闇の中から【2】

 ラノーラが周囲を見回した。

 彼の顔がアズリにも向いた時、必然的に目と目が合った。その時一瞬、彼は不安気な雰囲気を見せた。

 きっと心配しているのだろう。

 だがアズリは、自分の意思は変わらない、と訴えるつもりで強く見つめ返した。

 すると眉を下げて苦笑した後、「では」と一言いってラノーラは説明を続けた。


「先程も言った様に、彼らは美食家です。渓谷に人が入ってしまえば、他の動物を放ったとしても見向きもしません。渓谷内の人間を助けるには足を止めるしかありませんが、その時間は何かを……今回は人を捕食している時だけ。しかし、方法はもう一つあります。それは……電撃です」

「もしかして、それが本来の狩り方……なのか?」

 メンノが質問する。

「そうです。電気粘性流体ですので、少しでも電気を流すと粘度が増加し、一定の硬度になります。その時動きが止まります。止まると言うよりも鈍くなるらしいですが、暫く時間を稼ぐ事が出来るのは確かです。本来はその時に頭部を破壊して狩っていたみたいです」

「頭部? ヘドロ状の生物だろ? そんな物あるのか?」


 キャニオンスライムを知っている雰囲気だったメンノだが、こんな質問をするのであれば、やはり見た事は無いのだろうと思った。

 ザッカに目をやると彼も似たような雰囲気で、真剣にラノーラの説明に耳を傾けていた。

「あります。露出した核の様な物です。言葉での説明は難しいのですが、小さな頭部に無数の目が付いていて、背中に餌を放り込む穴があり、それ以外が全て透明な膜に覆われた粘性の強い液体になっている。そんな感じです」

「餌を放り込む?」

「口部です。そうですね……液体の入ったバルーンを想像してみて下さい。それが胴体です。スライムと呼ばれていますが、小さな頭部と口部が存在していて、粘弾性液体は体内にあります。手足は存在しませんが、自由に形状を変化させる事が出来る為にスライムと呼ばれているのだと思います」

「食われるとどうなるっすか? まさか……」

 続いてザッカが質問した。

「ご想像の通り、溶かされます。驚く程に高酸性の体液ですので、あっという間に溶かされます。それ故に膜があるようです。もし、膜が無ければ通常の生活でそこら中を溶かしてしまいますから。因みに体液は死亡したり、体外へ排出したりすると酸も粘度も無くなってただの液体となります。不思議ですね。因みに膜は再生力が高く、穴が開いても直ぐに塞がります」


「すまない。一つ良いか?」

 先の一言以外何も話さなかったロクセが口を開いた。

「なんでしょう?」

「電気が有効であるならば、何故わざわざ人を餌にするんだ? おびき寄せた後に電撃を食らわせればいいだけではないのか? 捕獲の時間が取れればいいのだろう?」

 確かにそうだとアズリも思った。

 足を止めたいだけならば、それで十分だ。

「金だろうね。違う?」

 ロクセの質問に答えたのはルマーナだった。そして同時に彼女もラノーラへの返答を求めた。


「その通りです。この方法には経費がかかります。酸性の強い体液なんです。電気を通す銛を打ち込んでもそれ自体が溶かされて直ぐに使い物にならなくなります。殺してしまうのならばそこまでの時間は必要ないでしょうが、作戦は幼体を捕獲する事なんです。捕獲には時間がかかります。その時間を稼ぐ為には多量の銛が必要となるでしょうから……だから経費のかからない方法を彼らは選んだのだと思います」

「クソ野郎共だな」

 メンノが言った。

 アズリも心の中で同意した。

「成程」

 そう言ってロクセは口を閉じた。

 少しばかり意識が他所に行っている気がした。思考モードに入りつつある様に見える。


「エルジボの商会はもう出発したんすか?」

 ザッカがルマーナを見て言った。

「いいえ。恐らくまだだね」

「なら、止めればいいじゃないっすか」

「それが出来ないからこうして集まって貰ってるんだよ」

 ルマーナは少し不機嫌気味で答えた。

 するとキエルドが一歩前へ出て「本来私達は手を出せません」と口を挟んだ。

「どういう事ですか?」

 何故だ? と言いたげな顔をするメンノ達に代わってアズリが質問する。

「これは国から指定されたエルジボだけが出来る仕事です。それを大っぴらに妨害、ともなると、下手をすれば船掘又は狩猟の権利が剥奪されます。二度と空船を使った仕事は出来なくなります。それに……」

「それに?」

「上の方々はキャニオンスライムを求めています。妨害して捕獲できなかったとなれば、全ての責任が私達へ向いてしまいます。当然ですね。もしかしたら、ロンラインでの権力すらも失う事態になる……かもしれません。リスクが非常に高いのです」

「そう。だからあたい達はエルジボが出発して暫くしてから低空で見つからない様に現場に向かって、密かに行動するしかないの。まぁ人を配置する場所は巣からずっと離れた場所だろうし、気づかないとは思うけどね」

 だろうし、という言い方が引っ掛かった。

 恐らく実際の現場は見た事がないのだろう。


「しかし、救出してしまえばそれだけ足止め出来なくなるだろ? 捕獲が失敗する可能性が出る」

 と今度はメンノが口を出した。

「いいじゃないのさ。妨害がバレなきゃ失敗した落ち度は全てエルジボ側にいくんだ。それにあんな奴らは全滅しても構わないって思ってるよ。あたいは」

「しかし、貴族連中は例の薬を欲しがっているんだろ? 捕獲しなきゃ色々とマズくないか?」

 薬とは、先程ザッカが言った原料と関係あるのだろうか、とアズリは思った。

「失敗すればいいさ。あんな物無くたっていい。それにどうせ別の商会へ話が行って、結局誰かがやる事になるんだ。もしそうなったら、あたいはガレート商会を推すよ。それなりにコネはあるからね。次はまともな仕事をやる所に権利を持たせるよ」

「まぁ……そうだな」

 そこで一旦会話が止まった。

 相変わらずカリカリとパウリナは爪を噛んでいる。

 女性達……ルマーナ船掘商会の船員達も変わらず怖い顔だが、ルマーナが放った「あんな奴ら全滅したって構わない」との言葉に皆一様に賛同し、そして結束を再確認した様な妙な雰囲気を見せていた。


「薬って何ですか?」

 会話が止まった機を見てアズリは聞いた。

 するとパウリナが答えた。

「興奮剤よ」

 一言いって爪をパキンと割った。そして「私も……私の友達もそれにお世話になった。無理矢理ね」と続けた。

「思い出したくないわ」

 今度はメルティーが言った。その言葉にローサとパームが頷く。

「辛かったと思う。私もあんな物なければいいって思うわよ」

 サラが彼女達に同情の目を向けた。

「救ってくれたルマーナ様には感謝してる。ラノーラもでしょ?」

 パウリナが問うと「勿論です。でも僕はタイミングが良かった。お姉様達と違って、嫌な思いしなくて済みましたから」と答えた。


――お姉様?


「あなたは真っ直ぐ生きなさい」

 ローサが言った。

 そしてまた小さな沈黙が出来た。

 何の話をしているのだろうか? と思った。それに聞いてはいけない事を聞いてしまった気がした。

 アズリは申し訳なさそうにパウリナ達を見た。

「ごめんね。こっちの話」

 そうパウリナが謝った後「体液が興奮作用のある薬の原料になるんだよ。ハイフリッカーっていう薬にね」とラノーラが声をかけてきた。

「貴族の人達ってそれが欲しいの?」

「うん。もの凄い効果があって、昔はそれが他の国にも売られてたんだ」

「乱獲されたのはそれが欲しかったから?」

「うん。昔はそれでいっぱい儲かったって、それで一時期ここも潤ったって、そう聞いた事がある。でも今はきっと欲望の為……だと思う。当然、個体数を増やすまで待つか否かの議論がされたけど、結局欲望の方が勝ったみたいだから」

「待てなかったんだ」

「育つのも遅いしね」

「その薬って何に使うの?」

「アズリ、お前はそんな事知らなくていい」

 メンノが会話を止めた。

 何で? と口を開きかけたが、睨むメンノの顔と彼の意見に同意する様に見つめて来る周囲の反応にたじろいでしまい、グッと堪えた。

 この話にはこれ以上踏み入ってはいけない。そう思った。


「……さぁ、話を戻すわよ」

 足を組み直しながらルマーナが言うと「そうですね」とラノーラが答えた。

 と、ここでまたロクセが「いいか?」と口を開いた。

 思考モードから解放されたロクセは「どうぞ」と促すルマーナの返答の後、地図を見つめて「もっと詳しい地図はないのか?」と質問した。

「ごめんなさいね。手元にはこれだけしかないの」

「そうか。地形図というには心もとないな。恐ろしく簡易的な測量しかされていない。これでは渓谷の高低差を細部まで把握しきれないな」

「商会の事務所にはこれより幾分詳しく描かれた地図があるんだけどね。でも、これだって細かく描かれてる方なんだよ」

「……そうか。まぁいい。緯度と経度がそこそこ詳細に刻んであるだけ良しとするか。ん?」

 ロクセが何かを発見したかのように止まった。そして「ああ……これか」と呟いた。

「どうかした?」

「いや。何でもない。……因みにこの救出作戦は初か?」

「そうよ。ぶっつけ本番だけど。上手くやらなきゃならない」

「ふむ……では、聞こうか。多少は考えているんだろ?」

「……電撃をお見舞いするつもり。その間に救出って形で考えてたわ。漠然とだけどね」

「そうか。それで幾つ打ち込めば助け出す時間が稼げる?」

「何丁なら行けそう? 一丁でどのくらい時間が稼げるんだい?」

 ルマーナはロクセの質問と自身の質問をラノーラへ投げた。


「僕は狩りの現場を実際に見た事が無いので詳しくは分かりません。ですので必要数に関しては……僕には判断できません。多いに越したことはないですが。効果時間は聞いた話だと一丁で三分程度の様です」

「三分……か」

 ロクセは小さく唸った。そして「何丁用意出来る?」とルマーナに向かって続けた。

「現状二丁所持してるわ。本当はもっと確保したかったけど、間に合わなかった。でも他にもう一つある……銛じゃないから緊急事態用だけど。でも、あるのと無いのとでは違うからね。あるだけマシ」

「メンノ。俺達の商会は所持しているのか?」

「いや。持ってない。結構特殊な銛だからな。持ってるのは狩猟商会くらいだ。それに他の商会に壊す前提で貸し出しを依頼しても、まぁまず断られるだろうな」

「そうか……。ルマーナ、助ける人数は分かるのか?」

「把握してないね。十か……それ以上か」

「では、渓谷内でどう搬送するつもりでいた?」

「小型探査艇に乗せるつもり。操縦士含めて三人まで乗れる。装備を降ろしておけば、ギリギリだけど四人はいけるはずだよ」

「何艇持ってるんだ?」

「一艇」

「そうか。こちらの協力は同じ小型艇の貸し出しか?」

「そう。察しが良いね。あと出来れば銃での牽制もお願いしたいと思ってる」

「成程。メンノ、オルホエイに……船長に貸し出し許可は得られるか?」

「たぶんな。ルマーナの要請なら受け入れるだろうよ。だが経費はそっち持ちって事になるが」

「それは構わないよ」

「ではメンノ、船長への交渉は頼む」

「ああ。任せろ」

「ラノーラ、その獲物に銃は効くのか?」

「頭部になら。他は恐らく効かないと思います。ですが、注意を引くくらいは出来るかもしれません」

「では、渓谷上部、左右からの牽制と銛での足止めだな。銛は中型の設置タイプか?」

「小型だね。男ならなんとか一人でも運べる」

「そうか。なら都合が良い。銛担当は幾らか距離を置いて配置すべきだ。一発目が使い物にならなくなったら二発目を打ち込めば良い。走りながら逃げてる所を救出するだろうからその方が理にかなっている。救える人数は二艇使っても一度に六名まで。だが、引っ張り上げる担当も必要だ。簡単に飛び移れる運動神経を皆が持っている保証はないからな。そもそもティニャがいるんだ、考慮しなければならない。となれば、こちらが操縦士と含めて二名乗る事になる。二艇で救えるのは四名までだ。二度チャンスがあれば八名。それとさっき緊急事態用にもう一丁あると言っていたな」

「え、ええ。銛じゃないけどね」

「構わない。しかし三度のチャンスがあるのは確かだ。上手くやれば十二名だ」

「そ、そうね」

「しかし、もし、それ以上居たら全員は救えない。後は牽制でどれだけ時間が稼げるかだが……。ルマーナ、狙撃に自信のある奴は何人いる?」

「あたいとキエルド含めて四人くらいよ」

「そうか。出来る限り隠密に行動するんだ。少数精鋭が良い。銛担当も加わるからな。そっちはその人数で十分だ。メンノ、こっちの商会からも何人か協力頼めるか? 直ぐに」

「いや、この時間の男共はもう酒が入っちまってる。厳しいな」

「あ、ロクセさん。多分レティーアとリビ、後はカナ姐とダニルさんなら急ぎでも協力してくれるかもしれません。銃の腕も良いですし」

「では、アズリさん。誰でも良いので二、三人連れて来て下さい。ただ危険が伴いますから、必ず理解を得た上でお願いします」

「はい」

 何故自分にだけ敬語? と思ったが飲み込んだ。

「ザッカ、君には小型艇の操縦を頼む。人が走る速度で、地面スレスレで飛ばしてくれ。出来るだろう?」

「え? あぁ、も、勿論っす。任せてくれっす!」

「ルマーナ、大型空船はそっちのを飛ばすんだろ? 今から温めて置いた方がいい。飛ぶのに時間かかるしな」

「え、ええ、そのつもり」

「囮にされる被害者が何処に配置されるか分かるか?」

「大体の予測はつく。でも、実際、確認しないと判断の仕様がないね」

「分かった。後は、現地で状況把握するしかないな」

 ここで、ロクセの話が一旦終わった。


 簡単ではあるが的確に作戦の立案を送り、メンノ達への行動も指示する。

 ここまで饒舌に話すロクセは初めて見た。

 全員、最終的には圧倒されつつも尊敬する眼差しでロクセを見つめ、真剣に聞き入っていた。

「……細かな作戦案は後にするとして、ここまでの質問はあるか?」

「いや……無いよ」

 全てが初、という中で、しかも状況に対する情報も乏しい中で、これだけの指示が出せれば申し分ないと思った。

 ルマーナがじっとロクセを見つめていた。頬が少し赤い。

 だが、彼女がどう思っていようが何とも思わなかった。

 アズリは妙な違和感を感じていた。それが胸中に靄をかける。

 ロクセの口ぶりは勿論初作戦に対する立案と指示だ。だが何故か、ある程度の詳細を知った上で成された物の様な気がした。

 しかし、そんな訳はないと自分に言い聞かせ、アズリはその靄を強制的に消し去った。

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