第2話雨女
お出しするものには気遣いが必要だ。相手が予期せぬ客人であっても。
雨が降り続いている。今日で三日目だ。
こうも連日降り続いていると、ただでさえ少ない客足が遠のいてしまう。
だが個人的には雨は嫌いではない。特有の風情があるからだ。しかし梅雨でもないのにここまで降り続けるのはどうもおかしい。
私は誰も来ないことを良いことにこの前買った小説を読んでいた。新刊の推理小説だ。趣味の少ない私にとって、本は数少ない娯楽である。
こんなのん気して良いのかと思われるが、私一人食べる分だけの生活費は稼げていた。母のときから贔屓してくれる客が何人かいるし、母の味を変えぬように心がけてもいる。
その女が来たのは午後三時だった。どうして断言できるのかというと、店に置いてある、今どき珍しい柱時計がぼーんと鳴ったからだ。
女は悪五郎と同じくドアベルを鳴らさずに店の中に入ってきた。彼女は真っ赤なレインコート着ていて、真っ赤な傘を携えていた。足元を見るとこれまた真っ赤な長靴を履いていた。
「お客さん。濡れたままの姿で入ってこられては――」
和菓子が傷むと続けようとして、言葉が止まってしまった。なんと彼女はまるで雨に濡れていなかった。レインコートも長靴も、傘さえも。
「店主。あなたがすみれ殿のご子息ですか?」
凜とした声。目深に被ったフードを取ったその顔はとても美しかった。黒髪をボブカットにしていて、優しげな顔である。
見惚れていたが、はっと思い直して、自分の名を名乗った。
「ええ。私が和菓子屋『柳』の店主、柳友哉です」
「そうですか。では自身が悪殿の子孫であることもご存知ですよね」
悪殿とは悪五郎のことだろう。
字面にすると格好いい気がした。
「申し遅れました。わたくしは
深く丁寧に頭を下げた彼女――雨女を見て、ああ、この美しい人は人ではなく妖怪なのだと、なんとなく分かってしまった。
「雨女、ですか?」
「ええ。雨とともに現れる、雨の
私はとりあえず取り置いた和菓子と知り合いのお茶屋さんで買ったお茶を出す。
多分乾燥したものは好まないだろうと思い、自信作の水羊羹にした。
「いただきます」
雨女は上品にフォークで水羊羹を一口サイズに切り、口に運ぶ。
「ふふふ。美味しゅうございます」
「そう言われると作り手として嬉しく思います」
「すみれ殿の味ですね」
この人も常連だったようだ。
私が知らない間に、母も交友していたのかもしれない。
その後はとめとない話をして、夕方になりかける頃、雨女は去っていった。
「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」
それが別れ際の言葉だった。なんだか風情のある言葉だった。
以来彼女は雨が降るたびに店にやってくる。
だから私は明日に雨が降りそうなときには、なるべくみずみずしいものを前もって作っている。
喜んで食べてくれる彼女を見て、私も嬉しい気持ちになる。
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