第150話「会話術」

 棚からマイホームぼた餅を喜んだのもつかの間、銀貨価格が急落を始めたので焦るハメになった。急落といっても以前よりは高い水準に収まっているので損こそしていないが、銀貨買い占めの効果が薄れてしまったのは事実だ。


 原因はトーマスの領邦ラント追放である。どうにも彼も銀貨を大量に買い占めていたようで、それが多数の市民らによって略奪され消費された事で流通量が回復してしまったのだ。


 城の前に設置された絞首台にぶら下がるトーマスの死体は何も語らないが、最後に一矢報いられたような形だ。半分は殿下のせいだが、どこまでも迷惑な奴だったなぁ。ちなみに生き残った傭兵はトーマスに家族を人質にとられていた事が判明し、死刑から罪を減免され家族もろとも東方辺境送りになった。開墾かいこんした土地はそのまま自分のものになる(地代は納めるが)そうなので、そこそこ温情がある処断であろう。


 もう1つトーマス関連の影響があった。僕はエンリコさんから「会話術」を習う事になったのだ。今回のトーマスが仕掛けてきた詐術は数学知識で乗り切れたが、そうでなかった場合、例え自分が断ったつもりでも言葉尻を拾われて「合意した」と見做されて契約を結ばされていた可能性があるから――――との事だ。だから言質を取られない言い回し、嘘にならない嘘の付き方などを学ぶべし、と。


 だが僕はどうにも納得がいかない。


「最終的に契約書を書くんですから、それまで口頭で何を言ってもあんまり関係無いんじゃ? 契約書におかしい所があったらそれを指摘すれば良い訳で、むしろ必要なのは法知識だと思うんですけど」

「そりゃ法知識も必要だがな、量が膨大だしわしだって全て把握してる訳じゃないから後回しだ。それに1つ間違っているぞ、口頭で言った事も文章よりは劣るが法的拘束力を持つからな?」

「そうなんですか?」

「うむ。わかりやすい例として、"相手方は文字が読めず、契約書を複写してくれる公証人も居ない状況" での契約の結び方を教えよう」


 契約書が完全に法的拘束力を発揮するのは、公証人や牧師が複写した後だ。つまりこの例は、何らかの理由で公証人を頼れない時に、法的拘束力のある契約を結びたい時――――小さな村の話で契約を結ぶ時など――――という事になる。これはためになりそうなので、真面目に聞くとしよう。


「まず信頼出来る自分の知り合いを3人以上集めるだろ。そして相手方にも同じ様に知り合いを3人以上集めさせる。可能なら無関係な聴衆も沢山集める。で、全員が居る場所で契約内容を述べる」

「はい」

「以上だ」

「……えっ、それだけですか?」

「それだけだ。参列者全員が口頭のと見なした時点で法的拘束力が発生する。裁判の時を思い出してみろ、原告も被告もお互いに参審員を呼んだし、広場で衆人環視の中でやっただろう? あれは多人数に裁判内容を記憶させる事で、証言内容や判決に法的拘束力を持たせているんだ」

「ええ……」


 記憶に頼るなんて随分曖昧じゃないかと思ったが、よくよく考えてみれば文字が無い場合、そういう方法でしかは結べないのだと気づいた。契約書という「確かな記録」があれば、お互いにそれを読めば良い。しかしそれが不可能なら、多人数の記憶をすり合わせる事で「確かな記録」を作るしか無いのだ。


「なんとなくわかってきました」

「うむ。まとめるとだ、衆人環視の中、複数の他人に聴かれる中で行われた発言は法的拘束力を持ってしまうのだ。例えば列席者が多数居る祝宴の場で交わした言葉は法的拘束力を持つぞ。衆人環視の中では自分の一言一言が記録されているのと同義と思え」

「うへぇ、下手な事言えないですね……」

「そういう事だ。何故会話術が必要かわかったかね?」

「よくわかりました」


 エンリコさんは満足げに頷くと、僕を伴って街道に出た。


「では歩きながら訓練するとしよう。わしは君に金貨10枚を貸していて、今日が返済期日だという設定で、わしは君からカネを取り立てようとする。君は口八丁でどうにかして切り抜けるのだ」

「ふむふむ……」


 街道は作業中の職人や通行人でごった返している。……あれ、これって「衆人環視」なのでは?


「……あの、訓練なんですよね? 仮に僕がやりこめられても、支払い義務とか発生しないですよね?」

「それは非常に難しい問題だな、順に話しながら互いが合意できる結論に導こうではないか。まず君に貸した金貨10枚だが」

「エンリコさん?」

「支払期日は今日だったと記憶しているが」

「エンリコさーん!!」



 最終的に、反論するたびに首が締まっていくという体験をした上で、「金貨10枚を今日中にエンリコさんに支払う」という条件を飲まざるを得ない状況に追い込まれた。恐ろしい……。しかしエンリコさんは笑って、ビール1杯奢る事で許してくれた。……いや本当に会話術って大事なんだな。言葉だけでこんなに窮地に追い込まれるとは。


 エンリコさんにつつかれた自分の発言や、彼が使った言い回しはしっかりと記憶しておいた。暇な時にまた訓練してくれるそうなので、次はもっと上手くやろう……。


 そんな事を思いながら、ギルド本部にやって来た。そろそろクエストに出かけようという話になっていたのだ。既に僕以外の面子は集まっており、クエスト掲示板の前で談笑していた。イリスは僕を認めると、剥がしたクエスト用紙を見せてきた。


「あ、クルト。このクエスト行こうと思うんだけど、どうかしら」

「その判断を支持する事は可能なように思えるね」


 ついエンリコさん風の言い回しが出てしまったが、言った瞬間、イリスは無言で僕の股間を蹴り上げた。


「ぬわーっ!?」

「即決即断が旨の戦闘職の前で商人の真似事やるとどうなるか、予行演習出来て良かったわね。私が短気な傭兵だったらぶち殺してる所よ。さ、行きましょ」


 なるほどなぁ、確かに会話術もTPOが必要だよなぁ。今日は学びが多いなと思いながら、僕は床を這って皆の後に続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る