第162話「すれ違い その3」
天候が良かったため、つまりは道路状態が良かったため10日の旅程は滞り無く進み、帝国南方の都市「インデアブルック」に辿り着いた。10日も馬車に乗れば尻へのダメージも慣れてきたが、もう一度乗りたいとは思わない。帰路は船が使えるのが幸いだ。
「……ではヨハンさん、ガイドお願いします」
「あいよ。こちらはインデアブルック市、神聖レムニア帝国皇帝が直轄領、その随一の工業都市でございます」
検問に並ぶ列の中、ヨハンさんは割とノリノリでガイド役をやってくれた。というのも、ここを目的地にしようと提案したのは彼だからだ。一定期間、この都市に木材を供給する木こりをやっていた事があるらしい。
「南方に見える山がヘルヴェティア山脈でございま……普通の口調で良いよな、あの山がプリューシュとサリタリアを隔てている天然の要害だ。それと同時に、周辺地域に水と木材を供給する資源地帯でもある」
僕たちは市の西門に並んでいるが、その南側には非常に高い山脈が視界いっぱいに広がっていた。……プリューシュがドイツ、サリタリアがイタリアだとすれば、これはアルプス山脈なのではないか?
「んで、周辺地域には良質な鉄鉱山があってな。つまりインデアブルックは鉄があり、それを熱する木材があり、それを叩く水力ハンマーを回すための水源があるってわけだ。工業都市として完璧な立地って事だな」
「どんなものを生産してるんです?」
「武器甲冑だな。特に甲冑は凄いぞ、フリューテッドアーマーって知ってるよな? あれの発祥の地だ」
フリューテッドアーマーとは鉄板の表面に畝を打ち出して強度を上げた、現代最高級の甲冑の事だ。値段も凄いが、製作にかなりの技術が必要な代物らしい。
「……って事は、ここの鍛冶職人たちはレベルが高い?」
「世界で3本指に入るだろうな。ちなみに残りの2つもヘルヴェティア山脈沿いにあるぞ」
ブラウブルク市も隣接する山(つまり木材供給地)があり、川もあるが、鉄は輸入品だ。工業都市としての素地では、ヘルヴェティア山脈沿いの都市に劣る――――という事は、仮にこれらの都市が銃の生産を始めた場合、一気にシェアを持っていかれる可能性があるという事だ。
まあ既に銃の販売を始めてしまった現在、行商人の誰かがこの地域に銃を持ち込んだ時点でそれは起こってしまうので、時間の問題ではある。僕たちにあるのは「先駆者である」という強みだけだ。エンリコさんたちは「インデアブルックの商人たちと顔を繋いで来い」と言っていたが、これも「銃の生産がこちらで始まるのを見越した上でやれ」という意味だろう。滞在中、策を考えてみるとしよう。
やがて検問の順番が回ってきた。門の前には屋根付きの検問所があり、兵士に護衛された文官が書類を書きながら僕に声をかけてきた。
「名前、職業、住まい、市を訪れた理由を教えて下さい」
「"鍋の"クルト、冒険者、ノルデンのブラウブルク市住まいです。旅行で来ました」
「……冒険者が旅行?」
「ええ、ちょっとサリタリア語の勉強をする必要がありまして」
「ああ、傭兵稼業も大変ですね」
そう言って文官は気の毒そうな顔をした。何か勘違いされているようだが、実害が無いので訂正する気にもならなかった。
「武器の類は全てこちらで一時預かりますからね、その点ご了承下さい」
「はい」
「では武器を全てここに出して下さい」
言われるがまま、僕は鍋と2丁の拳銃、それに日用ナイフを出した。鍋と銃は護身用に持ってきていたのだ。
「えー……こちらは切り詰めた銃ですかね。で、こちらは鍋……いやこれは武器じゃないので持っていて良いですよ。あとナイフも大丈夫です」
「えっ、あっ、はい」
鍋は武器じゃないんだ――――という驚きを、文官から出た「銃」という単語を聞いた驚きが塗りつぶした。既に伝播している?
困惑する中、兵士らが念の為かボディーチェックのため僕の全身を軽く叩き、文官に頷いた。
「では検問は以上です、良い滞在を。――――次の方どうぞ」
鍋と日用ナイフを回収すると、殆ど兵士に押し出されるようにして門を
「いやはや、相変わらずザルだね……」
「どうしたんです?」
「デカめのナイフ1本取り上げられただけで済んだ」
「……何本持ってきたんですか?」
「12本」
ヨハンさんはくるりと回ってマントを翻したが、パッと見どこにナイフを隠し持っているのか全くわからない。
「凄いですけど……大丈夫なんです、それ?」
「日用ナイフは取り上げられなかっただろ? それと同じで小型ナイフの所持は大抵どこでも合法さ。まあ何本も持ってりゃ怪しまれるが、気づかれなきゃ問題ない」
「あー……そう考えると投げナイフって便利ですね、誰でも持ってるものが立派な武器に早変わりするわけで」
「調理器具を武器にする奴が言うと、深みがあるねぇ」
「好きで選んだんじゃないんですけどね!」
「数奇な運命だよなぁ。まあ俺も似たようなもんだが」
「そうなんです?」
「ナイフは誰でも持ってるしそこらで売ってるし、最悪石器でも良い。それに持ってても衛兵に咎められない。身を守る必要があるのにカネが無い奴――――スラムで暮らす人間にとっちゃ心強い武器で、他に選択肢はあんまり無いんだよ」
「なるほど……」
中々語ってくれないが、ヨハンさんは昔は相当厳しい生活をしていたのだろう。堅気ではなさそうだが、語ってくれないのはそのあたりが理由だろうか。
そんな事を考えていた時である。後方から歩いてきた人と僕の肩がぶつかり、僕はよろめいてしまった。
「うわっ」
「……失礼」
その人は僕を見ると一瞬驚いた様な顔――――襟を立てたマントのせいでよく見えないが――――をしたと思うと、足早に去ってしまった。
「おい、財布確認しろ」
「えっ、はい」
ヨハンさんに言われて財布や持ち物を確認したが、無くなっているものは無かった。
「気をつけろよ、デカい街にはスリや巾着切りがそこら中に居るからな」
「な、なるほど」
この世界では革の巾着袋が一般的な財布で、それを腰のベルトから吊るして携帯する。巾着切りとは、その吊るし紐をナイフで切り取って盗んでいくスリのやり口だ。
「でもまあ、これならスられる可能性は低いですよね」
そう言って僕はマントを翻した。その下にはギャンベゾンを着ていたのだ。季節はもう12月でだいぶ寒いが、マント以外の防寒具を持っていなかったのでギャンベゾンで代用したのだ。麻布とウールの多層構造になっているこれは、防寒具として非常に有用だ。夏場は辛いが。
ともあれ、僕のギャンベゾンは股下まで丈があり、それをめくらないと腰のベルトが露出しない。当然、そこに吊るしてある財布もギャンベゾンで覆われているというわけだ。図らずもスリ対策は万全だった。なお武器類はギャンベゾンのベルトに吊るしているので、咄嗟の戦闘でも抜く時にもたつかないようになっている。
「スリからも身を守れるなんて、やっぱり甲冑類は偉大だ……」
◆
クルトに肩をぶつけた男は足早に立ち去りながらマントの中に手を隠し、指輪を操作した。小さく「ぱちん」と音を立て、指輪から飛び出た仕込み針が格納される。
「……用心深い男だ。日頃からギャンべゾンを着込んでいるとはな。おそらく針は肌には触れなかっただろうな、あの厚みでは」
仕込み針には毒が塗ってあった。肩をぶつけながらその針を、痛覚の薄い背中に突き刺す。それが彼が得意とする暗殺のやり口であった。しかしギャンベゾンは1cmほどの厚みがある、指輪に仕込める程度の針では肌まで届かない。マントと冬服程度の厚みしか想定していない暗器なのだ。
「それに傍らに居たあの男、もしや……いやまさか……」
男は【鍋と炎】を遠巻きに監視し始めた。彼の名はマルコ、暗殺者ギルドの一員である。
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