第123話「温泉」*

 僕は臨時ギルド本部で喝采していた。


「やったー!!」

「そんなに嬉しいの?温泉村……」


 僕以外全員がやや引き気味であるが気にしない。ヴィースシュタインに滞在を始めて3日目、やっとクエストが舞い込み始めた。その中の1つに、温泉村からのものがあったのだ。依頼額は微妙だったがゴネにゴネて何とか引き受ける事に同意してもらった。メンバーに提示した内容は「1日分、温泉宿の宿泊費を僕が全て受け持つ」というものだった。その程度で温泉に入れるなら安いものである。


「……で、討伐対象は狼ってなってるけど。狼ってモンスター扱いなの?」

「野生動物だけど、冒険者ギルドに駆除依頼が来る事が多いわね。大軍動員するとお金がかかるし、かといって少人数の軍だと戦力発揮に問題あるし。だから少人数でも問題無く戦力発揮出来る冒険者が適任ってわけ」

「なるほど。……っていうか狼に大軍動員する事ってあるの?」

「あるわよ。大きい群れだと100人規模の隊商が全滅する事もあるから、そういう時は軍で大規模な森狩り山狩りして排除するわ」

「こわ……」


 現代日本だと狼は馴染みがないので舐めてたな。


「まあ今回は5匹程度の群れって事らしいし、私達でも大丈夫でしょうけどね」


 小規模な狼の群れが隣村との道を塞いでいるので排除して欲しい――――との事だった。村の近くまで来ると家畜を襲い出すので、その前に排除しなければならないらしい。


「じゃあ早速準備しようか。いやー石鹸持ってきてて良かったー!」

「ここまではしゃぐのは始めて見たわね……」


 イリスにやんちゃな子供を見るような目で見られたが気にしない。衛生状況が微妙なこの世界において、源泉かけ流しの清潔なお湯は貴重である。そうでなくとも温泉なのだ、普段甲冑着込んで凝り固まった身体をほぐすのに丁度良いではないか。半ばバカンス気分で僕は荷造りを始めた。



 20時の鐘が鳴るギリギリ前、目的の村に着いた。9月はだいたいこれくらいの時間が日没らしい。ヨハンさんのサリタリア語講座を受けながら行軍していた所、大分歩速が緩くなっていたようで最後の方は走る事になり(夜は狼どころか"モンスターの時間" だからだ)、汗だくである。早く温泉入りたい。


「ようこそ冒険者の皆さん。私がシュタンヒェンバーデン村の村長、ショーニッツです。本日はお疲れでしょう、既に教会宿は確保してありますのでそちらに」

「いえ、温泉宿に泊まります」

「おや、そうですか。どういたしましょう、温泉宿は2つあるのですが価格帯は……」

「高い方で頼みます」


 僕は即答した。もうこれは僕の中でバカンスなのだ、せっかくなので清潔なベッドで寝たいしお金を惜しむべきではない。


「でしたら貴族か商人向けの高級宿になりますが……1泊1人あたま銀貨1枚と銅貨20枚になりますがよろしいですか?」

「構いません」

「マジであんたのお金の使い方がわからないわ」


 僕の財布から銀貨6枚以上が消える事にイリスが苦言を呈するが、色々と諦めたようだった。すまないイリス、でも君にも良い温泉と宿でゆっくりして貰いたいんだよ。


 村長さんに案内された宿は石造りの宿で、内装も質素ながら品が良かった。


「当店は3食食事付き、滞在期間中に温泉は自由に入れます。洗濯も無料で引受けますので必要ならご用命下さい」

「最高だ……」

「お部屋は2つありますので振り分けはご自由に。夕食は今から準備しますので、それまで温泉をお楽しみ頂ければと思います」

「部屋割か、どうする?」


 1部屋にあるベッドは3人が寝れそうな大きなもので、3-2で分けるのが良さそうだが。ここでイリスが耳打ちしてきた。


「……なるほど。えー皆さん、宿代を支払った者の権利として、1部屋僕とイリスに頂きたいと思いますがよろしいでしょうか」

「良いですよー」

「ああ、夫婦でよろしくやってくれ」


 ルルとヨハンさんは快諾。しかし反対したのは矢張りフリーデさんだ。


「護衛として同室にして頂きたく」

「却下」


 イリスが突っぱね、2人の間で火花が散る。


「ここは高級宿で治安は良いし、付近に展開してるのは狼だけよ。人里まで降りてきてもいない。護衛は不要と思うけど」

「可能性がゼロではない以上看過致しかねます。もし同室が嫌なら、私は部屋の前で寝泊まりしますが」

「ぐっ……」


 パーティーメンバーが部屋の外で寝るとか体裁悪すぎる。フリーデさんの必殺技めいた殺し文句だが……


「フリーデさん、僕は近接職として鍛えてますし、鍋と銃も枕元に置いておくのでフリーデさんが駆けつけるまでの間くらいは身を守れますよ。ほら部屋も隣り合ってますし、数秒で駆けつけられるでしょう?」

「むう……わかりました。しかし部屋の外には罠を仕掛けて侵入者に備えさせて頂きますね」


 そう言ってフリーデさんは鳴り子やらトラバサミやらを取り出した。そんなもん持ってるのか……。


「……トラバサミは従業員が踏む可能性あるから許可取って来なさい。突っぱねられてもゴネない事」

「承知」


 フリーデさんは店に許可を取りに走った。結局、部屋の前は危ないのでやめてくれと言われたが、窓の外なら良いという事になった。


「良いんだ……」

「まあ用心深い貴族や商人というものは居ますからね、少々珍しいくらいの感覚でしょう」


 ……なんというか、治安が悪い世界って大変なんだな。ともあれ僕たちは荷物を置き、温泉に入る事になった。僕とヨハンさんで脱衣所に行くと、荷物番の女性が声をかけてきた。


「背中流しや散髪のサービスは如何ですか?」

「んじゃ俺は背中流し頼むわ、せっかくだしな」

「僕は両方で」


 散髪にはひげ剃りも含まれる。僕はまだひげが薄いながらも多少生えてくるので定期的な処理は必要なのだが、この世界には勿論電気シェーバーは無いし安全剃刀かみそりも無い。なので直刀剃刀か日用ナイフで剃る必要があるのだが、どうにもこれの扱いが苦手で顔を傷つけてしまう事が多い。なので散髪屋に剃ってもらうのが日常になっていた。


 浴場に入るとそこは木壁で囲まれた広い露天風呂になっており、大きな岩の割れ目からお湯がさんさんと石造りの風呂に流れ込んでいた。10人くらいは入れそうな規模である。これに2人で占拠するのは中々贅沢なのではないか。光源が篝火かがりびというのも雰囲気が良い。


 湧き出すお湯の1部は木の筒を伝って洗い場の方に流れており、途中に開いた穴から打たせ湯のように流れ出て居た。


「か、簡易水道……それにシャワーだ!」

「こりゃ贅沢だねぇ」


 シャワーはこの世界、少なくともブラウブルク市には存在しない。水道が無いからだ。故に転生してからシャワーに与った事は無かったのだが、ここに来てお目にかかれるとは。感動すら覚える。


「あーこれこれ……」


 簡易シャワーで頭からお湯を被りそのまま10秒ほどそうしていると、思考がほどけていくような感覚を覚える。流水って不思議な力があるよなぁ。全身が濡れたのを確認して、持ってきた石鹸で身体を洗いながらヨハンさんと雑談する。


「風呂ってサリタリア語でなんて言うんです?」

Bagnoバンニョ

「プリューシュ語だとBadバートですし、結構似てる単語多いですよね」

「不思議なもんだよな。神話では大規模な邪教崇拝に怒った主が人々の言葉をバラバラに別けて信仰を阻止した、ってなってるが」


 バベルの塔の話みたいだな。あの意地悪な神の事だから、キリスト教やユダヤ教をオマージュした出来事を起こしてニヤニヤしてそうだが。


「あ、石鹸使います?」

「良いのか?ならありがたく。石鹸なんて初めて使うわ」


 やってきた背中流し女に、背中に石鹸を塗りたくってもらってから石鹸をヨハンさんに渡す。背中を擦ってもらっている間に散髪屋もやって来たのでひげを剃ってもらう。……ううむ、なんか貴族にでもなった気分だな。ひげを剃り終わった後、散髪屋が尋ねてくる。


「他にどこか剃りますかい?」

「じゃあせっかくなので股間以外全身」

「……承知」


 うん?なんか散髪屋の反応が微妙だったな。


「にほ……お前の故郷だとそうするのか?」

「人それぞれですけど、若い人は割と毛の処理しますよ」

「そ、そうか。ちなみにこっちだと体毛は男らしさの象徴だぞ」

「……マジですか」


 文化が違う……!そういえば今まで風呂で見た男性の裸、皆毛生え放題だったな!ヴィルヘルムさんだけ処理してた気がするけど、あれって珍しい事だったのか。


 皆と違うというのは妙な不安感を覚えるものである。このまま全身剃らせたら、ブラウブルク市で風呂屋に入った時に笑われるのではないか。散髪屋は今、腕毛を剃っている。引き返すなら今である。


「……すみません、そこ剃り終わったら後はやっぱりナシで」

「承知」


 ムダ毛があるのは心地悪いが、こちらの世界ではそれが男らしさの象徴だと言うのなら残さざるを得ない。男らしくないと舐められる事が一番危険だからだ。これだから異世界は……。


 剃毛と背中流しが終わり、全身を簡易シャワーで流したらお待ちかねの温泉である。ちなみに背中流し女は薄衣をまとった若い女性であった。シャワーの飛沫しぶきで色々と透けていて僕の下半身が危なくなったのでとっとと湯に浸かった。やっぱりここでも売春婦兼ねてるんだろうな、彼女らは。


「あっつ……ああー……」


 湯に身体を沈める。最初の熱さを乗り切れば、あとは極楽だ。毛穴から熱が伝わるようにして染み込み、筋肉が解れてゆく。頭から汗が噴き出るように流れ、悪いものが出ていくような感覚すら覚える。ここでビールを飲めば最高だろうが、空きっ腹に酒になるので控えておく。


 ヨハンさんも入ってきて、感嘆のため息を漏らした。湯けむりがくゆる中、温泉が流れ込む水音だけが響く。心が安らぐ。


「……おっ、来たな。嫌われたくなかったらあっち向いておけ」


 そう言いながらヨハンさんは宿の建物とは反対側を向いた。


「どういう事です?」

「いやほら」


 その時、脱衣所の扉が開いた。入ってきたのは【鍋と炎】の女性陣であった。全員前をタオルで隠してはいたが。


「はあ!?」

「あっち向いてろスケベ!」


 イリスの怒声が飛んできたので急いで彼女らに背中を向ける。だが一瞬だが目に焼き付けたぞ、大・中・無、ヨシ!


「何で彼女らも!?」

「何でってそりゃあ、温泉は混浴だろ」

「マジですか?」


 そういえば脱衣場1つしか無かったな!


「マジだよ、っていうか街の風呂屋だって地域によっては混浴だぞ?」

「ええ……」

「知らなかったのかよ。てっきり普段の男女別が不満でわざわざ温泉宿取ったのかと思ってたぞ」

「違いますよ!いやこうとなっては有り難く拝見する覚悟はありますが!」

「聞こえてるわよスケベ!」

「嘘ですごめんなさい!」


 混浴。どうしよう、無知が原因でラッキースケベ事案に当たるとは。これだから異世界は最高だ。いや待て、これからの事を予測しよう。僕は湯から上がり、縁石に腰掛け身体を冷やしながら考える。


 まずルルとフリーデさんのバストに目が行く事が予測されるが、そうするとイリスが怒るな。つまり奥ゆかしく女性陣から視線は逸らすべきである。いやしかし数ヶ月ご無沙汰な僕が誘惑に勝てるだろうか??いや見ちゃったら見ちゃったで収まりがつかなくなりそうだが……。


「どうすれば良いんだ……」

「無駄な事で悩んでるな少年」

「ヨハンさん」


 彼も縁石に腰掛け、小声で話しかけてきた。


「良いか、向こうは混浴は承知で入ってきてるんだ」

「はい」

「つまり見られる事は承知しているんだ。むしろ見なければ自分に性的魅力が無いと取られかねん」

「なるほど……!?」

「しかしガン見するのも問題だ、奥ゆかしく見るべきだな」

「そういう文化なんですね……!勉強になります」

「いや嘘だが」

「……ヨハンさん嫌い」


 ヨハンさんがゲラゲラ笑う中、女性陣の声が響いてきた。身体を洗い終え、ついに入浴しようと言うのか。僕は下半身の反応に備えて湯に浸かる。……あれ、なんか湯けむり凄いな。視界が悪い。そう思っている間に女性陣は湯に浸かったようだ。


「あー気持ちいい……」

「ですねー、それにしても湯けむり凄いですねー?」

「これは霧では?」


 なんも見えん。声だけ響く。フリーデさんの言う通り、湯けむりに加えて霧が出てきているようで視界は極めて悪い。ぼんやりと3人の人影が見えるだけだ。


「まあ概して温泉街っつーのは湿気が多い、夜になって気温が下がると霧も出るのかもなぁ」

「…………」

「元気出せよ少年」


 ゲラゲラと笑いながらヨハンさんに背中を叩かれ、しょんぼりしながら風呂を出た。

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