最終章 因縁決着

第1話 考えられるうえで最悪の選択肢


 意識が戻ると見慣れぬ天井が視界に入る。

 顔だけ動かし確認すると真っ白なシーツの敷かれたベッドの上に仰向けに寝ているようだ。この独特な消毒液の臭い。ここは病院のベッドか。


「起きたか」


 声のする方へ顔を動かすと黒髪の美女が椅子に腰を下ろしていた。

 こいつ、最近猫にならなくなったな。俺としては嫌でも意識しちまうから、猫でいてくれた方が助かるんだがな。


「クロノ、俺はどのくらい寝ていた?」

「半日ほどじゃ」


 目が合うと、クロノは即座に窓際に視線を移してしまう。気まずいのはこいつも同じか。

 

「半日か。直ぐにでも攻め入る準備はすべきだろうな」


 雨宮は俺の大切な奴だ。そして、璃夜でもある。あんなクズ野郎の近くにいつまでも置いておくつもりなどこれっぽっちもない。

 

「アキト、おぬしに、尋ねておきたいことがあったのじゃ」


 クロノは普段の奴とは思えぬ睨みつけるほど真剣な目つきで俺を見つめてくる。

 この状況でのこいつのこの様子、察しくらいつくがね。


「雨宮のことだな?」


小さくコクンと頷くと、


「おぬし、いつぞやのエンジェルの求愛にどう答えるつもりじゃ?」


 予想通りの問いを尋ねてくる。


「どうもこうも、断るに決まってんだろ」

「それはエンジェルが元はおぬしの娘、璃夜じゃと考えるからか?」

「……それもある」


 クロノは呆れたように大きく息を吐きだすと、


「アキト、おぬしは、芦屋道満の記憶を持つだけで、道満ではない。そして雨宮梓はいうまでもなく、璃夜も全く藤村秋人とは何の所縁もない少女じゃ」


 首を左右にふって、そんな今一番触れて欲しくはない事実を指摘する。


「そうだな」


 クロノの言っているのことは正当だし、少し前まで俺もそう思っていた。いや、そう思い込もうとしていた。

 だが、【想いを継し者】に指摘されたように、連結された記憶を持つ以上は、俺は芦屋道満であることも間違いない。芦屋道満の想いを否定できない。

 何せ俺は今もこいつを前にするだけで、著しく心が乱されている。今も引き寄せて抱きしめたい欲求にかられているんだから。


「なら、それを踏まえて改めて藤村秋人に問う。おぬしは、雨宮梓に惚れているのか?」


 俺が雨宮に惚れているか。少し前までの俺ならあり得ないと即答していた事項だ。第一、俺が雨宮に安心感を覚えていたのは異性と意識しなくて済むからだし。


「……」


 しかし、【想いを継し者】に余計な指摘をされたからだろうか。今、俺ははっきりとした返答に困ってしまっている。雨宮は俺の好みには程遠いし、何より俺より8歳下だ。まず、そんな桃色の関係になるなどあり得ない話だ。

 だが、確かに香坂秀樹と雨宮の仲睦まじい様子に、俺は明らかな拒絶感を覚えていた。もちろん、それはあくまで友としての嫉妬的な感情かもしれないが。


「やれやれ、幼子じゃあるまいし自分の気持ちにも気付けぬとは、情けない」


 呆れたように大げさに首を左右に振るクロノ。


「ほっとけ」


 実際にその通りだしな。


「おぬしはエンジェルに惚れておるよ。そしてエンジェルもおぬしに惚れておる。実に不愉快だが、おぬしたちは相思相愛ってやつじゃ」


 両拳を握りしめ強く力説する。


「どういう風の吹き回しだ? お前雨宮から俺を遠ざけようとしていたんじゃなかったのか?」

「ふん! 今もそうじゃ! エンジェルに、おぬしのような野獣は相応しくない。それは紛れもない事実!」


 胸を張りつつも、自信満々にそう宣言する。


(あのな、お前、発言が完璧に破綻しているぞ)


 俺の内心の突っ込みを知ってか知らないでか、クロノは笑顔で外の景色を眺めると、


「じゃが、それはあくまで妾の見解。エンジェルの気持ちが一番じゃ。それに、あのヒデキとかいう蛆虫汚物よりは、おぬしの方がまだましだしの。まあ、ほんの少しだけじゃがな」


 笑顔で親指と人差し指を接触寸前にし、ましの程度の小ささをアピールする。


「そうかよ」


 大分、普段の調子が戻ってきたよな。良い傾向かもな。まあ、この気まずい関係も何れ時間が解決してくれるかもだな。


「用も済んだし、そろそろ妾もお暇するかの」


 椅子から立ち上がり部屋を出ていこうとするが、足元の椅子に躓き顔面から盛大にダイブする。相変わらず、期待を裏切らんやつ。

 床とキスする寸前で右腕を腰に回して抱き上げると、


「お前、何やってんだよ?」


 クロノにため息をはきつつも尋ねる。


「……」


 俺を見上げたままの状態で硬直化する馬鹿猫。そして、その顔はたちまち熟した林檎のごとく真っ赤に染まっていく。

 そこで初めて俺もこの状況を理解してしまった。

 

「……」

「……」


 お互い一言も口にせずに見つめ合う。

 接触面に生じるクロノの懐かしい感触に、全身の血液が茹で上がるような熱が生じ、胸が締め付けられるような強烈な感情が沸き上がる。


「クロノ、俺は――」


 クロノに口を開こうとしたとき、突然、扉が勢いよく開き、大慌てでクロノを脇に置く。


「アキト、よかった。起きてる。起きてる」


 雪乃がひょっこりと姿を現すと、俺にダイビングしてくるので受け止める。


「飯の誘いか?」


 次いで入ってきた銀二と雪乃に尋ねると、


「うん! もし起きてたら会議もかねて話そうって!」


 俺にしがみ付きながらも、快活に答える雪乃の頭を一撫ですると、


「わかった。ほら、クロノ、お前も行くぞ」

「う、うむ」

 

 まだほんのり頬が赤いクロノを促し、病室を出る。

 既に完全回復していることもあり、病院からはあっさり外出許可が下りる。俺には拘置所から逃亡したという逃亡罪がある。これは紛れもない事実。だから、警察病院にでも収容されているかと思ったが普通の病院だった。

 銀二から聞くところによれば、マスコミを避けたい政治家や芸能人がお忍びで入院する病院であり、刺されて入院中の維駿河独歩いするがどっぽの紹介だそうだ。

 ロビーにいた十朱の運転する車に乗り込み、都内の中華料理屋へと案内された。


「旦那、お待ちしておりやした」


 玄関口である意味、懐かしい奴が出迎えてくれる。


「ここってお前の経営する店か?」

「へい。どうぞこちらへ。皆さま、既に列席なされていやす」


 相変わらず、表情を読ませぬ奴だ。

 鬼沼の先導のもと、大ホールのような広い部屋に到着する。うーん、五右衛門の姿が見えんな。てっきりいると思っていたんだが……まあ、そのうち、顔でも見せるだろう。

 そして、鬼沼の言通り、一際大きな円形のテーブルの各席には既にメインキャストが座っていた。

 鬼沼に勧められるがままに、その席に腰を下ろす。

 まずは初対面の者もいるということでお互い、自己紹介をする。

 日本政府からは、久坂部右近と真城歳三及び来栖左門くるすさもん。悪魔たちからはバアルとセバス。あとは俺達という非常にシンプルな組み合わせだ。

 特に陰陽師の右近と来栖左門はバアルを前にして滅茶苦茶、緊張していた。芦屋道満でもあったからわかる。陰陽師にとって、六道王の重臣というのはそれほど重い。まあ、俺はあまり、気にしたことがなかったがね。


「私は反対だ。敵はあの絶望王‼ 勝てるはずがないよ!」


 案の定、右近と左門は全力で、魔界へ戦争をしかけることを否定した。


「どの道、ゲート・ゲヘナは、もうじき完全に開く。そうなれば、何ら制限なしで奴らは世界に攻め込んでくる。攻めた方がまだ勝算があるのさ」

「それなら、他の六道王に助けを求めるとかはどうでしょう? 既に六道王同士のデスゲームは始まっているのでしょう? ならば、この世界を絶望王に落とされて困るのは他世界の王も同じはず。アキト様の強さを見た他の六道王も同盟を受け入れていただけるはずです」


 左門のこの提案はある意味妙案でもある。ただ、その六道王とやらと接触するまで奴らが待ってくれるならばのはなしだが。


「いや、それは無理である。あのアスタロト元帥閣下が、そんな時間的余裕を与えるとは思えないのである」


 やはりか。奴らは俺の力を知っている。他の勢力と組まれるのが奴らにとっての最悪。ならば、他の六道王との接触は必ず断ち切ってくる処置をとってくる。

 何より、俺には悠長に待っていられぬ理由もある。


「俺は何があっても雨宮を見捨てるつもりはない。魔界への侵攻は確定事項だ」

「君の気持は重々承知している。君はいわば、人類の最後の希望なんだ。もし敗北すれば僕ら人類は滅亡する。それ、わかって言ってるんだよね?」


 右近が俺を見据えてくる。

 そうだな。はっきりさせた方がいい。


「嫌というほどな」


 芦屋道満の記憶からも明らかだ。このゲート・ゲヘナの解放は奴らの悲願。もしなされれば、奴らは大軍を率いてこの世界に雪崩こんでくる。そして、それに対抗できる勢力は俺と十朱達ぐらいだろう。


「ならば、限界まで様子を見るべきなんじゃないかい?」

「駄目なのじゃ! それだけは絶対にだめなのじゃっ!」


 たまりかねたクロノが血相を変えて立ち上がる。俺はクロノを右手で制すると、


「別に俺は勝算がなくて、言っているんじゃない」


 俺のとっておきの秘策を口にした。


「勝算!? 相手は天下の絶望王だよ!? 勝てる、勝てないじゃない。そういう次元じゃないんだ!」

「右近、言いたいことは多分、お前以上にわかっている」


 仮にも元陰陽師だったこともあるんだ。


「しかし――」

「もう一度いうぞ。勝算はある。その点は心配いらん」

「……」


 俺の断言で血の気の引いた顔で俯き黙りこくる右近。


「右近さん、アキトを信じていいと思うぜ。そもそも、前の戦争だって人類が勝つのは不可能、そう右近さん達は思ってたんじゃないのか?」

「それはそうだけど……」


 十朱の絶妙のフォローに口ごもる右近。


「だが、アキトは勝利した。それは事実だぜ。それに僅かだが一緒にいたからわかる。こいつ、とんでもなくエゲつない性格してるから、負けると思う戦いに身を投じるほどお人よしでも甘くもないぜ」


 心当たりがあるのも、敗北必死の戦いに特攻をかけるほど愚かじゃないのも事実だが、その言い方、どうも釈然としないぞ。


「そうだな。アキトはもっと悪質だ」

「うん、むしろ、絶望王とかいう奴に同情するかも」


 おい、こら! 同意すんじゃねぇよ!


「君たち……」


 絶句する右近に、


「あんたらは、勝利した後の事を考えて動いていてくれ。おそらく、今回の件で世界は荒れる。混乱を収める組織の確立が必須となるから」


 右近は細い眼をさらに細めて暫し、俺を凝視していたが、大きく息を吐きだす。


「わかりましたよ。その変わり、勝利後の秩序維持の世界のルール決め、君にも是非参加してもらいますからね」

「いや、断るし。俺、一介のサラリーマンだし」


 まあ、もうクビになって現在無職だけれども。だが、これ以上の面倒ごとは御免なんだ。

俺は職を見つけてサラリーマンとして復帰する。社畜でも俺にはその日常の方が、性に合っている。


「そうはいかんぞ。お前の殺人容疑の件で、俺達は既にしずく嬢と契約しているからな。内容はもちろん、お前の新組織への加入だ」


 黒色坊主頭の巨躯の男、真城が口角を上げてそう宣告してくる。


「はあ? 聞いてねぇよ!」

「当然だろう。伝えてなかったからな」


 くそ、外堀から埋められているような気がするぞ。だが、俺は絶対にサラリーマンに戻り、安穏とした生活を手に入れてやる。絶対にだ!


「話を戻そうぜ。魔界への侵攻が決定したとして、あとはいつにするかだな」


 十朱が面白そうに俺達のやり取りを眺めていたバアルに視線を向ける。


「およそ今から四日である。それ以上になれば、リリスは完全にゲートと融合してしまうのである。そうなればたとえ、アキトの術であっても分離は不可能となるのである」


 その絶望的な情報に、皆の顔に影が差す。ただでさえ、相手は悪の神。おまけに、バアル並みの強さの奴が三体もいるらしいし、それをあと四日で攻略しなければならない。常識から考えても、無理ゲーすぎる。むしろ、当然の反応かもな。


「いや、逆に相手に必要以上に猶予を与える方が問題だ。かえって良かったんじゃね」


 どの道、雨宮をこれ以上、放置しておくつもりはなかった。期限が決まっただけまだ御の字なのかもしれん。


「アスタロト元帥閣下も既にアキトの強さを直で確認しているはずである。時の経過は必ずしも我らに味方するわけではないのである」


 バアルも頷き、俺の見解に賛同する。


「だがよ、そのゲートってやつはまだ開き切っていないんだろ? 三日後のゲートの解放にならなければ攻められねぇなら、どの道タイムアップだぜ?」


 銀二の実にもっともな指摘に、


「心配ない。それについては、心当たりがある」


 俺はアイテムボックスを探し、一枚のカードを取り出し、鑑定をかける。


―――――――――――――――

・名称:【侵略権】カード

・説明:六道王の称号を有するものが、他の六道王へと戦争を仕掛けることができる。

 勝者は敗者から全てを奪うことができる。

・アイテムランク:世界(7/7)

 ―――――――――――――――


 問題は六道王の称号を俺はまだ獲得していないってこと。だが、このカードは、敵である絶望王からではなく運営側から獲得したもの。既にその基礎はできているはずだ。そしてそれは、この右端に今の点滅している、【因果外至いんががいし】のテロップにあると思われる。 

 左手の指先を押すと、


―――――――――――――――

・名称:【因果外至いんががいし

・説明:一定の要件を満たして六道王の称号を得る。

【第一要件――六道王の領域強度】、【第二要件――《想いを継し者》からの承継】、【第三要件――世界破滅的危機の解決】、【第四要件――六道王とのウォー・ゲームでの勝利】、【第五要件――完全解放した神器の贄】の全条件を満たしたとき、【六道王】へと至る。

――【第一要件――六道王の領域強度】→クリア

――【第二要件――《想いを継し者》からの承継】→クリア

――【第三要件――世界破滅的危機の解決】→クリア

――【第四要件――六道王とのウォー・ゲームでの勝利】→クリア

――【第五要件――完全解放した神器のにえ】→未済

 ―――――――――――――――


 よし、想像通りビンゴだ。都合よく、第一から第四要件までは全てクリアしている。あとは、【第五要件――完全解放した神器の贄】だ。

 今まで運営側は、無茶を強いてはきたが、絶対に無意味なことを提示はしてこなかった。ならば、この第五要件もヒントがあるはず。

 【神器の贄】ね。もちろん、神器などという大層なものを俺は持っていない。

 ヒントは完全解放か……ちょっと待て、これってどこかで……。

 その事実を認識し、周りの情景からスルスルと色と音が消えていき、代わりに胸の中にジンワリと暗い闇が広がっていく。

 そうだ。あのとき、天の声はなんって言った?


 ――クロノの封呪の第三段階が解放されました。クロノの封印は、完全解放されました。


 そうだ、よく思い出せ、βテストで運営はクロノのことを何と言っていた?


 ――神器――クロノ


 その事実を認識し、暗い淵に引きずり込まれたような虚脱感が嘔吐のように何度も襲ってくる。

 このとき俺は【想いを継し者】の言った意味をこの時はっきりと理解したのだ。


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