少女と手紙【10】
ロンライン一番通りの中央付近には、通りで三番目に大きな店がある。その裏手でひっそりと営業している看板すら無い店は、周囲の店と同じく、まだ開店準備をしている最中だった。
営業出来るのが不思議でならないと思える程にボロボロなソファーとテーブルが、狭い店内にスカスカな状態で置いてある。
三つしかない客席の中でギリギリ妥協点と判断したソファーに、ヴィスは深々と座って組んだ足をテーブルに乗せた。その背後では、目元に刺青のある男が睨みを効かせ、顎の周囲を鉄板で囲った筋肉男が腕を組みながらじっと立っていた。
そこへドレスに着替えたばかりの女が、トレイに乗ったグラスを小刻みに揺らしながら歩いて来る。
ヴィスの背後に立つ二人の男が女に視線を向けると、グラスが大きく揺れた。
何処に置けばいいのかと暫く戸惑った後、女は「こ、こちらを、ど、どうぞ……」と言いながら三つのグラスをヴィスの足横に置いた。
「と、当店で最高級の酒です。後ろのお二方も、ど、どうぞ」
テーブルを挟んで向かい側に座る小太りの店主が脂汗を拭いもせずに言う。
ヴィスはテーブル上の足元に置かれた酒を見た後、視線を女に向けた。
トレイを持ったまま背筋を固まらせている女はその視線にビクリとする。
「こ、この娘こは当店で一番人気の子でして……い、如何でしょうか?」
ヴィスが店主の言葉を無視して、正面に向き直ると「あ、し、失礼しました。い、今居る全員呼びますので、ええ。あ、そう、えっと……後ろのお二方も立ったままなんて、その、疲れますでしょうからお座りになって下さい。……ほっ、ほらっ! そんな所でぼーっとしてないで、お客様についてあげなさい!」と焦りながら言葉を続けた。
「はっはい! し、失礼しました!」
店主の言葉でハッと我に返り、トレイを持ったままの女はヴィスの隣へ座ろうと屈んだ。
「寄るな」
ヴィスがこの店に入ってから発した最初の言葉だった。
「へ?」
店主が変な声を出すと同時に、女もバネの付いた人形のように背筋を伸ばして一歩後ずさる。
「さがらせろ」
「い、いえ、折角ですから、少しゆっくりなさって行ってください。あ、今日は貸し切りにしますので、ええ。好きな娘が居ましたら、お、奥で遊んで行ってください。も、勿論、お代はいりませんので、ええ」
脂汗が水滴のように額に溜まっていく事も気にせずに、店主はテーブル脇のベルに手を伸ばした。そして二度、そのベルを鳴らした。
ヴィスは無言で店主の行動を放置する。
ベル音の後、即座に中央の大きな扉から女達が姿を現した。
最初の一人はトレイを持った女と同じく、若くて肌艶の良い女だった。しかし、その後から続く女達は順を追うごとに健康美と生気を失っている。
「今いる娘達はこれだけです。ま、まだ出勤していない娘もいますので、ええ」
トレイを持った女の隣にずらりと並ぶ数は六名。
店主の雰囲気を察して、テーブルに足を置いた男の権力を感じ取っている女は、内四人といった所。
他の二人はそれを感じ取れない程に生気が抜けきっている。その二人の内で一番痩せた娘は、見るからに薬に手を出している様相をしていた。
「お、お好きな娘を選んで下さい。あ! ぜ、全員でお相手する事も、その、出来ますので、ええ」
「おい……デブ。兄貴はいらねぇって言ってんだろ? 聞こえてたか?」
無言を貫くヴィスに代わり、後ろに立っていた刺青男が口を開いた。
「は、はい! 勿論です! で、ですが……その、許可を頂くには、もう、こうするしか……」
「許可だぁ?」
「あ、いえ、その、こ、今回だけでも、み、見逃して頂けたらと……」
「兄貴に見て見ぬふりしろって言ってんのか? お前」
「こ、こうでもしないとウチは営業が出来ませんので、も、もしお気に召して頂けたのなら、これからも……」
「おい! 立場分かってんのか?! てめぇ!」
「ひっ!」
と、そこでヴィスは左手をひらりと上げた。
身を乗り出した刺青男は自分の立ち位置へと戻り、口をつぐむ。
「……契約の内容を忘れた訳ではないだろ?」
「は、はい!」
「ここは、飲むだけの店だ。違うか?」
「ち、違いません。おっしゃる通りです。で、ですが……」
「それ以上はこっちの専売特許だ。ここで店を開くのなら、ここのルールを守ってもらわなくてはな。契約書にもそう書いてあるだろ?」
「は、はい……。で、ですが、他の店もウチと同じような……」
「他は元々そういう契約だからな。その分、上りも多く、家賃も高い。個人経営でその資金繰りが出来るのは極一部だ。お前の店とは根本が違う」
「は……はい」
「だが、まぁ、見逃す事も出来なくはない」
「ほ、本当ですか!」
「……が、その前にこの女達を下がらせろ。邪魔だ」
「はい! お、お前たち、戻りなさい。さっ! 早く!」
待ってましたとばかりに女達は頭を下げ、逃げる様に部屋を後にする。
そんな中、痩せた女だけはぼーっとテーブルを見つめて動こうとしなかった。トレイを持った女が途中で引き返し、腕を掴んで引っ張る様に連れて行った。
この部屋に入る前に薬を使用していたのだろう。そして、そろそろ全身に回ってくる頃だろうとヴィスは思った。
案の定、扉の奥で奇声にも似た笑い声が響いた。
「す、すみません。あ、あの娘はもう駄目でして……へへ」
媚びを売る笑いと共に、店主は漸く脂汗を拭った。
「確かに。アレは使い物にならないな」
「ええ。そろそろ潮時かな……と」
「……生きの良い奴だ」
「へ?」
「この店で一番生きの良い女を、一人よこせ」
「な、なんの話でしょうか?」
「それが見逃す条件だ」
聞いた瞬間、店主の額から脂汗が噴き出してくる。そして「ご、ご冗談を」と言いながら汗を拭う。
「安いだろ?」
「あ、いえ、あの……ウチの店の有様をみて、お、お察しかと思いますが、ギリギリで経営しておりまして、その……一番人気の娘が抜けるのはちょっと……」
「選ばせてやる」
「はぃ?」
「最初の女だろ? だが、そいつをよこせとは言わん。お前の誠意が見れればそれでいい」
誠意と言う時点で答えは決まっている様な物。
店主は「そんな……」と嘆いた。
「それとも、相応の契約金を支払うか?」
「あ、あの、その……ヴィスの旦那はかなりの数の女性をご自宅に囲ってらっしゃる、と言うのはよく耳にしております。ですが、ウチの店みたいな平均以下の女では、その、旦那の品位が落ちるかと思います。で、ですので、好きな時に来店頂いて満足して頂ければ、と思いまして……あ、新しく入った娘は必ず最初に。そ、それで勘弁して頂けれ……」
瞬間、ガシャンという音と共に酒とグラスの破片が床に広がった。
蹴って離れた足の片方が、ゆっくりと戻り、テーブルの上で再度組み直る。
悲鳴すら出ない店主は真っ青になりながらヴィスの足に視線を止めた。
「すまん。よく聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」
「いえ……その……」
「大丈夫だ。今度は最後まで聞こう。さ、勇気があるならもう一度話してくれ」
言った所で、それ以上言葉が続かない事は分かっている。
目線はテーブルに固定されたままの店主は「一人……選んでおきます」とだけ答えた。
とその時、ビビっと機械音がなった。
音の主である通信機を取り出して、対応するのは刺青男。
「はい。すぐに」と話す声を聴いて「ちっ」とヴィスは舌打ちをした。
「エルジボ様からです」
後方から首元に通信機を差し出され、それをヴィスは受け取る。
エルジボの名を聞いて、店主も顔を上げた。嫌な予感がする為か、眉を傾かせて唇を震わせている。
「……はい。順調に。……かしこまりました。その様に致します。……はい。必ず。……二、三日後には可能かと。……はい。では、失礼いたします」
相手が切った事を確認後、ヴィスも通信機を切る。
正味一分の通話。
だが、その一分の間に目の前に居る店主は数年歳を取ったように見えた。
「う……ウチの店の事でしょうか?」
「だったらどうする?」
通信機を後ろ手に返しながら、ヴィスは無表情でそれに答えた。
「こ、ここを潰されてしまっては、もう行くところがありません。ど、どうか、ヴィスの旦那からエルジボ様へ言葉添えを……」
「では、一人追加だ」
「え?」
「お前の店で二人用意しろ。遅くとも二日後の夜にはこいつらが迎えにくる。それまでに選別しておけ」
「さ、先程も言いましたが、その、今居る人数でギリギリでして……二人も引き抜かれるのは……」
フッと店主の顔へ影が落ちた。
薄暗い店内の室内灯がその陰を作り出し、そして一瞬で消える。
大きな破壊音が店内に鳴り響き、扉の向こうから薄っすらと聞こえていた女の笑い声が消えた。
「お前、勇気あるな」
ヴィスの放ったかかと落としは古いテーブルを破壊して真っ二つにしている。割れたテーブルには足の置き場が無くなり、そのままヴィスは立ち上がった。
店主の顔には最早血が通っておらず、半泣きの状態で壊れたテーブルを見つめていた。
「……話は終わりだ。行くぞ」
そう言って、ヴィスは店を後にする。
「おっさん。どうすればいいかなんて簡単だろ? 選択肢は一つしかねぇんだ。よろしく頼むぜ」
去り際、店主の肩に手を置いて囁く刺青男。
ヴィスは黙ってそれを見逃した。
ロンライン通りは三つあり、それぞれ特色が違う。
求める物へ迷い無く誘いざなうロンラインは、客側としても、店側としても非常に理にかなった作りになっている。
その中の一つ、ギラギラしたネオンと薄暗い街灯が特徴的なロンライン一番通りは、今はまだ陰鬱な雰囲気を纏っていた。
昼と夜では姿が違うロンライン。その差が激しいのも一番通りの特徴ともいえる。
「そろそろですねぇ」
刺青男が声をかけてくる。
だがヴィスは無言のまま路地から大通りを眺めていた。
「女が立ってねぇと……ここは昼間に来るとこじゃねぇって改めて思いますね。兄貴」
「ああ」
ぶっきらぼうに返しても、刺青男は何ら気にする事無く煙草を取り出して火を点けた。
大きく吸い込んでから吐き出された煙は、引き寄せられるように鉄顎男の顔へ纏わりつく。
「おい」
睨みと共に威圧され、刺青男は軽く片手をあげて詫びた。
「あの店……どうします?」
鉄顎男から数歩離れて、刺青男はヴィスに問う。
ヴィスは聞くまでも無いだろう? と言った表情で「……来月から全て上げろ」と言った。
「回収できますかね……」
「三倍だ」
「……やっていけねぇと思いますけど?」
「そう思うか?」
刺青男は表情とハンドサインで、今の発言は冗談だった事を示し「持ってますね。たんまりと」と答えた。
「……支払う前に逃げる。分かってるだろ? 逃がすなよ」
「うっす。財産は没収。いつも通り、女は全員兄貴に……」
「分かってるならいい」
皆まで言うな、とヴィスは刺青男の言葉を遮った。
漂う煙草の煙の先で、漸く箒を持った男が店から姿を現した。次いで他の店からも店員が姿を見せる。道端に散らばるゴミを掃除するのは営業前。客引き合戦が始まるまでは、強い香水で淀んだ空気を上塗り出来ない。
ヴィスは心の中で、刺青男の意見に再度同意した。
「で、兄貴……追加の女は何処から調達するんです?」
交渉中に入ったエルジボからの連絡は、女を追加せよという内容だった。調達するとしても、脅せる店は限られている。
残り二人を何処から引っ張るかと一瞬思案するヴィスだが、やはり一つしかないと答えを絞った。
「……ヘヴンカムだ」
「やっぱ一択ですね。直営の売上は落とせないですから」
「行くぞ」
刺青男は「うっす」と返事をした後、片手をズボンに突っ込んで歩き始めた。
鉄顎男は一言も発する事無く、ヴィスの指示に全てを任せると言わんばかりについて来る。
「痛い目みたばかりで、よくもまぁ懲りずに……」
「報告済みか?」
「既に。ピンはねした分の回収方法は任せるって話です。因みに責任は何処へ?」
「今回の件でいいだろ。どうせ下っ端に責任取らせるだけで終わる」
「……あそこはイイ女多いのに……勿体ねぇ」
「エルジボ様の案件だ。諦めろ。それと、内一人はガキだ」
「……了解」
その後はヴィスを含めて誰も喋らなかった。
店前の掃除をする店員達に挨拶されつつ、三人は真っ直ぐ目的の場所へと向かった。
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