第12話「洗濯と甲冑師」

 気づくとすっかり夜で、隊はエルデ村の近郊で野営していた。昨日使った野営地をそのまま利用する形だ。今日もスープを作ろうとしたが、「怪我人は寝てなさい」とイリスに鍋を奪われてしまった。仕方ないので調理するイリスの背中を眺めていることにした。彼女のヒップは意外と豊満だ。


 彼女はしばらくして出来上がったスープを運んで来てくれた。


「お待たせ」

「ありがとう」


 ソーセージは昨日食べきってしまったので再びキャベツのスープに逆戻り――と思ったが、スープの中にはベーコンがごろごろと入っていた。


「ベーコン持ってたんだ」

「さっきエルデ村の人から買ってきたのよ。血を失ったら肉でしょ」

「……ありがとう」


 僕が負傷した事を気に病んでいるのだろう。前回のように恩を着せることもなく、むしろベーコンを僕の方に寄せてくる。イリスの援護が無ければあの敵兵は倒せなかっただろうが、それは彼女もわかっている気がした。その上でこの厚意なのだから、素直に頂いておくのが正解に思えた。その方が彼女もすっきりするだろう。


「じゃ、ありがたく……頂きます」

「何その祈り」


 ……しまった、気が緩んでいてつい言ってしまった。この世界では食べる前の祈りの文句はないのだった。


「えっと……命を頂きますというか、なんか食べ物になったものに感謝したい気持ちになったというか……」

「ふーん。ま、あんな戦闘経験したしね。私達が今にいられるのは本当に紙一重だし。神に感謝ね……頂きます」


 イリスはそんな風に解釈して、僕の真似をする。……あれっ、もしかして僕が現代というか日本からこの世界に持ち込んだ知識、これが1つめ?


 これで良いのかなあ、でも記憶喪失って言っちゃった手前、知識披露するのもなあ。そもそも戦争中で披露する余裕もないし……などと考えながらスープを飲んでいると、また身体の中に力が流れ込んでくるような感覚を覚える。


「……来た?」

「……来たわね」


 1回目は会戦の後の行軍中。次の日は何も起こらず、そして今日の戦闘の後でこれだ。


「もしかして、人を殺した後にこうなるのかな」

「状況的にはそう思えるけど。……ねえ、本当にその鍋外法の産物じゃないかしら。命吸ってるとしか」

「や、やめてよ。まだこの鍋で調理するのは3回目だし、それに力が流れ込んで来ても何の変化もないでしょ?もっと慎重に考えよう」

「そ、そうね……」


 僕たちはとりあえず議論を先送りにする。そうだとしか思えないが、今食べているスープが本当に「命を頂いている」としたら何だか食べるのがはばかられてしまう。僕は考えを振り切ってスープとパンをかきこんだ。


 この日はそれきり会話も少なく、寝ることになった。毛布代わりの鹿の毛皮は斬り裂かれてしまったので、イリスがエルデ村からシーツを借りてきてくれた。「一緒に寝てくれないの?」と聞くと「調子に乗るなバカ」と真顔で言われてしまったので仕方なく一人で寝ることにした。どうやらサービスタイムは終わってしまったようだ。ぐぬぬ。



 明朝、マルティナさんが傷を診に来てくれた。


「うんうん、血も止まってますね……というか治りが早い気がします。でもとりあえず、回復ヒール


 マルティナさんが呪文を唱え傷口に手を翳すと、傷口が光に包まれ……


「ぎゃーッ!?痛いし痒いです!」

「回復魔法は治癒ちゆ力を促進するものですからね、今ので2週間ほどの回復が一気に行われました。急速に肉が生えると痛いらしいですね。私は自分に使った事ないのでわからないですけど」

「おおう……でもありがとうございます」

「どういたしまして。このぶんだとまないと思いますが、出てきちゃったら言って下さいね」

「わかりました。……ちなみに、傷が深くて回復魔法が無い時の標準的な治療ってどうなるんですか?」

「焼きごてで焼き止めます」

「勉強になります」


 よし、絶対に大怪我しないようにしよう!やっぱり防具を揃えるのが先決だ。



 今日の行軍も荷馬車に揺られ、何事もなく終わった。夕食時また鍋でスープを作ったが、力が流れ込んでくる感覚はなく「命を吸ってる」という確信が深まってしまった。


 そして翌日、ついに。


「皆、今回の遠征誠にご苦労だった!今日はもう休んでいいぞ!」

「「「Foooooooooooo!」」」


 帰ってきた、ブラウブルク市へ!


 団員達は荷解きもほったらかして昼間から飲みに出かけたが、僕は財布の中身が綺麗にカラなので部屋に直帰だ。仕方ないので今日は洗濯に充てることにした。遠征で着替えは使い切ったし、略奪したギャンベゾンも洗いたい(他人の汗が染み込んだものは着たくないし)。


 桶でも借りられないかなと広間にやってくると、受付の所に知らぬ顔が居た。ベストを着た小柄な女性で、ごわごわした黒髪を後ろで束ねている。……受付嬢、だろうか?


「すみませーん」

「はい、なんでしょうか?」

「洗濯したいので桶を借りられないかなと思ったんですけど。あっ、僕は見習いのクルトです」

「ああ、記憶喪失になったという……では改めて自己紹介しましょう、私は事務員のドーリスです。挨拶が遅れて申し訳ない、会戦中は救護、その後は戦後処理で忙しかったもので」

「いえいえ、よろしくお願いします……失礼ですけど、ドーリスさんってエルフですか?」


 彼女の耳は尖っていたのでそう思ったのだ。ただ体格は小柄ながらがっしりしており、バストは豊満だ。


「いいえ、ドワーフですよ。……新教徒はそうでもないですが、旧教徒……もしくは異教のエルフとドワーフは仲が悪いので、その点は気をつけた方が良いですよ」

「あ、すみません」

「問題ありません。……本当に記憶喪失なんですね。さて、桶でしたね?倉庫にあるので取りに行きましょうか」


 彼女についてギルドの外に出ると、すぐ隣にレンガ作りの倉庫があった。彼女は鍵を開け、扉を全開にして光を取り入れる。……ううむ、電気がないって不便。


「ここが倉庫です。戦利品もここで保管されているので、団長か私の許可なく入らないで下さいね。問答無用で牢獄ろうごく行きですので」

「りょ、了解です」


 見れば、そこかしこに甲冑や剣が積まれている。見覚えのあるものはここ数日の戦闘で得たものだろう。


「はい、これが桶と洗濯板です。使い終わったら私に返してくだされば結構ですよ。あと、灰は広間にある暖炉のを使って大丈夫ですよ」

「灰?」

「水に灰を溶かして、その上澄み液を使うと汚れが良く落ちますよ。尿でも良いですが」

「尿!?」

「だって石鹸せっけんは高いじゃないですか。そういうので代用するんですよ」


 衛生観念が現代ヨーロッパと同等とか言ってた女神への怒りが湧き上がるが、考えてみれば灰はアルカリ性、尿にはアンモニアが含まれているはずなのでそれを利用しているのだろうか。理屈はわからないけど。ううむ、理科の授業ちゃんと受けておけばよかった。


 広間に戻って暖炉から灰をさらい、洗濯物を持って中川に行ってみる。井戸水を桶にむのは重労働に思えたからだ。川辺では洗濯婦達が談笑しながらせっせと洗濯していたので、この川の水は使って良い事もわかった。……洗濯排水を川にぶちまけているのを見るに、下水道は無いのだろう。まあ川の水はさんさんと流れているし、何よりここは上流域だ。綺麗な水なのだと信じて桶に水をみ、灰を混ぜ込んでしばらく待つ。桶は2つ借りたので、上澄み液をもう片方に移せば代用石鹸せっけん水の出来上がりだ。


 代用石鹸せっけん水に浸した洗濯物を洗濯板でごしごしとこするが、これはひどい重労働だ。右手を使うと傷が開きそうなので左手しか使えないのも辛い。洗濯婦達の中には桶に突っ込んだ洗濯物を足で踏んでいる者が居たので、あまり汚れていないものはそれに習って楽をする。……いや楽ではない、結局脚が疲れる。ううむ、これは改善の余地があるな。


 へとへとになってギルドに帰り桶を返却し、井戸の近くに物干し竿があったのでそこに洗濯物をひっかける。


 そして僕は、洗濯中に思いついたことをある人物に話すために街に繰り出した。



「こんにちはー。ヴィム居ますか?」


 やって来たのは故ディーターさんの工房。今は奥さんと息子のヴィムが切り盛りしているはずだ。


「ん」


 無表情で出てきたのは燃えるような赤毛の少年。無愛想なのは元からのようだ。


「今日はちょっと相談があって」

「相談?」

「そうそう、こういうの作れないかなって」


 僕は思いつきをヴィムに話してみる。


「……ん。出来ると思う。今度試作品作ってみるから、完成したら呼ぶ」

「ありがとう!」

「じゃ、鍋見せて」

「あっ」


 しまった、彼が鍋に興味を持っているのを忘れていた。外法の産物かもしれない鍋をイリス以外に見せるのは気が引ける。しかし、イリスでもわからない付呪が施されているものだ。彼女の話では実際のモノを作る職人と付呪師は分かれているようなので、甲冑師のヴィムに見せても見破られないかもしれない。それに、彼は無愛想だが悪いやつではないと直感が告げていた。結局僕は鍋を見せてみる事にした。


「……」

「ど、どうかな」

「高度な付呪が施されてる事はわかるけど、それが何なのかは僕にはわからない」


 ほっ。


「でも、この鍋は多分……親父の作品だ」

「えっ」

「微妙に残ってる鎚の跡。仕上げ処理。鋲の打ち方……間違い無いと思う」

「凄いね、そんなのもわかるんだ」

「小さい頃から見てきたから。……親父の遺品整理、まだ終わってないんだ。もしかしたらこの鍋に関する情報が残ってるかも。探してみる」

「いいの?ありがとう!」

「記憶を取り戻したいんでしょ。助けになれるかも。それに俺も、親父が何を考えていたのか知りたい。大切な事を教わる前に死んじゃったから」

「……そっか。なら任せるよ、ありがとう」


 ヴィムは律儀に見送ってくれた。やはり根は良いやつなのだろう。思わぬ収穫を胸に、僕はギルドへときびすを返した。日はすっかり傾き、夕日に照らされる青い山ブラウブルクが綺麗だった。



「ギャンベゾンが乾いていない!」


分厚いからね。

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