第2話 お前を愛している


 それから何を話したかははっきりと覚えていない。ただ、終了宣言をすると、鬼沼の用意したホテルへと引っ込んだ。今はベッドの上で仰向けになって、ホテルの天井を眺めている。

 俺が六道王の称号を得るには、【因果外至いんががいし】の各要件をみなさなければならない。俺はこの要件の第一から第四まではすでに満たしている。その最後の要件が、【完全解放した神器の贄】、つまり、クロノを生贄に捧げること。

 もちろん、芦屋道満の記憶を持つ俺にとってクロノは咲夜。病室であんな妙な雰囲気になるんだ。現在、俺がクロノに惚れているのは間違いあるまい。

 そして、多分記憶を矛盾なく連結しようとした副作用だろうか。救いようのないことに、俺が惚れているのは、今の咲夜の記憶を持ったクロノだけじゃない。咲夜の記憶が戻る前のあの馬鹿猫クロノも、今の俺はどうしょうもなく愛しく思ってしまっているということ。

 ともかく、俺の前に突き付けられている道は二つ。

 一つ、雨宮梓を犠牲にして、クロノとともに歩む道。

 もう一つが、クロノを犠牲にして、六道王となって雨宮を救い出すこと。

 どちらかを切り捨てる選択か。何が悔いのない選択を望んでいるだ。悔いるに決まってんだろ!

 突如気配を感じ、顔を上げると、ベッドの前には噛み付かんばかり顔つきで俺を睨む馬鹿猫がいた。


「アキト、なぜ、エンジェルを助けにいかぬ!? おぬしならできるのじゃろ!!?」

「上手くいかない。そう思い直しただけだ」

「嘘を吐くな!」

「嘘じゃねぇよ。相手はあの絶望王だぞ? 勝てると思う方がどうかしている。第一、そう言ったのはお前だぞ?」

「妾は奴らと争わず済ます方法を模索せよといっただけじゃ!」

「だから、それをすると言っている!」


 可能性は低いだろうが、奴は俺の強度を知っている。正面衝突するのを良しとしないかもしれん。交渉が成功する可能性はゼロではない……と思う。


「絶望王は、人間との交渉など絶対に受け入れぬ。そう言ったのもおぬしじゃ!」

「……」


 その通りだ。特に【想いを継し者】から想いを受け継ぎ、奴の所業を目にした俺なら、交渉のテーブルに奴がつかぬ事など嫌という程知っている。

 だが、だったら、俺にどうしろってんだ? このまま、クロノを犠牲にしろと?

 ようやくだ。ようやく、再会したんだぞ。それをまたこんな意味不明なことで失えと? そんなの……そんなのあんまりすぎんだろ!


「なあ、アキト、できぬなら理由を言って欲しいのじゃ。だって、今のおぬし、とってもつらそうじゃ」


 俺がつらそう? そりゃつらいさ。俺だってどうしていいかもうわからないんだ。


「理由はさっき話した通りだ。だから少し一人にしてくれ」


 いやだ。今は何も考えたくない。ただ、泥のように眠りたい。


「愚か者が!」


 クロノは俯き気味に俺の前まで来ると、思いっきり俺の横っ面をひっぱたくと、


「かかっているのは璃夜の、妾達の子の命じゃぞ!!」


 目尻に涙を貯めて、そう叫んだ。


「ーーっ!!」


 その言葉に鼻の奥がツーンと痛み、目の縁から涙が染み出てくる。そして俺はクロノを抱きしめると、その強烈な感情のままにまるで幼児のように泣いた。



 クロノに全てを話した。【因果外至いんががいし】のクソッタレな要件についても俺の想いについてもすべて。


「何事かと思うたが、そういうことか。ならば、話は早い。妾をにえに用いよ」


 クロノは拍子抜けするほどあっさり運命を受け入れてしまう。

 そして、同時にそれ以外の方法は存在しないことを俺も確信していたんだ。


「なあ、クロノ」


 普段の凛とした表情でベッドの俺の隣に座るクロノに顔を向けると問いかける。


「うん? なんじゃ 妾の美しい顔にでも見とれたか? 童貞には聊か美の化身たる妾の姿は刺激が強すぎたかの」


 落ち込む俺を慰めるための冗談のつもりだろう。肩を竦めて半眼で俺を見上げてくるクロノに、


「芦屋道満の記憶が戻る前の俺は、多分、雨宮梓に惚れてたんだと思う」

「そうかの……」


 少し寂しそうに、そしてとても嬉しそうな笑顔を見せるクロノ。そうだ。この表裏のない馬鹿正直なこの馬鹿猫が俺は――。


「でもな、今の俺はお前に惚れてる」

「は?」


 唖然とした顔で俺を凝視しているクロノに話を続ける。


「加えて、咲夜の記憶を取り戻す前のお前も大好きだ」

「いや、記憶が戻る前の妾って……猫じゃぞ! そんな阿呆な話があるかっ!」


 俺のこの告白はよほど想定外だったのか、直ぐに顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤になって、普段自分が全否定していた事柄を口にする。

 俺はクロノの肩を握ると、


「お前が好きだ」


 口調に熱を込めて宣言する。

 視線を忙しなく彷徨わせて、口をあわあわと動かしているクロノを抱き寄せると、俺はその小振りなピンクの唇にキスをする。クロノは少しの間、目を見開いていたが、俺の背中に腕を回し抱きしめてくる。俺も奪うようにクロノの唇を求めていった。

 


「まさか、お前とこんな関係になるとは夢にも思わなかったよ」


 ベッドで俺の腕を枕にして寄り添うように横になるクロノに、そんな素朴な感想を述べる。


「妾もじゃ。こんな凶悪な人相で節操のない粗暴な野獣ケダモノなど絶対に生理的に無理だったはずなんじゃがな」

「素っ裸で俺に抱き着きながら言っても説得力なんてねぇぞ? 素直に俺に惚れてるっていえよ」

「う、うるさい! んなわけあるかっ!」

「ん? 違うのか?」

「違わない」

「なに?」

「だから、……てるのじゃ」

「聞こえなーい?」

「おぬしに惚れてるのじゃ!!」


 頬を紅に染めて、俺の胸の肉をつまむとそっぽを向いてしまう。

 苦笑しながらその頭をそっと撫でていると、


「のお、アキト?」


クロノが声をかけてくる。


「ん?」

「妾、幸せじゃよ。とても幸せじゃ」

「そうかよ」


 俺の胸に顔を押しつけてくるクロノを抱きしめると、再度、口づけをする。


どうやらお別れの時間ってやつだ。クロノは立ち上がり、椅子に掛けてあった服を着始める。


「こ、こらジロジロ、見るでない!」

「何で今更恥ずかしがるんだよ? お互い見まくった仲じゃねぇか」

「はー、これだから、魔法使いホルダーは女子心がわからんで困る」


 クロノはわざとらしくため息を吐くと左右に大きく首を振る。


「その俺の賢者へのクラスアップを阻止したの、お前だけどな」


 途端に、真っ赤になって俯いてしまうクロノ。まったく、最後の最後まで俺達二人の関係は変わらないな。



 一度家に戻りたい。そのクロノの願いを叶えるべく、俺達はあの懐かしの我が家に帰ってきている。

 部屋を見回った後、居間で俺に向き直り、


「アキト、もうここでよい」

「わかった」


 俺はクロノを抱き寄せると、指でコマンドを操作し、【因果外至いんががいし】の第五要件――【第五要件――完全解放した神器の贄】をタップする。

 

―――――――――――――――

第五要件【第五要件――完全解放した神器の贄】を満たしますか? 《YES》or《NO》

 ―――――――――――――――


 俺の前に提示されるテロップ。


「クロノ、俺はお前を探し出すぜ。だから別れの挨拶はなしだ」

「うむ。ストーキングの資質のあるおぬしなら可能じゃろう。妾も、首を長くして待つことにするよ」

「相変わらず、一言多いやつだな」

「お互いさまじゃろ。じゃが――アキト、ありがと」


 俺を見上げて、満面の笑みを浮かべて感謝の言葉を述べてくる。


「おう。じゃあ、またな」

「またの」


 俺は挨拶を交わし、人差し指で《YES》を押す。クロノの身体が金色に発光していく。

 俺はクロノの美しい顔を見つめて、


「クロノ、お前を愛してる」


 精一杯の力を込めて宣言する。


「妾もじゃ。この世で一番、だーーーいすき!!」


クロノは目尻に涙を浮かべ幸せそうに微笑むと、細かな粒子となって俺の腕からすり抜けてしまった。


《藤村秋人が、【因果外至いんががいし】の全要件を満たしました。ただいまから、六道王――阿修羅王への進化を開始いたします》


 その天の声を最後に、俺は意識を完全に手放したのだった。


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