プレゼント【6】

 退室すると、受付に一人立っているだけの店内はがらんとしていた。ロクセ達の後に来店した客はもう一方の個室を使っており、ボックス席は空席の状態だった。

 普通の店は混んでくる頃合いだが、この店は基本的に予約制の為、その類に属さない。それに今夜の予約の殆どは遅い時間にあり、そもそもそこまで客足の多い店でもない。

 ルマーナは誰も居ない寂しいボックス席の一つに、肩をすぼめて少女の様にちょこんと座った。受付に立つ男が、何事か? と視線を向けて来た。キエルドも居たはずだが姿が見えない。

 少しの沈黙の後、テーブルを挟んだ向かい側に淑やかに座るサラが「作戦会議ね。手早く済ませるわ」と真剣な眼差しで言ってきた。


「ど、どうしよう。勘違いだったら……」

「勘違いじゃないわ。贈りたいのはルマーナへ。皆そう思ってるから」

「だ、断定は出来ない……」

「いい? 彼は礼を兼ねてと言ってたの。それはルマーナがここへ招待したから。律儀にお礼の品を用意しようとしてるのよ。そして今後長い付き合いになる相手と言ってた。それは誰? 紛れもなくルマーナの事よ」 

「そ、そう?」

 立場なんて関係無いという態度で話すサラは、ルマーナの幼馴染だ。

 お互いの家庭環境は違ったが、妙に馬が合って、いつの間にか自分を支える存在となっている。

 彼女の人生で色々と驚かされる事はあったが、むしろそれがあったからこそ、今があるのではないかと思っている。


「服のサイズまで知ってると言った時は、ああ、終わった、と思ったわ。そんな相手が居るイコール恋人が居るという事だと普通は思うもの。でも、違った。下着すらもルマーナと一緒の物が欲しいと言ったのよ。ルマーナへの贈り物以外に誰にやると言うの?」

「でも、普通……聞く?」

「はっきり言って、プレゼントする相手に相談と称して直接聞いて来るなんて、色々ヤバい人だと思うわ。手も握った事が無いのにルマーナの体を知りたいと言ってる様な物。下着とか、ホント何考えてんの? って思ったわ。控え目に言っても変態」

「それは言い過ぎ」

 彼女は早口で、まくし立てる様に話す。

 恋愛相談するときはいつもサラにお願いする。

 仕事とプライベートで全く違う口調の彼女の言葉には、何故か妙な説得力がある。

 ロクセを変態だとは思わないが、彼女が言うとそう思えて来るのだから、その説得力は凄まじい物だとルマーナは思う。とはいえ確かに、自分と同じサイズの下着が欲しいと聞いた時は驚いた。そして同時に興奮した。


「もしかしたら、プレゼントするから好きな服を買え、と言う意味なのかもしれないわ。でも彼は、欲しいと言った。どこで買えばいいか分からないと言った。彼自身で買う気満々でしょ。これは」

「でも、普通は服なんて……」

「女性に何か贈るなら、ましてや初プレゼントなら大抵、花とかアクセサリーを選ぶわ。でも、彼は常識外れのチョイスをしてきた。そう、彼はそういう人なのよ。でもね、悪い様に捉えちゃ駄目。彼はルマーナを知りたがってる、それは興味があるから。いい? これはかなりの脈あり物件よ」

「そ、そうだね……そうかもね」


 今まで、好きになった相手からプレゼントを贈られた事など無かった。お礼の品であっても好意を含んだ品であっても……何も無かった。客からは星の数程、様々な贈り物を貰ったが、ルマーナ自身が望んだ物で無いのだから、表面上の喜びだけで心から嬉しいと思った事などない。

 ロクセを物件と呼称するのは如何な物かと思うが、脈があるのは確かだと思う。

 知りたがっているから、興味があるから、その言葉がぬるりと心に浸透し、動揺と緊張が合わさって乙女のような表情になっているルマーナに、少しずついつもの生気が戻って来る。


「そう! それに、これは彼の趣味を知る良い機会。あらゆるジャンルのお店を紹介しましょ。そして、彼は何を選ぶのか。ルマーナは知りたくない?」

「知りたい!」

「想像してみて。彼があなたを想って服を選んでいる。そして下着すらも選ぶ。その姿を。そして、彼が選んでくれた、彼の趣味趣向が詰まった物を身に着ける。そう、身に着ける事で、自ら彼色に染まるの! いえ、彼に強制的に染められるの! ね、興奮しない?」

 想像してみた。

 生まれて初めて好きな男から貰うプレゼント。その男が好む服と下着を身に着ける自分。

 その瞬間、自分は彼に取り込まれ、繋がり、そしてその一部となる。


「する!」

「あ、待って。これってもしかして……」

「え? 何? 何?!」

「……彼はこれが目的だったのかも」

「どういう事?」

「常識の斜め上を行く様な趣向を好むへんた……ちょっと変わった人だけど、彼は恋愛の達人かもしれないわ。今後もきっと、彼はルマーナへ間接的にアタックしてくるかも。いえ、アタックするとは違うわね。触れて来ると言った方が良いかもしれない。ルマーナの心に、女の部分に触れてくるの」

「女の部分……」

「言葉や態度で相手の心に触れて来る。限界が来るまでじわじわと、じらしながら。そして直接体に触れる物を贈って間接的に接触する。いつも俺は君に触れているよと言わんばかりに」


 なるほど、そういう事か。とルマーナは思う。

 今までの男、いや一部ではあるがそれらは皆ルマーナの体を求めて来た。だが、自身のプライドもあって最後まで捧げた事は未だに無い。怖くなってギリギリでいつも逃げる。その度に男達は悪態をついて去っていく。

 男なんて所詮……と、何を目当てにしているのか理解し、幻滅する。

 だが、ロクセは違う。

 ルマーナでも女としての欲求は持っている。それを、直接的でなく、間接的に満たそうとしているのだ。

 女は体よりも精神が満たされれば満足する。肌と肌の触れ合いで安心感を得るのもまた精神的満足だ。だがしかし、精神は体と違いあらゆる側面で繋がっている。喜び、悲しみ、怒り、あらゆる感情が、或いは出来事が精神と直結する。個々人が持つフェチズムもまた、人によっては快楽へと変わる。

 彼はそれを理解している。

 考えれば考える程想えば想う程に、妄想という快楽が創造され、女の持つ独特な精神世界を満たす。抑揚の無い声や雰囲気、それもまた彼の付かず離れずのじれったい攻め方なのだ。

 そう思うと、彼の行動全てがルマーナの精神を満たす性的行為だと思えてくる。


「ヤバ……」

「きっと会った瞬間、彼はルマーナの気質に気が付いたのよ」

「うへへ」

 気質とは何なのか。自分はどんな気質なのだ? と思うが、もう既にサラの言葉に対する思考回路は半ばショートしている。

「なんて特殊なじらし方。凄いわ。新ジャンルのプレイとも言える」

「えへへ」

「でも、逆に常識すら知らない素人かも。確認が必要ね」

「うへへ、へ? 確認?」

「これからの方針として、ルマーナはもっと彼に密着して」

「無理」

「無理じゃあない! そもそもいつものルマーナは何処へ行ったの? あんな膝だけちょこんとくっつけて。何も喋らないし、駄目! それでは」

「今回は、その、あたい何だか……変で」


 ロクセの居る部屋へ入ってからはもう、気合でなんとか持ちこたえていると言っても過言ではなかった。

 いつもの態度で接している……つもりだが、手も声も震えて、顔も熱い。

 気を抜くと鼻血が出て来そうになる。


「乙女か!? そのしおらしい態度も気持ち悪い顔も、彼の前では出さないでよ。彼がどんな人であれ、いつも通り接して」

「ど、努力する」

「彼は私になびかなかった。ルマーナが好きになった男の中では珍しい真面目で一途なタイプよ。ちょっと変わったひ……いえ、変態だけど」

「珍しいって……」

「でも、気になってる相手にはそうじゃないかもしれない。とにかくもっと密着して彼を落としにかかって。もし、鼻の下伸ばしたりしたら、今までの話は無し。彼は常識知らずの童貞よ。でも逆に冷静に飲んでるなら本物。わかった?」

「……はい。頑張ります」


 童貞? それは無い。

 今までのサラの助言を聞いて納得した自分がいる。だからこそ断言できる。

 ロクセは……彼は今まで得られなかった幸福感を与えてくれる人物に違いない。女性を傷つけずに充実した愉悦を与えて来る。

 こんな人物が、どうして童貞と言えよう。

 百戦錬磨の紳士と表現するのが正しい。

 好きになって良かったと思う。今までに無いレベルで惹かれる理由も分かった。

 もう、彼のに従う様にしようと心から思う。

 これからの夜は一人でも寂しくない。彼を想う新しい営みが毎晩自分の体を温かくしてくれる。

 彼から贈られた下着を身に着けながらだと、それはもう……想像するだけで……。


「じゃ、作戦会議終了。行きましょ」

 サラが立ち上がり、ぼぁっとするルマーナの顔を見つめる。

 熱い顔を数回の深呼吸で冷やして「ええ。行くわ」とルマーナは気合いを入れた。

「と、その前に」

 サラが立ち止まって言った。その次のセリフは聞かなくても分かった。

「……何があったの? ティニャちゃんに」

 案の定、ティニャの事だった。

「……あたい、あの子を引き取ろうと思う」

「それは、ルマーナとして? 店の従業員として?」

「後者ね。でもまだ分からない。詳しくは後で話すわ」

「そう。どちらにしたって、皆歓迎するわよ」

「ありがとね」

 サラは優しく微笑み、そして「さぁ、行くわよ」と、いざ戦場へと言わんばかりに意識を切り替えた。

 二人はロクセの元へ向かった。






 そんなルマーナ達の後ろで、こんな会話がなされていた。

「あ、キエルドさんいつの間に」

「ちょっと外に出てました」

「下級市民の女の子、引き取るみたいですね」

「私は良いと思いますよ。将来性がありそうですから」

「そうですか。それよりも、ルマーナ様達恒例の会議……聞いてました?」

「ええ。粗方は」

「どう思います?」

「何があったか知りませんが、だいたいの予想はつきました。ルマーナ様が何を思っているかも、なんとなくですが想像できます。いや~相変わらず……ぶっ飛んでますね」

「プレイとか……。サラさんもアレでルマーナ様の恋愛指南役ですからね……驚きです」

「二人共、難しい事は考えずに普段通りにしていれば男の一人や二人……簡単なのですが……ね」

「ホントそれです。で、どうします? 変な方に突っ走りそうですよ」

「う~ん。でも、今回は問題無いような気がしますね。ルマーナ様も幸せそうですし」

「じゃあ、今回は手荒な真似しなくて良いですかね」

「ええ。そうですね。ロクセ……彼を信じてみましょう」

「……ホントにそう思ってます?」

「ショック! 本当に思ってますよ。でも……ルマーナ様に関しては、見てて面白いので放って置きましょう、というのが本音です」

 勿論、ルマーナ達には受付で話す男二人の会話は耳に入っていなかった。






 上級街にはロンラインの各通りに繋がるエレベーターがある。各々の通りに二つずつあるが、時間によっては混んでおり、なかなか乗る事が出来ない。

 ロンラインが営業開始してから既に二時間が経過した。

 ヘブンカムからの依頼をこなすには、客の少ない時間帯が好ましかったが、もうそんな時間でもなかった。

 暫く並んでからやっとエレベーターに乗る事が出来た。

 ヴィスは連れの二人と共に二番通りに繋がるエレベーターへ乗り込んだ。そしてクリアカードをかざして乗る人物の認識をさせる。

「一応、監視からの報告では、まだ店に居るみたいです」

 言いながらイジドとブルーノンが続く。

「ならいい」


 ルマーナの店の前にはルマーナ像を中心に置いた噴水がある。その周囲にはベンチがあって、同伴の女性や飲み仲間を待つ広場がある。

 そこに事前に向かわせた部下が一人、まるで誰かを待つ様にルマーナの店を監視している。その部下からの報告である。

「エルジボ様、お楽しみでしたね」

「いつもの事だ」

 ルマーナの店に行く前に、当然部下の義務である報告をした。だが、ヴィスが何度通信しても応答は無かった。

 であるが故にエルジボを探しに行く羽目になる。

 上級街に間借りしているエルジボの自宅や、居るだろうと思える知り合いの貴族邸をしらみつぶしに回った。大概、二、三軒も回れば見つかるのだが、今夜は予想外の場所に居た。その場所で、そこの主人と一緒に、男の欲望を吐き出していた。

 今夜の女は、そこの主人のお気に入りの女。エルジボの直営店で働く女。

 恩を売る為に女を貸し切りにして、自らも楽しんでいた。

 そう、これもいつもの事だ。


「事前報告しないとキレますからね。どうせ、任せるの一言で終わるんですから要らないと思いますけど」

「これも仕事だ」

「連絡しても出やしないし、ホント時間の無駄ですよ」

 ヘブンカムを出てから一時間弱。本当に無駄な時間だとヴィスも思う。

 だが、その一時間が妙な不安を生み出した。

 回収する少女がルマーナと知り合い程度ならば、店が忙しくなってくる時間帯に悠々と滞在している訳が無い。だとすれば、客で来ているか、考えたくは無いが仕事をしているかのどちらかだ。

 そして、客の線は排除出来る。

 【ルマーナの店】はその特殊性故に、男女関係無く利用する店だ。だが、驚く程の料金を取る為、殆どの客が上の連中、貴族どもだ。

 だからこそ、二番通りで一番高い金を取る店に下級市民の、それも子供が利用するなんて事は有りえないのだ。

 となれば答えは一つしかない。


――やってくれたな、ルマーナ。こんな時に面倒事増やすな。


 精神的にも限界が来ている中、余計な仕事を増やすなと思う。だが……。

「……行くぞ」

 エレベーターが二番通りの、それも【ルマーナの店】本店横に降り立つ。

「うす」

 エレベーターの扉が開いてイジドが返事をしながらついてくる。ブルーノンは無言。


――だがしかし、これは良い機会なのかもしれない。俺ももう……限界だからな。


 もし、ルマーナが少女を庇う程に欲していたのであれば、都合が良いかもしれない。

 十分な味方を付けた。十分な権力を得た。

 そろそろ行動しても良い頃合いだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る