第3話 オーク襲来
いつものように書類と格闘しフラフラになりながらも給湯室へ足を運び、珈琲で一息ついていると、女性社員たちが真っ青な顔で話し込んでいるのが視界に入る。その内容など、一々、聞くまでもないけど。
「近くでまたゴブリンが出たんだって……」
「怖いよねぇ」
あの日以降、全世界各地で魔物が発生するようになり、たまたま居合わせた市民が犠牲となった。
もっとも、魔物はゴブリンやスライム、三角兎、ビックウルフのような魔物がほとんどであり、その数も大したことはなく、成人男子が複数いれば、危なげもなく討伐可能なものばかりだった。当然警察や自衛隊なら楽勝で対処可能であり、速やかに駆逐されている。とはいえ、野犬の群れが野放しになっているのと大差ない。怖いものは怖いんだ。
ちなみに、あれからテレビやネットでステータスについて調べるも、どのテレビ局やサイトもその話題を一切してはいなかった。
ダンジョンに足を踏み入れた際に、俺をβテストのプレイヤーとして認めると言っていたし、あのダンジョン攻略のβテスターしか使用できない性質のものなんだろう。
もちろん、俺にしか見えないなら口にしても頭がおかしいと思われるだけだから、公言はしていないし、これからもするつもりはない。
「秋人先輩も休憩かい?」
振り返ると誰もいない。顎を引くと膝までの伸ばした長い金髪をぱっつん刈りにしたちっちゃな女がいつもの眠そうな青色の瞳で俺を見上げていた。
「おう、ロリッ子もな」
「
小学生高学年ほどの幼い外見だがこいつ、これでも24歳らしい。まさに人類が生んだ不思議現象の一つと言える。
三次元の女には
ちなみに、こいつの髪の色と瞳は母親がアングロサクソン系の米国人であり、それを強く受けついだからだと思われる。
「で? 噂では今、例の黒色の石についての研究をしてるって聞いたが?」
今一番聞きたかった話題を振ってみた。
「ああ、本社からの指示で今色々実験をしている最中だが、あれはすごい石だよ」
雨宮は研究開発部のエース。実家が近いという理由で阿良々木電子に就職した変わり者。親会社たる本社から熱烈なアプローチを受けているが、断り続けてるらしい。
「新エネルギーの鉱物資源だったか?」
あの魔物の出現以来、あの黒色の石が市場に出回ることになる。そしてその黒色の石が、エネルギー発生の媒体になることが判明してから、世界各国は文字通り目の色を変えてその収集に乗り出している。
米国ではすでに軍や州警察ではなく、民間の企業が傭兵を雇って実践部隊を組織し、魔物の狩りを優先的に請け負っているらしいしな。
「ああ、だけどそれだけじゃない。様々な特性があるんだ。それは――」
「それ以上はいい。機密事項だろ」
俺の若干呆れたような指摘に、
「そうだな。ボクも少し話過ぎたようだ」
雨宮は誤魔化すようにゴホンと咳をする。
「じゃあな。そろそろ部長の雷が落ちそうだから俺は戻るぜ。最近、物騒だ。十分気を付けろよ」
「うむ、肝に銘じておくよ」
俺も残り少ない珈琲を飲み干し第一営業部へと戻る。
今日は珍しく残業がなく定時に帰宅できた。
理由は第一営業部で月一回の飲み会があるから。そんな飲み会など開く余裕と暇があるなら一般の会社並みに余暇を増やせと考えているのは俺だけではあるまい。
こんなときボッチは気楽だ。何せ誘われすらしないからな!
「じゃあ、お先です!」
荷物をまとめて会社を逃げるようにして出る。
途中のゲーム販売店GAOで本日発売のゲーム――【フォーゼ――第八幕】の初回限定版を購入。俺は基本、どんなジャンルをも均等に好む雑食だが、【フォーゼ】だけは格別だ。
フォーゼ――突如、怪人や魔物が出没するようになった世界で狐の仮面をつけた主人公の高校生
その小さなゲーム会社から出された一本のRPGは、その絵の緩いタッチや動物の仮面をしたヒーローが怪人や魔物をやっつけるというありきたりな内容から、当初あまり人気はでなかった。
だが、その濃いキャラクターに複雑な人間関係、そして感動的なラストにより、次第に口コミで人気を獲得していく。
そしてこの一幕がアニメ化されたのを契機に大ヒットする。それからがフォーゼの快進撃の始まりだった。元々、ストーリーも大筋ではわかりやすく面白かったこともあり、小学生低学年から大人に至るまでこのゲームとアニメに熱狂するものが続出した。
そういう俺もこの【フォーゼ一幕】のアニメを幼少期に観てはまったというタイプだ。毎日徹夜でプレイしたのが懐かしいな。
明日から二日は連休。無事休みが取れる日など滅多にない。家で朝から晩までゲーム三昧の悦楽の日々を送ってやるぜ。
正面にあるディスカウントショップで飲み物と菓子類をしこたま買い占めたし、あとは腹ごしらえが終われば準備終了だ。
ハンバーガーショップ――マンモスバーガーへと入り、ドリンクとチーズバーガーを注文、奥の隅の席について食べていると――。
「やあ、先輩、奇遇だね。前の席、失礼するよ」
雨宮が丁度俺の正面の席にトレイを置いて座る。
「おう。ロリっ子もな。お互い定時に帰れて何よりだ」
「だから、その不愉快極まりない呼び方を止めたまえ。ボクは24歳だといつも言っているだろ!?」
「はいはい。お前が合法ロリっ子なのは重々承知しているよ」
席につきプクーと頬を膨らませつつ、雨宮はそっぽを向いていたが、
「先輩はなぜボクにだけそうなんだ? 他の女性には全然態度が違うじゃないか?」
そんな聞くまでもない疑問を口にする。
「お前が特別だからじゃね?」
「と、特別?」
素っ頓狂な声で聞き返してくる雨宮に、
「ああ、特別だな」
そう断言してやる。なんたって異性とまったく意識しない三次元女は、シャイな俺にとって非常に貴重な存在だしな。
「先輩の気持ちは嬉しいが、ボクはまだ先輩のことよく知らないし、そんな対象としてみたことなかったし……」
全身真っ赤になりながら俯いて意味不明なことをブツブツとつぶやく雨宮に、
「いいから早く食えよ。冷めると不味いぞ?」
食べるよう促した。
「うん……」
小さな口でハンバーガーをかぶりつく雨宮を眺めながらも俺も食べるのを再開する。
さっきからサイレンが五月蠅いくらい鳴り響いている。魔物が街に出現するようなってからよくある日常だし、それはいい。問題はその音が次第に近づいてきているということ。
肌がヒリヒリする。ここにいたくない。
「雨宮、でるぞ」
立ち上がり、雨宮を促すと、
「う、うむ」
頷いて席立ち上がる彼女のその小さな手を引いて外に出ようと一歩踏み出した時――女の
店内から一斉にあがる悲鳴をバックミュージックに、割れた窓ガラスの大穴からノソリと店内に侵入してくる両手に鉈を持った豚頭の魔物。
豚頭に2メートルにも及ぶ巨躯。見るからに以前目にしたゴブリンとは、格が違う。あれってゲームでいうオークか? 冗談じゃねぇよ。ゴブリンでも死にそうだったってのに、序盤でオークなんて無理ゲーもいい所だぞ。
(おい、雨宮、走る用意はしとけ!)
小声で雨宮を促すも黙ったままオークを凝視するだけで微動だにしない。
そしてそれは雨宮ではなく他の客たちも同じ。まさに、猛獣と偶然居合わせた心境なのかもな。
(雨宮! 惚けてる場合じゃないぞ!)
雨宮を引き寄せると耳元で叫ぶ。
(う、うん)
ようやく覚醒した雨宮は小さく頷く。そんな雨宮を俺の背後に隠す。
最悪なのは店舗の中でもここは出入り口から最も離れたフロアの隅なこと。せめてあの入り口に近い場所ならば、助かる可能はぐっと上がるんだけどな。
そして、俺のその予想は実にあっさりと裏切られる。
「ひぃぁっ!」
出入り口に隣接する席に座っていた中年の男が奇声を上げながらも、店から出ようと出口へ向けて走り出す。
オークは一瞥すると無造作に右手に持つ鉄の
鉄の鉈は回転しつつも、逃げる男の後頭部に深々と突き刺さり、
「くぇ!」
男は短い断末魔の声とともに絶命した。
「ひぃ!」
「いひぃや!!」
そこからはまさに阿鼻叫喚だった。パニックになり逃げようとしたOLはオークの丸太のように太い右拳で首の骨を叩き折られる。尻もちをつきつつも後退る坊主頭の男子高校生は鉄の鉈で首を刎ねられた。
逃げようとしたものからじわじわと一人一人殺される。まるで、俺達に決して逃げられぬことを見せつけるかのように奴はなぶり殺しにしていく。
俺はというと、むせ返る鉄分の匂いに喉からせりあがってくる甘酸っぱいものを吐き出したい欲求を必死に我慢しつつも、指一本動かさず眼前の現状を眺めていた。
店内の客を殺し尽くし遂に奴は俺たちに向き直る。逃げようにも奴と俺では身体能力に差があり過ぎる。動いた時点で待つのは確実なる死。
くそっ! 俺は完全に選択を見誤った。こんな化物にホイホイ遭遇するくらいの世の中になっているとは夢にも思わなかったんだ。これなら、あのダンジョンでゴブリン相手にコツコツレベル上げしていた方がよほど安全にこの状況を切り抜けられたよな。まあ、今更言っても意味などまったくないが。
『ぐふぅー!』
豚の鼻から息を吐き出し、奴は鉄の鉈を片手にゆっくりと近づいてくる。
オークの顔が歪む。その表情は無力な子羊にすぎない俺を嘲笑っているようで、それがどうしょうもなく俺をざわつかせていた。
極度の緊張状態の中、数秒後の己の死の姿をはっきりと認識し、俺の耳に自分の歯がみっともなくカタカタと鳴っているのが聞こえてくる。
オークは俺の眼前まで来ると、鉄の鉈を振り上げた。その時――。
――ドン! ドン! ドン!
銃声が複数響きわたり、オークの巨体が横っ飛びに吹っ飛ばされる。
直ぐにオークはヨロメキながらも起き上がると、
『グオオオォォォッ!』
天へと咆哮し巨体とは思えぬ速度で割れた窓から外へ飛び出していく。そして鳴り響く銃声と爆発音。
俺は今も泣きながら震える雨宮を抱きしめると部屋の隅で
数十分、いや、数分に過ぎなかったのかもしれない。遂に銃声や砲撃音が止み沈黙が訪れる。次いで防弾スーツにヘルメットで厳重装備した者達が店内に雪崩れ込んできた。
「怪我はありませんか?」
俺たちに近づくと特殊部隊と思しき女性が安否を尋ねてくる。
俺は今も腕の中にいる雨宮を彼女に渡すと立ち上がろうとするが、足は俺の指示を受け入れずよろめき地面に倒れる。
「大丈夫ですか!?」
もう一人の男性隊員に気遣われるも、その手を振り払い俺は血肉だらけの店舗の床を踏みしめて外にでる。
舐めていた。あのような怪物が跳梁するような場所に、既にこの世界は変貌してしまっている。遅かれ早かれ、また危機的状況に襲われるだろう。今回俺が生き残ったのは、ただの偶然、ただの運だ。次は確実に死ぬ。
俺は楽して生きるのを信念としている。今のこの世界で俺が今の平穏な生活を維持するには、鍛える必要が不可欠なんだ。なら、もう日和見はすまい。一切の妥協なく鍛え抜いてやる。
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