第18話 ヒーローの説得の仕方 烏丸和葉

 家に帰ると母からリビングに至急集まるように指示を受ける。

 リビングには、母が経営する会社イノセンスの社員や所属タレントもいた。

 イノセンス――父が立ち上げた弱小芸能プロダクション。

 母は昔仏蘭西フランスでは相当有名な女優だったらしい。だけど、父と劇的な出会いをして父と電撃結婚し女優を引退。その後、日本に帰国し父の会社を手伝う。

 フランスでかなり名が通った母がなぜ女優を引退したのかは、母が過去に直接和葉に話してくれたから知っている。

 何でも母はフランスでの活動中、日本最大のプロダクション――タルトに所属し活動していた。女優業を続けながら父の会社に移籍することは、芸能界ではタブー扱いされている。

 しかしそれだけなら、父との結婚で女優業を引退する必要まではない。母に引退を決意させたのは、タルトというプロダクションの悪質さにあった。タルトにとって所属タレントは使い捨ての駒。幾人もの同僚タレントや後輩タレントが潰されるのを目にして遂に我慢の限界が超えてしまったんだそうだ。

 それ以来、女優としての活躍を諦め新人を育てることに尽力するようになる。ただイノセンスにはいくつか問題があった。

 一つはもちろんタルトの母への嫌がらせ。タルトはどんな形であれ裏切った者を許さない。忖度した各テレビ局は、イノセンスのタレントを使わず、地上波はほぼ全滅状態だった。

 二つ目はそもそも父の方針が孤児や問題児を中心に採用していること。この業界はよくも悪くも人気商売。一般に家族関係や友人関係、過去など人生に問題がない者ほど視聴者は安心するものだ。特にタルトからの嫌がらせにこの事実はよく利用された。

 三つ目は父の死去。父はイノセンスの精神的支柱であり、いくつか性格的に問題はあったが、やり手だったのは間違いない。現にあれだけ地上波で干されていてもネット番組を中心に仕事を持ってきてくれていた。父がいなくなった途端、それが一気になくなり忽ち閑古鳥が鳴くことになる。

 いまや、イノセンスのタレントは全員、副業で生計を立てているのがほとんどだ。

 そして、そんな砂上の城のような状態のイノセンスに此度、獄門会への借金の存在が知らされる。最悪解散、その事実に皆、戦々恐々としていた。

 そんな中、一時的とはいえ、和葉が獄門会の借金取り達に拉致されてしまったのだ。母が相当追い詰められているのは、想像するにたやすい。

 現に、あの唐変木に助けられて刑事さんたちにこの烏丸邸まで送ってもらい、家の玄関に入ると母は和葉を強く抱きしめ、まるで運命に取り組むような厳粛した顔で、居間で待つよう指示を出したのだから。

 それからほどなく母は優斗を連れて部屋に入ってくる。優斗には、一人で学校を出るなと厳命している。おそらく小学校に優斗を迎えに行っていたのだろう。

 母は優斗に二階に行っているように指示を出すが優斗が断固拒否。説得するもぐずり始めたので深いため息を吐くと、優斗を隣に座らせ、イノセンス及び烏丸家の今後につき話始めた。

 その内容は一言でいえば現在のイノセンスの抜本的立て直しに外部から優秀なブレーンを相談役として招くということ。

 父の友人の鬼沼さんから提案を受けていたが、今回の和葉の誘拐の件で決心したらしい。

 鬼沼さんは父の大学時代の親友であり、よく家にも遊びにきていた。父が曰く、己の利益のためなら他者の人生を平気で捻じ曲げる冷血漢のひねくれもの。だが、人や状況を洞察する目は自分よりも優れている。そう得意そうに語っていた。

 そんな父に、そんな冷血漢のひねくれものとよく付き合う気になるよねと、当時からよく内心で突っ込んだものだ。

 そんな父の没年、病に臥せっているとき鬼沼さんが病室まで見舞いに来たことがあったが、怒鳴り声を上げて追い出してしまう。鬼沼さんが去った直後、父は寂しそうでかつ、泣きそうな顔で、あの大馬鹿野郎が、と呟いた。

 それ以来、鬼沼さんは葬儀にも顔を出さなかったが、この度イノセンスの窮地を聞きつけ母に手を差し伸べてきてくれたのだという。

 この提案につき、イノセンスがこのままでは立ち行かないことを知る社員たちはほぼ全員賛同したが、父を信奉するイノセンスのタレントたちは当初激烈に反対した。

 しかし、このままでは会社は確実に倒産し、皆離散する旨を指摘されると最後には渋々了承する。

 イノセンスの救世主メシアとなる人物を皆と緊張しながら待っていると鬼沼さんが、人相がすこぶる悪い男を連れて現れる。そいつはあのとんでもなく強い唐変木だった。

 さらに優斗が彼をホッピーと連呼し抱き着くと、文字通り室内はカオス状態となり、皆、好き勝手放題話し始める。

 一方、和葉といえば俯き、頬に両手を当てて珍妙な顔で呻いていた。当然だ。優斗はあのファンタジァランドの事件で英雄となったホッピーの正体を知っている。つまりこの空気の読めない最低男が、憧れの狐仮面ホッピーだということ。

 和葉の中のホッピー像がガラガラと崩れ落ちる中、あいつが母の話にすら耳を傾けようとしなかったことで、その評価は奈落の底へ落ちていく。

 イノセンスは、母にとって女優業を捨ててまで父と心血を注いだ大切な場所。本来、部外者の力など借りたくないはず。それをしなければならないほど、現在、母たちは追い込まれているんだ。

 あいつは、ホッピー。警察でさえなしえなかったファンタジァランドの解放をたった一人で為した絶対的な強者。その力は和葉を助け出したときに目にしたから、確信していえる。この男ならあんな獄門会などただの粋がっているチンピラにすぎないと。

 もし、獄門会からさっきの拉致のような強硬手段を奪えれば、今後母たちも精神的に楽になり大分動きやすくなる。

 つまり、あいつが力を貸してくれれば、今イノセンスが抱えている最も大きな苦難は、解決に向かう可能性すらある。そして、あいつにとってそれ自体、大した労力でもない。それが嫌というほど和葉には実感できていた。

 だからこそ、許せなかったんだと思う。この男はホッピー、今世間をにぎわせている謎のヒーローであり、ついさっきまで和葉にとってのヒーローでもあった。

 和葉がずっと夢にみてきたヒーローは、泣いている弱者に手を差し伸べるような人だ。こんな話すらも聞かず、門前払いにするような薄情な存在では断じてない。

 もちろん、あいつにメリットが大してない以上、通常なら和葉だってこんなある意味理不尽な憤りは絶対に浮かばないだろう。だが、あいつはホッピー、和葉にとってのヒーローなんだ。せめて、その苦難に寄り添ってくれるくらいしてくれてもいいはずだ。

 様々な感情がぐちゃぐちゃとなって頭の中に渦巻いて、和葉は気持ちの高ぶりを抑えきれず激高し、決して言ってはならぬことを口にしてしまう。

 そしてそれが決定打となりあいつが帰ろうとしたそのとき、獄門会の奴らが和葉の家に攻めてきた。

 あいつは助けないと言い切り、話すら耳を傾けなかった。しかも、和葉はあいつをロクデナシとまで罵ってしまっている。このとき、和葉もあいつに見捨てられる。そう本気で思ってしまっていた。

 なのに、あいつは迷うことなく獄門会の前に立ちはだかり奴らを撃退してしまう。

 そして、あいつがあのチンピラの親玉に勝利した直後、チンピラの親玉と思しき長身の男が蝙蝠顔の怪物に変貌し、あのファンタジァランドのごとき地獄と化す。


 頭から触覚を生やした少年は、和葉たちを烏丸邸から離れた安全な場所まで先導し、姿を消す。そして、和葉たちはその場にいた昼間出会った女刑事に保護された。

 警察の誘導のもと、次々に烏丸家の周辺住民は避難されていき、全員の避難が完了する。しかし、全員の顔には濃厚な不安が色濃く張りついていた。

 それも無理もないと思う。最近のテレビではまるで天気予報のようにモンスターの出没のニュースが報道されており、家庭でのゴブリンやスライムの撃退の仕方の番組が高視聴率を獲得している。警察がスライムやゴブリンのようなただの魔物でここまで大規模な避難誘導が行われることはまずあり得ない。

 あるとすれば、あのファンタジァランドクラスの悪夢のみのはずだから。

 そんなお通夜のような沈んだ雰囲気の中、


「大丈夫、ホッピーが全部やっつけてくれるさ!」


キラキラさせた目で優斗が右拳を上げて叫ぶ。


「ホッピー? ファンタジァランドのあのホッピーか?」

「え!? ホッピーがいるの!? 私、彼のファンよっ!」

「おいおいマジかよ! すげぇ! すげぇぜ!」

「俺もあのテレビみてたけど、ホント滅茶苦茶強いもんなぁ! 彼ならきっとこんな事件あっさり解決してくれるぞ!」


 次々に巻き起こる歓喜の声。対して女刑事は暫し顎を掴んでいたが、パトカーから拡声機を取り出すと、肺を大きく膨らませ、


「付近住民の保護が完了しましたよぉ――――!!」


 あらん限りの声を張り上げる。

 ほどなく、烏丸邸から大爆発が起き、ホッピーの勝利で事件は幕を閉じる。


 

 警察からの事情聴取が終わり、眼をしょぼしょぼさせている優斗を近くの親戚の家に預けた後、皆でイノセンスのオフィスに向かい再度ミーティングを開く。


「彼にかける言葉を間違えました。仕切り直しです。皆も私と一緒に考えてください」


 母はただそう切り出し、テーブルに分厚い資料を置く。

 今度は誰も否定の言葉一つ口にしない。ただ、真剣に意見を出し合っていた。

 

 

 朝日を受けて朱鷺色に輝くオフィス内で、


「では、これでよろしいですね?」


 母は皆をグルリと見渡し、そう念を押してくる。

 皆、寝不足で目の下にクマを作っていたが、実に晴れやかな顔をしていた。和葉は未成年だという理由で幾度となく親戚の家に帰るように指示を受けるが断固として拒否し作戦に参加した。

 だって、和葉はあいつにひどいことをしてしまったから。ロクデナシという暴言を吐いたことはもちろんだが、こちらの勝手な理想や都合を押し付けていた。

 和葉を助けてくれたあいつがあの憧れのホッピーだと知り、壮絶に混乱していていたとはいえあいつの立場になってまったく考えられていなかった。

 あいつは強い。それは間違いない。だが、だからといって万人を助ける責務があるわけではない。ほらあいつも言っていただろう? これは漫画や小説ではなく現実なんだと。

 いくら超人的な力を有していても、無償で弱者を助けろと上から目線で宣うのは絶対に違う。そんな都合の良い存在が仮にいたとしたら、それはヒーローではなく、ただの世界の奴隷でしかない。つまり、和葉たちはあいつにそんな最低最悪の役を押し付けようとしていたんだ。


(もう少しで、私、一番嫌いな奴になる所だったよ)


 実のところ、あいつを一番信頼していたのは優斗だったんだと思う。ただ、純粋にホッピーの勝利を信じて疑わない。だからこそ、あいつは再びその純粋な想いに応えたんだと思う。

 和葉たちは色々汚いものを既に目にしてしまっている。利害関係という鎖に雁字搦めに束縛されてしまっている。だから、優斗のように純真無垢になるのは不可能だ。汚れた者が自己犠牲を強要するほど滑稽なものはない。優斗のような方法ではあいつを説き伏せられないし、してはいけない。

 ならば、発想転換する必要がある。そうだ。答えはそもそもあの会話の中にあったんだ。そもそも、あいつは一連の会話の中でなんと言っていた?


「ママ。あいつをぎゃふんと言わせてやろう!」


 和葉の強く力の籠った言葉がオフィス内に響き渡った。


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