。


「……元気出しなさいよ」


 鬱々としている僕を見かねてか、イリスはそう言って背中を叩いてくれた。


「あんたが化身に啖呵切った時、結構嬉しかったのよ。私との幸せは誰にも奪わせない……これ以上にない愛の誓いじゃない」

「……それが本当に無謀な事だってわかっちゃったわけだけど」


 そう言うと、イリスは顎に手を当てて「うーん」と言った後、言葉を続けた。


「"夫婦で力を合わせれば、どんな困難でも乗り越えられる" ……って言いたいところだけど、まあ現実はそうじゃないわよね。どうしようもないものは、どうしようもない」

「うん」

「だとしても、抵抗する事が無意味だとは私は思わないわ。結局助からないにしても、あがき通すのは大事な事だと思う」

「それが神に対してだとしても?」

「そういう考えに陥るのは……いや、私が言うより同じ異教徒に話を聞いたほうが早いわね」

「異教徒……?」

「ひい婆ちゃん。今でも精霊信仰よ、知見を借りるとしましょう」


 話が見えてこないが、僕たちはひいお婆さんに話を聞きに行く事になった。イリスがひいお婆さんに事情を説明すると、彼女は豊満なバストを揺らして笑い出した。


「なるほどな、のう! ……なあクルトよ、今から300年ほど前。只の人ヒュームがエルフの森を含む、自分たちの手の及ばない森林を何と呼んでいたかわかるか?」

「いえ」

「"不可知の魔境" じゃよ。笑えるじゃろ? 異教徒である強力なエルフやモンスターが住み着き、踏み入ったら生きては帰れない恐怖の地。そう認識していたんじゃよ、当時の只の人ヒュームたちは。……じゃが今はどうじゃ? エルフの森は焼き払い、モンスターは駆逐し、木々を切り開いて畑に変えた。すっかり森への恐怖は消えてしまったのじゃ」


 僕のような現代日本人にとって森林とはレジャースポットのようなものだし、まあこの世界でもモンスターが住み着く事はあるが、重要な資源地帯でもある。恐怖とはさほど縁が無いと認識していたので、過去の只の人ヒュームが森に恐怖を抱いていたことに驚く。


「当時の人たちはどうやって恐怖を克服したんですか?」

「技術の進歩じゃな。エルフの矢やモンスターの牙を跳ね返す甲冑の開発、素人を熟練弓兵に変えられるクロスボウの開発。それらによってエルフもモンスターも、恐怖の対象から"攻略可能な敵" に変わったんじゃ」

「……という事は。このまま技術発展を続けていけば、いずれ神も"攻略可能な敵" に成り下がる、そう言いたいんですか?」

「実に只の人ヒュームらしい発想じゃな、嫌いではないが……」


 ひいお婆さんは笑った後、表情を引き締めた。


「ナメるなよ、大自然も神もそんなに甘くはない。どんなに技術が発展しようと、どんなに力を合わせようとどうしようもない存在。それが大自然であり、神じゃ」


 ……結局、「神に抗っても無意味」という結論か。だとしたら一体、何故イリスはひいお婆さんの話を聞かせようと思ったのだろう。


「じゃがな、それは大自然や神への抵抗が無意味だとか、技術発展が無意味という事ではないんじゃ。わしが言いたいのは、そうじゃなあ……"正しく畏れよ" という事じゃ」

「ふむ……?」

「結局な、大自然も神も"末端は対処出来ても、本体はどうしようもない" という点では同じなんじゃ。例えば洪水が起きたとしよう、家の中に入ってきた水は桶で掻き出して対処が出来る。家の周りを盛り土で覆って防ぐ事も出来る。……しかし、それすら意味がないくらい……家や盛り土を洗い流してしまうほどの水が押し寄せる事もあろう」


 今回の件で言えば「桶で掻き出せる程度の水」が倒した化身で、「家や盛り土を洗い流してしまうほどの水」が、広場に集まっていた無数の化身になるだろう。


「じゃがそういった大洪水を必要以上に恐れ、無抵抗に死ぬのは賢いか? あるいは洪水を嫌って水源を断とうとするのは賢いか? 前者は犬死、後者はたとえ成功しても乾き死んだり、別の場所に水が溢れ出して大惨事になるのがオチじゃ。……じゃとすれば、賢い行動とは何か?」

「……妥協して上手く付き合っていく?」

「そういう事じゃ! 水が溢れるまでの時間を稼ぐために堤を作る、木々を植えておく、そういう努力をする方が賢いじゃろう。大自然は我々に牙を剥く事もあるが、恵みももたらす。結局は上手く共生していくしかないんじゃよ」


 なんとなくわかってきた。ナイアーラトテップは神で、僕に力を授ける事もあれば敵対する事もある。そういう意味では、あいつは大自然やと同じだ。


 ……そう思えば、なんとなく糸口が見えてきた。現代日本だって科学が発展していたが、災害の克服には至っていなかった。しかし確かに台風、地震、津波は甚大な被害をもたらすが、「大自然の前には人間は無力だ。諦めて死のう」だとか「台風を止めるために地球の風を止めよう! 地震を防ぐために地殻変動を止めよう! 津波を止めるために海を消してしまおう!」とはなっていなかった。それは現実的ではないからだ。


「大自然に対しエルフの出した答えは、"管理・共生" じゃ。森を住みよいように管理し、共生する。それは克服ではなく、管理と共生じゃ。大自然の中に小さな"エルフの森" を作り、その範囲内だけ守る。災害を防ぎ切る事は出来ないが、被害を最小限に留めるよう努力する」

「……朧気ですけど、わかってきました」


 無力感に打ちひしがれてばかりでは何も始まらない。現実問題として、生きていかなければならないのだから。どうしようもない強大な力に直面しても、どこかで折り合いをつけて、生存を図らないといけないんだ。たとえ痛みを伴ったとしても。


「ま、実際問題として……ナイアーラトテップをどう管理し、共生するかは難しい問題じゃろうがな。じゃが幸いにしてお主は恩寵受けし者ギフテッドじゃ、何か手立てはあるじゃろうよ。……わしが助言出来るのはここまでじゃ、あとは自分で悩むがよい、若者よ」

「はい。ありがとうございました。……ところで1つお聞きしたいんですけど、精霊信仰だとどんな神格を信奉してるんですか?」

「色々あるが、今エルフの中で主流なのは"ザイクロトル" という神格じゃろうな。人を食らう植物なんじゃが、只の人ヒュームを食らわせエルフの復権を願うエルフたちに人気じゃ」

「……そうですかー」


 やっぱりこの世界の神にはろくなのが居ないな!


 ともあれ僕の課題はナイアーラトテップの管理・共生だとわかった。本当に難しい問題だが、実際にそれをやってのけている組織がある――――教会だ。今まで避けてきたが、真剣に向き合う時が来たのだろう。最も身近な教会の人間はフリーデさん、そしてレイモンド教授だ。僕はフリーデさんを伴って、教授に会いに行く事にした。

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