第164話「すれ違い その5」

 暗殺者マルコは【鍋と炎】の動向を監視しつつ、確信を深めていた。


((やはり奴はバルドゥイーンで間違いない。顔は変わっているがあの足さばき、身のこなし……染み付いた動きというものは消しきれないものだ。それに全身の至る所に武器を隠し持っている動きだな、服の揺れ、重心からしてそうだ。おそらくはナイフ))


 マルコは過去にヨハン、旧名バルドゥイーンと一緒にをした事があった。故にバルドゥイーンが暗殺者ギルドを裏切った際には追跡に駆り出されていたのだが、マルコはバルドゥイーンとの接触は適わなかった。やがてバルドゥイーンは完全に姿をくらまし、追跡は諦められた。


((なんたる偶然か、こんな所で会うとはな! しかも暗殺対象の仲間としてとは……いや、果たして偶然だろうか?))


 マルコは記憶を巡らせ、仲介人の言葉を思い出す。


クルトという男を殺せ』


 なるほど暗殺対象の動向を、仲介人が調べ上げている事は珍しくない。だが、だとすれば何故仲介人は? 今回の仲介人と、過去にバルドゥイーンと一緒にこなした仕事の仲介人は同一人物である。多少顔が変わった程度で気づかないとしたら、仲介人は相当なマヌケという事になるが――――


((……いや、奴がマヌケという線はそれなりに妥当性がある))


 マルコはそう納得してしまう。仲介人と暗殺者の関係は非常にドライで、しかも仲介人優位だ。暗殺者はいつでも切れるトカゲの尻尾でしかない。そのくせ仲介料と称して依頼金の大半を持っていく上に、「機密保持だ」とのたまい必要な情報は殆ど与えない。――――暗殺者の、仲介人への不信感は強い。


 それでもマルコが仲介人を裏切れないのは、(マルコ自身が参加したように)裏切れば討伐隊が編成され殺される事がわかりきっている事、そして人殺しとして生きる以外に才能が無かったからだ。


((他の可能性として。依頼人がクルトの動向を知っている人物であり、その情報を仲介人に流したという線もあるが……))


 ノルデンからインデアブルックまでは幾つかの領邦を通過し、途中で数多の村や街を経由しなければならない。暗殺のチャンスはごまんとあったはずだ。なのに何故、ここインデアブルック市の暗殺者ギルドに依頼したのかがわからない。


((……まあ、考えても仕方あるまい。判断するには情報が少な過ぎる。まず与えられた仕事をきっちりこなす。バルドゥイーンは可能ならついでに仕留め、不可能なら後で仲介人に確認し、指示を仰ぐ))


 マルコはそう決心し、【鍋と炎】の監視を続けた。彼はプロであった。



 ブラウブルク市、城にて。ヴィルヘルムは東方遠征の結果報告をゲッツに対して行ってから、冒険者ギルド本部に顔を出した。ドーリスが迎えてくれる。


「戻ったぞー」

「おかえりなさいませ」

「早速でなんだが、クルトいるか?」

「いえ、彼はパーティーまるごと南方に旅行に行ってしまいましたよ」

「あちゃあ、タイミング悪いなぁ。教えてやりたい事があったんだが……」

「戻ってき次第、貴方に会うように言いましょうか?」

「そうしてくれ」


 クルトに教えてやりたい事とはチャウグナル・ファウグンから聞いた、要約してしまえば「ナイアーラトテップは統率のとれない分身の集合体で、恩寵受けし者ギフテッドでも未知の分身が殺しに来るかもしれないぞ」という話であったが、旅行中であれば仕方ない。ヴィルヘルムは気を取り直して花街に繰り出した。



「んんー……ダメだ、わかんない」


 僕はインデアブルック市の教会宿を確保し、そこで唸っていた。自分が転生した意味について生じた疑念。……いや、乏しい状況証拠しか無いのはわかっているのだ。結論を出すには判断材料が少な過ぎる。


 そう思い直し、再び街に繰り出してヨハンさんとサリタリア語の練習をしようと思ったのだが、彼の姿が無い。ルルも居ない。イリスに聞いてみる事にする。


「ヨハンさんは?」

「ルルと食べ歩きに行ったわよ、あんた見て"あんな状態じゃ勉強にならんだろ" って言って」


 余計な気を使わせてしまったな、と思う。しかし彼が居ないとなるとサリタリア語の通訳が居ない。まあ自分ひとりで街の人たちと話して、わからない単語をメモしておく……という事は可能だが。


 そう思っていると、イリスは唸った。


「こっちもわかんなーい!」


 彼女は複写した、地底に住まう者たちが崇拝していた石碑の文字列と格闘していた。この旅行中にもちょくちょく解読を進め、大学から借りた本で概ね訳せたそうだが、それでもわからない単語があり、そこで詰まっているようだ。


「結局それ、どんな意味だったの?」

「短い文章なんだけどね……」


 そう前置きし、彼女は訳文を読み上げた。


『我らに剣を向けた只人ヒュームの子らに罰を与える。二度と太陽の下を歩けぬように、●●を毒とし、××を糧とせよ。そして空気を嗅ぎ分ける鼻、地上の音を聞きつける耳を切除する。さらに、二度と悪しき知恵を働かせぬように、脳の一部を切除する』


「……なにこれ」

「多分だけど、あの地底に住まう者たちは、太古の昔にハイエルフに立ち向かった只人ヒュームたちの子孫なんじゃないかしら。額から上と、耳と鼻が無かったのは負けた時にハイエルフから与えられた罰だった……そう読めるわね」

「こっわ……そんな歴史があったんだね……」

「伝承として"ハイエルフにやられた事" は幾つか残ってるけど、これは聞いたことがない奴ね。それだけでも大発見なんだけど……」


 そう言いながら、イリスは未解読単語を指差した。完全解明の足を引っ張っている部分。


「発音はわかるから、最悪の場合は魔力塊にこの単語を与えてやれば、どういう意味かわかる可能性はあるんだけどね」

「けど?」

「……例えば"疫病" とかそういう意味だったら、その魔力塊が疫病の根源になるわ。まあその塊が消えるまでの間だけど、試すにはリスクが大きすぎる。本当に何が起こるかわからないから」

「確かにそれはリスク大きすぎだね……」


 とはいえ、である。僕はなんとなくこの不明単語の片方は察しがついていた。地底に住まう者たちは、地表の空気では窒息していたが、地底の空気では問題なく生活出来ていた――――その空気の中に松明を投げ入れた時、松明の火が消えたのを覚えている。


 あれは、酸欠だったのではないか? 換気されていない環境だと、酸素より重い気体が下の方に溜まってしまう、という話を聞いた事がある。換気されていない地下倉庫に入って酸欠で死んだ人の話を。


 同様に、あの廃坑の空気は長年換気されず酸素より重い気体がたまり、結果的に地底に住まう者にとって都合の良い環境になっていた……という可能性がある。


「その単語、酸素なんじゃないかなぁ」

「なにそれ」

「んー……空気の中に含まれてるものなんだけど、僕たちが呼吸したり、火が燃えるために必要なもの。最初、廃坑に松明を投げ入れた時に火が消えたでしょ? あれ、酸素が無かったからだと思うんだ」


 この世界はまだ空気が酸素・二酸化炭素・窒素(とその他諸々)の混合気だとは解明されていない。空気プネウマ空気プネウマ、としか理解されていないのだ。それどころか原子論・分子論すらあるか定かではない、その点も確認しようかと思ったのだが、イリスが爛々と目を輝かせて遮った。


「火が燃えるために必要なもの?」

「えっ、うん。空気の中の2割くらいを占めるんだけど……」

「たったの2割!? 火が燃えるのに空気が必要なのは知ってるわ、でも実際に燃えるのに必要なのはそのうち2割だけとしたら……その酸素とらやだけを抽出出来れば、火炎魔法に革命が起きるわよ! 実験しましょう!!」

「いやでも、言っておいてなんだけど憶測だしさ。もう片方の不明単語はわからないし、もし間違ってたら危ない気が……」

「危険を冒す者だけが成功するのよ! 行くわよ!!」

「イリスゥ!」


 火炎魔法に使えそうと思った途端にこれだ! 僕の制止も聞かず、彼女は飛び出していってしまった。僕は急いで後を追いかけた。

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