第38話雪女

 好きな人の好きな人を嫌いになるのは当然の心理である。


 松明の長い縦列を抜けると雪山だった。洞窟の外はすっかり真夜中である。

 酷く寒かった。極寒の二文字が頭に浮かぶ。

 私は居るはずの妖怪を探す――真っ白い着物を着た女が立っていた。


 帯が水色で雪の結晶が模様になっている白い着物。前髪が顔を半分隠している。袖で口元を隠している。はっきりと顔が分からないが、身体つきから女性だと考えられる。


 その女性は私に近づいて「柳友哉さんですね」と言う。抑揚のない、高めな声だった。

 私が頷くと女性はくるりと後ろを振り向いた。


「あ、あの……どちらへ?」

「私について来てください。案内いたします」


 先ほども思ったが、夜の雪山は身が凍えるほど寒い。それに着ている服は冬服だが、耐えられるほどではない。せめてコートが欲しい……


「どこまで歩くのですか?」

「二十分ほどです」


 距離ではなく時間で答えられても困るのだが、とにかくついて行くしかないみたいだ。

 身体をこすりながら、私は女性の後ろを歩く。


 十分ほど経って、限界が訪れた。

 吹雪いていないとはいえ、風が強く、歯の音が鳴り止まない。

 耳が千切れるほど痛く、足先や手先の感覚が無くなっていく。


「あの、まだ着きませんか?」

「これでようやく半分ですよ」


 鼻水を垂らしながら質問すると、非情な答えが返ってくる。

 おそらく彼女は妖怪だから、この状況でも平気だろうが、私は耐え切れそうにない。

 歩く速度が徐々に遅くなり……その場に膝をついてしまう。


 駄目だ、目も開けられない……




 気がつくと私は布団に包まって寝ていた。

 見知らぬ小屋。暖房が効いている小さな部屋。

 布団から這い出ると、部屋の扉ががらりと開いた。


「気がつかれましたか?」


 先ほどの女性だった。相変わらず、顔を隠している。

 私は「ええまあ」と曖昧に頷いた。


「少し懲らしめるつもりで意地悪をしました」

「……でしょうね。そうでなければ、あんなことはしない。でも、懲らしめるとは? 私は何かやりましたか?」


 そう訊ねると女性は私の近くで正座した。

 私も向かい合って座る。


「あなたが突然居なくなったと、雨女――しぐれが泣いていました」

「……しぐれの友達ですか?」

「ええ。私は雪女です」


 雪女――男を惑わし氷漬けにする妖怪だ。

 雪女は「しぐれとは古い付き合いです」と言う。


「今、しぐれは友達や知り合いに頼んで、あなたを探していますよ」

「それは申し訳ないことをしました……いきなり悪五郎に拉致されてしまいまして……」

「先ほど、八岐大蛇様から事情を聞きました。いずれ神野様には落とし前を付けさせていただきます」


 魔王に対して物騒なもの言いで怒りを示した雪女。イメージと違ってクールな性格ではないらしい。


「それで、私の分の妖気は瓢箪に詰めておきました」


 雪女が枕元を指差す。そこには八岐大蛇から貰った瓢箪が置かれていた。

 手に取ると少し重くなっている。


「ありがとうございます。しかし、和菓子をご馳走しなくてもよろしいのですか?」

「客として、改めてあなたの店に行きますよ。しぐれにも会いたいですし」


 雪女は「しばらく休んだら、和菓子を作ってください」と立ち上がった。


「調理器具や材料はここに揃っております」

「分かりました……」

「食事は自分で作ってください。その材料もありますから」


 どこか愛想が無いように感じられた。

 私は「相当怒っているようですね」と言う。


「当たり前です。あなたのせいで、しぐれは妖怪で無くなった」

「…………」

「いずれ人として死んでしまう。そんな悲しいことはないでしょう」


 そう言われてしまったら言葉もない。

 責める気持ちもよく分かる。

 だけど――


「私はしぐれを人にして、後悔はありませんよ」

「……なんですって?」

「あなたからして見れば、身勝手に思われるでしょうけど、私は――」


 自信を持って、私は雪女に告げた。


「しぐれを愛しています。絶対に幸せにしてみせますよ」


 何の根拠もないし、論理的ではない。

 聞きようによっては雪女を挑発しているようだ。

 でも、雪女は――


「迷い無く言える人に嫁げて、しぐれは幸せ者ですね」


 そう言い残して、雪女は出て行ってしまった。

 残された私は、自分の頬を両手で叩いた。

 早くこなして、しぐれたちのところへ、私の帰るべきところへ戻らないと。

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