第22話鳴釜
どちらを選んでも、元の自分に戻れないとき、あなたなら選ぶこと自体できるか?
真夜中。私の店で妖怪の里の出来事を話すと、雨女は目を丸くした。
「まあ。そのようなことがあったのですね」
大晦日に降る雨は『鬼洗い』というらしい。季語にもなっていると目の前の雨女は教えてくれた。
しばらく雨が降っていなかったから、今年のうちに会えるかどうか分からなかったけど、こうして雨女と大晦日に会えたのは嬉しい。
私はデパ地下で買ったお土産を雨女に手渡した。何でも妖怪の里で作られたものは腐るのが遅いようだ。賞味期限が二月まであった。
「あそこは天狗が仕切っているところですね。私は滅多に行きません」
私の淹れたお茶とこれまた土産の人面大福を食しながら、雨女は物憂げな表情で語る。
「折り合いが悪いのですか?」
「いえ、そういうわけではございません。かの地は浮かれた天狗が多く、誘われることが多いのです」
トイレの花子さんもナンパされていた。雨女は相当の美人だから、そうした誘いは多いのだろう。だとしたらうんざりするのも分かる。
「それに妖怪でも危険な場所でもあります。下手をしたら諍いに巻き込まれるかもしれません。自分に非が無くとも」
「そんなに恐ろしいところだったんですね……」
「人間で言うところの歌舞伎町ですね。しかし節度を持って遊べば、まだ安全です」
そのたとえは分かりやすい。私も数回しか歌舞伎町に行ったことがない。
「そういえば、管狐――コンの姿が見えませんが」
周囲をきょろきょろと見渡す雨女。最近は彼女が来るたびに、コンは姿を一回見せていたのだ。
「ああ。あいつ、妖怪の里に連れて行かなかったので、拗ねているんです」
「仲直りしたほうがよろしいのでは?」
「美味しい油揚げを渡しても、機嫌を直してくれないのです。どうしたものか」
雨女はしばらく黙って「一度話し合ったほうが良いですね」と言う。
「物で誤魔化すのは悪手ですから」
「……そうですね。腹を割って話し合っておきます」
「そのほうが良いかと。ところで店主。今日は店を開いていないようですが、長居してもよろしいのでしょうか?」
「大晦日なので店は休みです。それと気にしないでいいですよ。一人で過ごすより、あなたと一緒に居たほうが楽しい」
雨女は少しだけ頬を赤らめて「相変わらず、口が上手いですね」と笑った。
指摘されて気づいたが、どう聞いても口説いているようにしか聞こえなかった。
「あ、いや。そういうわけではなく……」
「私も、あなたと過ごせて楽しいですよ」
からかう口調だったので、本気にしなかったが、それでもどきどきしてしまう。
私は何とか話題を変えようとして――
「おや。あなたが来るとは思いませんでした」
ふと雨女が後ろを振り返る。
よく見ると、そこには釜が頭の妖怪が居た。小柄で腰が曲がっている。釜も古ぼけていて、おそらく老人なのだろう。服も濃い緑を基調としたものだった。
「お邪魔だったかな?」
声はしゃがれていたが、どことなく裕福な老人のように感じられる。
私は「いえ、別に」と返した。
「失礼ですが、あなたは……?」
「
鳴釜……本で読んだ覚えがあるが、詳細は記憶していない。
古典文学の何かに登場したのは、なんとなく分かるが。
「この方は占い師です。釜の鳴る音で吉兆が分かるのです」
「ほう。占い師ですか。それは凄い」
素直に思ったままに言うと、鳴釜は「大したことはしてない」と首を横に振った。
「妖怪も人間も、わしの占いを素直に聞いた試しがない」
「それはどうしてですか?」
「信じたいものしか信じない。それは生きる者全て同じだ」
河童の言っていたことと似ている。彼は妖怪の在り方のことを言っていたが、目の前の老人は性根を話していた。
私は「立ち話もなんですから」と椅子を出して座らせた。お茶と茶菓子も渡すと鳴釜は「ありがとう」と礼を言ってそれらを食べた。しかしまさか、釜に口があるとは思わなかった。
「どれ。神野の子孫を占ってやろう」
「私をですか?」
「出会った記念にな。雨女、お前も占ってやろうか?」
「私は結構です。良くない結果が出ますと、不安になりますから」
鳴釜は「それもまた選択だな」と言い、私の占いを始めた。
鳴釜の頭からこぽこぽと水が沸騰する音がしてくる。そういえば、釜を沸かして音を鳴らすのだと今更ながら思い出した。
しばらくしてピィーという高音が店内に鳴り響いた。
はたして、どんな結果なのかとわくわくしていると、鳴釜は静かに言った。
「駄目だ。占えぬ。見事に二つの道に分かれている」
二つの道?
私がどういう意味か訊く前に、雨女が「鳴釜殿。これは一体……」と訊ねた。
「おそらく、地獄巡りを絡んでいるせいだ。この世にいない期間がしばらくあるために、きちんと占えないのだ」
「……前々から訊こうと思ったのですが、地獄巡りとはなんですか?」
この問いに鳴釜は「言えぬ」と言い、雨女は口を噤んだ。
「では、二つの道を教えてください」
「一つは妖怪になる道だ。つまり地獄巡りをやらないということ」
それは山ン本から聞かされていた。
しかし次の言葉は私を驚かせた。
「もう一つは、新たな魔王となる道だ」
そのとき、寺の鐘が鳴る音がした。
もうすぐ年が明ける――
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