第36話目目連

 気づいていないふりは悪いことではない。無論、良いことでもない。


 市役所に婚姻届を出した週末。

 私はしぐれとデートしていた。

 結婚してからデートというのもおかしな話だが、最近は店が忙しく二人きりも少なかったので、機会が無かったというのが正しい。


 ミケは給料を渡して遊びに行かせた。コンは私の鞄に筒ごと入っている。つまり店は休みだ。ミケも一緒に行こうと誘ったが「野暮すぎるにゃん」と呆れられてしまった。


 電車に乗って都会に出てきた。駅の近くの繁華街で、しぐれと服を買ったり、美味しいと評判の洋食屋でランチをしたり、彼女が前々から行きたかった水族館に行ったりした。両手に荷物を抱える私は、楽しそうなしぐれの様子を見て、この人と結婚して良かったと思った。


 水族館でぬいぐるみやらミケのお土産を買って、また荷物が多くなってしまった。それらを駅前のロッカーに預けて、日が暮れる前にどこかでゆっくりしようと公園に寄った。


 遊具で遊ぶ子供たちとそれを見守る親。私もいつか、彼らのようになるのだろうか。

 ベンチに座って、ぼんやりとそんなことを考えていると「良き光景ですね」と隣のしぐれが言った。


「いずれ、私も……」

「なんだ。同じことを考えていたのか」

「友哉さんもですか? ふふ、奇遇ですね」


 可愛らしく笑うしぐれ。美人がそうした仕草をすると、少し見惚れてしまう。

 照れくさくなったので「何か飲もう」と立ち上がった。近くに自販機がある。


「いえ、お気遣いなく。喉はあまり渇いておりません」

「遠慮するな。買うお金ぐらいある――」


 振り返ってぎょっとした。

 ベンチに目玉がたくさん張り付いていたからだ。

 しぐれも遅れて気づき「おや。目目連もくもくれんですか」と言う。


「目目連……目の妖怪か」


 私が座っていたところにびっしりと目玉があるのは、あまり気持ちよいものではない。

 目目連はざああと虫が這うように二箇所に集まり、ゆっくりと人間の顔となり、そして身体を作った。


「リアクションが少ないとは聞いていましたが、本当に感情表現が乏しいのですね」


 現れたのはコートを着込んだ白髪混じりの中年男性だった。

 黒い手袋にニット帽。紳士杖を持っていた。何故か得意げに笑っている。


「雨女さん……いや、今はしぐれさんでしたな。ご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます。祝われるのはまこと嬉しいことですね」


 笑顔で応じるしぐれ。目目連は「柳さんもご結婚おめでとうございます」と続けて言った。


「人と妖怪が結婚するなど久方ぶりですね。およそ六十七年前だったような」

「少ないのだな。いや当然だが」

「人間の制度で結婚したのは、そのくらい昔ということです。半妖や半々妖はたくさんいますよ」


 目目連は一組の親子を指差す。

 砂場で一人、遊んでいる男の子を見守る母親。


「彼らは妖怪の子孫です。どんな妖怪か分かりませんけどね」

「……どうして分かる? 血の匂いか?」

「私の場合は見れば分かります。目の妖怪ですから」


 私には普通の親子にしか見えない。

 変わっていると言えばそう見えてしまうけど……それは偏見というものだ。


「あなた方もいずれ、子を成すでしょうね。はたしてどんな子が生まれるのか……」

「何が言いたいんだ? 私としぐれの子は人間だ。何も変じゃない」

「しかし神野の血は引いています。いずれ地獄巡りをすることになるでしょう」


 それは――考えていたけど、考えないようにしていたことだ。

 しぐれは「承知の上です」と短く答えた。


「私たちの子も、妖怪と交友することになります。そして友哉さんのように成功するでしょう」

「孫やひ孫が上手くいくと思いますか?」

「先ほども言ったとおり、承知しておりますよ」


 目目連は「しぐれさんのほうが覚悟が上ですね」と立ち上がった。

 そして私の肩に手を置いた。


「あなたの代で、神野の血に決着をつけたほうがよろしいのでは?」

「……どうすればいい?」


 目目連は「あの方に会うしかありません」と肩から手を離した。


「神代から語り継がれている、伝説の妖怪に頼むしかありませんね」

「誰なんだ、そいつは」

「しぐれさんに聞いてください」


 目目連の身体が散らばっていく。

 目玉となって、ひらひらと風に飛ばされてしまった。


 残された私は「その妖怪とは誰なんだ?」としぐれに訊く。

 彼女は目を伏せて「知らないほうがよろしいかと」と答えなかった。


「あの方には神野の血は利きませんよ」

「どうして隠すんだ?」

「……友哉さん。あなたは――」


 しぐれは顔を上げて、真剣な表情で言った。


「私を未亡人にするつもりなんですか?」


 潤んだ瞳。射抜く視線。

 若干震えている手。

 私は、それ以上追及できなかった。




 深夜。店の調理場で仕込みをしていると、勝手口を誰かが叩いた。

 しぐれとミケではないなと思いつつ「どなたですか?」と訊ねる。


「わしだ。悪五郎だよ」


 間違いなく悪五郎の声だった。

 勝手口を開けると、悪五郎は笑顔で立っていた。


「どうしたんですか――」


 腹に疼痛。膝をつく。意識が無くなっていく――


「少し眠ってもらうぞ」


 最後に見えた悪五郎の目は。

 怖ろしいほど黒く濁っていた。

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