プレゼント【8】

 長髪をオールバックにしている長身の男は品のある服を少しばかり着崩している。真っ直ぐに歩いて来て、テーブルの前で止まった。その後ろには目元に刺青のある男。威嚇するように眉間に皺を寄せている。そしてもう一人、顎の周辺を鉄板で覆っている大きな男。無表情のまま真っすぐにルマーナを見ていた。


「やって良い事と悪い事の区別も出来なくなったのかしら?」

 ルマーナが言う。

 数秒前までの楽し気な空気が一瞬で無くなり、他の女性達も睨む様に三人の闖入者を見据えていた。

「お前もな」

 オールバックの男が答える。

 答えながらティニャをチラリと見た。

 目が合ったティニャはビクリと体を揺すった。

 それを見た瞬間アズリは、この三人が一番通りの関係者、ティニャと関りのある人間なのだと察した。


「今は接客中。仕事中なの。それを邪魔するってどういう意味か知ってる? ヴィス」

「さぁな」

 そう言ってヴィスはソファーに座る面子全てにぐるりと目を向けた。そしてロクセに視線を戻し、じっと眺めた。

「今夜は気分が良いのよ」

 ルマーナはテーブルのグラスを手に取った。

 何も答えないヴィスはまだロクセから視線を外さない。

 そんなヴィスに対してルマーナは哀れみを込めた薄目で「……帰りな。今すぐ自分のベッドでおねんねするなら許してあげる」と続けた。そしてグラスに口を付けた。

「ルマーナ嬢。こっちも仕事なんですよ」

 刺青の男が言った。

「聞こえなかった? 自分のベッドで寝てろって言ったの。まさかママのベッドでしか寝れないとか?」

「はぁ?」

「いい歳して可哀想ね。でも早く帰ってあげたら? 寂しがってるかもよ?」

「てめぇ」

「やめろ。イジド」

 じっとロクセを凝視していたヴィスはここで漸くルマーナを見やる。

 イジドは「はい」と小さく返事をして、微妙に乗り出していた体を引いた。


「ルマーナ。今度の相手はこいつか?」

 ヴィスの指すこいつとはロクセの事だろう。

 アズリはロクセの様子を伺った。彼は表情一つ変えずにじっと前を向いている。

「だったら何?」

「やめておけ。どうせいつもと同じだ」

「そう? 彼とは良い関係を結べると思ってるわ」

「俺には不幸になる未来しか見えない。気の毒だ」

「……で、何しに来たの? あたいを怒らせに来た訳? 無駄話してる暇はこっちにはないの」

 ルマーナは相手を煽りながらも穏便に済ませようとしていた。雰囲気だけでアズリにもその意思が伝わった。だが、ロクセの事を弄られて、逆鱗に触れかかったのだろう。言葉の中に怒りが滲んでいる。いや、そもそも煽った時点で穏便に済ませるつもりは無かったのか……。


「仕事だと言っただろ? 俺は回収……連れ戻しに来ただけだ」

「誰を?」

「そこのガキを、だ」

 そう言ってヴィスは顎を使ってティニャを指す。

 ティニャは息を飲むようにぐっと口をつぐみ、肩をすぼめた。そんな怯える様子のティニャを見たパウリナは彼女の肩を抱いて引き寄せた。同時にルミネはティニャの手をぎゅっと握る。

 安心させる為なのだろうが、ルミネもまた怯えている様に見えた。


「この子はお客様。今は接客中。言ったでしょ?」

「こいつはヘブンカムの従業員だ。仕事に戻って貰わなきゃな」

「だから何? お店に居る限りは大切なお客様。それを奪うって事はどういう事か分かる?」

「従業員と言ったろう? むしろこっちが被害者なのだが?」

「……なめてんじゃないよ」

 口調が、いや、雰囲気が変わった。そして表情も変わった。

 もしかするとこれが本来のルマーナなのかもしれないとアズリは思った。

「こっちのセリフだ」

「……帰りな」

「……」

「理解できないのかい? 消えろと言ってる」

 一段と低いトーンでルマーナが言う。

 ヴィスは小さく溜息をついた。

「……話すだけ無駄か。……ブルーノン、構うな、連れて行け」

 そうヴィスが命じると、鉄顎の男、ブルーノンが身を乗り出してティニャの胸ぐらを掴んだ。


「あうっ」

 ティニャが苦しそうな息を吐く。

 ブルーノンはそんな少女に慈悲も無く、ソファーから引っ張り出そうと勢い良く引き上げる。その拍子に胸のボタンが一つプツンと取れてテーブルに転がった。

 だが、それだけの被害で済んだ。被害はボタンとティニャのお尻が少し浮いただけ。

 パウリナがブルーノンの腕をグッと握って、それ以上の行動をさせなかった。

 ブルーノンの腕はピタリと止まり、そしてパウリナをじっと見据えた。

 パウリナの細腕が、力任せにブルーノンを制止させたのでは無い、とアズリは思った。

 躊躇無く、恐怖も無く、むしろ威圧する眼光でブルーノンを睨むパウリナ。

 一切怯まない彼女への配慮……そうアズリには見えた。


「手、離して」

 一際明るい声の持ち主だったパウリナが、静かな声でそう唸る。

 ここでメンノも「子供相手にそれはないだろ」と睨みつつ味方について「そっす。美味い酒も不味くなるっす」とザッカも続いた。

 だが、ブルーノンは微動だにせず、じっとパウリナを見据えている。

 見つめ合うブルーノンとパウリナ。そして何故か思案するように黙っているヴィス。周囲は当然、三人の男に敵意を向けている。

 不思議な沈黙が出来た。だがそれが続いたのはほんの数秒。

 サラが立ち上がり、ブルーノンの隣へ向かう。

「離してくれないかしら?」

 言いながらブルーノンの肩に触れた。

 しかし、ブルーノンは微動だにしない。

 ティニャは「うう、うう」と苦しそうに呻きながら両手でブルーノンの手を解こうとしている。


「下級市民は着せ替え人形なのか? 酔狂な事をする店だな。ここは」

 そんな状況を無視してヴィスが口を開いた。

「……いい加減にしな」

 ルマーナの声は更に低くなっている。

「可哀想なガキに一時の夢を見せる。……そんな偽善が趣味だったのか? お前は。……残酷だな」

「……ふざけた事言ってんじゃないよ」

「もういいだろ現実に戻してやれ」

「これが現実だよ」

「夢だ。このガキの居場所はここじゃない」

「……ほんと、いい加減に……」と言いながら、持っていたグラスをテーブルに置いて立ち上がろうとするルマーナ。だが、その声は強烈な怒号によってかき消された。


「離せって言ってんだろうが!! ああ!?」

 凄みの効いた低くて重量感がある男の声。この部屋にそんな声を出せそうな人物は居ない。 

 勿論、あまりに驚いて跳ね上がり、アズリは声がした方へ顔を向けた。

 そこにはサラが居た。それでも一瞬、誰が出した声か理解出来なかった。

「え?」

 理解出来たのは、パウリナも続いて「おい。こら。その手を離せって言ってるだろが。聞こえねーのかボケ」とドスの効いた男の声でブルーノンを威圧したから。

 二人共、首のチョーカーを外している。


 この場で驚いているのは、アズリとザッカだけ。ザッカは「は? え? マ、マジっすか?」と言ってメンノに返答を求める目を向けている。メンノは然程驚きもせず、何か納得した表情。ルミネはそんな二人を見て、安心した顔をしている。ロクセはというと……相変わらず。

 パームもメルティーもローサも、そんなサラとパウリナを見て【ルマーナの店】のお揃いアイテムであるチョーカーをカチっと外した。

「黙って聞いてりゃいい気になりやがって。ここが何処だか分かってんのか? あ?!」とローサ。

「おい。ブルーノン。その手離せよ。殺すぞ」とメルティー。

「はぁ? 殺すだ? やってみろ」とイジドが威圧する。

「ヴィスの尻にたかる羽虫だろ? お前。羽虫が喚くな」とパーム。

「なんだと?!」

 そう言って身を乗り出すイジドの顔面に、立ち上がったパームがぶつける様に自身の顔面を近づけた。

「やるか? あ?!」

 見た目は男と女。今すぐにでもキスしそうな程顔を寄せているが、中身は男と男のいがみ合い。


「え? ええ?!」

 と、今までの重々しい空気を忘れて、アズリはともかく今の状況に驚くばかり。

「マジで殺すぞ。ブルーノン」

 そう言うサラは今にも殴りかかろうとしている。

 と、ここで「手を離してやれ」とヴィスが命じた。

 ブルーノンはパウリナからサラに目線を移しており、無表情でサラを見据えたまま、ティニャから手を離した。

 ケホッケホッと咳き込みながらソファーへ落ちたティニャに、ルミネが「大丈夫?」と声をかけ、背中をさすった。


「ヴィス。あんたヘブンカムの使いだろ? あんなクズの言いなりになる程小さな男になったのかい?」

 ルマーナは上げようとした腰を落とす。

「これも仕事だ。理解しろ」

「できないね」

「客だろうが何だろうが、店に戻すのが俺の役目だ。それに、ヘブンカムで働いてると知ってたんだろ? だったら分かるだろ」

「知らないね。あんたの立場もあたいには関係無い。それにこの子はもう二度と、あんな糞みたいな店には行かないよ」

「……ルマーナ、お前まさか」

「ああ。この子はウチで引き取るよ」

 言った瞬間、サラ以外の女性達? はパァーっと目を輝かせた。

「賛成!」

「よかったねーティニャちゃん!」

「やだもーうれしいー!」

 と各々が、男性声で喜びを上げた。


「お前、何言ってるのか分かってるのか?」

 ヴィスが一段トーンを下げた声で言う。

「わかってるさ。協定があるからね。でもこれは決めた事。どんな手使ってでもあのクズ野郎からこの子を救う」

「……」

「協力してくれない?」

「何を言ってる。こっちにも立場がある。それにそのガキは……」

「何?」

「いや。ともかく、このままなら戦争になるぞ」

「覚悟してる」

「ヘブンカムの連中。そして、俺の部下が、ここへ来る事になる」

「あんたも来るんでしょ?」

「さぁな。俺は忙しいんでな」

「あらぁ、残念。ヴィスちゃんも来てくれたら楽しいのに~」


 いつの間にか部屋の扉が開いていて、女性、いや、女装をした二人の男性が入って来た。その内の一人が両指の節をポキポキならしながらそう話す。

「うげ、キャロルとベティー!」

 イジドがドン引きしたような表情で後ずさった。

「イジドちゃん。お久しぶり」

「キャロル……お前、一段と……」

「一段と? 何? また追っかけて欲しいの? でも、ごめんね。今はお熱の人がいるの。その人に飽きたら、次はそうね、あなたでもいいわよ」

「勘弁してくれ」

 指をポキポキ鳴らしていたキャロルは言いながらヴィス達の後ろに立った。

 長身のヴィスよりも背が高く、ブルーノンとそう変わりない。そして何より凄いのが、その筋肉。バキバキに鍛え上げてあり、黙って腕を組んでいるベティーと共に、両人共、ブルーノンに引けを取っていない。その体に合わせて作られたドレスは、はち切れそうで、無理やり乗せた化粧は手足の色と全く違う。チョーカーは付けておらず、声は太い。


 ここで漸く【ルマーナの店】がどういった店なのかとアズリは理解した。多分、この店で、本当の意味での女性はルマーナとルミネだけだろう。

 そして今思い出した。ルマーナ率いる【ルマーナ船掘商会】は男性ばかりの、そう、ルマーナ紅一点の商会だったと。

 入店の際、キエルドが「ルマーナ様がムモールに襲われる所を空船内で見てるだけだったのはあなた達です」と言っていたのだ。実際、全メンバーを見た事は無いが、もしかしたら【ルマーナの店】本店の店員は皆、船員なのかもしれない。


「どうする? このまま遊んでいく?」

 ルマーナが腕と足を組んで微笑を浮かべながら言う。

 だが、ヴィスは何も答えず、じっとルマーナを見ていた。

「お三方、ご退店願えますか?」

 扉の横にキエルドが立っていて、促すような仕草をした。

「引きましょう。兄貴」

 イジドがキャロルを見ながら言う。

「ルマーナ。本当にいいのか?」

 ヴィスがそう言うと「当然。それにあんたが何とかするでしょ?」とルマーナは返した。

「俺の立場は変わらない」

「そう。でもこっちの意思も変わらないからね」

「……そうか。なら忠告しておく。全てはお前次第。救うなら最後まで、だ」

「はぁ? 言われなくても分かってるよ」

「分かってるならいい。行くぞ。イジド、ブルーノン」

 ヴィスが踵を返すと、イジドとブルーノンもそれに続いた。

「どけ」

 真後ろに立っているキャロルとベティーが左右に分かれて道を作る。

 去っていくヴィス達の後ろを追う様に、キャロルとベティーも続いた。

 部屋から出て直ぐに、キエルドが「失礼致しました」と言って一度頭を下げ、丁寧に扉を閉めた。


「さ、気を取り直して飲みましょ」

 ルマーナがパンパンと両手を叩いてから言った。

 十五分やそこらの出来事。

 たったそれだけの時間の中で、ロンラインという場所で生きる事の怖さを知った。

 きっとアルコールが入れば、飲む事が出来るのであれば、忘れられるのだろうか……とアズリは思った。

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