鍋で殴る異世界転生

しげ・フォン・ニーダーサイタマ

第1章 鍋で殴る戦争編

第1話「チートはねえ、好感度もねえ、右手にあるのは鍋ひとつ」


 夕日の差し込む教室で、その場に似つかわしくない女神然とした女が淡々と告げる。


「一度失った命を蘇らせるというのは、転生先がたとえ異世界であっても天秤が釣り合いません。よってあなたは既存の命とすり替わる形で転生を果たします。転生先の命は同い年、ほぼ同じ外見、おや偶然にも名前の読みも同じですね。職業は――――冒険者ギルドの見習い、絶賛戦争中」



 強烈な衝撃で回想から引き戻される。左手で空に掲げた鍋蓋に深々と矢が突き刺さり、その矢先が僕の右目の数ミリ手前でギリギリ止まっていた。


「ひえっ」


 情けない悲鳴を笑ってか、ブリガンダイン革の裏に鉄小札を留めた鎧を着込んだ男が口角を歪めながら僕をどやす。


「いいぞ見習い、だが次はしっかり見て受けろよ。身体に当たったら即致命傷だからな!」


 見れば自分は粗末なチュニックしか着ていない。確かに鍋蓋をやすやすと貫通した矢が当たればひとたまりもあるまい。そして自分の右手には鍋が握られている。


「なんで」


 こんな装備で、戦争に?


「なんでッてお前、ギャンベゾンぬののよろいすら買えなかった手前の稼ぎのせいだろうがよ。ま、この戦争で少しは稼げるだろうよ。普通見習いッてのはお前みたいな装備でゴブリン退治に出て戦死ゲームオーバー……斉射来るぞ!」


 空を見上げれば、風切り音を立てながら矢が打ち上がり、致死の雨となって降り注ぐのが見えた。


「こんな事に!?」


 祈るように鍋蓋を天に掲げた。




 殆ど奇跡的に矢の防御に成功した僕は、呆然としながら周囲を見渡す。自分が居る集団は戦列の左翼に位置しているようだ。恐らくこの集団が「冒険者ギルド」なのだろう。最前列を戦士風の男女達が固め、その隙間から弓使いや魔法使い風の者達が攻撃の機会を伺っている。僕はブリガンダインの戦士の左後方……すなわち戦列の結構前に居る。右隣には魔法使い風の少女が杖を握りしめ、戦士達の肩越しに攻撃の機会を伺っている。少女と目が合うと、不信感に満ちた目でにらまれた。嫌われてる?なんで!?


 突然の敵意に殆ど目を逸らすようにしてさらに周囲を見渡す。……僕たちの左側、最左翼は騎兵の群れ。右側、戦列の中央は市民兵だろうか。最前列はプレートアーマーで身を固めた者達がちらほら居るが、それ以降列が下っていくと装備はお粗末なものになってゆく。厚手のコート……あれがギャンベゾンぬののよろいというやつだろうか?を着ている者はまだ良くて、僕と同じようなチュニックに鍋蓋といった装備の者たちが殆どだ。右手にナイフを握りしめている点で僕より上等だが。


 右翼側は僕達の位置からは見えない。そこでやっと前を向いてみると、両軍のクロスボウを持った者達が前進し、激しい撃ち合いを展開していた。この射撃戦はこちらが優勢に進めているようだ。


「ハン、クロスボウの撃ち合いで都市側ウチに勝てるわけねェだろうが」


 ブリガンダインの男があざけるようにして言う。


「……都市の方がクロスボウの質が良いんですか?」


 恐る恐る聞いてみると、男は視線を前に向けたまま答えてくれた。


「質はどっこいどっこいかねェ。だが見てみろ、数が違うだろ?ウチはクロスボウの産地なんだよ。民兵隊に供給出来る程度には余ってる」


 言われてみれば、数の上でこちらのクロスボウ兵は敵を圧倒していた。次々と置き盾を破壊し、隠れていたクロスボウ兵を撃ち殺してゆく。殺して……?


「ヒッ……」


 人の死を直接見るのは初めてだ。

 遠目とはいえ、頭を、胸を貫かれ血泡を噴いて倒れる男女。それを直視してしまった。映画では見たことがある。しかし直接、目の前で、人の命が失われてゆくのは初めてだ。


「なんだァ、人死見るのは初めてか?まあすぐに慣れる。なんせそろそろ俺たちの出番だからな、気合入れろよ」

「え?」


 味方のクロスボウ兵は敵のクロスボウ兵を散らした後、歩兵戦列に射撃を加え始めた。敵は撃たれっぱなしを嫌ってか前進してきた。敵愾心てきがいしんに満ちた目で。僕たちの方に。



「なんで」


 そう言わんばかりの表情だった。困惑した表情の老年男性が運転する車が、僕の方に突っ込んでくる。ほぼ同時に僕も「なんで」と漏らしていた。車はさらに加速し、僕の意識は飛んだ。


 ……気づいた時には、僕は虚空に突っ立っていた。どこからともなく光が差込み、僕の周囲を照らしている。


「ここは……?」

「死後の世界ですよ」


 気づけば、目の前に白いローブをまとった男性が立っていた。


「おや、君の神のイメージはそういう感じですか。我々は君のイメージ通りの形をとる。ヒトはそのようにしか認識出来ない……まあそういう事なら、もう少し威厳のある話し方の方が……よいか?」


 間接的に神を名乗る男をよそに、僕は女神をイメージしてみる。すると目の前の男がきわどい衣装の女神へと姿を変えた。


「……中々図太いですね、君」


 気づけば周囲も古代ギリシア風の神殿へと姿を変えている。


「まあ私の姿は自由に想像してよろしい。早速ですが本題に入りましょう。単刀直入に言えば君は死にましたが、それなりに徳を積んでいたので転生の機会が与えられます」


 徳?僕は日本で暮らす普通の高校生だ。人の道を外した覚えもないが、かといって聖人のような振る舞いをした覚えもない。


「先進国で暮らしていると自然と積まれるものです。悪事を行わないでも生きていけるレベルまで社会が発展した恩恵ですね」


 なるほど。……思考を読まれた?


「神ですので。ともあれ、その恩恵によって君は再び命を得る機会を与えられます。正確には魂を入れ替える形になりますが」


 周囲は見慣れた放課後の教室に変わっていた。夕日が僕と女神を照らす。


「一度失った命を蘇らせるというのは、転生先がたとえ異世界であっても天秤が釣り合いません。よってあなたは既存の命とすり替わる形で転生を果たします。転生先の命は同い年、ほぼ同じ外見、おや偶然にも名前の読みも同じですね。職業は――冒険者ギルドの見習い、絶賛戦争中」

「あの、それって」

「転生先の魂は数時間後に死ぬ事が予測されているので、その点は罪悪感を抱く必要はありません。放っておいても死ぬ命ですので。それに悪徳を積んだ人物を選定していますので、そこも気にかける必要はありません」


 思考を先読みされる違和感に戸惑う。なるほど、悪徳を積んで、数時間後に死ぬ人物と入れ替わる。確かに身体を乗っ取るという罪悪感はちょっと薄れる。だが。


「それって結構絶体絶命じゃないですか?数時間後に死ぬんですよね」

「本来なら、です。君は前世の記憶を保持したまま転生を果たします。現代知識の恩恵チート如何様いかようにでも運命を変える事が可能でしょう」


 なるほど、悪くないように思える。……そういえば今、この女神「対話」してくれた?思考を先読みして話される不快感を読んで配慮してくれたのだろうか。意外と良いヒトなのかもしれない。そう思うと、少し欲が湧いてきた。


「あのう、よく異世界転生モノであるじゃないですか。恩恵ボーナスとして何か特別なアイテムを持って転生したりとか。そういうの無いんですか」

「中々貪欲ですね。……残念ですがありません。しかし代わりと言ってはなんですが、転生先の人物は現地の――――限定されてはいますが――――市民権と、冒険者ギルドの見習いという食い扶持ぶちを持っていますので、食いっぱぐれて野垂れ死ぬ事は当面ないでしょう。……以前は良くあったんですよ、転生先で市民権がないばかりにギルドにも入れず物乞いで人生を終えたり、娼婦しょうふに身を落として病気にかかって死んだりする例が」


 うわぁ。


 異世界転生モノでよくある、転生してすぐに冒険者ギルドに入って簡単な仕事でとりあえず食い扶持を稼ぐ……というのは本来難しいのか。それはそうだ、現地にも社会と秩序がある。転生者は得体のしれない異邦人でしかないのだ。そんなヤツに地位の保証と仕事を与えてくれるほど、世界は甘くないということか。


「ともあれ、恩恵チートこそありませんが直近の生命の危機さえ凌げば現代日本人でもそこそこ快適に暮らしていける事は保証します。文明レベルは中世末期から近世初期程度ですが、食文化も衛生面もさほど現代ヨーロッパと乖離かいりしていない世界です。……私は再び命を得る機会、と言いましたね。もう一つの選択肢として、転生せずこのまま天国に行く選択肢もあります」

「天国」

「次の転生――――記憶を失い、新たな生命赤子として生まれ変わる通常の転生――――までの待機所のようなものです。あらゆる苦しみはありませんが、快楽もない世界です。徳も悪徳も積ませず、現状のカルマを維持したままただ待つだけの世界」

「あまり魅力的には聞こえませんね」

「そうでもありません。天国で待機し、今のカルマを維持したまま転生すれば……まあ君ならまた現代日本かそれ相当の世界に生まれ落ちるでしょう。対して異世界転生は、苦しみもある。悪徳を積んで死ねばより下位の世界に落ちる可能性もある。逆に言えば善行を積んで死ねば、次はより上位の世界に転生出来る可能性もある。……これは、困難な世界で善行を積んでより上位の世界への転生を目指すか、現状を維持するかという選択です」


 なるほど。確かに難しい選択だ。


 しかし天国に行って記憶を失い転生する……記憶を失う、というのは僕にとって「本当の死」だ。


 死。16歳で車にはねられて死んだ。青春の半ばで、何も成し遂げる事なく。その事実を噛みしめると、自然と涙が出てきた。やりたかった事、家族の顔、もっと遊びたかった友達の顔が浮かんでは消える。


 女神は僕が泣き止むのをじっと待ってくれていた。やはり良いヒトなのかもしれない。


「決めました……異世界転生、します」

「その選択に後悔はありませんか」

「ありません。もう一度、僕は僕の記憶を持って人生をやりなおします」

「よろしい、葛城来人クルト。あなたは冒険者ギルドの見習いCurtクルトと入れ替わり、転生を果たします。……良き人生を」



 そういえば絶賛戦争中って言ってたの忘れてたな。現代知識で如何様にでも運命を変えられるとか言ってたが、戦争の最中鍋ひとつ、現代知識でどうにか出来るわけがない。ふつふつと湧いてきた神への不信感と怒りから、鍋の柄をぎゅっと握りしめる。

 そして雄叫びをあげて突進してくる敵兵の群れを前に、僕は鍋を構えた。

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