第82話「モンスターの定義と新入り」

「よいしょ」

「Ia!?」


 僕は盾を振り下ろしてゴブリンのつま先を砕き、前のめりになり丁度いい所に来た頭に鍋を叩きつける。頭蓋骨を砕いた感覚と共に、鍋に魂が蓄えられた事を感じる。これでゴブリンは全滅、8体の群れだった。子供の体躯しか持たない彼らは、数の問題をクリアすれば弱敵だ。


「ところでさ」

「何?」

「モンスターの定義って何?ゴブリンって繁殖能力は凄いけど、あとは人間の子供と変わりなくない?」

「魔力を持ってるかどうかよ」

「……その定義だと人間もモンスターじゃ?」

「言い方が悪かったわね、魔力を持っていてそれを肉体の一部として使っているかどうかよ。例えば魔猪なんかは同じサイズの猪よりも屈強だけど、それは魔力を筋肉の代わりに使ってるから……って言われてるわ」

「へぇ……じゃあゴブリンは?別に筋力に優れてるとは思えないけど」

「ゴブリンはその……せっ、精液が魔力で構成されてるって言われてるわ」


 イリスはそう言って顔を赤らめた。いけない、知らずにセクハラしてしまったか?でもこれは仕事の知識だし、ここで僕まで恥じらったら本当にセクハラになってしまう。努めて平静を装って話を続ける。


「どういう事?」

「ゴブリンって種族どころか男も女も関係なしにはらませて、その子は全部ゴブリンになるでしょ?多分せ、精液にそういう魔法がかかっているんだと思う」


 魔法は半実体のエネルギーで、半実体の内なら呪文で定義付けてやれば自在にその性質を変える。ゴブリンのそれは、具体的な術式は不明だけど「種族関係なしに受精しろ」「男なら腸を変質させて子宮を作れ」「子供は全てゴブリンになれ」と定義付けられているという事か。こわっ。


「厄介だなぁ……」

「術式を解明出来れば不妊治療にも活かせそうなんだけどね。でもゴブリンをはじめモンスターを解剖してもどこにも術式なんて刻まれてないし、無意識に魔法を使ってるとしか思えない……って魔法学院の先生が言ってたわ。それが意識しないと魔法を使えない人間との違いかしらね」

「なーるほど……」

「あたしからも質問良いですか?」


 ルルが手を挙げる。


「魔力って半実体でもある程度じゃないですか。って事は魔力を持ってるモンスターは普通の動物より硬かったりします?」

「硬いと思うわ。でも魔力って金属に弾かれるでしょ?だから金属製の武器で攻撃している限りはそのアドバンテージは殺せてると思うわ」

「なるほどー」


 魔力は半実体の状態でもさわれるし、圧縮して打ち出せばパンチくらいの威力は出る。という事は魔力を全身に巡らせていれば物理的に抵抗力が生じるのでは……というのがルルの推測だったが、それは事実らしい。だが金属で殴れば魔力はそこから移動するので、その特性は消えると。


「金属って偉大なんだなぁ」

「モンスター退治には必須よね。これが無いと人間は知恵以外ではあらゆる面でモンスターに劣るから」


 僕が居た世界では最初に鉄器を発明した民族が帝国を築いたと習った気がするが、この世界でもそうなのだろうか。興味は尽きない。


 そんな話をしながらブラウブルク市に戻り、報酬を受け取ってから帰宅した。



「すみませーん、"鍋の" クルトさんのお宅はこちらで?」

「はーい、そうですよ」


 家でのんびりしていると扉がノックされ、そんな声が聞こえてきた。扉を開けるとごく普通の男性が立っていた。


「ウドさんからお手紙預かって来ましたよ」

「マジですか!」

「マジですよ、はいこれ。んじゃ失礼しましたー」


 手紙を受け取ると、男性はさっさと帰ってしまった。郵便鞄を持っている様子もないし、この世界には郵便局のようなものは無いのだろうか。僕はテーブルにつき、窓辺で涼んでいるルルに声をかけてみる。


「ねえ、人に手紙を出したい時ってどうするの?」

「農村だと、たまに来る行商人に託しますねー。街なら配達人が居るんじゃないですか?」

「ふーん、でもさっきの人はそれを職業にしてる感じじゃなかったけどなぁ」

「街の中ならわざわざ配達人に頼んだりしないわよ、その街区の地理に詳しい人に手紙を預けて済ますわ」


 部屋で魔法書を読んでいたイリスがそう言う。そういうものか。


「郵便局は無いんだねぇ」

「皇帝陛下はそういうのを作ろうとしたけど、失敗したわね」

「なんで?」

「不輸不入権。領主はその領土に入ってくる人を自由に制限出来るでしょ。それが侵されるって諸侯に大反対されたのよ」

「……中世だなぁ」

「現代だってば」

「はいはい。さて読んでみるか……」


 僕はウドさんの手紙を開いてみる。そこには乱雑な字が殴り書かれていた。あまりにも雑過ぎて読めない。基本的な文字は習ったが、崩し字はまだ読めなかった。


「……現代人のイリスさん、悪いんだけど読んでくれないかな。字が崩れすぎてて読めない」

「はいはい」


 イリスに手紙を渡すと朗読してくれた。


「えー、"何度か訪ねてきた声は聞こえていたが、研究が佳境で手が離せない。悪いが1週間後にでも訪ねて来てくれ、そこまでには終わらせる" ……だって」

「ありがとう。……よし、やっと会談の目処が立った」

「その鍋に付呪を施した人なんでしょ、ウドさんって。私も興味あるから一緒に行っても良い?」

「勿論」


 そういう事になり、僕とイリスは1週間後にウドさんを訪ねる事になった。



 その後も僕たちはクエストをこなしながら過ごしていた。冒険者ギルドは受付が増員され、新入団員も続々増えていた。受付は殿下が貧乏貴族の娘を斡旋あっせんしたようで、やや平民を見下しているフシがあるが能力はばっちりだ。文字の読み書きは勿論、金勘定も出来るのでドーリスさんは助かっているようだ。


 新入団員は旧ザルツフェルト伯爵領の農民が多いようで、暇を見てはカエサルさんが訓練に当たっている。……ほとんど全員が着の身着のまま、腰の日用ナイフ1本だけで来たようだが、内戦を想定して武器と鎧を貸し与えられた【ガッリカ】【ゲルマニカ】と違ってそれが初期装備となる。……【ガッリカ】【ゲルマニカ】の人たちも内戦終了と共に武器甲冑を返却させられたが、彼らは略奪で得たカネで装備を整えたようだ。


「……ああいう装備の人たちって最初の段階はどうやって生きていくんだろう。日用ナイフじゃゴブリン相手でもつらいでしょ」

「正式団員になった手付金で棍棒でも買ってどうにかするしか無いでしょ。それか研修先のパーティーに予備の剣でも貸してもらうか」

「うへぇ……」


 手付金は銀貨5枚だ。剣の値段はどんなに安くても銀貨30枚は下らないので、本当に棍棒くらいしか買えないんじゃないか。


「他人事みたいに言ってるけど、あんたの装備は棍棒よりひどいんだからね?」

「それもそうだったわ。とはいえ最初の略奪で兜と盾が手に入ったから何とかなったけど」


 それすら無い新入団員は防具なしに、押し寄せるゴブリンを棍棒で叩き殺していくしかない。死傷率はひどい事になるのだろう。僕は彼らの幸運を祈った。


 クエストボードを確認したが、飛行するモンスターばかりで断念した。遠隔攻撃出来るのがイリスだけというのはやっぱり辛い。


「新入りの中に弓使いとか居ないかなぁ……」

「投げナイフ使いでも良いんだけどね。……あんた覚えたら?」

「真面目に検討しようと思うよ」


 その時、扉が開いて1人の男がギルドに入ってきた。顔面火傷痕や傷だらけの男で、年季の入った革の胸当てを着けている。そして胴体に巻きつけたベルトに大量のナイフを差していた。歳は20代に見えるが、顔の傷で不鮮明だ。彼は受付に行くと受付嬢と話し始めた。


「冒険者ギルドに入りたいんだけど」

「入団希望ですね。お名前は?」

「ヨハンだ。"鍛冶屋のシュミット" ヨハンだ」


 "Schmidt" Johan……英語だとジョン・スミスになるだろうか。日本語だと「山田太郎」くらいのありふれた名前だと聞いた事がある。本当にそういう名前の人、居るんだなぁ。


「戦闘経験は?ありそうですが」

「それなりにね。投げナイフはそこそこ出来るつもりだ」

「わかりました、少々お待ち下さい」


 そう言うと受付嬢はドーリスさんを呼んで引き継いだ。


「本来でしたら訓練を受けて頂くのですが……その装備に身のこなしを見るに、必要無さそうですね。3ヶ月程度、既存のパーティーに割り振ってそこで研修して頂きます。宜しいですか?」

「構わない」

「では各パーティーにかけあって受け入れ先を探しますので、それまではギルドの2階にお部屋をあてがうのでそこでお待ち下さい」


「「「その人下さい!」」」


 【鍋と炎】の3人が一斉に手を挙げた。


「……他のパーティーとですね、」

「「「内戦で損害が出たのは前衛職だと思います!うちは最初から後衛が足りないので下さい!」」」


 ドーリスさんはため息をつき、パーティーの名簿をぱらぱらとめくって確認した。


「まあ、良いでしょう。ただし後で他のパーティーが欲しがったら協議で決めます。宜しいですね?」

「「「はーい」」」


 そう言う事になった。ヨハンさんは面食らったような顔をしていた。そういえば彼の意向を聞いてなかったな。


「……すみません、嫌でした?」

「い、いや別に。実力は十分……に見えるし、問題無いよ」

「そうですか。良かった……」


 僕はヨハンさんの顔を見る。……どこかで見たことがあるような気がするな?でもこんな傷だらけの人は見たら鮮明に覚えているだろうし、気の所為か。


 ヨハンさんはそのまま入団手続きを済ませ、荷物をギルドの2階に置いて戻ってきた。そして自己紹介が始まった。


「宜しく、俺はヨハン。歳は22だが気楽に接してくれて良いよ。役割クラスは……まあ、盗賊って事になるのかな。よろしく」

「よろしく、ヨハンさん。私はイリス、火炎魔法使いにして【鍋と炎】のリーダーよ」

「僕はクルト、戦士です。武器は鍋ですけど」

「あたしはルル、戦士ですー。槍使いです!」

「あ、ああ。よろしく」


 ヨハンさんは一瞬戸惑っていたが、すぐに笑顔になった。


「で、早速なんだが……ここに来るまで色々あってね、殆ど無一文なんだ。早速クエストに連れて行ってくれると助かるんだが」

「どうする?勢いで採っちゃったけど、いきなりクエストは……」

「そうね、実力もわからないし……」


 僕たちがそう言うと、クエストボードの方で悲鳴が上がった。見てみると、ドーリスさんが貼ろうとしていた「新入団員あり 役割クラス盗賊、投げナイフ使い。採用希望するパーティーは受付まで」という紙にナイフが突き立ち、クエストボードに縫い留められていた。


「これで証明にならないかい?」


 いつの間にかヨハンさんのベルトから1本のナイフが消えていた。僕たちが気づかないうちに投げていたらしい。


「「「…………理解しました、クエスト行きましょう」」」


 3人が頷くと同時、青筋を立てたドーリスさんがやってきてヨハンさんはこってり絞られた。それから、僕たちはクエストに出かける事になった。

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